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高校生「なんで、勉強ってしないといけないんですか?」

高校生のフォロワさんからこんな質問をいただきました!




あらやだ

素晴らしい質問だわね。


「なぜ、勉強をしないといけないのか」

だってこれ、知を愛する者として実に正しい姿勢じゃん。




「当たり前だとされていることに対して、改めてなぜなのかを考える」

学問という営みは、まさにここから始まるんですよね。

だから、マロ主さんのこの「問いを立てる力」は本当に、実に見事。



……だと思ったので、

「おーい!!大人たちよー!!」

「高校生から面白い質問来てるよー!」

「みんななら、何て答える?」


ってXで質問したら、たくさんの回答が大人たちから寄せられたんだけど、私が特に好きだと思ったのがこちらの回答。



文章の化け物じゃん。



……え?なにこれ。無料で読んでいいの?マジ?これが?無料?なぜ?Why?



私は私なりに「なんて答えようかなー」と、高校生への回答を一生懸命書いていたというのに。

たとえるなら、私という小学生が草野球で一生懸命「えいっ!」とボールを投げていたのに、

いきなり大谷翔平が乗り込んできて、時速180kmの球を投げて立ち去ったみたいな、そんな感じ。




あまりにも文章の化け物すぎて、私

「きいいい!!うらやましい!何を食べて育ったらこんな文章書けるの!?うらやましい!!私もその力がほしい!!」

と嫉妬しちゃってさ(笑)。




「もうこの回答でいいじゃん、これ以上の回答たたき出せないじゃん、ならアタシが書く必要ないじゃん」と

嫉妬のあまりフテ寝してたら

高校生の子からこんな追いマロが届きました。


▼原文がこれ



あーもうわかったよ!!!(笑)


書く!!!書くよ!!!!絶賛スランプ中で一行も書けなくなってたけど、しょうがないから筆をとるよ!!!(笑)




さて、それでは

「なんで、勉強ってしないといけないのか」

開幕です。



***



突然ですが、マロ主さんはイチゴが好きですか?

「イチゴ味は好きだけど、

イチゴは好きじゃない」

っていう人いるじゃないですか。



私も一緒で、イチゴ味のチョコレートやアイスクリームは好きなんですけど、イチゴ自体はちょっぴり苦手なんですね(笑)。すっぱいんだもん!(笑)



これと似たような話で、

トマトジュースは好きだけど、トマトは好きじゃない

って人がいます。

不思議ですよね。トマトをつぶしたものがトマトジュースなのに、トマトそのものは苦手だなんて。あれかな。ぶちゅっとつぶれる食感がイヤなのかな?



さて、マロ主さんはトマトジュースが好きですか?

実は、なんとトマトジュースを

使ったお酒が存在するんです。




トマトジュースをウォッカで割ったカクテル。

名前を、「ブラッディ・メアリー」と言います。



変な名前のカクテルですよね。

メアリー、ですよ?

まるで人の名前のようですよね。

実は、本当に人の名前なんです。




***



彼女の名は、メアリー・テューダー。

Wikimedia Commons – Mary I of England by Anthonis Mor(Public Domain)



彼女が殺害した人間の数は、

約280~300人と言われています。



それだけの人数を無惨に虐殺したから、「ブラッディー」、つまり

「血まみれ」のメアリー

という異名がつけられたんです。



……じゃあ、

このメアリーという女性は、

一体どこの誰なんでしょうか?




***



2022年9月8日。

イギリスの女王「エリザベス2世」が崩御しました。



在位期間は70年。すごく長いですよね。

実際、彼女の在位期間は世界史上2位にランクインしています。



じゃあ、世界史で一番長く

国王であり続けた人は

誰だと思いますか?




そう、正解はみんな大好き「朕は国家なり」の人。

Hyacinthe Rigaud, Louis XIV, roi de France, 1701. Wikimedia Commons. Public Domain.



太陽王ルイ14世です。


在位期間は約72年。すごいですよね。人生の大半を国王として過ごしたワケです。




さて、じゃあ今度は逆の問いを立ててみましょう。

在位期間が最も短かった王は

一体誰だと思いますか?




それは、フランス王ルイ19世です。

在位期間はなんとわずか20分。

すごくないですか。20分ですよ、20分。

ルイ14世は、世界史上最も長い在位期間だったのにね。実に対照的だ。



私さっきスーパー行って晩御飯の材料を買って家に帰ってきたんですが、その買い出しの時間だけで25分ぐらいかかりましたよ。

つまり、一般市民がスーパーに行って帰ってくる時間よりも短い在位期間だったってことです。



***



……さて、ここからが本題です。



マロ主さんは今、

真っ暗な塔の中にいます。



髪をたばね、白いドレスを着せられて、目隠しをされています。

そしてこの断頭台の上に首を置けと言われたら、どう思いますか?




絶対に嫌ですよね。

怖いですよね。だって断頭台ですもん。ここに首を置いたら、処刑されるに決まっている。



だけど、この断頭台に

首を置いた女の子が、

かつて本当にいたんです。




彼女の名は、ジェーン・グレイ。

Paul Delaroche, The Execution of Lady Jane Grey, 1833, oil on canvas. National Gallery, London. Image: Wikimedia Commons (Public Domain).



真ん中にいるのがジェーンです。

自分が首を置くための断頭台がどこにあるのか分からず、手探りで探し当てようとしています。



ジェーンはこう質問します。

「どうしたらよいのでしょう」

「(断頭台は)どこにあるのですか?」



彼女は英国の人間だったので、実際には英語で

「What shall I do?」
「Where is it?」

と言ったとされています。

そして、「断頭台はここにあります」と、横にいる男性が手伝っている様子が絵画では描かれていますよね。



断頭台の下を見てください。ワラが敷き詰められています。

それは、一体なぜだと思いますか?



それはね、首を落とされた罪人の血を吸いとるためです。



断頭台に首を置いた時、彼女はまだ16歳でした。

マロ主さんと同い年だったんですね。



彼女は捕らえられ、幽閉されてから約6か月と24日で処刑されました。

マロ主さんだったらどう思います?

「あなたは、半年後にはもうこの世に居ません」

って言われたらどう思いますか。




マロ主さんには、今楽しみにしていることがたくさんありますよね。

「この漫画大好きだから、早く新刊出ないかな~」とか。
「えっ、この漫画、映画化するの!?え~!楽しみ!公開は半年後か!」とか。

でも、その映画が公開される頃にはもう自分はこの世にいないんですよ。

そんなの、絶対にイヤですよね。

でも、ジェーンは16歳で強制的に死を選ばされたんです。



***



「在位期間が短かった王」の1位は、ルイ19世でした。前述のとおり、在位期間はわずか20分。

そして「在位期間が短かった王の2位」が、

このジェーンだったワケです。




彼女が即位した期間は、たったの9日間でした。そのため、ジェーンは

「9日間の女王」

とも呼ばれています。




ジェーンが断頭台に首を置いたのは、1554年のこと。

フランシスコ・ザビエルが日本にやってきて、キリスト教を布教し始めたのが1549年だったので、

ジェーンが処刑されたのはザビエルが日本にやってきたその少し後

だったワケですね。




ジェーンが断頭台に首を置いた後、

一体どうなったと思いますか?



映画やおとぎ話のように、勇敢な王子さまがかけつけて、寸でのところで悲劇の姫君を救い出したと思いますか?



進撃の巨人でミカサはこう言いました。

「世界は、残酷だ」

と。


そうです。世界は、残酷なんです。

ジェーンは、誰からも助けられることなく、そのまま断頭台の露と消えたんです。




***



マロ主さんは、美術館に行くことがありますか?

