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【新宿の恋】第26話「授業料、足りるのね」|五十万円の封筒と、写真立ての男

この物語は、昭和五十七年(一九八二年)、二十歳の大学生・カンバラタツヤ(私)が、父親の死をきっかけに学費を稼ぐため、新宿のバーでバイトを始めたところから始まる。
バーで出会った謎めいた女性・レイコさんをきっかけに、数多くの大人たち、そして女性たちと関わり、少しずつ「大人」へと成長していく青春期の話だ。
二十歳のときに実際に体験した出来事へ、多少の演出とエロチックな要素を加えた私小説である。
際どい性描写を含む。十八歳未満は読まないでほしい。最後まで付き合っていただければ幸いです。

前回までのあらすじ

ナツコと秋の湘南で過ごした。塩辛いキスのあと、「いいお友達でいい」と言った横顔が残る。アパートに戻ると紙切れが二枚。レイコさんからの「電話待ってます」と、大家さん経由の「お兄さんから要連絡」と言う走り書き
時計が動き出すのを感じた。

帰郷

公衆電話から実家にかけると、お袋が出た。

「お父さんの遺産の話があるから、週末に帰ってきて」

話しぶりからして、兄夫婦と揉めている気配だった。

死んだ親父は大正五年生まれ、お袋は昭和元年生まれ。自分は、親父が四十七のときに生まれている。
兄は十歳上。姉は結婚して、茨城の土浦に住んでいる。

兄が結婚したのは四年前だ。兄嫁はある宗教団体に属していることが、親父が死んだときにわかった。そのこともあって、お袋とひと悶着あって別の場所に住んでいる。

実家は茨城県の南部で、川の向こうは千葉県と言う県境の街、子どものころは一面田んぼだった土地が、いまは新興住宅地になっている。

兄夫婦とお袋と自分の三人で、親父の残した家と土地について話す。相談、というより醜い言い争いになった。

結局、家はお袋がそのまま相続し、土地は兄夫婦が相続することになる。

私には、兄から五十万円入りの封筒が渡され、「これ以上何も言うな」という圧力だけが残った。

親兄弟といえども、欲に目がくらんだ憎しみ合いは醜い。
私は、何も言わず、封筒だけを受け取って東京へ戻ることになった。

レイコさんに事の次第を話すと電話の向こうで短く息をついた。

「早く言ってくれたら、弁護士さん、紹介したのに」

ありがたかった。だが、家族なのにこんな面倒な人たちと、これ以上揉めたくなかった。

とりあえず金ができた。来年の授業料はこれで払える。奨学金を借りずに済むという安堵だけが、電車の窓に残った。

昼の情事

レイコさんとは、二週間に一度ほど会っている。

土曜日の深夜に店へ現れ、翌日の日曜は、彼女の家で過ごす。高級ホテルへ行くことは、ほとんどなくなった。

バイト明け、白いベンツが路地に停まる。
サエキが運転しレイコさんと私は後席、墨色のコートの襟を立て、内側に薄いグレーのニットを着ている。秋から冬へと季節は移り変わる。

離れの和室へ案内される。檜の風呂に入り、食事をし、熱い時間が繰り返される。重ねる回数が増えるほど、レイコさんは静かで、濃く、求めてくるようになってゆく。

浴衣の襟を指で開き、鎖骨から胸へキスを落とす。細身の体は、夏より少し冷たい。掌が乳房を包むと、彼女は目を細めて、私の髪に指を入れた。

「そう。そのまま」

声は、命令というより、お願いだった。

レイコさんは、ピルを常用するようになってから、コンドームを付けない。

熱い粘膜が一本を根元まで迎え、子宮の入り口あたりをごりごりと擦ると、レイコさんの背中が小さく弓なる。肉壁が握るように収縮し、奥へ奥へと引き込む。あふれた愛液が結合部を濡らし、くちゅ、という音だけが障子に吸われていく。
乳房をもみ、乳首を指の腹で転がすと、甘い声が漏れた。

「いい。もっと、強くしていいから」

乳首を捻ると背中を反らし、胸を突き出す仕草、苦痛と快感が絡んでいるようだ。
ずり上がりそうな細い肩を、脇の下から腕を回して固定する。そして、深く、浅く、律動を繰り返す。額を合わせ、息が混ざる。

