「今日も終わらぬ日本の戦争」
先の大戦において、国内外で苛烈な戦火に巻き込まれ、尊い命を落とされたすべての人々に対して、静かに深い哀悼の意を表する。国家の決断と歴史の濁流の中で失われた無数の人生を悼むことは、現代に生きる国民として忘れてはならない静かな義務である。
しかし、1945年の砲声の停止から81年という年月が経過した現在もなお、我が国が法的に完全な「戦後の決着」を見ない国家が存在する。隣国ロシアである。
この歪んだ関係の起源は、1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約にソ連(現ロシア)が調印を拒否したことに遡る。終戦間際に日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連は、「国際的な講和の枠組みなど不要であり、自国の固有の領土はすでに決定している」と言わんばかりの態度をとった。国際社会による平和的な合意形成を拒絶し、講和条約に加わることなく北方領土や千島列島、樺太を力づくで実効支配したのである。
日本は講和条約において南樺太や千島列島に対するすべての権利を放棄したが、条約に調印しなかったソ連にそれらの領土が正式に帰属したわけではない。正規の国際手続きを経て領有権が確定しなかった結果、現在でも一部の海外製の世界地図においては、南樺太がどの国の領土でもない「所属未定地」として不自然に白抜きされたり、異なる色で塗られたりする現象が生じている。
1956年の「日ソ共同宣言」によって法的な交戦状態こそ終了したものの、国境画定をめぐる対立は解消されず、戦後81年を経た現在に至るまで平和条約(終戦条約)は締結されていない。即ち、形式的な戦争状態は脱したものの、領土的な最終決着がつかないまま放置されているという不全を、日本は今なお抱え続けているのだ。
この未完の戦後処理と法的な空白は、冷戦期における日本の安全保障構造にも決定的な影を落とした。日本は東アジアにおける対ソ連の最前線として位置づけられ、その防衛上の歪みが生み出した象徴的な産物が、津軽海峡などに代表される「特定海峡」の設定である。
日本の領海法は原則として海岸線から12海里(約22キロ)を領海と定めているが、宗谷、津軽、対馬(東・西)、大隅の5つの主要海峡に限っては、あえて3海里(約5.5キロ)に狭め、中央部を公海(排他的経済水域等)として残している。これは冷戦下において、核兵器を搭載した米軍艦船の航行の自由を認めつつ、日本の「非核三原則」との整合性を保つという、対ソ連防衛のための苦肉の策であった。
ソ連からロシア連邦へと国家体制が変わっても、力による既成事実化を推し進める膨張主義的な本質は変わっていない。2014年のクリミア半島武力併合、そして現在進行形で行われているウクライナへの軍事侵攻を見れば明らかである。1945年に我が国の北方四島を奪い去った手法は、今も形を変えて繰り返されている。
戦争において、現場の戦闘が終結することは何よりも重要である。しかし、その後の戦後処理や国境画定が適切に行われなければ、その歪みは半世紀を超え、世代を越えて国家の安全保障を脅かし続ける。未完の戦後処理が残した罪の重さを、私たちは今一度見つめ直さなければならない。
了
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