『母性と仏教』
序章:問題の所在と分析枠組み —— 東アジア仏教変容論の学術的再構築
本研究の背景と目的:東アジアにおける「受容と変容」の比較思想史的課題
仏教が古代インドにおいて誕生し、中央アジア、中国、朝鮮半島を経て日本へと伝播・定着していく過程は、単なる宗教的教理の地理的拡散にとどまらず、それぞれの地域が保持する独自の文化的・思想的基盤との相克を通じた「変容とローカリゼーション」の歴史であった。従来、日本仏教史研究においては、国家鎮護の道具的受容から鎌倉新仏教への展開という教理史的・政治史的アプローチが多く試みられてきたが、外来の高度な宗教体系が異文化の土壌においていかなる「精神的ろ過」を受け、生活感覚や倫理行動へと身体化されたのかという構造的・質的な変容の分析は、未だ十分な理論化をみているとは言い難い。
本研究の目的は、アジア各地における仏教受容の相違を「構造的・機能的原理」の観点から比較・分析し、百済等を通じた朝鮮半島経由の伝来史実や、遣唐使粟田真人らによる武周仏教請来といった歴史的契機を経つつ、最終的に親鸞の浄土真宗思想において達成された「日本的変容」の思想的構造を解明することにある。
理論的枠組みの提示:分析概念としての「父性原理」と「母性原理」の正当化
本研究において用いる「父性原理」および「母性原理」という二大概念は、生物学的性差や特定のジェンダー役割を本質主義的に肯定するものではなく、宗教学・比較思想学における**構造分析のための概念的道具(分析枠組み)**として定義される。すなわち、「父性原理」とは、言葉・論理・戒律・超律法的な規範によって事象を切り分け、個の自律や選別、自己否定を命じる「切断と規範の機能」を指し、教理的には仏教の「般若(鋭き智慧)」や厳格な具足戒体系、あるいは一神教的・国家統合的な支配イデオロギーに対応する。
これに対し、「母性原理」とは、条件や個の属性を問わず、生きとし生けるものを行為の客観的評価以前に無条件で包括・肯定しようとする「受容と包摂の機能」を指し、教理的には「大悲(無分別の慈悲)」や地母神信仰、あるいは土着のアニミズム的空間構造に対応する。
河合隼雄(1976)の『母性社会日本の病理』や中村元(1962)の『日本人の思惟方法』が指摘した日本の受容的基盤を継承しつつ、本論ではこれらを個人の心理的傾向にとどめず、宗教体系が地域化する際の「変容力学(Dynamics of Transformation)」を測定するための指標として操作的に用いるものである。
先行研究の検討と反証可能性の担保:対照群(父性的切断の実例)の設定
日本の文化土壌が外来思想を「無原則に抱え込み、骨抜きにする」という見解は、日本思想史において古くから議論されてきたが、それを単に「日本は絶対的母性風土だからである」と主張するのみでは、あらゆる歴史現象を結果から後付けで説明する全能の仮説(トートロジー)に陥る危険を免れない。この学術的限界を打ち破り、本研究の枠組みに「反証可能性」を持たせるため、本論では「父性的切断が強く作動した歴史的反例・対照群」を本文の分析において明示的に設定し、葛藤のプロセスを追検証する。すなわち、奈良・平安期における厳格な顕密官僧体制(国家による過酷な僧規統制)や南都六宗の教理的排他性、鎌倉期における専修念仏弾圧および律宗(叡尊・忍性ら)による戒律再強化運動を「父性的切断の対照群」として本文内で実質的に分析する。
これら父性的切断の試みがなぜ解体・止揚されざるを得なかったのかという構造的相克の歴史的展開を証明することで、本論の仮説の客観的妥当性と検証可能性を担保する。
価値評価語の排除と「非公式な社会的統制メカニズム」への概念置換
さらに、本論においては、特定の文化や国民性を優位化・賛美するような「民度」などの規範的価値評価語を一切排除し、Max Weberの提唱した「価値中立性(Wertfreiheit)」の原則を厳格に適用する。従来「民度」等と曖昧に表現されてきた行動様式を、本論では**「外部の強制的・法的な統制機構によらずとも、内面化された規範や関係性への配慮によって維持される非公式な社会的統制メカニズム(Informal Social Control)」、あるいは「自律的・非対立的な行動様式」として学術的に定義・分析する。
