カンシャクもち
最近はさすがに目にすることが減ったが、わたしの子どもの頃は周囲に癇癪持ちの人がたくさんいた。癇癪持ちというと年寄りが想起されるが実際には30代の若さで立派な(?)癇癪持ちという人物もいた。
ここで癇癪持ちについて辞書を頼ってみる。
かんしゃく【癇癪】
ちょっとした事にも怒りやすい性質。「持ち」。その発作。「を起こす」。
しかしわたしが思うに、ここに書かれている「ちょっとした事」はそんなに単純ではない。癇癪持ちの「ちょっとした事」はいつだって予測不能である。つまり、いつ、どんなことがトリガーとなって怒りを誘発してしまうか周囲は怯えて過ごすしかないのだ。
さらに「怒りやすい」も、こんな書かれ方をすると癇癪を起こされるんじゃないかというほど、その深度あるいは爆発度は計り知れないものがある。言葉を選ばずいえば「発狂」が適しているのではないかと思うこともしばしばだ。文字通り怒り狂うのである。
だから癇癪持ちは、やっかいである。
もし自分の親が癇癪持ちだったとしたら…想像するだけで胃がキリキリする。あるいは学校の先生が、会社の上司が、結婚相手が、生まれてくる子どもが、飼っているペットが、癇癪持ちだとしたら。
想像してみてほしい。
いやですよね。
わたしの人生をふりかえると、3人の癇癪持ちがいた。
ひとり目は、幼馴染のヤマダヒロシ君(仮名)のお父さんだ。事実上、彼がわたしにとってはじめて生で接する癇癪持ちだった。
ある日、わたしとヤマダヒロシ君はヤマダヒロシ君の家で遊んでいた。当時、ちびっこの間で流行っていた野球ゲームを囲んでいた。試合は8回の裏。ヤマダヒロシ君の攻撃だった。わたしは消える魔球の名手で、その日も大量の三振を生産し、そのたびにヤマダヒロシくんは歯ぎしりして悔しがった。
その時だった。ヤマダヒロシ君のお父さんが「煙草を買ってきてくれ」とヤマダヒロシ君にコマンドを出した。当然、ヤマダヒロシ君は断る。「いまいいところだからおかあさんに頼んでよ」なんとか逆転のチャンスに煙草など買いにいってられない。
「おかあさん町内会でいないんだよ、なあ、買ってきてくれよ」なおも要求を取り下げないヤマダヒロシ君のお父さん。「もう、自分でいってよ」ヤマダヒロシ君も折れない。次第にヤマダヒロシ君のお父さんの口調が強いものになっていく。
「おい、買ってこいよ!」
「何回いったらわかるんだ!」
「口答えするな!」
「おい!」
わたしはそのトーンの変化に怯えながらヤマダヒロシ君に「試合とめて煙草買いにいこうよ」と提案したがヤマダヒロシ君は慣れているのか「いいんだよ、自分で買いにいけば」などと聞く耳を持たない。
次の瞬間だった。
ヤマダヒロシ君はヤマダヒロシ君のお父さんに突き飛ばされてタンスまでふっとんだ。ヤマダヒロシ君のお父さんはすかさず遊んでいた野球ゲームをつかんで思いっきり床に叩きつけた。野球ゲームは粉々になってしまった。ヤマダヒロシ君のお父さんは肩で荒い息をしながら「口答えするな!すぐに買ってこい!」と金切り声をあげた。
ヤマダヒロシ君は何が起きたのかわからない、といった様子で呆然と粉々になった野球ゲームを眺めていた。そこにヤマダヒロシ君のおかあさんが帰ってきた。ヤマダヒロシ君はダムが決壊したかのような勢いで泣き叫びはじめた。
これがわたしが生まれてはじめて見た癇癪持ちであった。
ふたり目はアルバイト先の学習塾の塾長だった。
その塾は特殊な教育方針で、年に2回、塾生を連れて登山やキャンプを実施していた。これらのイベントはアルバイトやOB・OGによって運営されていて、わたしも春の御在所登山の手伝いをすることになった。
