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繊細さんに「感受性が豊か」は褒め言葉なのか。

「この子は感受性が豊かだから」


もし私にとって“感受性を閉じ込めた”きっかけがあるとしたら、たぶんこの言葉。

ある意味で「私の生き方を決めた一言」だったのかもしれません。


それは、たしか3~4歳の時の記憶。

人一倍怖がりで泣き虫だった私は、いつも母の足元にしがみついていた子どもでした。

その様子を見ながら、
母と幼稚園の先生が何か話していて、耳に入ってきたのがこの言葉。


「この子は感受性が豊かだから…」


もちろんその時「感受性」なんて言葉は理解できていません。


ただ、子どもながらに伝わってきたのは、
どうやらこの「感受性」というものが歓迎ムードではないということ。


いつも優しい先生が眉をしかめ、母がペコペコと必死に謝っている。


困らせているんだ、私。

大人2人の間に漂う空気と、笑っているのに困ったトーンの声。

「あ、私ってめんどくさい存在なんだな」と、空気で察しちゃったんですよね。

悲しみとも絶望とも言い難い、焦点の合わないような感情でした。
今でも思い出すと全身がヒリヒリします苦笑


そこから私は、
「明るくて元気でみんなに好かれるいい子」を目指し始めます。


活発で、正義感が強く、男の子にも負けない。
みんなと仲良しのクラスのリーダー。


本来の自分とかけ離れた自分になっていきました。

むしろ、それが「私らしさだ」と自分で信じていたほどに。

…という話をすると、

そんな子どものころの話、いつまで引きずってるの?

と思われますか?


その通りかもしれません。

でも、
意外とこういう【小さな違和感】が、ずっと自分を縛ってたりするんですよね。

HSPや繊細さんと言われている人は特にそうかもしれません。


私は40年近く生きてきて、ようやく理解しました。

あの時からずっと、私は「本当の自分」より「周りが望む自分」を優先してたってことに。


そのことに気付くまでは、本当に本当に遠くて苦しかった。


だからこれからは、
傷ついてきた自分も、これまで頑張ってきた自分も、
ぜーんぶ丸ごと認めて生きると決めました。

それに気付けた今、私は“感受性と生きていく”ことを選びました。

今の私にとって「感受性が豊かだね」は最大の誉め言葉です。

むしろ嬉しすぎて「もっと言って!」とすら感じます笑


なぜそんなふうに思えるようになったのか。

それはこれから少しずつnoteに綴っていきます。


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