同時に、この母性原理的行動様式が不可避的に招く「集団的同調圧力」「無責任の体系」「倫理的緊張感の喪失(甘えの病理)」といった機能不全(負の側面)**についても、等しい比重をもって客観的に並列分析を行う。
以上の手続を経ることで、縄文以来の土着受容構造と、仏教の「智慧と大悲」が統合されたプロセスを、現代のグローバルな文脈とも接続可能な普遍的思想論として厳密に証明していく。
第1章:仏教原初における「父性的切断」と「母性的包摂」
ヴェーダ・カースト社会という「極限の父性秩序」に対するアンチテーゼとしての初期仏教
紀元前5世紀前後のガンジス川中流域における初期仏教の勃興は、当時のインド社会を強力に規定していた『ヴェーダ』の聖権原理、およびヴァルナ(四姓制度)に基づく厳格な身分的選別と祭祀主義という「極限の父性的切断秩序」に対する構造的なアンチテーゼとして捉えることができる。
カースト秩序が血統と出自という客観的・固定的な基準によって人間を決定論的に断ち切り、社会の階層化を固定化していたのに対し、ゴータマ・ブッダは血統による特権を全面的に否定し、行為(カルマ)と精神的自律のみを人間の尊厳の根拠とした(『スッタニパータ』等)。この初期仏教の立場は、固定化された世俗的切断(父性)を無効化し、あらゆる人間に対して解脱への道を開くという点において、既存のカースト的選別を乗り越える潜在的な「受容性・包摂性」を本質的に内在させていたと言える。
初期サンガの構造的限界:勝義論・戒律に見る「父性的切断」の維持
しかしながら、初期仏教が提示したこの解脱への道は、現実の社会構造においては直ちに全人類を無条件に肯定する絶対的母性へと展開したわけではなく、高度に抽象化された教理体系(阿毘達磨・勝義論)と厳格な僧伽(サンガ)の戒律規範(波羅提木叉/プラティモークシャ)に基づく「新たな父性的切断」を提示せざるを得なかった。出家者(サンガ)と在家者の厳格な二分法、250条に及ぶ具足戒による行動規律、探求される煩悩解体のための言語的論理(般若・智慧)は、無明(虚妄の自己)を裁ち切るための極めて峻厳な父性的機能を担っていた。
さらに初期サンガにおいては、出家資格や解脱の主体を巡って女性や低カースト者に対する現実的・制度的な制約(八敬法に見られるジェンダー的階層化)が課されるなど、教理的普遍性を抱えつつも、制度的実体としては極めて厳格な「父性的・選別的コミュニティ」として機能していたという史実的限界を抱えていたのである。
大乗仏教の勃興と「母性的包摂」への第一次止揚:般若と慈悲の不二構造
こうした初期仏教の出家中心主義・選別主義(父性的切断)に対する強烈な内部批判として紀元前1世紀頃から展開した「大乗仏教運動」は、仏教思想史における「第一の母性的転換」として位置づけられる。
『八千頌般若経』や『維摩経』『法華経』に代表される大乗経典群は、出家・在家の境界や阿羅漢の選別性を無効化し、すべての生きとし生けるもの(衆生)を救済の対象とする「菩薩道」と「一切衆生悉有仏性」の原形を提示した。
ここで重要な思想的メカニズムは、大乗仏教が単に父性的切断(智慧)を破棄して無原則な受容(母性)へ退行したのではなく、一切の固執や概念化を解体する「空(シューニャター)」の智慧(切断)を通過することによって初めて、対象を問わない無差別の「大悲(マハー・カルナー=絶対的母性)」が開顕するという「智慧と慈悲の不二(矛盾的自己同一)」の構造を完成させた点にある。
インド仏教は、この大乗の不二構造を確立したことにより、単なる特定の社会的規範を超えて、多様な風土や異文化の地母神信仰・庶民的祈りを包摂し得る柔軟な普遍宗教へと進化し、アジア全域への伝播に向けた思想的基盤を固めたのである。
第2章:東アジア伝播と中国における「父性的儒教」との衝突・変容
漢訳における「格義仏教」と儒教的家父長制秩序(父性)との構造的摩擦
シルクロードを経て後漢末期に中国へ伝来した大乗仏教は、道教の術語を用いて仏典を翻訳・理解する「格義仏教」の段階を経て中国社会へ浸透していったが、その過程において、皇帝権力による絶対的統治と家父長的な血縁家族秩序(「孝」の道徳)を絶対視する儒教的父性秩序と決定的な構造的摩擦を引き起こした。
