Takさんとのトーク 『モネと時間旅行』 あるいは アルジャントゥイユとジヴェルニー
青い日記帳の主宰者であるTakさんと取材などでお会いするにようになって、かれこれ20年近くになる。生まれたばかりの赤子が成人式を超えるほどの歳月の中で、2026年9月10日(木)は忘れられない日となった。Takさんと、本務地以外の場所で、初めて本格的なトークをしたのである。
#安井裕雄 x #中村剛士『#モネと時間旅行』トークイベント
— 映画情報どっとこむ (@eigajoho) September 11, 2026
モネの真贋鑑定から《印象、日の出》の制作時間、知られざる《睡蓮》の歴史まで徹底解説https://t.co/cU1sYRjhPE pic.twitter.com/s6z3k6fk4O
Takさんの進行は極めて巧みで、事前に手元でiPad上(写真参照)にメモしていたノートを見る必要はなかった。特に映画の中の作品(現代の画家が描いた作品)が、もし売りに出されたら、いくらぐらいの値がつくか、というご質問を、実質的に冒頭に持っきたあたりは、さすがTakさんである。
さて、モネの作品であった、と言う前提でTakさんは話していたので、モネ作品であった場合の肝心の価格であるが、筆者のお答えは、0円か、50から100億か、というものであった。映画の設定上は、130年間、誰にも知られることなく人目に触れず秘蔵されてきた作品である。来歴を証明する史料も資料もない。この状態はフランス語では、“intact”と形容される。無傷を意味するのだが、古物商の方が言う「初い」と言う状態であろうか。だがひとたび贋作の評価が定着してしまったのならば、モネの作品としては0円とするしかない。では、モネの作品という合意形成がなされたとしたらのならば。

「印象派風」の作品を前にする現代の遺産相続人の代表四人
画像提供:セテラ・インターナショナル
近年のオークションでは、人気のあるモネの作品はすぐ10億円の単位となっているようである。『モネと時間旅行』の作中の絵は、アルジャントゥイユ時代のモネの作品を模していることを、筆者は本作のプレスリリースと共に、パンフレットの原稿にも記させていただいた。この作品は、モネがアルジャントゥイユ時代(1872-1877)に描いた作品を下敷きにしているのだが、映画の設定では、1895年に描かれたことになる。

ボルティモア、ウォルターズ・アート・ギャラリー
つまり、アルジャントゥイユ時代の主題と場面設定に、ジヴェルニー時代(1883-1926)立ち戻って描いた作品であることが証明されて、真作と見なされるようになる。これはなかなか容易なことではない。映画でもその過程の一端が、多少の脚色を加えながら、取り入れられているのだが、それに倣ってこの映画の中の絵《白いドレスの女》(1895に設定)を見ると、様式上の矛盾点を抱えていることに気付かされる。モネの様式の変化を確認すると、このモネ風の絵が様式的にも主題的にもアルジャントゥイユ時代のものでありながら、ジヴェルニーという場所で描かれたことが矛盾点として浮かび上がるのである。もちろんこの矛盾点は、演出上の脚色であることから非難されるべきものでないことを強調た上で、他の作例を見ていくことにしたい。
アルジャントゥイユとジヴェルニー
アルsジャントゥイユ時代にモネは《散歩、日傘をさす女》(1875、ワシントン、ナショナル・ギャラリー)という作品を描いている。この時のモデルは妻のカミーユ(1847-1879)で、奥には長男のジャン(1867-1914)が控えている。この光と幸福に満たされた光景は、モデルを当時同居していたアリス・オシュデ(1844-1911)の三女シュザンヌ(1868-1899)に代えて、描いていることが知られている。モネは批評家のテオドール・デュレ(1848-1927)に対して、「私が納得するままに、風景画のように戸外の人物を描く」ことを意図したと語っている。風景画のように人物を描く、つまり屋外で、背景の草木や空そして雲とモデルとなる人物を等価に扱って、表現技法を違えることなく描くというのであり、モネは《屋外の人物習作(右向)》と《屋外の人物習作(左向)》(いずれも1886、パリ、オルセー美術館)でこれを実践している。



