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「ねえ、Döner屋で『ファラーフェルタッシェ』を頼んだんだけど、何が出てくるかな?」生成AIがリアルタイムで海外経験を変える。ボルボックス博士のポスト・シンギュラリティ世界紀行

こんにちは、浜地です。
ボルボックスを研究しているボルボックス博士です。


昨年8月に、国際会議出席のためにドイツに出張しました。

会場は西部ヴェストファーレン州の古都ミュンスターです。
世界史でも有名なウェストファリア条約が締結されたヨーロッパ史の重要な舞台です。
良い機会なので、会議の前後にはデュッセルドルフやケルンといった、比較的近郊の都市に滞在することもできました。

国際会議の初日は思ったより提供された夕食が少なかったので、数人で連れ立ってデュナー(Döner)に行きました。
これはきっとドネルケバブ屋に違いない、と。
それはその通りなのだが、入ってみても何もわかりません。

メニューは壁に貼られたドイツ語のボードです。
「Döner」
「Dürüm」
「Falafel Tasche」……。
肉のケバブはわかります。
学生時代、渋谷や秋葉原で毎週のように食べていました。

だがFalafel Tascheとは何か?
ファラーフェルはひよこ豆のコロッケのようなものです。
京都に、イスラエル料理店があったので、サラダに乗ったのを食べたことがあります。
では「ファラーフェル・タッシェ」とは?

とりあえず頼んでみました。

スマートフォンを取り出して、AIに問いかけました。
「ねえ、Döner屋で『ファラーフェルタッシェ』を頼んだんだけど、何が出てくるかな?」

数秒で答えが返ってきました。
Tascheはポケット状のピタパンに具を詰めた形式で、Dürümのようにラップ状ではなく、パンを開いて中に野菜とファラーフェルを入れたもの。
ソースはたいていヨーグルト系かタヒニ……

「制度」を知っている人間として振る舞う

この体験を振り返ると、自分はメニューの「翻訳」を求めたのではなかったと気がつきます。
「頼んだら何が出てくるか」
つまり、その店が持っている期待の構造をいきなり取り出すことが出来るわけです。

社会や集団には、参与者が「こうすればこうなる」と予測できる行動の型がある。
それを広い意味で「制度」と呼ぶことにしましょう。
レストランであれば「これを頼むとこういうものが出てくる」という期待の体系があるわけです。
交通機関であれば「このチケットでこの路線に乗れる」という規則があります。
観光施設であれば「ここで何をすれば入場できるか」という手続きがあります。
その制度の中身を知っているかどうかが、旅行者と現地人の差です。

英語圏ならば、多少の語力で「What's this?」と聞けば誰かが教えてくれます。
だが英語が第一言語ではないドイツ、しかも観光都市ではないデュッセルドルフやミュンスターでは、その補完が、私も、聞かれた方も高くなります。
かくして旅行者はこれまで
「なんとなく高いほうを買う」
「指差しで乗り切る」
「後で調べてから出直す」
という戦略を取ってきたわけです。

それが、2025年の夏、根本的に変わった気がします。

6人個室の謎

ケルンからデュッセルドルフへ移動するために、RE1という地域快速列車に乗りました。
二等の指定なしで乗り込むと、車両が妙な構造をしていました。
通路の両側に扉が並んでいて、開けると向き合いの座席が6席ある個室になっています。
新幹線でもなく、特急でもない。
地域快速でこの構造はどういうことなのか?
追加料金が必要なのか?
これは正常な状態なのか?
われわれは大丈夫なのか?

スマートフォンを取り出しました。
「RE1のケルン→デュッセルドルフに乗ったら、二等車が6人一室の個室になっているのですが、こういうものですか」

「はい、そういうものです」
という答えが即座に返ってきました。
ドイツ鉄道には古い車両がまだ現役で走っており、コンパートメント(Abteilwagen)型と呼ばれる個室仕切り構造を持つものがあります。
RE1はNRW州の幹線を走る列車で、新型と旧型が混在しています。
二等でも「サロン型」と「6人個室型」の両方が存在し、追加料金は不要でした。
座席指定をしない限りは早い者勝ちだそうです。

なるほど……
個室は我々家族だけで占有できました。
ケルンからデュッセルドルフまで約30分、子供も伸び伸びと過ごすことができました。
ヨーロッパではまだこういう車両が走っているのか、という感慨もあります。

だがそれより先に、私が問い合わせたのは
「これは正常か異常か」
という一点でした。

異常を異常と判断するためにも、制度の知識がいる。
制度を知らないと、見えるものすべてが
「そういうものかもしれない」
「そうでないかもしれない」
という宙吊りの状態に置かれます。
AIはその宙吊りを解消しました。