美術館には、たくさんの歴史画が飾られています。その時に、処刑人が描かれていたら

処刑人がどんな武器を持っているのか

を見てほしいんです。



ジェーンの頭部を切断した処刑人を見てください。彼は左手に斧を持っていますよね。


これを見ると

「え?処刑するんだから、別に斧をつかうのが当時は普通だったんじゃない?」

と思うかもしれませんが、

実は斧での断頭は

非常に難しいんです。



※ここから先はグロテスクな描写が出るので、苦手な人は3回ほどスクロールして飛ばしてから続きを読んでね。



処刑人の腰を見てください。小さなナイフを持っているのがわかるでしょうか。



これは何のために持っているのかというと、斧での断頭に失敗した際に、

「最後は小さなナイフで地道に頭を切り落とす」

ために持っているんですよ。

それくらい、斧での断頭は失敗しやすいんです。



***



ジェーン・グレイを主人公として描いた小説は、実は結構存在しています。私はそれらの小説を読んできましたが、思わず息を飲んだシーンがありました。



処刑の直前、ジェーンは神への祈りを捧げます。

主よ、私の魂を委ねます

と祈るんですね。



このセリフは史実なので、ジェーンを主人公にした、たいていの小説で出てくるセリフです。

そして、ほとんどの小説ではこの「私の魂を委ねます」というセリフが描かれた後、ジェーンはそのまま処刑されます。



ですが、ある小説だけは違いました。

祈りを捧げ終わったジェーンに、処刑人があるセリフを言うシーンが描かれていたんですね。

処刑人は、祈りを終えたジェーンに対して、こう言ったんです。



「ワラの前に、お立ちください」




このセリフを、処刑人が本当に言ったのかどうかは私にはわかりません。

ですが、少なくとも同じ意味の言葉をジェーンにかけたことだけは間違いないでしょう。

だって祈りを捧げ終わったんですから、

「祈りが終わりましたね」

「はい、じゃあ処刑しますね」

「ワラの前に立って、首を台に置いてください」

と指示したはずなんです。



「ワラの前に、お立ちください」。



このセリフを読んだ時、私はまるで自分に言われたかのような恐怖に襲われました。

なんか、ここで初めて

「あ、私死ぬんだ」

って思いますよね。

それまでは、「死刑です」と言われても自分には関係のない「遠いどこかでの出来事」のように感じるのに。



「ワラの前に、お立ちください」。

そう言われて、首を落としやすいように髪を束ねる。真っ白なうなじが見えるように、うつ伏せになって台に首を置く。そして、その首に斧が振り落とされる。



しかもコレ、一回で済むとは限らないんです。

一回振り落として、首を落としきれずにもう一度振り落とす。

何度も何度も落とそうとしては失敗し、仕方がないので最後はナイフでギコギコと首を落とされる。




とある解剖学の本に、こういう表現が書いてあったことを思い出しました。

「人間の首を斬るのは、細い木を切るのに似ている」

これを、生きたままやられるんですよ。



***


ところで、ジェーンって

どんな顔をしていたと思いますか?



処刑のシーンを描いた絵画では目隠しをされているので分かりませんよね。

彼女は、こんな顔をしていたんです。

Unknown artist. Lady Jane Grey. c. 1553–1554. National Portrait Gallery, London. Public Domain. Wikimedia Commons.





ここまでは良いんですが、AIの台頭によって

とんでもないことが起こりました。




YouTubeで、歴史上の人物を

「生きた人間に生成しなおして動画にする」

ということがトレンドになってしまったんです。



たとえば、下の動画を観てください。

この動画の後半では「ジェーンの顔を写真にして、その後笑顔にする」というシーンが出てきます。



実際にキャプチャを見てみましょう。ジェーンの肖像画がまずうつされます。

Unknown artist. Lady Jane Grey. c. 1553–1554. National Portrait Gallery, London. Public Domain. Wikimedia Commons.


これを、AIを使って写真にするんです。


Royalty Now Studios「Anne Boleyn's Re-constructed Face Revealed, with History」(YouTube)


そして、次に装飾品をとりのぞきます。


Royalty Now Studios「Anne Boleyn's Re-constructed Face Revealed, with History」(YouTube)


最後に、動画にして

彼女を笑顔にするんです。


Royalty Now Studios「Anne Boleyn's Re-constructed Face Revealed, with History」(YouTube)



頼む、もうやめてくれ。



ジェーンの姿は絵画だからなんとか耐えられたのに。

絵画だからこそ、なんとかギリギリ

「生身の人間ではなく、実際には実在しないおとぎ話の登場人物」

のように感じて耐えられたのに。



こんな風に精巧な写真にしてしまっては。

そして動画として笑顔にしてしまっては。

「この、生きた一人の少女が無惨に処刑されたんだ」

という事実をつきつけられてしまう。

だから私は、もう二度とこの動画を観たくないです。




***



さて、ここまでを聞いて、

不思議に思いませんでしたか?



わずか16歳だった少女、ジェーン・グレイ。

ですが、彼女の立場は女王ですよ。

なぜ、彼女は処刑されなければならなかったんでしょうか?



それは、彼女が女王に

即位したからです。



本来の王位継承者がいるのにもかかわらず、周りの大人たちが勝手にジェーンを擁立し、無理やり即位させたんです。

無理やり即位させて、女王となったジェーンを意のままに操って、陰から国を支配しようとしたんですね。




だから、本来の王位継承者が王位を取り戻すために

ジェーンを玉座から引きずり落したんです。




その、本来の王位継承者こそが、多くの人間を虐殺したかの

「ブラッディー・メアリー」

だったんです。



ですが、メアリーは

ちゃんと分かっていました。



ジェーンが周りの大人たちに勝手に女王に仕立て上げられたことを。ジェーン本人に、王位を望む意志がなかったことを。

だから、メアリーはジェーンを処刑せずに塔に幽閉したんです。



ですが、ジェーンが幽閉された後、

「メアリーを女王の座から引きずり下ろせ!」

と民衆の反乱が起きます。

まぁここまでは別に想定内の出来事です。どんな時代でも、どんな場所でも、王を玉座から引きずりおろそうとする人はいますから。



ところが。

その民衆反乱を起こした人物の中に、

とんでもない人間がいました。


誰だと思います?



それはね、ジェーンの実の父親だったんです。




そのため、メアリーは周囲の臣下たちから

「ジェーンを生かしておく限り、また彼女が女王になってしまうかもしれない」
「ジェーンが生きている限り、反乱の象徴になってしまう」

と進言を受けることとなります。また、当時世界の覇者であったスペインからも

「ジェーンを生かしておくな」

という圧力を受けます。



しかし、ここまで来てもメアリーは、決して最後まであきらめませんでした。

ジェーンの命を救う、

たった一つの方法があったんです。




それは、「改宗」でした。改宗とは、

「自分の宗教を変えること」

です。



メアリーは、カトリック教徒。そしてジェーンはプロテスタントでした。

私ら日本人から見ると

「へっ?どっちもキリスト教徒じゃん」

って思うかもしれませんが、そうではありません。



たしかにどっちもキリスト教なんですが、宗派が違うんですね。

もはや同じキリスト教徒と言うのは難しいくらい、血みどろの殺し合いをしてきたワケです。



***



私には、ダイアナっていう名前のアメリカ人の友達がいます。

その子とは、留学先で知り合いました。ホームステイ先が一緒だったんですね。



そして留学中のある日のこと。

ダイアナと一緒にテレビを見ていたら

ローマ教皇が映ったんです。

当時の私は(当時っていうか今もだけど)勉強がまったくできないタイプだったので、ダイアナにこう質問をしました。



「えーと、ローマ教皇がカトリック?のトップなんだよね?」

「で、ダイアナはカトリックだっけ?」

あれっ?プロテスタントだったか?」

って聞いたんです。



そしたら彼女はテレビを見つめたままこう答えました。

「我々プロテスタントは、自分たちのことをプロテスタントとは思っていない」

「カトリック側が勝手に『抗議する者たち』、

すなわちプロテスタントと呼んでいるだけで、

本来は我々こそが正統なカトリックである」

と。



彼女の返答は、

怒りに満ちていました。



……マロ主さんは、なぜダイアナが怒ったのか、わかりますか?



***



マロ主さん、今手元に教科書がありますか?もしあるなら、世界史の教科書を開いてみてください。

真ん中あたりのページに

「マルティン・ルター」という男が宗教改革を始めました

って書いてあるでしょう。

▼この人ね

Lucas Cranach the Elder (workshop), Portrait of Martin Luther, Uffizi Gallery. Source: Wikimedia Commons (Public Domain).



アタシさぁ!!

ルターの顔を見るたびに

いつも思うんだけど!!




前髪がちょこっとだけ出てるの、なんとかならんのかね!?

▼ここ!!ここが気になる!!(笑)

邪魔だから帽子の中にしまえばいいのに



さて、このルターこそが「最初のプロテスタント」だったワケです。

「プロテスト」は、日本語に翻訳すると「抗議する者」という意味です。

さて、彼は一体何に

抗議したんでしょうか?




***



映画「教皇選挙」。



この映画、めちゃくちゃ流行りましたよね。

▼まぁ私は、仕事が繁忙期だったせいで観に行けなかったんだけどさ




私は兄弟が多いんですが、こないだ実家に帰ったら兄弟たちが映画「教皇選挙」の話題で盛り上がっていました。

それを見た私は、会話に混ぜてほしくて兄弟たちにこう話しかけました。

「ねぇねぇねぇねぇwwwwwwwww

歴代ローマ教皇で一番誰好き?wwwww」

と。



そしたら兄弟たちは一瞬黙ったあと、こう返答しました。

「あのね、普通の人は、推しのローマ教皇とかいないんだよ」

と。



「じゃあなんで教皇選挙なんて

観に行ったんだよ!?!?!?」



って思ったんですが、別に推しのローマ教皇がいなくても普通の人はただ単に映画を楽しむために観に行くんだそうです。



そっか、おねいちゃんは推しの話がしたかったんだけど、普通の人は推しのローマ教皇とかいないのか。そっか、そうなのか。


いや、なんかさ。私はただ

「やっぱ世界最強のローマ教皇インノケンティスス3世か、ボニハチか、レオ10世か!!!」

「あとやっぱ初代ローマ教皇も外せないよねぇ~!!!!」

とかワイワイ話したかったんだけど、普通の人は推し教皇とかいないのか。そっか。



ちなみにボニハチは

怒りのあまり「憤死」したという「ボニファティウス8世」

のことっす。

歴オタの同志よ、一般人は「ボニハチ」とか言わないらしいぞ。

オタバレするから、今この瞬間から「ボニハチ」という言葉は封印しよう。

我々歴オタ同士の、約束だ。




ちなみに私の推しローマ教皇は、やっぱあれっすね、レオ10世っすね。

見た目が好き。


▼この人

Raphael, Portrait of Pope Leo X with Cardinals Giulio de' Medici and Luigi de' Rossi, c. 1518. Uffizi Gallery, Florence. Source: Wikimedia Commons (Public Domain).



