あのころ、FMWが好きだった
若い頃、といっても30歳くらいの頃、私は猛烈にプロレスや格闘技にはまっていた。
30歳を若い頃と言っていいのかは、この際いいことにする。
もともと夫がプロレスや格闘技が好きで、その影響もあったと思う。
とはいえ、私は見るほう専門で、自分がリングに上がろうと思ったことは一度もない。そもそも、プロレスラーになるにはどうすればいいのかも知らない。
とにかく、テレビや有料チャンネルで試合を見るのが好きで、なかでも夢中になったのがFMWだった。
FMWといえば、大仁田厚を思い浮かべる人が多いと思う。
電流爆破とか、血だらけの顔とか、リングの周りまで含めて何だか大変なことになっている、あのFMW。
プロレスをよく知らない人がたまたま見たら、「これはスポーツなのか、それとも事件なのか」と心配したかもしれない。
でも、私が好きだったのは、大仁田厚が引退したあとのFMW。
大仁田が引退した1995年、その引退試合で対戦したのがハヤブサで、私は、その後のハヤブサが好きだった。
熊本県八代市出身。メキシコ遠征を経てハヤブサを名乗り、空中殺法を武器にFMWのエースになっていった。
フェニックス・スプラッシュだの、ファイアーバード・スプラッシュだの、技の名前からしてすごい。
「スプラッシュ」と言われても、私ならせいぜいプールに飛び込むくらいしか思いつかない。
ハヤブサはリングの上から人めがけて飛ぶ。
なぜ人間がそんなところから飛ぶのか、でも、好きな人間には、それがたまらない。
そして私は、ファンクラブにも入っていた。(笑)
夫の影響で見始めたはずなのに、気がつけば自分でファンクラブに入っている。
夫は入口だっただけで、その先は勝手に走っていったらしい。
今考えると、そこまで好きだったのかと少し笑ってしまうけど、当時はそれが楽しかった。
試合を見て、雑誌を読み、ファンクラブ会報で、次は誰と戦うのかを気にする。
今みたいにスマホを開けば、本人の今日の昼ごはんまでわかりかねない時代ではなかったし、わからないから待つ。
待っているあいだに、勝手にいろいろ考える。
ファンというのは、暇なのではない、忙しいのだ。
ハヤブサには、一時期マスクを脱いで「H(エイチ)」として活動していた時期もあった。
当時、ヒールの冬木弘道からマスク剥奪を言い渡され、ハヤブサは素顔になったが、もちろんプロレスなので、そこには大人たちが考えた事情もいろいろあったのだろう。
でも、見ているこっちはそんなことはどうでもいい。
ハヤブサが、Hになった。
一文字…。
当時の私には、それなりの大事件だった。
好きでもなければ「そうですか」で終わる話なのに、好きな選手となるとそうはいかない。なぜマスクを脱ぐのか、これからどうなるのか、ハヤブサには戻らないのか。
人は好きになると、急にどうでもいいことがどうでもよくなくなる。
そんなハヤブサが、2001年10月22日、後楽園ホールでの試合中に事故に遭った。
空中技に失敗して頸椎を損傷し、リングに立つことができなくなった。
あれほど飛んでいた人が、飛べなくなった…
それでも長いリハビリを続け、やがて杖を使って歩く姿を見せるまでになったのだが、2016年3月3日、ハヤブサは47歳で亡くなった。
そのニュースを知ったときのことを、私はもう細かくは覚えていない。
ただ、あの頃、リングの上を飛んでいた人が、もういない。
そんなことを思った気がする。

今でも私は格闘技を見るけれど、あの頃ほど誰かに夢中になることはなくなったし、今なら試合を見て「へえ、この人、強いな~」で終わることもある。
ファンクラブ?
入らない、たぶん。
好きなものが変わったというより、好きになり方が変わったのかもしれない。
それでも、ときどきFMWという名前を見ると、妙に反応する自分がいる。
大仁田厚の時代ではなく、そのあと…
ハヤブサが空を飛んでいた頃。
夫の影響で見始めたはずが、いつの間にかファンクラブにまで入っていた30歳頃の私。
考えてみれば30歳頃というのは、なかなかいい年齢だったと思う。
若者ほど若くもなく、かといって物分かりよく引いて見るほど大人でもない。
好きなものには、まだ平気でのめり込めた。
だからFMWが懐かしいというより、あんなに無駄なくらい一生懸命、何かを好きになっていた自分が懐かしいのかもしれない。
まあ、ファンクラブの会費まで払っていたのだから、無駄どころか有料だったのだけれど。