御在所岳は三重県と滋賀県の県境にある標高1,200mクラスの山で、比較的手軽に山頂まで登ることができた。故に小学生高学年や中学生を同伴する塾のイベントには適した山であった。
比較的手軽に、とは書いたがそれは山頂まで伸びるロープウェイを利用すれば、ということである。登山道を徒歩で登る行為にはそれなりに危険も伴い、子どもたちにとっては決して楽な山行ではない。それをサポートしつつ、2泊3日をユースホステルで過ごすためのさまざまな荷物を背負って山頂を目指すのがOBOGそしてアルバイトである。
わたしはアルバイトの中でも新入りであり、さほど重責は負わなかったのだが、OBの中には屈強な若者もいたり、何度もこの登山を経験している者もいて、彼らは塾長から全幅の信頼を得ていた。そしてまた彼らも塾長からの期待に応えることを無上の喜びとしていた。
わたしはそういう関係性を傍で見ていて、なんとなく違和感のようなものを感じていた。なんというか、こう、塾長が言うのであれば白いものも黒といわんばかりの、いわゆる信仰に近い何か不気味な依存関係をそこに見たのである。自分はそちら側にいってはならない。そんなふうに思っていた。
その年の御在所登山は悪天候に悩まされた。安全な登山道といえども岩場も多く、特に大小さまざまな花崗岩が山肌にあらわれる箇所では一瞬たりとも気が抜けなかった。OBの一人、大学1年生のキシシンジ君(仮名)は塾長の大好物である赤玉パンチを3本もリュックサックに入れて運んでいた。その様は完全にシェルパであり、歩荷であった。
しかし無常にも春の雨は花崗岩でできた山肌をしたたかに濡らし、何度もキシシンジ君は足をすべらせながらほうほうのテイで山頂を目指していた。わたしもなんども手を貸そうとしたが、そのたびに本能のようなものが「余計な手は出すな」とアラートを出してきた。
仕方ないのでわたしは小学生の一団を全力でサポートすることにした。もともと登山など好きでもなんでもないので、だんだん腹が立ってきた。なぜ山に登るのか、そこに山があるからだ、などというセリフをどこかで聞いたが、まるで意味がわからなかった。
途中から完全に荒天となり、参加者全員がずぶ濡れになりながら予定より3時間も遅れてユースホステルに到着した。みんな、ホッとひと安心しつつ、めいめいが荷解きにかかる。
その時だった。
「◎✕△◉$!◇▼%#!!!」
およそ人間の発する言葉とは思えないような叫び声が奥の塾長の部屋から聞こえてきた。あわてて様子を見に行くとそこにはまさに怒髪天を突くという言葉がぴったりな、怒りで真っ赤に燃えている塾長と、この世の終わりのような顔でうなだれているキシシンジ君がいた。
そのうち他のアルバイトスタッフやOBOG、さらに同伴の先生(女性)が集まってきたが塾長の怒りは一向に収まらない。わたしはそこで、生まれてはじめて地団駄を踏む大人というものを見た。たかが、といってはいけないのかもしれないが、たかが赤玉パンチ3本が割れて飲めなくなっただけで、どうしてそこまで怒りを発動できるのだろうか。
塾長の怒りはその後も収まることがなく、3日間すべての行程がキャンセルとなった。その間、塾長は自分の部屋から一歩もでてこなかった。ずっと雨が降っていた。最終日、塾長と同伴の先生(女性)だけがロープウェイに乗ってさっさと帰ってしまった。
3日間、キシシンジ君は誰ともひとことも口をきかなかった。下山しながら他のOBが言うには、塾長は軍隊仕込みだから、とのことだった。何が軍隊仕込みなのだろうか。父親からの教育がそうだったのか。
どっちにせよ、こんなところでいつまでもアルバイトはやっていられない。わたしは梅雨に入る前に家業の手伝いが、とかなんとか適当にごまかして、塾をやめた。