チケットの迷路:制度を自分に適用する

ドイツの公共交通は、高いハードルがあります。
駅に改札がない、という、不可視のハードルです。

デュッセルドルフに滞在中に、翌日ネアンデルタール博物館に行き、その翌日の午前にミュンスターに移動するという計画をたてました。
交通機関はVRR(Verkehrsverbund Rhein-Ruhr)というライン・ルール圏の交通連合の管轄で、チケットはPreisstufe(料金ステージ)A〜Dのエリア制になっています。
48時間券というものがあるが、どのエリアをカバーするかによって大きく金額が変わります。
子供の料金は何歳から発生するのか。
乗り換えは1枚のチケットでカバーされるのか。

これをすべて調べながら「じゃあ、何を買うべきか」を考えるのは、かなりの認知負荷です。

私はスマートフォンに状況をそのまま打ち込んだ。

今日は金曜日の夜7時で、デュッセルドルフのヒルトンに泊まっています。
明日土曜日はネアンデルタール博物館に行き、明後日午前にミュンスターに移動します。
大人2名と4歳の子供1人です。今日明日のチケットはどう買えばいいですか。

答えはこうでした。
48時間券のA3エリアはデュッセルドルフ市内しかカバーしないため、ネアンデルタールへは別途チケットが必要になりコスパが悪い。
ネアンデルタールはPreisstufe Bのエリアに入るため、24時間グループ券(Preisstufe B)を土曜日に購入するのがベスト。
これで市内移動もネアンデルタール往復もカバーされる。4歳の子供は無料で同伴できる。

金額まで計算されて返ってきます。
判断するだけでいい。

ここで起きているのは「翻訳」でも「検索」でもありません。
自分の状況を代入した制度の個人適用をAIがリアルタイムで行っているのです。
ここが従来の旅行情報収集とまったく異なる点です。

ガイドブックも、旅行サイトも、公式サイトも、「一般的な情報」しか出していません。
だが実際の旅行者が必要とするのは、「金曜の夜7時の自分たち」が「この条件で」「何を買うべきか」という、状況に固有の答えです。

言葉の壁の内側

ケルンで、昼食にシュニッツェルを食べたレストランのメニューに「Hähnchen-Schnitzel」とありました。
シュニッツェルはわかります。
カツレツです。
だがHähnchenとは何か。
ヘーンヒェン、とおおよそ読めるけど……

「ヘーンヒェンシュニッツェルってチキンカツですか」
とAIに打ちました。

「はい、そうです。Hähnchen(ヘーンヒェン)はドイツ語で若鶏・鶏肉を指します」
日本のチキンカツよりも肉が薄めで揚げ焼き調理、添え物はポテトサラダやサラダが定番……

それを頼みました。
おいしかったです。

翌日、別の場面でこのやり取りを思い出した私は、ふと続けて聞きました。

「Hähnchen(ヘーンヒェン)は英語の『hen』と語源的に通じているのですか」。

ここからしばらく語源の話になりました。

英語のhenは古英語henn、ゲルマン祖語hanjōに由来する。
ドイツ語のHahnは「雄鶏」で同じ祖語から。
HähnchenはHahnの縮小形(-chenは指小辞)で、本来は「小さな雄鶏」。
さらにフランス語のcoq(雄鶏)、英語のcock(雄鶏)は擬音語起源で別の系統だということ。
ドイツ語のKüken(ひよこ)は英語のchickenと同根で、「小さな鶏」を意味するKüchleinから来ている。

旅先でチキンカツを食べながら、印欧語の家禽語彙の系譜を追うことになるとは思っていませんでした。

これは「制度の確認」とは少し異なるかもしれません。
だが旅の体験が瞬時に知識の深掘りへ転化する、という点では、同じ構造を持っています。
現地で何かを見たり食べたり乗ったりした体験が、AIとの対話を通じて即座に意味を獲得していく。
その速度が、2025年には質的に変わりました。

Danke schön、そしてBitte schön

ある日、狭い路地で道を譲ったら、地元の人に「Danke schön」と言われました。

でも、返し方がわかりませんでした。
「ありがとう」にどう返すか?
英語なら反射的に「You're welcome」と出るが、ドイツ語では出てきません。

その場でスマートフォンを取り出すのは間に合わなかったが、後でAIに確認した。

「Danke schönと道を譲ったシーンで言われたら、何と返事したらいいですか」

「Bitte schön、あるいは短くBitteで十分です」
カジュアルにはGern geschehen(喜んで)という言い方もある。

次の機会にBitte schönと言えた。
ほんの一言だが、制度の内側にいる、入っていく感覚というのは、こういう積み重ねから来ます。

メニューの番号をドイツ語で読み上げる場面もありました。
数字くらいはわかるだろうと思っていましたが、実際に「Nummer vier, bitte(4番をお願いします)」と言おうとすると、vierがとっさに出てきません。
1から16までを一度確認しておくだけで、その後がずいぶん楽になりました。
eins, zwei, drei, vier, fünf, sechs, sieben, acht, neun, zehn, elf, zwölf……。
Zwölfは慣れないと言いにくいです。

ドイツ語が話せるようになったわけではありません。
しかし、必要な場面で必要な一言が出るか出ないかは、旅の体験の質を変えます。
AIは語学の習得を代替するのではなく、その場その場で必要な語用を補完するという形で機能しました。

