50代女性が抱える見えない役割 母の介護、孫育て、家族を支えるということ
女性というものは、人生の途中で少しずつ肩書きが増えていく。
娘、妻、母、そして、いつか祖母になる。
働いている女性なら、そこに仕事という役割も加わる。
ひとりの人間なのに、気がつけば何人分もの人生を同時に生きているようなときがある。
もちろん、男性にも役割はある。
父親として、夫として、仕事をする人として、家族を支えている。
だから「女性だけが大変」と言いたいわけではない。
ただ、家族というものを見ていると、少し不思議に感じることがある。
なぜか女性のところには、いつの間にか新しい役割が増えていることが多い。
娘が結婚し、孫が生まれる。
すると、今度は「おばあちゃん」という役割が加わる。
ある日、スマホが鳴る。
画面を見ると娘からの電話。
「ごめんね、今日ちょっとお願いできる?」
孫が熱を出したので、保育園のお迎えが間に合わない。
そんな話を聞きながら、頭の中では予定を組み替えている。
買い物は明日にしよう。自分の用事は後回しにしよう。
そして、気づけば「いいよ」と答えている。
孫はかわいいし、頼られることもうれしい。
でも、電話を切ったあと、ふと思う。
私はいつから、この役割になったのだろう。
そして、もうひとつ不思議に思うことがある。
「おばあちゃん、お願い」という言葉はよく聞く。 でも、「おじいちゃん、お願い」という言葉は、なぜか少し聞く機会が少ない気がする。
もちろん、積極的に孫のお世話をするおじいちゃんもいる。
家庭によって事情も違う。
ただ、昔から続いてきた家族の中の役割には、まだ少し女性側に寄っているものがあるのかもしれない。
昔、自分が母に頼っていたように、今度は自分が誰かに頼られる側になっている。人生というものは、気づかないうちに立つ場所が変わっていく。
そして、親の介護という役割もやってくる。
病院の予約、診察室で先生の話を聞くこと、施設との連絡。
ひとつひとつは、それほど大きなことではないのかもしれない。
でも、積み重なると、心の中に静かな重さが残っていく。
病院の待合室で、母の隣に座る。
昔は、私が母の手を握って歩いていた。
泣いた時に背中をさすってくれたのも母だった。
それがいつの間にか、私が診察券を持ち、予定を確認し、母を気にかける側になっている。親子というものは、ある日突然ではなく、少しずつ立場が入れ替わっていくのかもしれない。
昔の日本では、大家族で暮らすことが多かった。
若い世代が外で働き、家では年長者が子どもの世話をする。
それぞれが、それぞれの役割を持っていた。
人間が年齢を重ねると早起きになる理由についても、体の変化だけではなく、昔の暮らしの中で年長者が家族を支える存在だったからではないか、という見方もある。
朝早く起きて、家族のために動く。
それは昔の生活の中では、ごく自然なことだったのかもしれない。
でも今は核家族の時代になった。
昔なら家の中に何人かいた「誰か」が、今はひとりに集まりやすくなっている。
今は、自分らしく生きられる時代になった。
その一方で、家族を支える仕事だけは、形を変えながら残っている。
考えてみれば、家族の中には名前のつかない仕事がたくさんある。
誰かの体調を気にしながら、誰かの予定を覚えていること。
誰かが困ったとき、一番に思い浮かべてもらえる存在でいること。
表彰されることもないし、給料が出るわけでもない。
でも、その時間があったから、誰かの日常は続いてきた。
昔、母がしてくれていたこと。今、自分がしていること。
そして、いつか次の世代がすること。
家族というものは、見えない仕事のリレーなのかもしれない。
あの頃の母にも、今の自分にも「よくやってきたね」と言ってあげてもいいのではないか、と少しは思う。
明日の朝も、少し早く目が覚めるかもしれない。
長い年月をかけて身についた、誰かを気にかける習慣なのかもしれない。
誰にも表彰されない仕事、名前のつかない役割。
それでも、確かに誰かの人生を支えてきた時間。
そのことを、たまには自分自身が一番に認めてあげてもいいのかもしれないと思う。
