『WEAPONS/ウェポンズ』を見て - 「空間」に潜む恐怖 -

 主役を中心に据えつつも背景にいる不穏な人物へ目が行くようなドリー・ショット(ズームではなくキャメラごと動く画面のこと)や、サッと客観が主観視点に切り替わるショット等、人物というより空間主体でハラハラさせる前半は悪くない。これらはキャメラがその存在を強く主張するゆえ、それが捉えたものばかりに意識が誘導され、フレームの外の世界を感じることはできない。つまり一見自由なようでいて、実はそうではないキャメラワークなのだが、本作に関しては、この窮屈さは息苦しさに昇華され、非常に大きな効果をあげている。
 同様に、この映画の主要人物には軒並み自動車の中にいるところを捉えたショットが存在している。この車内という空間もフレームを規定する一方で、「ここに居さえすれば大丈夫だ」という、保護される場所としての側面もある。しかし、車の窓あるいはドアから侵入してくる見知らぬ人物の手やドライブレコーダーによって、時には乗り手に牙を剥く。この映画において、安息地などどこにもないことを示唆する装置としての自動車。やはり空間の見せ方が優れている。

 しかし後半、画面が人物ばかりにフォーカスし始めると、途端に映画は大人しくなってしまう。特に、ただの種明かしに終始する少年パートはもっとスマートに処理してほしい。
 尤も何より度し難いのは、酒を浴びせられる、ガソリンがふりかかる、指を消毒するというように、アルコールというものが何度もフィーチャーされながら、何も燃えない/炎が上がらないことである。これはもはや、何も考えていないのと同義だ。だってなんにも意味がないのだから。これは、今まで述べてきた長所さえも帳消しにする驚くべき手落ちと言えよう。

 ところで、この映画に『サイコ』(1960)や『シャイニング』からの引用ショットがあるのは一目瞭然であるが、伯母のルックは、もしかして『愛と憎しみの伝説』のジョン・クロフォード=フェイ・ダナウェイではなかろうか。と言いつつ、『愛と憎しみ〜』は見てないんだけど。

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