出家(髪を剃り、家を捨て、結婚・子孫繁栄を行わないこと)は、身体を父母から授かったものとして傷つけず保全すべきとする『孝経』の根本道徳に対する直接的な背信であり、皇帝に対して伏拝(不拝)しない僧伽の自律性は、国家の権力的・父性的統治構造に対する直接的な脅威として排斥の対象となった(慧遠『沙門不拝王者論』の論争)。
中国における初期仏教の受容過程は、この異文化の峻厳な儒教的父性規範(国家と家父長制)からの過酷な批判と弾圧(三武一宗の廃仏)に直面し、いかに自らを中国の社会秩序へ適合させるかという強烈な相克の歴史であった。
「偽経」の撰述と『父母恩重経』に見る孝道包摂(母性化)の論理
儒教的・国家主義的な父性的批判を乗り越えるため、中国仏教は教理の創造的な再解釈と中国独自の仏典(偽経)の撰述を通じて、儒教の家父長制原理を仏教の「包摂的慈悲(母性)」の体系へと取り込む巧妙な適応戦略を展開した。その象徴的結実が『父母恩重経』や『盂蘭盆経』の撰述であり、ここでは出家・戒律という父性的選別を超えて、とりわけ母親が子を養育する際のお腹を痛めた苦難や十恩の具体性を強調することで、養育の恩恵(絶対的母性)に対する報恩の実践として出家や回向を意味づけ直した。
さらに『梵網経』などの中国撰述の菩薩戒においては、「孝」そのものを仏教の戒律の根本原理として再定義することにより、国家や家父長制という父性的規範を破壊する存在ではなく、むしろ家族と国家の精神的基盤を包摂・補完し得る社会的母性機能を獲得するに至ったのである。
禅宗の成立に見る言語・概念の切断と「自然・実利」を介した母性への止揚
唐代以降に独自の隆盛を極めた禅宗(特に恵能に始まる南宗禅)は、インド・中国で積み上げられた複雑膨大な教理・言語体系(父性的論理)を「不立文字・教外別伝」の身ぶりによって根本から解体し、言葉や概念による切断を無効化する中国仏教の最高度の変容形態であった。
百丈懐海による「一日作らざれば一日食らわず」に象徴される農耕・日常労働(清規)の導入は、出家者と在家者の超俗的選別を解体し、老荘思想の根底に流れる万物を生み出し育む無為自然の「道(タオ=無差別受容の母性)」と仏性を完全に融合させた。
言葉や規範による人間選別(父性)を削ぎ落とし、「いま・ここ」の生活現場や即今・日常の身体活動そのものを即座に成仏の場として全肯定する禅の境地は、中国国家の鎮護という父性的役割を外貌として担いつつも、精神の内実においては庶民や自然観をまるごと抱え込む強力な「実利的母性構造」を定着させたのである。
第3章:アジアにおけるローカリゼーションと「母性度」の比較 —— 朝鮮半島・唐の受容史と日本的「対照群との相克」
東南アジア上座部と中国大乗における「父性・母性」の構造的比較
アジア各地における仏教のローカリゼーションは、各地の土着風土が持つ「母性度(無差別受容の度合い)」と外来的宗教規範の相克プロセスとして位置づけられる。
スリランカやタイを中心とする東南アジアの上座部仏教圏においては、阿毘達磨(アビダルマ)の勝義論と厳格な波羅提木叉(戒律)という出家サンガの父性的秩序が社会の道徳的・制度的標準として君臨する一方で、人々の日常的生の基盤には大地や地域共同体に密着した土着精霊信仰(ピーやナッ)が「母性的受容の地下水脈」として多重的に機能し、厳格な規範(父性)と生活の包摂(母性)を絶妙に調和させてきた。
これに対し中国においては、儒教的家父長制という絶対的父性規範と衝突しつつも、擬似親族化や『父母恩重経』などの撰述、さらには禅宗における「自然・実利」への即一を通じて、国家統治(父性)と庶民生活の抱擁(母性)を重層化させる独自のローカリゼーションを完成させたのである。
朝鮮半島経由の伝来史実:動乱期の祈りと「母性的包摂」の一次ろ過
中国で再構築された大乗仏教が日本へ至る過程において、高句麗・百済・新羅の三国が死闘を繰り広げた朝鮮半島を経由した史実(『日本書紀』欽明天皇紀に記される百済・聖明王からの仏教公伝等)は、日本における母性的仏教受容の決定的な前段階(一次ろ過のプロセス)をなしている。