「もう、だめ。……イッていい?」

逝くことに許しを請うように切れ切れの声を出す。

「イキなさい。俺も、一緒に出す」

「うれしい。いっぱい、ちょうだい」

声も出せなくなってくる彼女に、最後のひと突きを送り、奥へ精液を注ぐ。

「ああ……きてる。満たされる」

腹筋がガクガクと震え、これでもかと奥へ引き込むようにして、レイコさんは達した。

しばらく、固まったまま抱き合う。性器を外し、横に並ぶ。呼吸が整うと、また抱きついてくる。甘い口づけを繰り返すうちに、熱が静かに落ち着いていくのがわかる。

障子から差し込む日は、まだまぶしい。

「授業料、足りるのね」

髪を撫でられながら、そう言われた。遺産のことだ。

「兄貴に言い含められたかな」

「そんなことはないわ。権利を受け取っただけ」

その言い方が、五十万円の封筒より、ずっと大人だった。

写真立て

レイコさんには、サエキという男が秘書と運転手をしている。体格のいい、寡黙な男だ。
奥さんと子どもがいることは、本人の口から一度だけ聞いた。

ある夜、バーでレイコさんが珍しく泥酔した。
カウンターに突っ伏して左から二番目の席で氷のないグラスを抱えている。

サエキが迎えに来た。濃紺のスーツが決まっている。

レイコさんは、私と一緒に帰ると言い出す、わがままな彼女に、マスターが短く言った。

「カンバラくん。今日は客もいない。一緒に帰っていいぞ」

ベンツの後席で、レイコさんは私の肩に頭を預けている。
サエキはバックミラーを一度だけ見て、ほとんど口を開かない。都心を抜けて閑静な住宅街に入るころ、サエキが話しかけてきた。大男の割に、声はやさしい。

「カンバラさん。お嬢様は、いつもカンバラさんのことを心配していらっしゃいます。裏切らないでください」

「サエキさん。レイコさんって、いったい何をしているんですか。ものすごいお金持ちらしいけど」

一瞬、困ったような顔をした。

「それは、お嬢様に直接聞いてください。私から説明すると、怒られそうです。」

ガレージにベンツを入れる。酔ったレイコさんを車から下ろし、洋館の中へ連れていく。

いつも使う離れではなく、本館のベッドルームだった。初めて入る部屋だ。

クイーンサイズのベッドと大きな本棚、鏡台に化粧品、小さな文机に、写真立てが置いてある。
レイコさんをベッドに寝かせると、サエキは深く頭を下げた。

「あとは、カンバラさん頼みます。」

立ち去ろうとする背中へ、レイコさんが掠れた声をかけた。

「サエキくん、ありがとう。遅くまでごめんなさい。奥様とお子さんに、迷惑ばかりかけてるわね」

「いいえ。大丈夫です。何かあったら、カンバラさん、呼んでください」

濃紺の背中が、廊下へ消える。

「服、脱がせて」

コートとニットとスカートを順に外し、スリップだけ残して毛布をかけ、水を持ってくる。

「ありがとう、タツヤ。今日は、ここで一緒に寝て」

スリップをいつの間にか脱いで裸のまま、すぐに寝息を立てる。

部屋を見渡す。文机の写真立てに、手が伸びる。

椅子に座るレイコさん。その横に、若いサエキと思われる男、その横に、身なりの良い初老の紳士が写っていた。

誰だろう?

「タツヤ。こっちに来て。一緒に寝ましょう」

写真立てを戻し、ベッドへ近づく。

「ほら。服脱いで。裸で入ってきて」

いつけどおり、裸になってベッドに上がると、レイコさんが抱きついてくる。

「この匂い、好き」

しがみついたまま、レイコさんはまた寝息をたてる。

薄暗い部屋の中で、あの写真立ての男は?
と思いながら、睡魔に引きずられていった。

昼の情事とは違う、酔ったあとのレイコさんの重さだった。愛情の隣にまだ開けていない引き出しがあるのを感じていた。

次回予告

季節は冬へ。大学は休みに入る。新宿はクリスマスの飾りに包まれ、マスターの姉のミカさんが店に戻る。
そして、高知からあの娘が上京してくる。

次回【新宿の恋】第27話 お楽しみに

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