彼はイタリアのメディチ家出身です。

だけど、顔を見てください。

「金曜日の夜の有楽町駅前に

5,000人くらい居そうな顔」

してるでしょ?

なんか、そこが人間らしくて憎めないんですよね。




***



さて、レオ10世は歴史に残る

「大事件」を起こしました。


それは一体なんでしょうか?



それは、免罪符です。

免罪符を売り始めたんですよ。

レオは豪華な大聖堂を建てたかったんですが、お金がなかったので

「はいキリスト教徒のみなさーん!これを買ったら罪が免除されますよー!」

と免罪符なるものを売り出したんです。


それを見たルターが

ブチ切れました。



「ふっっっっざけんじゃねぇよ!!」

「お金を払えば罪が許される!?」

「そんなわけねぇだろ!!」

と、ローマカトリック教会のダメなところを95個も書いて教会の扉に貼ったんですよ。



すごくないですか。

95個ですよ95個。




友達や家族や彼氏とケンカした時、

「だいたい、あなたのそういうところが~」

と、普段から思っていた相手の悪い所をグチグチ言い出すことってありますよね。



だけど、さすがに95個は

出てこないと思うんですよ。


だからルターの怒りは相当なものだったことがうかがえます。




ちなみに、当時「教会に歯向かうこと」は、それすなわち「死」を意味しました。

だから私、今までずっと

「ルターは、95か条の論題を出したその日のうちに処刑された」

と思ってたんですよね。



だから、今この文章を書いている最中、

「さぞかし残酷な

殺され方をしたんだろうな」

と思って、

ルターを処刑する際に採用された処刑方法

を調べてみたんですよ。

「うーん、やっぱアレかなぁ?

1日3センチずつ、足先から肉を削いでいくとか。

そういう処刑方法だったのかな」

と思いながら調べてみた結果。



な ん と ル タ ー は 生 き 延 び て ま し た。




諸侯から保護されて、お城にかくまわれ、普通に長生きして天寿を全うしたそうです。

ルター!!!!

生きとったんか

ワレぇ!!!!(浜田 雅功)




さて、このルターから「抗議を受けた」カトリック側は、ルターたちをこう呼びました。

抗議するものたち。

すなわち、プロテスタント、と。




だけど実際のところ、プロテスタントたちは

「むしろ我々こそがカトリックである」

と考えていたと思うんです。だってプロテスタント側からすると

レオ10世たちのほうが、免罪符で一儲けしようとしてしまい、カトリックの道を外れてしまった

という認識をしていたはずですから。




だから、ダイアナは私の質問に対して怒ったわけです。

今カトリックと呼ばれている人達が、

勝手に私たちのことを抗議する者(プロテスタント)と呼んでいるだけで、

本来は我々こそがカトリックである

と。



まぁ実際のところ、プロテスタントの中にもいろんな考えの人がいるから、全員が全員ダイアナと同じ考えを持っているとは言い切れないけどね。


***



ということで、プロテスタントとカトリックは、私達日本人からは

「同じキリスト教徒じゃん」

って見えるんですが、フタをあけてみると血みどろの殺し合いを続けてきた「敵同士」だったワケですよ。



当時のキリスト教徒にとって、「キリスト教徒ではない人」というのは

まだキリストの教えの

すばらしさに目覚めていない

「かわいそうな人達」

でした。



しかし、同じキリスト教徒だったのに道を外れた人間は

「悪魔に惑わされてしまった、もう救いようのない敵」

だったんです。だから、当時のキリスト教徒は異教徒「よりも」異端に対して異常なまでに厳しかったんですね。

当時を生きたカトリックの人々にとって、プロテスタントは単なる異端だったし。

プロテスタントの人々にとって、カトリックは単なる異端だったんです。



***



メアリはカトリック教徒でした。

だから、同じカトリックに改宗すればジェーンの命を助けてやると伝えたんです。



ですが、ジェーンはそれを拒みました。

彼女は、自分がプロテスタントであることに誇りを持っていました。そしてプロテスタントとして死んでいくことを選んだんです。



そうして、ジェーンの処刑が決まってしまいました。



***



ジェーンが投獄されている間、ジェーンを助けてくれと懇願する者はいなかったそうです。

ジェーンの父も、母も、妹も。

誰一人、彼女を救おうとは

しなかったんですね。




救おうとしたのはただ一人。

ジェーンの死刑執行書にサインをした張本人。

メアリーだったわけです。



***


……でも結局、ジェーンにとって何が救済だったのかはわかりません。

ジェーンは死の直前、妹に聖書を渡しました。その聖書の最後には、こんな言葉が書かれていました。

私の死のことを語るならば、愛しい妹よ、どうぞ私と同じように喜んでください。



ジェーンは、令和の私達から見ると「もはや虐待」ともいえるような非常に厳しい教育を受けて育ったんです。



まだジェーンが幼かったある日のこと。

ジェーンの両親が狩猟に出かけました。

すると、家にひとり残ったジェーンを見て、ジェーンの家庭教師はこう質問します。

「ご両親と一緒に、狩猟にでかけないのですか?」

するとジェーンは、「家で本を読んでいたい」と答えます。



私には読書がすべてなのです。読書しているときだけ、心がはばたくのです。

それ以外に、私に自由などありません。

私は両親の前にいる時、話していても、黙っていても、食事をするときでも、針仕事をしていても、ダンスをしていても、私はすべてを完璧に行わなければなりません。

そうしなければ残酷な言葉で罵られ、つらい仕打ちを受けることもあるのです。

(家庭教師の授業を受けるために)先生の所へ行く時間が来るまでは、私は自分が地獄にいるのではないかと考えるほどです。



ジェーンにとって、学問とは慰めであり、唯一のささやかな娯楽であり、そして何よりも、「地獄からの逃避先」だったんですね。





メアリは、最後までジェーンの命を救おうと手を差し伸べました。

だけど、ジェーンにとっては、死こそが彼女にとっての救済だったのかもしれません。



……ジェーンにとって、メアリはどんな存在だったんでしょうね。

最後まで、自分の命を救おうとしてくれた、たった一人の人だったんでしょうか。

それとも、最後には死刑執行書にサインをして自分を生き地獄から解放してくれた「恩人」だったんでしょうか。




***



寒い寒い真冬の午前。ジェーンはロンドンにある塔で処刑されました。

その処刑の様子を描いた絵画は、2017年に日本にやってきて「怖い絵」展にて人々の前に披露されました。

Paul Delaroche, The Execution of Lady Jane Grey, 1833, oil on canvas. National Gallery, London. Image: Wikimedia Commons (Public Domain).



この絵につけられたコピーは、たったの一言。

「どうして。」


でした。



***



自分が生きるためなら、わが子の命すら捨ておく親はいつの時代にもいます。


敵から追われ、追い付かれそうになった時に、

なんと自分が乗っている荷馬車から

実の我が子を

投げ捨てた男がいました。




男の名は、劉邦(りゅうほう)。

Liu Bang (Emperor Gaozu of Han). Collection of the National Palace Museum. Image via Wikimedia Commons.



マロ主さんだったら、

どう思いますか?



自分のお父さんと一緒に敵から逃げている時。

敵に追い付かれそうになった瞬間に、お父さんが自分の背中をつきとばして荷馬車から突き落としたとしたら。

「は?」

ってなりますよね。

でも、劉邦はマジでこれをやったんです。



マロ主さんは、この劉邦を知っていますか?

漢という国を建てた男です。



え?

「あ~……なんか聞いたことがある国の名前だけど、よくは知らない」

って?



知らないワケないですよ(笑)。

マロ主さんは今、

その漢という国の文字を使って

私のこの文章を

読んでいるワケですから。




漢の国で使われている文字のことを、「漢字」と言います。

見てほら。漢字が使われているでしょ?