古代半島の国家においては、仏教は当初、国家の軍事的防衛や王権の正統性を保障する「父性的・国家鎮護のイデオロギー」として受容されたが、打ち続く動乱によって過酷な生を強いられた庶民の現場においては、身分(骨品制等)や政治的勝敗という父性的裁きを超えて苦悶する存在を等しく救い上げる「弥勒信仰」や「観音信仰」が爆発的に浸透していった。
百済から日本へと伝えられた半跏思惟像の慈悲深き造形や、日本で最初に仏門に入ったのが男性官僚ではなく三人の少女(『日本書紀』敏達天皇紀に見る善信尼・恵善尼・禅蔵尼の三尼)であったという史実は、半島における「過酷な現実を包み込む母性的祈り」が、そのまま初期日本の仏教受容の精神的基層として移植されたことを明確に実証している。
粟田真人の「武周仏教」請来と対照群分析①:国家顕密・律令統制という強権的父性
しかし、日本への仏教定着は単なる母性的包摂の直線的拡大であったわけではない。ここで検証されるべき**歴史的対照群(父性的切断の強力な作動事例)**こそが、8世紀初頭の慶雲元(704)年に遣唐使粟田真人が請来した「武周仏教」と、それに続く律令国家体制下での国家官僧統制である。
『続日本紀』に記される武周仏教は、武則天の帝位を権威づけた『大雲経』に基づく絶対的権力イデオロギーであり、文武・聖武期における国分寺建立や鑑真受戒を通じた戒壇院の設置は、宗教者を法秩序と具足戒(父性)によって厳重に選別・統制する「極小化された国家父性体系」の定置であった。
南都六宗の教理的厳格主義や僧綱による破戒者への過酷な処罰は、日本の土着母性に対する強力な反例・拮抗作用として歴史的に作動していたのである。
「父性的切断(対照群)」の不全と母性的地盤への止揚
この国家による強権的な父性的統制(対照群)は、古代社会において一見支配的に見えたが、民衆の救済現場においては決定的な限界を露呈した。
行基の社会事業に対する国家弾圧の失敗と、その後の東大寺大仏建立における行基の起用に見られるように、過酷な父性的国家統制は、地方民衆の間に脈打つ「無差別な母性的救済要求」を抑え込むことができず、かえって国家事業の推進力としてその母性的包摂力を取り込まざるを得なくなった。
さらに平安期において、最澄が比叡山に「大乗戒壇」を設立(『山家学生式』)して南都の父性的具足戒を無効化し、空海が密教の体系(『十住心論』)を通じて一切の存在を大日如来の無差別な包摂の中に全肯定したことは、唐由来の父性的制度(対照群)を内側から解体・昇華せしめ、日本の「絶対的母性土壌」へと還流させた構造的転換であり、次章における親鸞の「日本的進化」を準備する決定的な思想的架け橋となったのである。
第4章:親鸞における「日本的進化」の定立 —— 対照群との拮抗と「主体」の確立
比叡山20年の自力修業と対照群分析②:鎌倉期「父性的規範の再強化運動」との相克
親鸞思想の定立を解明するにあたり、分析されるべき第二の対照群は、鎌倉期において旧仏教側が展開した「過酷な聖者規範の再強化(律宗運動・念仏弾圧)」である。
叡尊や忍性らに代表される律宗の運動は、崩壊する社会秩序に対し、戒律の厳格な再定置(父性的切断)を通じて聖性を回復しようとする強烈な父性的アプローチであった。比叡山堂僧として二十年間にわたり常行三昧等の過酷な観心修行に身を投じた親鸞の出発点は、まさにこの「戒律と修道の完璧な成就(父性的規範の達成)」の追求であった。しかし、どれほど修練を重ねようとも自己の深淵から湧き上がり続ける煩悩の克服不可能性に打ちのめされた親鸞は、この「規範による自力救済(対照群)」の実践が、現実の苦悩する生の前では不可能性と破綻を孕んでいることを絶望とともに冷徹に自覚するに至った。
日本的ぬるま湯母性(本覚的甘え)の否定と他力大悲への転換
一方で、当時の日本社会の基層に蔓延していた「本覚思想」や土着の風土は、一切の倫理的自省を経ずとも「いまのままで良い」とする無原則な自己肯定(未熟なぬるま湯的母性)へと容易に傾斜していた。吉水において法然の専修念仏に出会った親鸞がもたらした思想的転換は、前述の「自力戒律主義(父性的対照群)」と「本覚的甘え(未熟な母性)」の双方に対する二重の超克であった。
