AI時代にデザイナーに必要なのは、「技術」よりも「哲学」かもしれない
1. AIへの危機感
自分は2017年に制作会社を辞めて独立し、フリーランスになりました。
理由はいくつかありますが、大きかったのは、デザイナーという枠の中だけにいることで、この先かなり危ない……と、うっすら感じていたことです。
制作会社では、営業は営業、ライターはライター、デザイナーはデザイナーと役割が分かれます。
それ自体は合理的です。
ただ、その環境にそのまま居続けると、自分の力も「制作」というパーツの中に収まっていく不安がありました。
だから、分業的にパソコンに向かい合うだけの役割から抜け出して、全体を見て経験する必要がある。そう考えた上での独立でした。
そしてAIが最初に置き換えていくのは、まさにその「役割として分解できる部分」だと、なんとなく思っていました。
指示を受けて、整理して、カタチにする。そういう工程が構造化されているほど、AIに飲み込まれやすいのではないか、という予感がありました。
そして2026年現在、少なくとも自分の感覚としては、その予感はかなり当たってきていると感じています。
ちなみに、この危機感は自分だけの思い込みではありませんでした。
水野学さんも、山口周さんとの2020年の対談の中で、AIの進化によってデザイナーという職能がかなり早い段階で揺らぐ可能性に触れていて、その話を見たことも、自分の考えを強めた理由のひとつでした。
→ 対談記事:東洋経済オンライン
2. デザインは論理的……だからこそ危うい
それでも、いまだに「AIに作らせても、最後に責任を持つのは人間だから、力のあるデザイナーは大丈夫」という意見を見かけます。
でも自分は、その楽観論にはかなり懐疑的です。
なぜなら、ここで言う「最後に責任を持つ人間」が、必ずしも従来の意味でのデザイナーである必要はないからです。
AIがかなりの精度でデザイン制作できるようになるとき、必要とされるのは「つくる人」ではなく、「選んで決める人」になります。
そうなれば、責任者はもっと上流の事業側の人間や、場合によっては「お客さん」自身でも成立してしまう場面が増えるはずです。
「最後に人間が必要」という話と、「デザイナーという職能が守られる」という話は、実はまったく別の話です。
しかも、デザインのかなりの部分は論理でできています。
自分は昔から、つくったものを相手に説明できることを大事にしてきました。
そうでないと説得力も再現性も持てないからです。
でもそれは裏を返せば、デザインの良し悪しの判断基準や、組み立ての理由のかなりの部分が、「言葉」として置き換えられるということでもあります。
そして、「言葉」として置き換えられるもの、分解できるもの、構造化できるもの……それはまさに、AIに取って代わられる領域だと思っています。
デザインが論理でできている以上、その論理で成立している部分はAIに置き換わりやすい。
だからこそ、力のあるデザイナーであっても安心はできない。
その「力」の大部分が説明可能で再現可能なものなら、いずれAIに代替されうるからです。
もちろん、優れたデザイナーの仕事には、「なんかいい」としか言えない部分や、作り手のエゴやバカらしさのような、説明しきれない魅力があります。
ただ、その「なんかいい」も、論理という土台があるからこそ効いてくると考えています。
その土台の部分をAIが担えるようになったとき、デザイナーは「つくること」を役割にしたままでは危険ではないかと思うんです。
だから自分としては、AI時代に必要なのは単純な技術力ではなく、「何を良しとするか」という判断する力だと考えています。
もっと言えば、自分として「何を信じ、何を選ぶのか」という、哲学そのものなんじゃないかと思うんです。
3. 「つくる人」から、「編集する人」へ
ここで言う編集は、文章を直すとか、並べ替えるという意味ではありません。
無数にある正解の中から、何を選び、何を捨て、どういう形で差し出すかを決める行為のことです。
AIは、もっともらしい正解を大量に出せます。理屈も整っているし、見た目もそれなりに成立する。
だからこそ、「上手につくれること」自体の価値は、かなり薄まっていくのだと思います。
そのとき必要になるのは、誰かの要望をきれいにまとめる力だけではなく、
無数の正解の中から、「自分」として何を選ぶのか。そして、なぜそれを選ぶのか。
その判断に責任を持てるかどうか、ということではないでしょうか。
つまりAI時代において、デザイナーは、自分の哲学を編集方針にして、状況を編み直す人にならないといけないと考えています。
素材をつくる役割は、かなりの部分でAIにバトンタッチしていくでしょう。
その代わり人間に残されるのは、「何を良しとするか」を決める側の役割です。
デザイナーは今、制作職から、プロジェクト全体の編集者に変わることを求められているのだと考えています。

4. 状況を編集するための4つの力
だからこそ独立して以来、自分は編集者としての立場を仕事として成立させるために、次の4つの力を意識してやってきました。
