HSP71歳サンバイザーの呪いが解けて②娘にnote
呪いのサンバイザーを日傘に替えて、 お互いの闇を捨て、直近の先祖である母(娘には祖母)に感謝した娘と私は、次に私の父方のお墓参りに行った。
こちらはちょっと有名なお寺。平日でもかなりな人出。外国人観光客も多い。
戦前までは裕福だったという父方のお墓には全部で7基の墓石と霊標が建っていて敷地も広い。すぐそばに大きな木があるので、この日は落ち葉がいっぱいだった。
娘は落ち葉を掃き、私は花を供えながら、私を育ててくれた祖母の話をした。
「頼みの長男がポンコツで嫁と2人の子供を残して家を出てしまい、どんなに辛かったやろう、と
自分がバアバになってみて、改めて思うわ。」と私。
弱音を吐くな、父親がいなくてもシャンとしなはれ。
グズグズ泣きなはんな。
人間「負けん気」が大事や。
大阪弁で叱咤激励された。
戦争ですべてを無くし、リヤカーに家財道具を乗せて親戚を頼って疎開したと聞いた。
曽祖父が一代で築いた財産は、戦争や大きな台風という抗えない難もあったが、三代目の父の代ですべて消滅。
そこで産まれたのが私だった。
小学生の私に厳しい言葉をかけながら、あれは祖母自身を鼓舞していたのかも知れなかったと今気づく。
和裁をしながら生計を立てていた祖母は、厳しかったけれど初孫の私を大切にもしてくれた。
でも、祖母との関係を、
私は自分の初孫との関係に投影したかも知れなかった。
立派な祖母でなくては。
しっかり育てなくては。
ここ数年間の孫の登校しぶりや癇癪が大きなストレスだったのは、孫自体が心配なことよりも
実は孫の辛そうな様子を見ると自分の幼少期を思い出すからだったからかも知れないと思う。
大恋愛の末、母と結婚したくせに逃げ出したポンコツの父
でも、あなたがいなければ私はいない。
娘もいないし、孫もいない。
父娘の縁は薄かったけれど、
本好きは父からのDNAかも知れない。
娘と共に、父方の先祖にも感謝して
お楽しみのランチタイム。お昼時で料理が運ばれてくるまでに時間がかかる。
その間に、娘に
「noteの始め方」の本を見せた。
ざっと読んで娘が言う。
「お母さんに良さそう。
SNSはやらないと言ってたけどnoteはやるの?」
「もうやってる。フォローしてくれる人もいる。初めは絵のことで繋がりたいと思っていたけど、自分がHSPであることや孫の登校しぶりが、とかの記事を投稿したら、しんどい思いをしている人いっぱいいて、本音で繋がりあえていて、なんか毎日感動する。
あなたが自分の子どもで経験したことも、きっと誰かの役に立つと思うよ。」
本の中にある、
・10年後のあなたの世界は、まったく違う広がりを持っているかも知れません。(P.206)
・来月までに書いてみたい"10のテーマ"を思いつくままメモしてみる。(P.210)
というところが娘に響いたようで
「私もやってみようかな、note。
今思いつくだけで書きたいテーマは10以上あるし。
ホントにね今日のサンバイザーじゃないけど、自分はこういう性格だとか、自分にはこれは向かないとか思い込んでることってあるやん。
そうやって自分を狭めてる、みたいな。
投稿することで、それを1つでも外していけるかもね。」
ハンバーグランチと日替りランチが運ばれてきて、水の入ったグラスでカンパイした。
母方のお墓で書いた、心の中の消したい思いはお互いに知らない。
私のnoteのプロフィールは娘には言わなかった。
娘がnoteを始めるかどうかは確かめない。
noteという海で、私たちが出会うかどうかも分からない。
同居という選択をしてから8年が過ぎた。4世代で暮らせたのは2年に満たなかったけど、ひ孫に車椅子を押してもらって喜んでいた母。
その母が逝って10カ月後に2人目の孫が生まれてきた。
生命は続き、言葉は届く。
同居という選択肢を選んだからこそ
分かった祖母や母の思い。
今日、娘と共に来れて、8年間に溜まったお互いの澱のようなものが少し流れていった気がした。
noteを始めて約1ヶ月。
その間に、スキをくださった方たちの記事を読みに行くうちに、どうしても母と祖母のことを書きたいと思う気持ちが湧き上がってきました。
そして、娘にnoteのことを話したくなったんです。
最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。感謝💖
