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バックオフィスのリベロが語った「役を生きる」ということ

中学生や高校生を対象としたキャリア支援事業を行っている、NPO法人ハーベストさんの「ことばのたき火場」で登壇する機会をいただきました。

文字起こしをNotebookLMに任せてみたら、めちゃくちゃ盛ってくれてる部分もあるけど、ほぼ話した内容そのままなのでnoteに転記します。
途中、資料のスライドも挟みつつ。渋谷亜也の生い立ち、お読みください。


バックオフィスのリベロ、渋谷亜也さんが語る「役を生きる」ということ

やわらかな風が吹くような、ある夜の対話の記録
仙台の街角で、毎週木曜日の夜に灯される対話の場「ことばのたき火場」。第111回目を迎えたこの夜、焚き火を囲む私たちの前に現れたのは、フリーランスとしてバックオフィス業務からナレーション、執筆までをマルチにこなす渋谷亜也(しぶやあや)さんでした。

彼女が言葉を発した瞬間、その場にいた全員の肩の力がふっと抜けるような感覚を覚えました。それは単に優しい声というだけではなく、長年の演劇経験に裏打ちされた、空間を包み込むような「響き」のコントロール。渋谷さんは、相手や状況に応じて「仕事の渋谷さん」「表現者の渋谷さん」「素の亜也さん」という声を無意識に、かつ繊細に使い分けてきました。初対面の参加者さえも瞬時に深い安心感へといざなうその包容力は、彼女が歩んできた「支える側」としての過酷な経験と、表現者としての透徹した客観視の視点が融合して生まれたものです。

かつては「自分の中に3つの椅子があり、そのすべてに役が座っていて、本体の居場所がなかった」と語る彼女。その人生は、不便な原風景から始まり、プロフェッショナルとしての極致、そして人格の「殲滅(せんめつ)」と統合を経て、今の軽やかさにたどり着きました。まるで舞台の幕が上がるように、彼女のナラティブが静かに、しかし力強く語られ始めました。

■原風景:不便さの中で育まれた「環境への適応」と「個への眼差し」

渋谷さんのルーツを辿ると、そこには現代の効率化社会とは対極にある、豊かで峻烈な「不便さ」が広がっていました。彼女が生まれ育ったのは、隣の家までダッシュで1分かかるようなところ。お風呂もトイレも母屋にはなく、凍てつく冬の夜でも一度外へ出なければならない「離れ」にありました。

特筆すべきは、中学2年生まで続いたという「薪でお風呂を焚く」習慣です。ただ火をつければいいわけではありません。まず新聞紙を丸めて火を起こし、松の葉をパチパチと鳴らしながら火を育て、細い薪から太い薪へと順に火を移していく。その丁寧なプロセスの先にしか、温かな湯船は存在しませんでした。「不便だからこそ、環境に自分を合わせるのが当たり前だった」と彼女は振り返ります。この、自然や環境という抗えない大きな流れの中に自らを適応させる感覚は、後のバックオフィス業務における「状況を察し、先回りして整える」というリベロ的な感性の土壌となりました。

また、教育環境も彼女の人間形成に大きな影響を与えました。全校生徒がわずか数人の「分校」で過ごした日々。同級生はわずか8人。「一人ひとりと徹底的に向き合う」ことの原体験を得ます。15メートルの仮設プールが校庭に設置される夏の日々、誰かができないことは全員で支え、全員の顔が見える距離で共に生きる。その密度の高い「個」への眼差しが、現在の彼女の「名前のない業務」をも愛おしむ姿勢へと繋がっています。

しかし、その家庭環境は自由奔放なだけではありませんでした。長女として生まれた彼女は、当初「武士(たけし)」という男の名前を準備されていたほど、跡取りとしての期待と家父長制的な「花制度(家の秩序を守るしきたり)」の重圧を背負わされていました。この「家の役割」を演じることへの無意識の要請が、後に彼女を「役」の迷宮へと誘う伏線となっていたのかもしれません。

■「支える側」としてのプロフェッショナリズム:コールセンターから舞台制作、そして「リベロ」へ

渋谷さんのキャリアを貫くのは、徹底した「支える側」としての美学です。10年以上にわたるコールセンターでの勤務では、電話応対コンクールで全国3位という輝かしい成績を収めました。しかし、彼女を突き動かしていたのは名誉欲ではありません。それは、アマチュアボクシングの社会人選手権で全国3位だった亡き父への、時を超えた挑戦状でもありました。「親父の壁は高い」と感じながらも、父と同じ景色を見るために研鑽を積む日々。

その執念は凄まじく、電話越しの応対だけでは「現場の真実」が見えないと、休日にはキッチンカーでの接客バイトを志願するほどでした。強豪に勝つためには、物理的な接客の温度感を知らなければならない。その泥臭いまでの現場感覚が、彼女の言葉に「魂」を宿らせたのです。