今私たちが使っている漢字は、漢という国で使われていた文字なんです。




***



奈良時代。中国から仏教が「輸入」されました。

すごいですよね。

仏教が生まれたのはインドなのに、

私たちの国は

中国経由で輸入したんですよ。




私さぁ、小学校で「仏教が中国から伝来しましたー」とだけ習ったもんだから、中学生になって

紀元前5世紀ごろのインドでブッダが悟りを開き、その教えが「仏教」として成立しましたー

って教わった時に目んたま飛び出るほど驚いたんだよね(笑)。



「またまたwwwwご冗談をwwww」

「だってお経って漢字で書かれてるじゃん!漢字って中国の文字じゃん!」

「仏教がインドで生まれたとか、ウソっしょwwwww」

「じゃあなんで、日本は仏教をインドから直輸入しなかったんだよwww

中国を経由する必要、ないでしょwwww」

って、最初信じられなかったんだよね(笑)。




ちなみに、「中国から」日本が仏教を輸入した際、当然ながら船には仏教の経典が積まれていました。

ですが、そのままにしておくと船にいるネズミが経典をかじってダメにしてしまいます。だから当時の人は、

船に猫を乗せてネズミを

退治させたんですね。




そうして日本に猫という生き物が伝来したワケです。

だから、当時の日本では猫は

当時の中国である唐からやってきた猫

という意味で、「唐猫(からねこ)」と呼ばれていました。



ちなみにこれは、17世紀、当時のイギリスの人々がアメリカに渡った際にも同じ現象が起きてます。

アメリカにわたる際、

彼らは聖書を船に積んだんですね。

でも、そのままにしておくと聖書がネズミに食われてしまう。だから彼らはネズミ退治のために船に猫を乗せたんです。



そうしてアメリカに猫が伝来しました。そのため、この時船にのせられた猫の子孫が、

アメリカンショートヘアの

祖先になったと言われているんです。




宗教が伝来するときって、

必ず猫がセットで

輸入されるんですよね。



めっちゃ面白いですよね。宗教と、猫がセットだなんて(笑)。

逆に言うとアレか?宗教が輸入されなければ、猫は別の国に伝来しないってことなのかな。



***



さて、話は戻って私たち日本人は、仏教をなんとインドではなく中国から輸入しました。

だからこそ、仏教の経典は「漢字」で書かれていたんです。



でも、当たり前ですが漢字のままでは読めないですよね。だから、当時の人々は

漢字を読むために

「カタカナ」を発明したんです。




でも、カタカナだけでは超~不便でした。

だって考えてもみてくださいよ。

カタカナはあくまで「漢字を読むための記号」に過ぎない。自分たちが使っている日本語を書く際には使えなかったんですよ。

だから、漢字を崩して

「平仮名」を発明したんです。



たとえば、

安 → あ
以 → い
宇 → う

といった形で、漢字を崩して書くうちに平仮名が生まれていったんですね。



これはすごく面白いですよね。

私ずっと、

逆だと思ってた!!(笑)




・最初に平仮名があって

・次に平仮名をギュっと圧縮するために漢字をつくり

・そして最後に、鎖国をやめて外国の文化が入るようになって、外国語を表現するためにカタカナを生み出した

と思ってましたから(笑)。

でも実際は順番が逆だったワケです。



漢字が最初にあり、

次にカタカナが生まれ、

最後にひらがなが生まれたワケです。




ちなみに、ひらがなが生まれた平安時代では、女性は漢文教育を受ける機会が制限されていました。

今と真逆ですよね(笑)。

高校では嫌でも漢文を習わされるというのに。



だから、ひらがなは当初

「女性が使う文字」

として広がっていきました。

そして、ひらがなの普及によって源氏物語や枕草子といった名作が「女性から」生まれたワケです。



そしてひらがなを使いたいがあまり、

女性のフリをした男性もいました。




彼の名は、紀貫之。

土佐日記を書いた人ですね。

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

という一文から始まる日記ですが、簡単に翻訳すると

「男が書くという日記というものを、女も書いてみようと思って書くことにした」

という意味です。


紀貫之は男性でしたが、ひらがなを使って文章を書いてみたかったので女性のフリをしたってワケですよ。



これ、令和だったら

ありえないですよね(笑)。



男だから、ひらがなを使うのが憚られる。

性別を理由に行動を制限されるなんて、性差別以外の何物でもないですから。




ちなみに先日、知人から

「死ぬまでに、一度でいいから

他人にマウントをとってみたい」


とLINEが来たので

「めっちゃいいじゃん!今やってみようよ!」

と返信したら

「バカがすなるマウントといふものを、私もしてみむとてするなり。」

って返ってきて

突然の土佐日記に

若干動揺しました。



いきなりどうした?教養お化けめ。



***


マロ主さんは、

「ギャグマンガ日和」

という漫画を知っていますか?

▼この漫画

名前の通り、ギャグ漫画なんですけれども登場人物が基本的に「歴史上の人物」なんですね。



毎回登場人物は異なりますが、

中でも聖徳太子はとても

人気のキャラクターです。




他人の家のドアを開ける時に、

「ごめんください」

ではなく

「無限に広がる大宇宙」

と言って手を挙げて中に入っていくんですね。



ものすごくバカな人間として描かれているんですが、そこがとても魅力的で本当に毎回大笑いしてしまいます(笑)。



そしてとある回で、聖徳太子は小野妹子と一緒に隋に行きます。

そしてあまりにもバカな会話が続くので、妹子が一言。

「そもそも、太子はなんで隋に来たんですか?」

すると聖徳太子はこう答えます。

「そうだなあ……まず高句麗や新羅や百済より優位に立つために倭国が完全な独立国であることを承認してもらいたいってのがあるな」



ときどきこうやって、ほんっとにマジメな回答をするのでギャップがすごいです(笑)。




ところで、今聖徳太子が言ったセリフに

「倭国が完全な独立国であることを承認してもらいたい」

というセリフが出てきましたよね。



倭国とは、日本のことです。

じゃあ、どうして日本は倭国と呼ばれるようになったのでしょうか?



実は、倭国と呼び始めたのは当時の中国でした。

そして倭国という呼び名は、実は蔑称ではないのかという説があります。つまり、

「蔑み、下に見下している気持ち」

で呼んでいるのではという意味です。



中国ってね、

自国を世界の中心と考える「中華思想」

を持っていたんですよ。



まぁどの国でもそういう時期はあります。

大英帝国だってそうだったし、今のアメリカもそうです。中華思想を持っているのは何も中華帝国だけではないってことです。




さて、それはさておき、中華思想を持っていた中国は日本という国を倭国と呼びました。

そして、「倭」という字には「従う」「小さい」というニュアンスがあり、周辺民族を低く見る気持ちが反映されているのではないかという説があるんです。



ちなみに、私がマロ主さんと同じ高校生の時は

「倭国という言葉は、蔑称だった」

と歴史の先生から断定口調で教わりました(笑)。今の歴史学者たちは「そうでもないかも」と説を変えているみたいですね。




まぁ何はともあれ、この「倭国」という言葉が由来となり、

今でも日本風のものは

「和風」と呼ばれ、

日本の食事は「和食」と

呼ばれるワケですよ。


「日本風」とか「日本食」とは言わないでしょう?



さて、当時高校生だった私はこう思いました。

「今は日本っていう国があるんだから、別に日本独自の言葉だけでやっていけばいいんじゃね?」

「なんで大昔の人が輸入した漢字なんてものを、今も使わないといけないんだよ」

と。


だけど、そんな考えを覆す大事件が、

高校生の時に起こったんです。



***


国破れて山河あり。

城春(しろはる)にして草木(そうもく)深し。



これは唐の詩人杜甫(とほ)が書いた詩、 『春望(しゅんぼう)』です。



私これ、高校生の時に教科書で読んだんですが

マジで衝撃を受けました。


美し、すぎる。



国破れて山河あり。

城春(しろはる)にして草木(そうもく)深し。



何回も何回も何回も。声に出して音読したいです。今もこの文章を書いているとき、口に出して読みたくなってます。



恥ずかしい黒歴史かもしれませんが、あまりに美しすぎて

当時の私は

写経しまくってました(笑)。




だってきれいすぎない?