「自分は善人であり、自力の功績によって救われる」という傲慢を徹底的に打ち砕く親鸞の眼差しは、自らに肉食妻帯を課し「愚禿(ぐとく)」と称する覚悟(『顕浄土真実教行信証』化身土巻)を通じて、生ぬるい自己肯定を許さない鋭利な「父性的智慧の刃」として作動したのである。
「父性的智慧」と「母性的慈悲」の不二構造と悪人正機の深層
親鸞思想の頂点をなす『歎異抄』の「善人なおもて往生をとげる、いわんや悪人をや」という悪人正機説は、あらゆる社会的・道徳的評価(父性的選別)を無効化する阿弥陀の誓願(他力)の開顕であるが、これは単なる母性への退行ではなく、「照らし出す智慧(父性)」と「包み込む慈悲(母性)」が矛盾的自己同一を果たした最高度の思想構造である。
阿弥陀の絶対的な無条件の抱擁(絶対的大悲=母性)に触れた瞬間、人間は自らの力で善をなすことのできない「地獄に落ちるよりほかに往く道のない悪人」であるという厳密で冷徹な自己認識(鋭き智慧=父性)を突きつけられるのであり、包み込まれる体験と裁きを越えて己の浅ましさを自覚する体験は完全に一体として生じる。この二重の作動を通じて、身内に閉じた未熟な母性は解体され、一切の存在をその愚かさごと無条件で全肯定する「絶対的大悲(昇華された母性)」へと結実したのである。
「主権」的自我の破滅と大悲の中に立ち上がる「真の主体」の獲得
親鸞が日本的進化の頂点において打ち立てた最大の思想的功績は、自らの意思や功績(自力)によって救済をコントロールしようとする「主権的自我(自力エゴ)」の傲慢を完全に解体しつつも、それによって人間を他律的な奴隷へと落としめるのではなく、自らの不完全で悲惨な生のありようをそのまま丸ごと引き受けて生き抜く「自律的な主体」を立ち上げた点に存在する。
外部からの社会的評価や規範(父性的裁き)の視線に怯えることもなく、かといって世俗的な同調圧力や集団のぬるま湯(未熟な母性)に逃避することもなく、「愚禿」としてただ一人、阿弥陀の絶対的な包摂の中に自らの足で立脚するこの態勢は、他者からの支配権力(「主権」)に依存しない真の自己の確立に他ならない。
「絶対的な母性的受容の中に身を委ね切ることで、かえって揺るぎない個の自律が獲得される」というこの逆説的な止揚こそが、親鸞の到達した日本的進化の極致であり、外的な規範(父性)に過剰依存せずとも他者への配慮を保持し得る精神的骨格となったのである。
第5章・結語:非公式な社会的統制の正体と現代日本人における「仏教の生死」
内面化された行動様式の構造的解明:縄文的母性基盤と仏教による思想的止揚
本研究における分析の結論として、日本社会において外部の強制的・法的な統制機構によらずとも機能してきた「非公式な社会的統制メカニズム(Informal Social Control)」や非対立的な行動様式の構造的正体は、第一義的には仏教以前に日本列島で形成されていた「縄文以来の土着的な母性原理(絶対的受容と自然調和)」を地盤としつつ、そこに外来の仏教が接続し、思想的に止揚(昇華)せしめた不二の構造であると定置される。
仏教そのものはこの受容的基盤をゼロから創出した原因ではないが、縄文的母性原理のみでは「身内本位の集団主義」「過剰な世間体」「無原則な同調圧力(甘えの病理)」といった未熟で閉じた機能不全(負の側面)へと劣化する危険を常に孕んでいた。
この土着地盤に対し、朝鮮半島を経由して浸透した大乗の慈悲思想、そして親鸞において完成された「自己の不完全さを照らす智慧(父性)」と「絶対的大悲(無分別の包摂)」の不二構造(第4章)が接木されたことによって、単なる土着の共同体感情は、普遍的な他者への倫理と個の「主体」的立脚を伴う非公式な社会的統制メカニズムへと歴史的進化を遂げたのである。
現代日本人における「仏教の生死」:形態の死と身体化された行動様式の葛藤
「現代日本人の中で仏教は生きているのか、それとも死んでいるのか」という本質的問いに対しては、機能主義的アプローチに基づき、**「制度・教理の言語的体系としては形骸化(死)したが、非公式な行動様式(身体化された慣習)としては機能している(生)。しかし、その行動様式も父性的智慧の欠如により崩壊の危機に瀕している」**と記述的に解明される。
