“であう”こと
先日後輩の誘いで書店に足を運びました。
私自身は図書館派。というのも子どもの頃に近所のお姉さんと一緒に15分くらい歩いて冒険をした記憶が強く、図書館が自分の中での子どもに戻るスポットになっちゃってるというところでしょうか
書店に行くと新潮文庫コーナーがあり、「これはッ!」と目に留まりました。
そして私の手は『センス・オブ・ワンダー』を取らずにはいられませんでした。
短大生時代、幼児教育を学んでいたこともあり文言自体は聞いたことがありましたが、当時は本など読む気はさらさらなく(笑)
そんな私でしたが、機が熟し読む時が…!
途中まで読んで、
“であい”の味わい方が
現代では大きく湾曲してしまっているんだろうなということを感じました。
であい、というものは浄土真宗としては『出遇う』(であう)という言葉で言われます。
『もうあう』という言い方もできるそうです。
これは自分の計らいを越えた何かと“であってしまった”という意味を強く持っています。
浄土真宗では仏さまの本当の願いに出遇ってしまった体験がこれです。
これは自然に対してもそうだなと思うんです。
何か分からないものに自分は生かされていたんだと出遇ってしまう体験を、自分なりの冒険や自然を通した人とのじゃれあいでポッと出てくる。そのことをセンス・オブ・ワンダーでは重要なキーとして扱っているように見えます。
であいに行くのではなく、たまたま出遇う。
であってしまうことを楽しむをする大人がいたり、友だちがいたりすることで人生の味わいや生きている感覚をこのネット社会の中でも知覚することができるのではないかと思った、そんな空腹の昼時です😌