ネアンデルタール博物館のフィールド経験が深くなる

ネアンデルタール博物館を訪れたときです。
博物館はデュッセルドルフ近郊のNeander渓谷にあり、1856年に世界で最初にネアンデルタール人の化石が発見された場所です。
博物館の近隣には巨大なヤグラが立っていて、採石工事で失われた洞窟の、正確な位置を示しています。

前日はケルン動物園でチンパンジーやゴリラを間近に見ました。
類人猿の上半身の筋肉は圧倒的で、チンパンジーの体重あたりの筋力はヒトのそれを大幅に上回ります。
それを目にしてから、ネアンデルタール人の骨格復元を見ると、眉弓の突出と太い骨付着部が別の意味を持って見えてきます。

博物館を出て、問いかけました。
「アウストラロピテクスのような猿人や百万年前までの旧人の筋肉量パーセンテージと現生人類のそれとを比較したい。昨日ケルン動物園で類人猿を観察して、やはり上半身の筋肉量が高いという印象があり、それが猿人・旧人ではどうだったのか」

現生人類の筋肉量は成人男性で体重の35〜40パーセント程度。
チンパンジーは45〜50パーセント、ゴリラは50〜60パーセントに達するとされる。
アウストラロピテクスは二足歩行を開始しつつも樹上生活の能力を保持していたため、推定40〜45パーセント。
ネアンデルタール人は特に上半身の筋付着部が大きく、45〜50パーセントと推定される。
現生人類への移行において、筋肉量は下がり、遅筋線維の比率が上がり、持久力に特化した身体へと変化した。

「それは知っています。樹上から直立二足歩行への転換が、果実食等から長距離持久走型の狩猟と採集のミックスになっていったと理解しています」と返しました。
そこから話は、近接狩猟に適応したネアンデルタール人と広域展開した現生人類の戦略の違いへ、そしてペーボらのDNA研究と形態学的証拠がどう補完し合うかへと展開しました。

私はネアンデルタール人やヒト進化の専門家ではありません。
しかし、大きな関心があります。
専門外の分野で、自分の事前知識を出発点にしながら、観察した事実を組み込んで、リアルタイムで対話的に深掘りしていく、という体験は、2025年以前でも一応できはしたと思います。
しかし、格段に簡単になったのは間違いありません。

旅行者が制度の内側に入る

かつての海外旅行では、現地の制度を知ることは「準備」の問題でした。
出発前にガイドブックを読み、地図を確認し、交通の仕組みをある程度頭に入れておきました。
それでも現場では想定外のことが起き、その場で「なんとなく乗り切る」しかない場面が多かったでしょう。

準備できることには限界があります。
eezy.nrwというアプリが15ユーロを一時引き落とすのがデポジットかどうかなど、事前に調べておける人間はほとんどいないと思います。
RE1の車両構造が古いコンパートメント型かどうかも、乗るまでわかりません。
VRRのエリア制チケットの最適解は、自分の具体的な移動計画が固まってから初めて聞けるものです。

これらはすべて、現地でリアルタイムに発生する問いです。
そしてそれが、日本語で、即座に、自分の状況を代入した形で解決できるようになりました。
これは利便性の向上というより、旅行者と現地人の間にあった非対称性の部分的な解消といっていいのではないでしょうか。

いわば「制度を知っている人間として振る舞う」ことが、旅の現場でできるようになったわけです。

もちろん限界はあります。
言語の壁が消えたわけでも、土地の空気感が即座に理解できるようになったわけでもありません。
ネアンデルタール博物館のヤグラを前に感じた、「この場所で何かが起きた」という皮膚感覚は、AIが与えてくれたものではありません。
デュッセルドルフのライン川沿いで走ったときのしっとりとした朝の空気もそうです。

旅の体験の核心は、依然として身体の話になります。

だがその周囲に広がる「制度の迷路」である、交通、食事、手続き、慣習、言語を、日本語でリアルタイムに提供できるパートナーが手元にいることで、身体がより深い体験に集中できるようになるように思えました。

おわりに:Dönerで

ファラーフェルタッシェは、ピタパンのポケットに野菜とコロッケが詰まったものでした。
タヒニソースがかかっていて、悪くない。
一緒にいた何人かの同僚はケバブを食べていました。

デュッセルドルフは、日本人街があることで有名な都市です。
行ってみると確かに日本語の看板が並んでいて、日本食レストランがあります。
在独日本人コミュニティが集積した結果です。
かつての移民や駐在員たちが、言語の壁と制度の壁を体で乗り越えてきた痕跡がここにあります。

私は1週間ほど、その痕跡のまわりで、生成AIを使いながら旅をしました。

彼らと私では、乗り越え方がずいぶん違います。
だが目的地は似ているかもしれない。
制度の内側に入り、その土地をただの「外国」ではなく、少し理解できる場所として経験するための道具ができたことを、2025年の夏に知りました。


ボルボックス博士(浜地貴志)はセントルイス在住の進化生物学者。藻類の研究のかたわら、noteにて科学・哲学・日常の交差点を書いています。


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