見出し画像

「子供を持たない」この感情は進化か退化か


子どもを欲しくならない私

30歳前後。
周囲の「妊活します」「妊娠しました」という報告が増えてきた。

ついこの間まで、
「子どもいらなくない?」「日本の未来とか、怖くて育てられないしね」
なんて言いながら居酒屋でケラケラ笑っていた友人たちが、次々と「産む側」に移行していく。

中には「経済的にも無理」「子どもなんていらない」と言っていた子まで、あっさり妊娠した。
まるで何かのスイッチが入ったかのように。

それを「エゴ」と言い切ってしまうのは簡単だけど、
「人間も動物だ」という事実を、いやおうなしに突きつけられた気がした。


種としての本能なのか?

本能なのか、時限爆弾的なプログラムなのか。
私にはその「スイッチ」が見当たらない。

代わりに、こんな感覚がある。
「自分は人間として、理性で判断できている」
「子を持たないという選択ができる、進化した個体なのでは?」

…でも、これは「進化」なのだろうか?
もしかして、繁殖しない私は、種としての“退化”なのか?


「進化」という言葉に潜むバイアス

最近、ダーウィンの進化論についてのYouTubeを見て、印象的だった言葉がある。

「ダーウィンは、“進化”というより“世代を超えて伝わる変化(descent with modification)”という言葉を好んで使っていた。そこに“優劣”や“進歩”という意味はなかった。」

だけど、社会に浸透したのは「エボリューション(進化)」の方。
いつのまにか、「変化=進歩」「理性がある=優れている」という思い込みが、自分の中にもこびりついていた。


それでも、変化しているわたしが好きだ

「わたしは劣っているのか?」
そんな不安が、ふとよぎることがある。

自信がないわけじゃない。
でも、人と比べて「自信がある自分」を再確認したくなる。
つまり、承認欲求なんだな、きっと。

なんだ、ありきたりだ。
ちょっと拍子抜けしながらも、正直な自分の輪郭が見える気がした。

「進化」か「退化」かなんて、正直どうでもいい。
わたしはわたしのままで、ちゃんと変化してきた。
その変化が「幸せ」に繋がっていれば、それでいい。

子どもを持つ人も、持たない人も。
どちらにも「正しさ」を求めすぎず、違いを許せる社会であってほしい。

いいなと思ったら応援しよう!