最後に出会った癇癪持ちは前職の会長だった。
彼が癇癪を起こす場面は1日に10回はくだらなかったはずだ。爆発の粒度も大小さまざまで、代表作はなんだっけ?と思い出そうにもあまりに多すぎて焦点が定まらない。
あれは社員数が50名を超えつつある頃か。上場前だったか、直後だったか。西新宿の超高層ビルのワンフロアをまだすべて借りていない時分の話だ。雑誌の取材が会長宛に入り、役職者を囲んでの撮影という運びになった。
わたしはコピーライティングの経験者だというだけでトコロテンのように役職に押し出されたインチキ本部長だったが、それでも一応、ということで列の末席を汚させていただいていた。
オフィスの一角、まだデスクがない空間に集まる首脳陣。中央に会長を挟むかたちで営業本部長、事業本部長。管理部の部長と派遣事業部長、開発部長、広報部長、そして制作本部長のわたし。若手のホープも男女それぞれ1名ずつ召喚されて、みんなでカメラマンからの指示を待った。
カメラマンは40代前後のベテラン風である。脚立のいちばん上に登り、こちらにレンズを向けながら「はい、では撮ります!笑ってください!」と無表情に指示を出した。
「笑ってください!」
「ほら、笑って笑って」
「もっと笑顔で!」
それがいけなかった。
「笑えってなんや!お前それでもプロか!」
「お前が笑わせんかいボケ!」
「お前みたいなアホがカメラやるな!」
「はよ撮れ!なにやっとんじゃこのボケが!」
会長は瞬間湯沸かし器よりも早く怒りの沸点を迎えた。いきなりの罵詈雑言の波状攻撃にカメラマンはふてくされてしまった。するとその態度がまた会長の導火線に火をつけることになる。最後はもうええ、お前二度と来るな!出入り禁止じゃ!お前らもじゃ!とインタビュアーと雑誌担当者までとばっちりを喰らった。
結果、取材は済んでいたので撮影だけ別日に別のカメラマンが行うことになった。その別のカメラマンというのがわたしのことだと知らされたのは撮影前日。今回の件を例のカメラマンがあちこちで吹聴し、誰もやりたがらないという状況を招いていたのだった。
撮影当日、わたしは朝から緊張していた。わたしと昵懇の事業本部長が会長に笑顔で話しかける。「会長、ハヤカワは大丈夫ですよ。なんせあちこちで撮影しまくってますし。こういう現場はお手のものです。ね、ハヤカワちゃん」なんてこった。
わたしは「はあ」と自信なさげに笑うしかなかった。仕方なく脚立に登り、声をかける。
「ではいいですか?みなさん、いただきまーすミエライス、はいっ!いただきまーすミエライス♪」
会長は「なんやあいつなにゆうとんねん」といいながらフフッと微笑んだ。すかさず事業本部長が「なんかわかりませんがおもろいですわ」と助け舟を出してくれた。そのおかげか、自然な笑顔でカットが何枚か撮れた。
まさか子どもの頃にテレビで流れていたミエライスのコマーシャルソングがこんなところで活きるとは思っていなかったが、こうして癇癪持ち第三種接近遭遇はすんでのところで回避できたのだった。
まあ、そののち10年以上にわたって、山ほど癇癪玉をぶつけられるんですけどね。
いま、わたしの周りに癇癪持ちはいない。いたとしても表面化していないだけなのかもしれない。
きっと、なんでもかんでもすぐハラスメントに指定されてしまう令和の世の中では生きづらいのだろう。
癇癪持ちが絶滅危惧種になる日も近い。それはそれで、いいことなんだろうけど、なんとなく、ほんの少しだけ味気ない気もする。
今日もどこかで癇癪持ちが、あふれんばかりの癇癪をぐっと喉元でこらえているかと思うと、いたたまれない。
ここはひとつ、多様性とやらに本領を発揮してもらいたいと思うのだが、みなさんはいかがでしょうか。
