忘れ物センター「はじまりの日」
今日も「忘れ物センター」の受付には、静かなベルが鳴る。
ある日、一人の男性が窓口を訪れた。
「探しているものがあります。」
受付の人は、いつものように微笑んだ。
「どのような忘れ物でしょう。」
男性は少し困ったように笑う。
「何を忘れたのか、それがわからないんです。」
受付の人は静かにうなずき、奥の部屋へ案内した。
そこには、小さな引き出しがたくさん並んでいる。
引き出しには、それぞれ札が掛けられていた。
『最初の日』
『はじめて褒められた日』
『悔しくて眠れなかった日』
『誰かの「ありがとう」』

受付の人は、一番小さな引き出しを開けた。
中には、一枚の紙が入っていた。
少し色あせた文字で、こう書かれている。
「人の役に立つ仕事がしたい。」
男性は、その一文をしばらく見つめていた。
忙しい毎日だった。
仕事を覚え、責任が増え、気づけば一日を終えるだけで精一杯になっていた。
いつの間にか、「なぜ、この仕事を選んだのか」を考えることもなくなっていた。
受付の人は、何も言わない。
部屋には、静かな時間だけが流れていた。
やがて男性は、小さく笑う。
「ああ……。」
その一言だけだった。
紙を胸ポケットへしまうことはしなかった。
そっと引き出しへ戻す。
「ありがとうございました。」
帰り道。
昨日と同じ道。
同じ信号。
同じ景色。
それでも会社の扉を開けたとき、
「おはようございます。」
その一言が、昨日より少しだけ自然に口から出た。
どうやら忘れ物は、遠くへ行ってしまうわけではないらしい。
はじまりの日は、心の引き出しで、静かに迎えに来てもらう日を待っているらしい。

