あの頃「ボク」らはアホでした
会津若松市の地域おこし協力隊です。
映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」を観て感動したのは
つい先日のことです――。
ところで。
「ボク」ことにったは会津若松に住みますが
月に一度大阪の家に帰ります。
家の本棚を見ながら次読む本を選んでいると……。

(ウソやろ!)
映画の原作本を読んでるではないですか。
5年前のこととはいえ、
脳のメモリ容量の少なさに呆れた協力隊員は
それこそ言葉も出ません。
(小っちゃいときからアホのままやん)
あらためて読み直してみると、
映像が鮮明に蘇り涙するのですが、
それにしてもこんなええ話が記憶にないとは……。
そんなとき、アホな子ども時代に戻る機会が――。
小学校6年生のクラス同級会が開かれたのです。
(卒業してから50年か……)

懐かしい思い出とともに町を歩くと――、
やっぱり、アホを育てるアホな町や。
そんなうれしい気持ちにさせられます。
(ほんま大阪人ってやつは……)
会のスタート正午まで時間が空きます。
幼少期を過ごした西成を歩いていると
「西成モーニング」の看板が手招きしています。

(あかんって。朝飲みは……)
誘惑に打ち勝つまでには成長した協力隊員が通った玉出小学校は、
南海本線「玉出」が最寄り駅。
隣の駅「岸の里」があまりにも近すぎて
いつしか「岸里玉出」とひとつの駅になりました。
(そういやぁ小学生んとき創立100周年やったなぁ)
玉出小学校、略して「玉小」は
なんとも歴史ある小学校なんです。

玉小創立の1873年といえば――。
青森県に移封され「斗南藩」となった会津藩が
廃藩置県により消滅する年です。
(なんちゅう年に建ったんや……)
そして、小学校の同級会。
アホなまま変わらない友13名と、
いつまでもお変わりない先生が参加。
いつしか昔のアホ話で盛り上がるのです。
(みんなアホな町で育ったアホガキやったな)
ここで、現会津人は「会津屋」の話題を振ります。
そう、会津坂下出身の遠藤留吉氏が
たこ焼きを発明したと言われる「会津屋」です。
この会津屋本店があるのがまさに地元玉出。
(ワシは全然記憶ないねんけど……)

誰も行ったことがないとは……、会津屋に。
それよりも、
風呂屋の路地入った駄菓子屋がたこ焼きやってたな、
商店街のどこどこの店先は、一舟5個で30円やった。
そんな話が延々と続くのです。
(アホガキには会津屋の敷居が高かったんかも……)
そして――。
同じく地元の玉出中学校を出たアホ少年は
大阪市の南を流れる大和川沿いの高校に
30分チャリンコをこいで通います。
(あんときもまぁアホやったなぁ……)

(アホな高校のはずが)
実は母校の卒業生には著名人が1人だけいるんです。
それが、なんと作家の東野圭吾さんです。
(漫才師スマイルもおるけど会津では誰も知らんやろな)
そして東野圭吾さんも著書で言うのです。
「あの頃ぼくらはアホでした」と。
ちょっとくらいアホなほうがええやん。
そう思いアホみたいな会社に就職し働いた30年。
今でも地域おこし協力隊となり、日々成長します。
早い話ーー。
アホ街道を歩んだ60年を再確認する同級会だったのです。
それでも大人の顔に戻り思います。
(アホな時代にも地域づくりのヒントはあるでぇ)
※アホアホって繰り返してほんますんません……