「形式的解体(死)」の側面:
現代日本において、制度的・教理的・言語的体系としての仏教は冠婚葬祭の形骸化した慣習や観光資源へと矮小化し、思考停止に陥っている。とりわけ、親鸞が提示した「自力の傲慢の打ち砕き」や「己の悪の冷徹な自覚」という過酷な父性的智慧は現代社会から完全に消去されており、その結果、人々の精神は自律的な「主体」を喪失しつつある。
「身体的機能(生)」とその負の側面:
その一方で、親鸞的進化を経て身体化された「他者の痛みを察する」「外的な罰がなくても自らを律する」という無意識の行動様式は、日常生活の深層において一定の統制機能(生)を果たしている。しかし、父性的智慧(自省)を失ったこの行動様式は、現代において容易に「集団的同調圧力」や「異質な者への陰湿な排斥」といった母性原理の負の病理へと反転・露呈するという限界を抱えている。
結論:消去された「父性的智慧」の奪還と「主体」の再確立
外部からの数値的効率や過酷な自己責任論という「過剰な父性(権力・選別基準)」が全土を覆う現代社会において、仏教の「父性的智慧(自己の不完全さの冷徹な見極め)」を脱落させたまま、縄文由来の母性(同調圧力や甘え)だけに依拠し続けることは、個の埋没と社会の分断を加速させる結果にしかならない。
日本社会において歴史的に培われてきた非対立的な行動規範を、単なる集団的同調圧力(負の病理)へ劣化させず、真の自律的倫理として機能させるためには、身内に閉じた未熟な母性を打ち砕く**「鋭き仏教的智慧(父性)」を今一度自らの内面に呼び覚ますことが不可欠である。
**外部からの支配権力(「主権」)に隷属することなく、また世間の同調圧力(未熟な母性)に流されることもなく、自らの悲惨さや愚かさを丸ごと引き受けた上で世界に対峙する——この親鸞的「主体」の再確立こそが、仏教の日本的ローカリゼーションが到達した最深の構造的真価であり、現代社会における「主体」喪失と集団的病理を克服するための客観的思想的回答である。
追補:グローバルSBNR時代における「母性的仏教」のモダナイズと世界共通言語化
父性的宗教体系の限界とグローバルSBNR層による日本的宗教感の受容現象
現代のグローバル社会においては、絶対的な神の教理や峻厳な規範によって善悪を裁き人間を絶対的に分類してきた従来の一神教的・父性的宗教体系が、内面的には世界規模で形骸化しつつある。これに対し、明確な信仰告白やドグマを求めずに存在のありようをそのまま緩やかに包み込む日本の「非・決断的で包摂的な宗教感」は、欧米をはじめとする世界中で急増するSBNR(Spiritual But Not Religious:特定の宗教的ドグマには所属しないが内面的な精神性を重視する人々)の思想的関心と共鳴し、新たな関心の対象(記述的意味での「聖地化」)として立ち現れている。
この現象は、従来「宗教的無関心」や「曖昧さ」として否定的に解釈されがちであった行動様式が、過酷な規範と分断(過剰な父性)に疲弊した現代世界に対し、教理の枠組みを超えて存在の肯定をもたらす救済のインターフェースとして機能し始めている事実を示している。
包摂的ローカリゼーションのモダナイズと普遍的言語への可能性
日本の文化的土壌において推し進められた「母性的仏教のローカリゼーション(教理の解体と生の包摂)」は、単なる特定のローカルな伝統文化にとどまらず、過剰な分断や排他性に直面する21世紀のグローバル社会において、学術的・思想的に再定義(モダナイズ)されることによって普遍的な共通言語として機能し得る客観的可能性を秘めている。
自己の不完全さを自覚する「父性的智慧」を内包しつつも、相手の属性や教義的正統性を問わずすべてをありのままに抱き留める「絶対的大悲(母性的包摂)」の構造は、教理の不寛容が引き起こす宗教対立や社会的分断を緩和するための普遍的な精神的フレームワークとなり得る。
親鸞が到達した日本的仏教の不二構造をグローバルな文脈へと拓くことは、現代における自律的「主体」の回復と、外部の強権によらない非公式な地球規模の倫理的協調をもたらすための、きわめて客観的で豊かな思想的選択肢を提示するものである。