ジヴェルニーのモネ 最晩年の「睡蓮」
12月5日はモネの命日である。間も無くモネが亡くなってちょうど100年の節目を迎える今年、京都のアサヒグループ大山崎山荘美術館は開館30年の節目の年を迎える(「ル・アーヴルとパリ」参照)。美術館の所蔵品は、エルンスト・バイエラー(1921-2010)の画廊で1989年に開催された展覧会「モネ:睡蓮(Claude Monet : nymphéas)」の主要作品に由来する。

バイエラーのコレクションは、第二次世界大戦後から20世紀末に形成された近代美術のコレクションとしては世界有数のもので、現在バーゼル近郊のリーエンにバイエラー財団美術館として継承されている。同美術館は1997年の開館であるが、近く上梓される『決定版 印象派作品集』(東京美術)の表紙を飾る一点《睡蓮》(W.1854 HY168)*を所蔵している。また画商としてのバイエラーは、上述のアサヒグループ大山崎山荘美術館の所蔵作品のほかにも、直島の地中美術館に所蔵されている《睡蓮》(W.1812 HY143)も所蔵していた。20世紀後半の、最後の大画商のひとりである。
モネの晩年作品と初期作品
1998年の年末からの三年間は、筆者が現在まで続くモネの「睡蓮」の追っかけを始めた最初の日々である。二大オークションの結果にも注目していたのだが、モネ晩年の「睡蓮」が市場に登場すると、その質や保存状態にもよるが、およそ10M$(1000万ドル)あたりが相場で、当時の邦貨換算ではおよそ10億円であった。この金額になってくると、オークションのプレイヤーは、バイエラーを含めて当時5人いるかどうか。常時参加しているのは数人だったと言われていた。オークションでは出品者そして落札者ともにプレイヤーと呼ばれていたように記憶するのだが、会場に必ずしもプレイヤーの姿があるとは限らず、代理人が会場で電話連絡をとりながら、あるいは上限の事前設定のもとに競り落としていたので、落札は匿名になることも多かったのだが、晩年の「睡蓮」の落札者として名前が出る時には、バイエラーが多かった。
バイエラーはバーゼル大学で経済と美術史の学徒で、第二次世界大戦後、古書店を開業するが、間も無く版画を取り扱い始める。1960年代にはG. デイヴィッド・トンプソン(1899-1965)のコレクションの作品340点の売却の権利を得る。モネ、セザンヌ、マティス、ブラック、ピカソ、クレー、レジェの絵画のほかに、70点を超えるジャコメッティを扱っていた。
70年にも及ぶモネの画業のうち、バイエラーは最晩年の「睡蓮」を数多く手掛けている。画廊としてモネの作品を入手・売却する時は、もちろんのこと初期の作品も扱っているのだが、トンプソン・コレクションからの《藤》(W. 1908 HY228)と《ばらの小道》(W.1940)をはじめとして、晩年作の比重が大きく、70年にも及ぶモネの画業のうち、1910年代と1920年代に描かれた「睡蓮」を27点も扱っているのである。つまりバイエラーの手を通った「睡蓮」のうち、過半は最晩年の、それも大型の「睡蓮」である**。
バイエラーは1950年代から半世紀にわたる時代の波を作った画商の一人で、例えばパブロ・ピカソ(1811-1973)の場合でも、初期の「青の時代」「薔薇色の時代」よりも、晩年作品に重きを置いていた。晩年のピカソを訪ねて、26点の作品を一括購入したエピソードが伝えられている。市場価格の方向性を生み出していた画商であり、現在の投資家がバフェットの動向を注視するように、美術関係者はバイエラーの動きを追いかけていたのだが、バイエラーはピカソの場合と同じように。明らかに晩年の「睡蓮」を狙って購入を続けていた。
晩年のモネの作品が市場に出回るようになるのは、第二次世界大戦後のことである。作品価格が一本調子で右肩上がりに上昇するのは、1950年代半ばから、1960年代の後半では急上昇をし始める。直近ではディヴィッド・ロックフェラー夫妻のコレクションの《睡蓮》W.1790 HY121が8400万ドル(約92億円)で落札されたのは、2018年の5月。バイエラーとダニエル・ウイルデンスタイン(1917-2001)が主導したモネ最晩年の作品の価値形成はもともと、現在のウクライナに生まれた画商カチア・グラノフ(1895-1989)が先鞭をつけたのだが、グラノフについては改めたい。また「睡蓮の第二連作」(1903-1908)に属する作品のうち、DIC川村記念美術館が所蔵していた《睡蓮》W.1706 HY80が2025年の11月にオークションにかけられた時には、4548万5千ドル(約70億円)に達したことを考慮すると、モネのジヴェルニー時代の作品は比較的安定して高値で取引されている。
ここで映画の《白いドレスの女》(1895に設定)に今一度目を向けるならば、この作品の価格が、ジヴェルニー時代の作品を基準にしていることには異論があるかもしれない。だがこの作品は、先に述べたように、モネの作品群のうちでも生前から評価されて愛好されてきた、アルジャントイユ時代の作品の主題と様式を借りている。さらに、全く公開されてこなかったことも、価格上昇圧力を強める方向に働くことであろう。