ただし、これらは単なるスキルの話ではありません。
大事なのは、先ほども書いた通り、スキルを動かすOSとしての「哲学」です。
参考までに、自分の場合の「哲学」を一つ挙げるとすれば、仕事上においては「利他的であるために、より利己的になるべき」という考えを持っています。
これは、「他者に本当の価値を提供するためには、まず自分の境界線や自由を守らなければならない」という考え方です。自分の場合、人に寄り添いすぎてしまうからこそ、あえてこの考えを意識しています。
こうした自分なりの哲学(OS)があるからこそ、次の4つの力(スキル)が意味を持ってきます。
哲学のないスキルは、ただの器用さで終わってしまうのではないかと思います。
① 営業する力
まずこれは、人に会い、話し、関係をつくる力のことです。
単に仕事を取るためではなく、編集の素材になる一次情報を、自分で取りにいく技術です。
AIは大量の情報を処理できますが、目の前の相手の空気や、まだ言葉になっていない違和感までは拾えません。
お客さん本人も言葉にできていない本音、現場の温度感、そういう「リアル」に触れられるのは、少なくとも今のところは人間の強みです。
制作技術がAIに任されるほど、差になるのはこういった、リアルな情報をとりにいける部分ではないでしょうか。
② 決定権のある人と交渉する力
自分とお客さんの間に多くの人が入るほど、情報は劣化します。だから自分は、なるべく決定権のある人と直接話せるようにしてきました。独立したからこそ、こういった立ち回りがしやすかったというのもあります。
AIは、与えられた条件に対して答えを出すのは得意ですが、前提条件がズレていたら、ズレたまま出力してしまいます。
AI時代ほど、「そもそも何を解くべきか」を見立てる力が重要だと感じます。本当の課題は何か、どこを疑うべきか、どこを定義し直すべきか。
そこから関われる人でないと、今後は厳しくなるのではないかと思っています。
③ 先回りして提案する力
自分は昔から、誰かが困っていると、頼まれていなくても調べたり提案したりしてしまうタイプです。
いわゆる「おせっかい」ですが、結果的にそれが仕事につながってきました。
AIは指示に応じて返すのは得意ですが、「まだ言われていないけど、たぶんここが問題だ」と察知して先に動くのは、今のところ人間の方が強いです。
相手が言葉にできていない欲望や不安を感じ取って、先に形にして見せる。
これは単なる親切ではなく、主導権を握る行為でもあります。
言われたことを処理する側ではなく、自分の見立てで状況を前に進められる側に回る。AI時代ほど、この差は大きくなるはずです。
④ 全体を設計する力
ここが一番大事かもしれません。
そもそも自分は、デザインを「見た目を整える作業」だとは思っていません。
何をつくるのか、何のためにやるのか、誰にどう届けばいいのか。何を優先して、どこで判断して、誰とどう合意を取るのか。
そういう全体の設計があってこそ、見た目のデザインが輝くと思っています。
AIは部分的な出力はどんどん上手くなりますが、目的設定、優先順位の整理、関係者の調整、全体の方向づけまでは、まだ勝手には背負ってくれません。
制作そのものが簡単になるほど、最後に価値が残るのは、全体をどう編むかを「決める意志」そのものだと感じます。
だから、ここでも必要なのは技術ではなく「哲学」です。
自分は何を重視するのか。何を削るのか。どこに責任を持つのか。
その基準がないと、AIが出してきた正解の中から選ぶことすらできません。

5. 「制作」の終わりと、新しいデザイナーの始まり
ここまでの話をまとめると、今後は制作だけを担う従来型のデザイナー像のままでは、かなり厳しくなっていくのだと思います。
なぜなら、Adobeソフトを使って制作し、納品して終わる、という仕事の前提そのものが変わっていくはずだからです。
つまり、これから厳しくなるのは、「つくること」しか役割がない人です。
だから必要なのは、単に「デザインがうまい人」であり続けることではないのだと思っています。
自分は何を信じ、何を良しとし、どういう方向に状況を動かしたいのか。
その哲学を持った上で、営業し、対話し、見立て、提案し、全体を設計すること。
そういったことの方が、今まで以上に重要になっていくはず。
もちろん、だからといって技術を磨かなくていい、という話ではありません。
ただ、つくる技術だけではもう足りない。これからは、それ以前に、どんな哲学で仕事をする人なのかが、問われる時代になるのではないかと考えています。
必要なのは、デザイナーとしての延命ではなく、デザイナーの定義そのものを更新することではないでしょうか。
もし今後もデザイナーという肩書きが残るとしても、その中身はかなり変わっていくはずです。
だから、これからデザイナーに必要なのは、ただ「つくる人」であり続けることではなく、自分なりの哲学を持って、その場の状況そのものを設計できることではないか、と考えています。