言葉に無駄がない。余計な文字が一言もない。

洗練されたすっきりした文体。

読んだ瞬間、映像がぶわっと頭の中に描かれる。

そして音の響きも実に美しい。

まるで音楽そのもの。




この詩に出会った時、

「漢文なんか勉強してどうすんだよ」

という考えは一瞬にして消え去りました。



漢文を学んでおけば、

太古の昔に生きた人と、

文字を通じて

出会えるじゃないですか。

それって、すごく尊くてかけがえのないことだと思うんですよね。




私は今、会社を辞めて独立し起業して経営者をしています。

でも、その傍らで何冊も本を出版してきました。

それはひとえに、

私の文章が

読みやすいからです。




文章は、たしかに下手くそですよ。見てわかるでしょう(笑)。ここまでを読んで、

「ハイっ!!今年の芥川賞の受賞者が今ここで決定しましたー!!」

とはならないでしょうよ。

誤字脱字はあるし、タイポは多いし、主語と述語がねじれてるし、副詞が動詞から離れた場所にあるし。

ぶっちゃけ言うと、私が書いている文章はまごうことなき「悪文」です。



だけど読みやすさだけは、

他の誰にも負けません。


そしてなぜ、私の文章が読みやすいのかというと、杜甫のマネをしているからです。



いい文章ってのは、

音がきれいなんですよ。



私は、自分の文章を読んでくれている人の頭の中で、

音楽が奏でられるような文章

に仕上げているんです。

実際、読んでいて心地よいでしょう?それはね、音がきれいだからなんです。

頭の中で音楽が奏でられるように、デザインをしているからです。



だから、読みやすい。

だから、読んでもらえる。



だから、出版社から

「うちで本出しませんか!?」

と言われて何冊も本を出してきました。

杜甫との出会いが、私の生き方を変えたんですよ。




***


マロ主さんは船で海に出たことがありますか?

私は先日、沖縄でパラセーリングをしてきました。船の上に座り、パラシュートをつけてそれを開くんです。

すると、パラシュートのおかげで自分の体が空に浮かび上がる。

すっごく爽快な経験でした。

そして、空から見渡した海には、

たくさんの船が航海していました。



***



漫画「ONE PIECE」。

あの漫画では、

海賊船に乗った料理人であるサンジ

が美味しいご飯を作ってくれますよね。

だけど、実際の大航海時代では、船の上で美味しいご飯なんて食べられなかったんです。




「食べ物には虫がわいていた」

「だから船員は、虫を見なくて済むように、食料を渡されても夕暮れ時まで待って、

あたりが暗くなってから食事をした」


当時の船員たちの生活を記した資料には、そんな現実が描かれています。



***



大航海時代が幕を開けたのは、一般的には1492年と言われています。

さて、1492年に一体何が起こったんでしょうか。


そう、スペインを出発したコロンブスが、

アメリカ大陸を

「発見」したんですね。



だから、年号を覚える際の語呂合わせは

「いよーっ!国が見えた!」

なんですね。

国が見えた!アメリカを発見した!いよーっ!国が見えた!だから1492年(いよくに)なんです。



さて、私が高校生のときは、本当に教科書にこう書かれてました。

「コロンブスが、アメリカを、発見した」。

なっっっっんて

傲慢な書き方なんでしょうね。



コロンブスが到着した当時、アメリカに住んでいた人からすると「は?」って感じだったでしょう。



ちなみに令和の今ではなんて書かれているんでしょうか?

マロ主さん、手元に教科書があったら教えてくださいな。「発見」なんていう言葉で表現されているんでしょうか。

「アメリカ大陸発見」とか「レコンキスタ」とか「十字軍」といった、西洋史観が強すぎる言葉が今も羅列されてるんでしょうか。



ちなみに「アラブの側から見た十字軍」を描いた本が非常に興味深いので、ヒマな時に読んでみてね。



さて話は戻って、コロンブスは大航海に挑むときに、スペインの女王を説得しました。

女王を説得し、たくさんのお金をもらわないと長旅の航海にはいけなかったからです。



さて、ここで問題です。

コロンブスは何といって

女王を説得したでしょうか?




女王にたくさんのお金を出させるのですから、当然ながらそれに見合った対価を提供する必要がありますよね。

だからコロンブスはこう言ったんです。

私が海に出て船を進めれば、インドや日本へ行けます。

そこではコショウなどの香辛料や、黄金など莫大な富を手に入れることができます。

と。当時、コショウは非常に価値が高く、「ゴールド」と同じくらい価値を持っていたんですね。



これにより、女王を説得することに成功したコロンブス。

そうして

大航海時代が

幕をあけたんです。



ちなみに、コロンブスが説得した女王の名は、「イサベル女王」です。

Source: Eugenio Caxés, Portrait of Isabella I of Castile (Isabel la Católica), Museo del Prado. Public Domain.



アタシさ、この人のお召し物がすっごく好き(笑)。

めっちゃきれいじゃない?深いダークなワインレッドのこのお召し物。きれいな色だよね。



そして私は歴オタなので、

推しの「概念コスプレ」

をたまにします。イサベル女王のお召し物をイメージしたコスプレがこれ。

▼ボトムのワインレッドを見た瞬間「イサベル女王じゃん!!」と思って衝動買いしちゃった。

めっちゃ可愛くない!?お気に入り♡


え?「概念コスプレとかキモい」って?

当たり前だろうが。

オタクなんてキモくてナンボ。



「キモい」は、もはや誉め言葉。

キモくないオタクなんて、もはやオタクではない。

キモいは誉れじゃ。黄泉路の先陣じゃ。さぱっと死せい。




さて、このイサベル女王の娘はイングランド(=今のイギリス)に嫁ぐことになりました。

その時、母親であるイサベル女王は娘に対して

「あなたは容姿が良くないから、ちゃんとしなさいね」

という意味の言葉を言ったとされています。



いやさすがにひどくない!?遠い異国の地に嫁ぐ娘に向かって、

「あんた美人じゃないから、

要領よくやりなさいよ」

みたいなこと言うか普通!?(笑)



いや、まぁ……当時はほら、「外交としての結婚」だったから

「うまく立ち回れ」

と、女王としてアドバイスするのは分かるけどさ……。



だから私、イサベル女王の娘さんがどんな顔をしていたのか気になって肖像画を探したんだよね。

そしたら、娘さん、こんな顔をしてたよ。名前はキャサリン・オブ・アラゴン。

Unknown artist, Catherine of Aragon, late 16th century, National Portrait Gallery, London.


キャサリンのおでこを見てください。むき出しになってるでしょう?

この当時の女性は、全員おでこをこんな風に丸出しにしてるんだよね。



「これ、なんでなんだろう?」

と思って調べたら

丸いおでこ=若さの象徴

だったんだって。

赤ちゃんのおでこが「つるんと丸い」見た目をしているから、丸いおでこが若さの象徴になったんだってさ。



つまり、こうやって丸いおでこをむき出しにすることで、

「私は若いです!だから子供をたくさん産めます!」

という婚姻政策の一環だったワケですよ。

だから、キャサリンも嫁ぎ先が無事に決まるようにこうやってオデコで若さをアピールしていたんですね。



ちなみに、このキャサリンは一人の女の子を産みます。

しかし、その愛する娘と離れ離れにされ、最期はお城に閉じ込められて50歳の若さで死にました。



最後の瞬間、キャサリンのもとには親友が駆けつけてくれました。

長年自分に仕えてくれた侍女であり、生涯の親友でもあったマリア・デ・サリナス。

マリアは、「国王の許可状を持っている」とウソをつき、まさに命が尽きようとしているキャサリンに会いに来てくれたんです。

ウソがばれたら、

殺されてしまうかもしれないのに。



でもその勇気のおかげで、キャサリンは親友に看取られて息をひきとりました。遠い異国の地に嫁いできたキャサリンは、独りぼっちで死ぬことはなかったんです。


だけど、愛する娘はキャサリンの最期の瞬間にも立ち会えず、あまつさえ葬儀に参加することも許されませんでした。



キャサリンの娘は、誰だと思いますか?



それはね、この人です。




そう、9日間の女王「ジェーン」を最後まで助けようとしたあのブラッディー・メアリ―なんですね。



***



さて、こうして航海に出たコロンブスですが、結局彼がたどり着いたのは

インドではなく

アメリカでした。


だから、アメリカの先住民って、「アメリカの」「先住民」なのに「インディアン」って呼ばれているんですよ。



だってコロンブスが

「ここはインドだぜ!!」

と勘違いしたから「インドの人」って意味でインディアンと名付けたわけですから。

ちなみに、カリブ海に浮かぶ島を西インド諸島と呼ぶのもこのためです。コロンブスがインドと勘違いしたからです。



さて、アメリカに到着したコロンブスは、とある食べ物を発見します。

それが、トウガラシでした。   

    

さて、トウガラシって英語で

「ホットペッパー」

って言いますよね。コロンブスがそう名付けたと言われています。



……おかしいと思いませんか?

「ホット」って辛いって意味ですよね。

そこまでは、分かる。




だけど「ペッパー」っておかしくないですか。ペッパーでコショウですよ、コショウ。

▼どう見ても、コショウとは似ても似つかない。

なんか勘ぐっちゃって申し訳ないんだけど、コロンブスは

「わざと」間違えた

んじゃないでしょうか。




だってイサベル女王に対して

「コショウとってきまーす!!」

と高らかに宣言して航海に出たんですよ。

なのに、コショウが見つからなかったらもうどんな目にあうか分からない。だから、

「こっ……これコショウですから」

と言い訳できるように「ホットペッパー」って言ったんじゃないでしょうかね。



***



ちなみに、トウガラシが日本に伝来したのは16世紀のころでした。

中国からやってきたんですね。

だから、「唐」「辛子」と言うんですよ。



あと、トウモロコシもそうです。

実際にはトウモロコシは中国からではなくてポルトガル人によって日本へ伝えられたとされていますが、当時の日本人にとって外国=中国という印象が強かったんですね。

だから、

「外国(=唐)からやってきた」
「もろこし(=雑穀)」

ということで、

トウモロコシと

名付けられたワケです。



***



マロ主さんは外国人と英語でしゃべったことがありますか?