画像提供:セテラ・インターナショナル
『モネと時間旅行』
9月18日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国公開
© STUDIOCANAL - COLOURS OF TIME - CE QUI ME MEUT - Emmanuelle Jacobson-Roques
配給:セテラ・インターナショナル
■作品クレジット
モネ没後100年
監督・脚本:セドリック・クラピッシュ 『ダンサー イン Paris』
出演:スザンヌ・ランドン『スザンヌ、16 歳』、アブラム・ヴァプレ、ヴァンサン・マケーニュ『画家ボナール ピエールとマルト』、ジュリア・ピアトン『最高の花婿』、ジヌディーヌ・スアレム『パリのどこかで、あなたと』、ポール・キルシェ『Winter boy』、サラ・ジロドー『ベルナデット 最強のファーストレディ』、セシル・ドゥ・フランス『幻滅』、オリヴィエ・グルメ『私は確信する』、ヴァシリ・シュナイダー『モンテ・クリスト伯』、ヴァランタン・カンパーニュ“Coward”
原題:La Venue de l'avenir/2025 年/126分/フランス/フランス語/日本語字幕:古田由紀子/1:2.35/5.1ch/配給:セテラ・インターナショナル
公式HP:Monetojikan.com
公式X https://x.com/Monetojikan
文末脚注
*W.はダニエル・ウィルデンスタイン(1917-2001)のカタログ・レゾネ/HYは『図説 モネ「睡蓮」の世界』創元社、2020年の整理番号
**試みに、ウィルデンスタインのレゾネから、バイエラーの扱った作品を抽出すると、以下が挙げられる。
W.31(以上1860年代1点), W.303, W.361, W.375(以上1870年代3点), W.894, W.899, W.1141, W.1142, W.1180, W.1183, W.1224(以上1880年代7点), W.1249, W.1347, W.1354, W.1445(以上1890年代4点), W.1524, W.1542, W.1547, W.1549, W.1558, W.1585, W.1617, W.1620, W.1674(以上1900年代9点), W.1792 HY123, W.1793 HY124, W.1802 HY133, W.1808 HY139, W.1810 HY141, W.1814 HY145, W.1815 HY146, W.1829 HY160, W.1831, W.1857 HY171, W.1865 HY179, W.1870 HY192, W.1874 HY196, W.1883 200, W.1887 HY204, W.1893 HY210, 211, W.1899 HY217(以上1910年代17点), W.1908 HY228, W.1910 HY230, W.1916 HY236, W.1920 HY240, W.1921 HY241, W.1942 HY256, W.1954, W.1956, W.1959, W.1960, W.1968 HY271, W.1969 HY271, W.1970 HY273, W.1978 HY281(以上1920年代14点)
追記20260915
本日ようやく、『決定版 印象派作品集』(東京美術)の書影公開、解禁になりました!