舞台制作の現場でも、彼女のプロフェッショナリズムは光りました。演出家や俳優のように名前のある役割ではなく、稽古場の確保、お弁当の手配、関係者への細やかな連絡といった「名前のない全ての業務」を一手に引き受ける「制作」。彼女は自らの仕事を、かつては確実に標的を仕留める「スナイパー」と呼んでいました。しかし、その呼称が持つ攻撃性に違和感を覚え、現在はバレーボールの守護神である「リベロ」へと変えています。

「リベロは、手が一枚でも床につけばボールは落ちない。それと同じで、バックオフィスがボールを拾い続ければ、組織は倒れない」。その覚悟は、プロフェッショナルとしての誇りそのものです。人生の半分を誰かを支えるために捧げてきた彼女にとって、バックオフィス業務とは単なる事務作業ではなく、他者が最高のパフォーマンスを発揮するための「クリエイション(創造)」なのです。

■葛藤と統合:三つの「役」を脱ぎ捨てて「わたし」を生きるまで

しかし、完璧に「役」を遂行しようとするあまり、彼女の心身には深い亀裂が生じ始めます。かつての彼女は、仕事の「渋谷さん」、表現者の「渋谷さん」、プライベートの「亜也さん」という三つの人格を、衣装を替えるように明確に切り離して生きていました。

2014年7月4日のFacebook投稿には、その限界が綴られています。「キャパシティには3人分の座席しかなく、そこに役が座ってしまうと、本体である自分の居場所がない(笑)」。冗談めかした書き込みの裏で、彼女はひどい頭痛と居心地の悪さに苦しんでいました。仕事場では「後ろ姿まで別人。役が抜けていない」と指摘されるほどの憑依型。彼女自身が消えかかっていたのです。

ハングラ=わたしの朗読ユニット「100グラード」の略称

本当の転機は、2021年に訪れた凄絶な「殲滅」の瞬間でした。仕事起因のメンタル不調、コロナ禍での閉塞感。そして追い打ちをかけるような婚約破棄。彼女は人生のどん底に突き落とされました。信じていた未来も、積み上げてきた役割も、すべてが一度に消滅したのです。

しかし、この絶望こそが彼女を救いました。バラバラだった「役」たちが強制的に排除された更地で、彼女は初めて、誰のためでもない自分自身という「一人の人間」として生きる決意を固めます。三つの椅子を捨て、一つの中心軸を定める。「役になりきる」のではなく、自分という存在が主語となり、その上で必要な役割を「生きる」。この人格の統合こそが、今の彼女が持つ、何者にも染まらないのに何者をも受け入れる、透明で力強い安心感の正体なのです。

■境界線を引く優しさ:自著『ヒトもAIも仕事は"引き受け方"が9割』に込めた想い

絶望の淵からフリーランスとして再生した渋谷さんが、その経験を昇華させて上梓したのが、著書『ヒトもAIも仕事は"引き受け方"が9割』です。この本は、単なるビジネステクニックを説くものではありません。それは、かつての自分のように「優しい人」ほど潰れてしまう、この社会の残酷な構造に対する、慈愛に満ちた処方箋です。

かつての彼女は、夜23時半にクライアントから届く「仕事が終わらない」という愚痴のようなメッセージにさえ、「何かお手伝いできることはありますか?」と即座に返信していました。しかし、その「優しさ」は自分自身の資源を削り、結果として仕事の質を下げる「セルフブラック」への入り口でした。

「断らずに信頼されるのではなく、自分を守るために、引き受ける側から環境を整える」。彼女が提唱する逆転の発想は、適切な境界線を引くことこそが、自分にも相手にも誠実であるという信念に基づいています。サバイバル戦略としての境界線。それは、AI化が進む現代においても、人間が人間として、枯渇することなく健やかに「支える」を継続するための唯一の道です。自分が心地よくあることを優先することは、決してわがままではなく、プロとしての責任なのだと彼女は説きます。

■おわりに:コーヒーと風、そして「今、ここにいる私」

対話会の締めくくりに、現在の幸せについて問われた渋谷さんは、静かに、しかし確かな口調で答えました。

「気持ちのいい風が吹いている中でコーヒーを飲むこと」
かつて「大学の卒業公演なのに台本を全く覚えていない夢」を繰り返し見ていたほど、何かに追われ続けていた彼女。しかし、波乱万丈な歳月を経てたどり着いたのは、窓を開け、風を感じ、今この瞬間に自分が存在していることを享受する、究極の平穏でした。「1年間に3回も引っ越したんですよ」と自らのハプニングを軽やかに笑い飛ばす姿には、もはやどんな役にも縛られない、自由な魂が宿っていました。 

私たちは皆、人生という長い舞台の上で、多かれ少なかれ何かを演じています。しかし、その「役」のために、自分自身の本体を置き去りにしてはいないでしょうか。 渋谷さんの物語は、私たちに問いかけます。あなたの中心にある椅子には、今、誰が座っていますか? もしそこが空席なら、まずは窓を開け、心地よい風を呼び込んでみてください。自分という主語を取り戻した時、世界にはまた新しい風が吹き始めるはずです。

今の脳内メモリの使い方は、こんな感じです!

私が誰かのインタビューを受けたらこんな感じになるのかな・・・?という記事になりました(インタビューする側なので、されたことってほとんどないんですよね・・・)


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