慣れてないと緊張しますよね(笑)。ハウアーユー?の次に何を言えばいいのか分からなくなる。



さて、私は時々外国の人とおしゃべりをします。

さっきほら、友達に「ダイアナ」っていうアメリカ人がいるって言ったじゃないですか。彼女とたまにおしゃべりをするんですね。



ダイアナと会話するときは、私は日本語を話し、ダイアナは英語を話します。お互い、ある程度

「相手の言葉は聞き取ることができ、意味を理解できる」

んですね。だけど、お互いに「相手の言語で話すのは」すごく苦手なんです(笑)。



ちなみにダイアナはカリフォルニア出身です。カリフォルニア出身の女子は、

日本でいうところの

「ギャル語」を話します。




日本のギャルって

「っていうか~」
「~みたいなぁ~」

という婉曲表現を使うじゃないですか。




あれと一緒で、英語圏のギャルも婉曲表現を使うんですね。

まぁそれはいいんですが、一度オンラインビデオで通信が始まった瞬間に、ダイアナが

「Like Hi~!」

(ヤッホー!みたいな~!)

といった瞬間はさすがに

「Just say Hi」

(ふつうにヤッホーって言え)

と言ってしまいました(笑)。



なんだ「ライクハイ」って。

ハイでいいだろハイで。




ちなみにダイアナは日本にも来てくれたことがあるんですが、その時に

「なんで日本に来たの?」

って意味で

「Why did you come to this country?」

って質問したことがあるんだよね(この時は英語の気分だったので、英語で話しかけた)。



そしたら、ダイアナがこう教えてくれたの。

それ、

What brought you to this country?
(何が、あなたをこの国に運んだの?)

って言い方にしたほうがいいよ(笑)

Why did you come to this country? って聞き方だと、

「はぁ?お前なんでここに来てんの?意味わかんない帰れよ」

ぐらいの意味になっちゃうから(笑)

って教えてくれたのよ。



しっ……知らなかった……(驚愕)。

たしかに、日本語でも直球な表現ってすごく「攻撃的な表現」に聞こえたりするもんね!?

英語もそれと一緒なのか!!

直球な質問は、イコール「攻撃的な質問」になりかねないのか!!




ちなみに、ダイアナに教わった通りに

What brought you to this country?(何が、あなたをこの国に運んだの?)

って聞いたら

「plane(飛行機)」

って言われました(笑)。

そらそうだよな、飛行機があなたをココまで運んだよな。




さて、ダイアナが話すのは、当たり前ですがネイティブが普段使っている普通の英語です。

私たちが学校で習うような英語とはワケが違う。



だから私はときどき、海外のバラエティー番組をYouTubeで観ます。

そうすれば、ネイティブの英語を耳で聴くことができて、ダイアナが言っていることをスムーズにききとることができるからです。



そして先日、すごく面白い番組がありました。

イギリス人が番組の中で

「タルタルソース」

と発音するんですね。


白身魚のフライとかにつけると美味しいよね



英語では

tartar sauce

と表記します。ところが、イギリス人が「たるたるそーす」と発音した瞬間に、

スタジオの人達がクスっと笑うんです。




そこでイギリス人が質問をします。

「なんだ?なんでみんな笑っているんだ?」

するとアメリカ人がこう答えます。

「アメリカの発音では、ターラーって読むんだよ」

「たるたるそーす、っていう発音はなんだかあどけなくて赤ちゃんみたいな言葉遣いに聞こえるんだ」

と言うんですね。



***



アメリカ英語で

「water」は「ワラ」と発音します。

「T」を発音しないから「ワラ」になるんですね。



ところがイギリス英語では

「water」は「ウォーター」と発音します。

「T」をちゃんと発音する文化なわけです。



だから、「tartar sauce」も

・アメリカ英語では「ターラー ソース」

になるし、

・イギリス英語では「タルタル ソース」

になるワケです。



しかし、そのことを聞いたイギリス人がこう言い返します。

「タルタルソースという文字を見ろよ!!(笑)」

「tartar sauceって書いてあるだろうが!!(笑)」

「そこにTがあるんだから、ちゃんと発音しろ!!(笑)」

と言うんですね(笑)。

まぁ、よくある「アメリカ英語とイギリス英語の違い」を使ったギャグが展開されていたワケです。



ところが、その番組の動画のコメント欄に面白い感想が書かれていました。

「へぇ~、アメリカ人は、Tを発音しないんだな」

「tartar sauceって書いてあるのに、Tを抜くんだな」

「抜いたティーはどうするのかな?」

「港に投げ捨てるのかな?」

と。



***



昔、アメリカは

イギリスの植民地でしたよね。




だからアメリカ人はイギリス人の言いなりになるしかなかったんです。

そしてある時からお茶に高い税金をかけられるようになりました。そしてアメリカ人は怒り狂うわけです。

いくらなんでもそれは無いだろ

と。そして抗議の証として、港にあったお茶を海に投げ捨てました。



この出来事が、かの有名なボストン茶会事件です。

そしてこの事件はアメリカ独立戦争へとつながるワケです。




ちなみに、今でもアメリカでは歴史を忘れないために「ボストン茶会事件」の

再現イベントが

マジで行われています。




・当時の人々の衣装を着て
・(食べ物を粗末にはできないから)空っぽの茶箱を用意し
・その箱を船から港に投げ捨てる

というイベントがあるんですね。



著作権フリーの写真がないからこれはAIで生成したものなんだけどさ。

こんな風にたくさんの人が集まって当時のボストン茶会事件を再現したイベントが開催されているんです。



このことを知っていないと、さっきのYouTubeのコメントの味わい深さはしゃぶりつくせないワケです。

「へぇ~、アメリカ人は、Tを発音しないんだな」

「tartar sauceって書いてあるのに、T(ティー)を抜くんだな」

「抜いたティー(Tea、つまりお茶)はどうするのかな?」

「港に投げ捨てるのかな?」

このコメントで笑っていいのかは私には判断がつかないんだけど、少なくともすごい教養に満ち溢れたセンス抜群のコメントだよね。




ちなみに、イギリス陸軍がアメリカ独立記念日に

「正しい紅茶の入れ方」

を紹介した動画をアップしたことがあります。



その動画では、こんなセリフが登場します。

「まず、茶葉をカップにいれます」


Screenshot from a YouTube video. Used for commentary and criticism.



「港にではありません」



Screenshot from a YouTube video. Used for commentary and criticism.



これ不意打ちすぎて私爆笑しちゃったんだけど、もはや定番ギャグなのかもしれないね(笑)。



***



さて、さっき私は

アメリカ人のダイアナとはホームステイ先が一緒だった

って言いましたよね。ホームステイ先のホストマザーは、

「留学生を受け入れる」

という事業をしていたので、マンションの2つのフロアを丸ごと所有し、いろんな留学生を受け入れていたんです。




だから、晩御飯の時間になると、それぞれの部屋からいろんな国からの留学生が食卓に集まってきました。

その中の一人に、

スペイン人の

マリアって子がいました。




マリアは英語がへたっぴなので、私とマリアが会話をするときはお互いに

辞書を使ってたどたどしい英語で

おしゃべりを楽しみました。



マリアは、私が何かに取り組み、頑張っているときによく励ましてくれました。

励ますときだけは、英語ではなく母国語であるスペイン語で話しかけてくれました。

スペイン語で「がんばれー!」は

「アニモー!」と言います。



なんか音がかわいいですよね。

アニモ、だって。



………………いやマジで可愛いな。

「アニモ♡」とか言われたら可愛らしさのあまり

「ガムいる?(求愛行動)」

とか言っちゃうかも。いやマジで可愛いなオイ。



ちなみにスペイン語で

牛は「バカ」、

にんにくは「アホ」です。


私たち日本人からすると、ちょっとビックリしちゃうような発音だよね(笑)。




***



岩や山など、自然のあらゆるものに魂が宿る

という考え方のことを

「アニミズム」と言います。




アタシこれさ、いっつも

「アニミズム」なのか「アミニズム」なのか

で間違いそうになっていたんだけど、



「ラテン語で魂のことをアニマ(anima)と言う。

だから、単なる静止画に魂が吹き込まれて

動きだす作品のことをアニメーションと言う」

と知ってからちゃんと一発で「アミズム」って言えるようになったんだよね。



こういうのって、面白いよね。

だから、命を持つ動物のことを

「アニマル」って言うし。



だから、相手を応援するために自分の魂を分け与えるという意味で

「アニモ!」と言うし。

言葉っていうのはいろんなところでつながっているんですね。



***


先日、友人数人が集まって自宅でワイワイと飲み会をしました。

友人のひとりが子どもを連れてきていたんですが、その子はクイズにハマっているらしく、大人たちにこういうクイズを出したんです。

「フランスの英雄と

いえば誰でしょう!?」

と。


マロ主さんだったら、何て答えますか?

