弾きたければ歌え。身体が覚えているものしか、表現することはできないのだから。
「口三味線をやってみなさい」
顧問がそう言う。心得たりという顔でみんなが歌い出す。
100人近くの口から放たれる音が一つになって、練習場にアカペラで『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が流れ始める。
あの景色を、数年が経った今でも思い出す。
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口三味線とはその名の通り、三味線の代わりに口で旋律やリズムを奏でることを表す。
転じて、わたしが大学時代に所属していたオーケストラでは、楽器を問わず、旋律を口で歌うことをそう呼んでいた。
オーケストラの顧問の口癖は「歌えないものは弾けない」だった。
口が回り、しっかり歌えるようになって初めて、音楽が明確に外部へ出力されるのだと。
歌を奏でるのは肺や横隔膜、口といった、いわば内在化された楽器だ。
バイオリンやチェロといった外在化された楽器を奏でるために、まずは自分の身体がよくよくそのメロディーをわかっている必要がある、というのが顧問の主張だった。

楽器は弾けるけど歌は調子外れ、といった子は苦しそうだった。
なぜわざわざ得意な楽器を後ろに追いやって、苦手な歌の方を先に頑張らねばならないのか、と不服そうな顔を見たことも一度や二度ではない。
けれど実際のところ、彼ら彼女らも旋律をうまく歌えるようになるにつれ、だんだんとリズムやメロディーが安定していった。
顧問の言っていたことは間違いではなかったのだ。
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数年経った今、わたしはアマチュアオーケストラに入っている。
大学オケに比べると、みんなで集まれる時間にも限りがあり、練習方法だってそんなに泥臭くない。
歌うことはとんとご無沙汰だった。
毎日何時間も弾いていた頃に比べると、おのずとわたしの技量も落ち、左手の位置が頻繁に変わるようなパッセージや、音から音への跳躍が大きいフレーズは、どうにも苦しく感じることが増えてきた。
幸いなことにリモートワークが多めなので、昼休みの時間に30分ほど楽器を出して演奏することもあるが、思ったようには上達しない。
ふと、歌ってみようと思った。
楽器のネックを握って傾け、床に下ろす。
横たえられた楽器の上に弓を置いて、身一つになった。
楽譜を開いたのは、『運命』の第二楽章。
https://youtu.be/Mua_84uAOG8?list=RDMua_84uAOG8&t=470
プロのオーケストラの入団試験にも使われる、冒頭のフレーズを歌う。
ゆっくりなのに、いや、ゆっくりだからこそ、チェリスト泣かせな旋律だ。
動きは緩やかなので、指使いに困ることはないと思っていたが、実際に歌ってみると、音が大きく飛ぶところや半音の動きがあるところで、ベートーヴェンらしからぬこぶしを利かせていたことに気づいた。
わたしは演歌歌手か。
試しにこぶしをなくして、フラットな気持ちでフレーズを歌い切ってみる。
そうすると、こぶしを利かせていたときよりもずっとベートーヴェンらしい音になったが、代わりに歌うことが猛烈に難しくなった。
こぶしを利かせることで、自分の苦手なフレーズをごまかしながら、作曲家の意図するフレーズを犠牲にしていたのだった。
その後、十数回同じフレーズを歌い続けた。喉が乾いてきたところで、再び左手でチェロのネックを引き上げる。
楽器から出る音はさっきよりも朴訥としていて、しかし、静謐な、いかにも緩徐楽章らしい抒情性とともにあった。
・・・・・
歌う。チェロを弾くために。
その人のことを思い出す。手紙を書くために。
自分の手でお店を調べる。大事な人との予定のために。
手や口や頭を動かすことで自分の中に内在化されたものに、わたしは死ぬまで敵わない。
だから今日もまた、自分の身体を動かし続ける。
わたしの身体がわかっていることを、わたしはいっとう信じている。
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