フランスの英雄といえば、それは一体誰なんでしょうか。


ナポレオン・ボナパルトでしょうか。
ラファイエットでしょうか。
シャルル・ド・ゴールでしょうか。



飲み会に集まっていた友人の一人はこう答えました。

「そりゃ~、

ジャンヌ・ダルクでしょ!」

と。

ちなみに私は「ジョン失地王」と答えました。フランスの英雄つったらジョンに決まってるでしょ。異論は認めん。




マロ主さんは、ジャンヌが最終的にどうなったのか知っていますか?

ジャンヌはたしかに英雄として活躍しましたが、結局最期は敵に捕らえられ、

魔女として

火刑に処されました。



1431年5月30日。

フランスのヴィユー・マルシェ広場で、魔女として殺されました。

まだ、19歳でした。




魔女狩りをテーマにした映画はたくさん存在しています。

どの映画でも魔女として捕まった人間は、最後に火刑に処されます。

ですが、そのシーンは

一瞬で終わるんですね。




魔女を吊るして、薪をくべて、火をつけて、焼いて終わり。

一瞬で終わります。



ですが、実際の火刑はそうではないんですよ。

※ここから先はグロテスクなシーンが出るので、苦手な方は2回ほどスクロールして飛ばして読んでね



火あぶりにされる魔女は、炎で焼かれて絶命するまでに早くて20分、もう少し時間がかかる場合は50分ほどかかるそうです。

資料によって時間は多少前後するんだけど、だいたいそれくらい時間がかかるんですね。


つまり、映画のように、

一瞬で燃えて死ぬことは

ないってことです。



足元にはたくさんの薪。その薪がすさまじい勢いで燃えている。そして自分はその炎で焼き殺されている。その巨大な炎でまずは「体の前側」を何十分もかけて焼かれ続ける。

その時点では、まだその人は生きているんですよ。



そして体の前面を焼き終えたら、今度はひっくり返されて体の裏側を焼かれる。数十分かけて強制的に死を選ばされる。

そして、殺されている最中のまだ生きている人は、処刑人にこう頼んできたそうです。

「どうか、もう少し、

薪を足してください」

と。



***



私はもともと、大学院の博士課程にいた研究者でした。大学院に入ると、毎日毎日研究の日々です。

学会にも当然行きます。研究発表会にも参加して、他の研究者の研究結果を聞いたりします。



いろ~んな人がいました。

比較宗教学を専門とし、イスラム教の研究をしていた先輩は

なんと本当にイスラム教徒になったし。



あと、すごくびっくりしたのが

お腹の中に寄生虫を

飼っている昆虫学者

もいました。しかも一匹一匹に名前がついてるんですよね。



なんだったかな。

「リカ」とか「ミカ」とか「サナ」とか「カナ」

とか、女性の名前がついていたな。歴代の元カノなのだろうか。



さて、私が大学院にいたころ、一番驚いた研究発表がありました。

それが、魔女狩りなんです。




まぁ、魔女狩りについての研究が発表されるのは別にいいんですよ。

問題はそこではなく、魔女狩りの研究をしていた人が

「精神医学の研究者だった」

ってことです。



魔女狩りですよ?魔女狩り。

魔女狩りって歴史上の出来事なんだから、

歴史学者が研究しそうな

もんじゃないですか。




でも、違うんです。魔女狩りは、いわば

「史上最大の集団パニック」

だったんですよ。だから、

人々の心理を研究する精神医学などの学問領域で

研究がおこなわれていたんです。



昔はね、

「聖書に書いてあることは全部正しい」

とされていたそうです。

逆に言うと、聖書に書いて「ない」ことは

「え、それって本当なの?」

と懐疑的な目で見られていたんですね。

まぁ当時の人々からすると、当然の反応です。だって聖書に書いてあることだけが正しいと教わっているんですから。



だから、ガリレオ・ガリレイが

「地球が太陽の周りを回る」

と主張した時、教会側は猛反発したんですよ。聖書には太陽「が」動くと書いてあるとね。



ちなみにこれは昔の話ではなく、最近まで行われていた出来事です。1925年に

「ダーウィンの進化論を

学校で教えてはいけない」

という法律がアメリカのテネシー州で制定されたんですよ。



まぁ、そりゃそうです。聖書では、

「生き物は最初から神によって、それぞれ完成した姿で創造された」

と書かれています。一方、ダーウィンは

生き物は長い時間をかけて少しずつ進化した

と言いましたよね。だから、ダーウィンの主張は真っ向から聖書に反するものだったワケです。



こういった出来事は、「科学の発展を妨害した」っていうよりも、

科学によって明らかにされたことが

聖書に反していることが広まったら、

教会や聖書の権威がゆらぐ

から、教会側がそれを恐れていたワケです。



でも、結果としてその姿勢が科学の発展を遅らせてしまいました。

だから、昔の人々は不可解な出来事が起こった時に、なんとか理由をつけて理解しようとしたんです。

家畜が突然死ぬ。
作物が育たない。
嵐や雷が発生する。
疫病が流行する。

今だったら、医学・気象学・生物学などで説明することができますが、当時はそれができなかった。



じゃあ、当時の人々はどうやって自分を納得させたんでしょうか?

そこで登場するのが、

魔女なんです。



「こういう不吉な出来事が起きたのは、魔女のせいだ!」
「そしてその魔女とは、コイツだ!!」

と、不吉な出来事の原因を魔女におしつけたんです。




魔女だと疑われた人は、

「本当に魔女なのか」

を確かめられます。



確かめる方法はいくつかあるんですが、そのうちの一つが「水試し」です。

これは名前の通り、「水で」「試す」行いなんですよ。


まず、魔女を池や

川に連れていきます。




そして魔女と呼ばれた人を水に沈めるんですよ。そして、そのまま沈んでいったら

「水が受け入れてくれた。だからこの人は無実だ。魔女ではない」

と判定が下されるんです。一方、浮かんできたら

「水が拒んだぞ!コイツは魔女だ!悪魔と契約している!処刑だ!」

と判定が下されるんです。



沈めば無実、浮けば有罪だったワケですよ。



ただここで問題が起きます。

そのまま沈んだら、

死んじゃうってことですよ。



つまり、水に沈められた結果

「助かれば魔女として処刑され、助からなければ無実のまま死ぬ」

ってことです。


理不尽、極まりない。

魔女と疑われたら、もうその瞬間、自分が死ぬことが確定してまうんですから。



ちなみに、魔女狩りはマジでヨーロッパ全土で「流行」したんですが、意図的に

「魔女ではないと分かっているのに」

相手を魔女だと糾弾した痕跡も残されています。



なぜそんなことが分かるのかというと、「統計」でわかるんです。



異端審問官は、魔女として処刑された人の財産を没収してはいけない

というルールを制定したら、とたんに魔女狩りの件数が減ったことがあるんですね。

つまり、

「金や家財がほしいから、魔女ではないと分かっているけど、魔女と認定して死に追いやった」

ってことです。



「魔女だから殺した」のではなく、

「殺したいから魔女にした」。



15世紀前半に始まったこの魔女狩りは、さまざまな国で18世紀前半まで行われました。

すごいですよね。300年もこんなことが行われたんです。

人類史上最大の集団狂気

と呼ぶにふさわしい出来事だったでしょう。



***


さて、ここまでを聞いてこう思った人も多いでしょう。

昔の人って、バカだったんだねぇ~

「魔女だ!」と指をさされただけで、ちゃんとした検証もせずに魔女と断定するだなんて、本当におバカさんだねぇ~

と。


だけど、本当にそうでしょうか?


魔女狩りと同じような光景を、今でも毎日、私達は目にしていませんか?



***


「あのアイドル、子どものプライバシーを侵害していたよ、最低だね」



先日、こういう意味のポストがバズりました。バズったというか軽い炎上みたいな感じでしたね。

どのアイドルの方なのか分からないように、「具体的に何をしたのか」はボカしておきますが、

子どものプライバシーを侵害した

という意味の言葉が、そのポストには書かれていました。



そして、そのポストはあっという間に拡散され、リプライが何百件と寄せられていました。

そのリプライを見る前から、私には分かっていました。

「どうせ誰も、それが

真実なのか検証して

ないんだろうな」

と。


そして案の定、リプライの欄には、

アイドルに対する誹謗中傷の言葉

が並んでいるだけでした。誰一人、それが真実なのかを確かめようとしていなかったんです。



***


「名探偵コナン」。

国民的な大人気アニメですよね。

主人公であるコナンは、毎回殺人事件を解決し、アニメの最後で犯人は

「殺すしかなかったんだ」

と膝をつきうなだれて、目暮警部に逮捕されて連行されていきます。



アニメでは、ここでお話が終わりです。

ですが、実際は逮捕された段階では

まだ犯人とは

断定できないんですよ。




犯人だと断定できるのは、裁判が終わった瞬間です。裁判が終わって、

有罪が確定した瞬間に初めて

「この人が犯人だ」という事実が確定するんですよ。



これを、「推定無罪」と言います。言葉通り、

「裁判で有罪と決まるまでは、無罪であることが推定される」

って意味です。



だけど、(尺や演出の都合上しょうがないんですが)、名探偵コナンや金田一少年の事件簿、古畑任三郎や刑事コロンボなど、「殺人事件を解決する」作品では、

犯人を追い詰めて自白させて逮捕される

ところで話が終わります。



だからついつい、私たちは

「逮捕されたら

もうその人は犯人確定」

と思ってしまうんですよね。



***



1994年。松本サリン事件という事件が起きました。

サリンとは神経ガスのことです。人が吸うと命を落とすこともあります。

そんなガスが、

市街地に巻かれたんですよ。




そして、最初に119番通報した人が河野義行(こうの よしゆき)さんという人でした。

ところが、この第一通報者である河野さんが

「犯人ではないのか」

と疑われたんですね。



河野さんの自宅には全国から報道陣が押し寄せ、

家の前で待ち伏せする
カメラやマイクを向ける
近所で聞き込みを繰り返す

といった取材が行われました。



小さかった私も、

その取材の様子は

ぼんやりと覚えています。



テレビをつけると、いつも河野さんのおうちが映像にうつしだされ、取材陣がおしかけていました。


だから私は、

「この人が犯人なのか」
「よかった、じゃあもうすぐ逮捕されるね」
「これで事件は解決だね」

という意味のことを思っていました(子どもだったから。実際はもっと簡単な語彙で考えてましたけどね)。




だけど、実際には河野さんは

犯人ではなかったんですね。

しかし報道ではもはや

「まるで河野さんが犯人である」

という扱いがされていました。そしてそれを見た近隣住民、そして国民の多くがその報道を信じてしまったんです。



河野さんは、子どもたちを集めて

「お父さんは近々逮捕されるかもしれない」

と伝えたそうです。


この時、お母さんはいませんでした。

お母さんは、サリン事件に巻き込まれて重傷を負い、意識不明の状態だったからです。




そして子供たちを前に、こう続けました。

「最悪の場合、お父さんは死刑になることもあり得る」

「もしそうなったら、お前たちは、自分たちで生きていかなければならない」

「家や土地を売るかどうかも自分たちで決めなさい」

と。



この言葉を言われたとき、子どもたちはそれぞれ高校3年生、高校1年生、中学3年生でした。




マロ主さんは高校1年生ですよね。

河野さんのお子さんと同い年。

自分のお父さんから、

同じことを言われたら

どう思いますか?




お母さんは重傷を負って意識不明。もしかしたら命を落とすかもしれない。

そしてお父さんは、毎日毎日報道で犯人扱いをされて、このまま逮捕され死刑になるかもしれない。



父も母もいなくなり、家には子供たちだけが残される。

ご飯はどうすればいいんでしょうか。学費はどうすればいいんでしょうか。子どもたちはどうやって生きていけばいいんでしょうか。



「家や土地を売るかどうかも自分たちで決めなさい」

と言われても、どうやって売ればいいんでしょうか、売ったお金が二束三文だったらどうすればいいんでしょうか、まだ高校生なのに自分たちが食っていくだけのお金をどうやって稼げばいいんでしょうか。



……真犯人が見つかって逮捕された後、河野さんはこんな言葉を残しました。

「疑いは晴れても、

報道で受けた傷は

元には戻らない」


と。


***



毎日毎日、いろんなニュースが流れてますよね。

先日も、小さな男の子が命を奪われる事件がありましたよね。ネットでは、

「きっとコイツが犯人に違いない」

と、大勢の人間が実に楽しそうに語り合ってましたよね。



「あいつは魔女に違いない」と、無垢に信じた中世の人々と、一体何が違うんでしょうか。



***


マロ主さんに覚えておいてほしいことが、一つあります。それはね、

正義を免罪符に

暴力を振るうことは、

極上の快楽である

ということです。



だからいちいち、事実かどうかを検証しないんですよ。

子供のプライバシーを侵害したというアイドルも。
サリン事件の犯人とされた河野さんも。
先日命を奪われた小さな男の子の事件も。

誰一人、検証しようとしなかったでしょう。



検証するには

莫大なコストがかかる。

そのコストを支払いたくないんです。



おまけに、目的は検証することではないんですよ。

そうではなくて、目的は

「あの人は悪い人に違いない」

と思い込むこと。そしてその正義を免罪符にして他人に対して暴力をふるうこと。

だから、「それが真実なのか」を確かめないワケです。



***



現代は「情報化社会」と言われてますよね。

つまり、情報があふれている社会だということです。

ですが、「知性化社会」とは呼ばれません。




なぜならば、全員が全員、

「与えられた情報を正しく使えるワケではないから」

です。


実際そうだったでしょう?与えられた情報をそのまま鵜呑みにしてしまう人がたくさんいたし、そして今もいるでしょう?


そしてその人間の中には

私も含まれています。



だってさっきの見たでしょ。

「どうせ真実かどうか検証してねぇんだろうな」

と決めつけて、表面的な誹謗中傷のリプライだけを見て、「ほらな、検証してない」と判断していたでしょう?



私も同類。

検証のコストを支払うことなく、対象を批判して悦に浸りたいだけの卑怯者ってことです。



私の姿を見てください。

・それが真実なのかどうかを検証することなく、
・与えられた情報に飛びついて、
・それをそのまま無垢に信じて、
・対象を攻撃し始める。


これってもはや、知能が低いとかじゃなくて

「知能がない」んですよね。

だって「考えること」を放棄してるんですもん。




私は、自分が出版した片付け本にこう書いたことがあります。

「モノって、使ってないなら、持ってないのも一緒じゃん」

「じゃあ、持ってなくていいじゃん」

「持ってないのと一緒なんだから、手放してオッケーじゃん」

と。


「知能が低いのではなく、もはや知能がない」

ってのは、これと一緒です。

知能を持ってはいるものの、それを行使しないのであれば「知能がない」のと同義ってことですよ。



***


情報の恐ろしいところはね、

それをどう扱えばいいのか

までは教えてくれない

ところなんです。



だからこそ、私たちは

「情報」なるもの

を手に入れたとき、それを慎重にありとあらゆる角度から見つめてどう扱うかを考えねばならないのです。



文系なんて、

個人の趣味で好きに学べばいい。

学校で全員に教えるものではない。

マロ主さんはそう言っていましたよね。


たしかに、世の中の風潮として

文系は理系よりも劣っている

と言われることが多々あります。



「文学部って何勉強するの?(笑)」

「教授が書いた

エッセイでも読むワケ?(笑)」

と、バカにされることもあります。



さて、文系は理系よりも本当に「劣って」いるのでしょうか?



***


科学って3種類ありますよね。


自然科学、人文科学、社会科学の3種類。


自然科学はその名の通り、自然のしくみを調べる科学です。物理学とか生物学とかがそれにあたりますね。

人文科学は、人間の心・文化・歴史を調べる科学。哲学とか言語学とか歴史学がそれにあたりますね。

そして最後の社会科学は、人と社会のしくみを調べる科学。経済学とか社会学とか政治学がそれにあたりますね。



で、後者の人文科学、社会科学……つまり文系と呼ばれるこれらの学問は、

科学としては二流なんですよ。

だから「文系は理系よりも劣っている」という言説は、一面真理だってことです。



なんでかっていうと、

「観測者によって観測結果が異なってしまう」ことがあるから

です。




マロ主さんが今日から「文化人類学者」になったとしましょう。

そうすると、文化人類学者という肩書の通り「人類の文化」について研究をするわけですよ。



たとえば、「鳥葬」っていうお葬式がありますよね。

チベットやモンゴルで行われているお葬式のやり方で、簡単に言っちゃえば

亡くなった方の体を鳥に食べさせる

というお葬式の形式です。



私ら日本人からすると結構びっくりするお葬式のやり方だよね(笑)。でも、この弔い方の背景には

「死は終わりではなく、自然に還ること」
「命は循環する」

という思想が根付いているんですよ。

決して、亡くなった方の尊厳を踏みにじるために行われているような

蛮行ではないんです。




実際わたしさ、北欧(だったかな?)の研究者が書いた論文を昔読んだことがあるんですけど、論文の「はじめに」の箇所でこんなことが書いてあったんです。

「遠い東の島国では、なんと亡くなった方の体を燃やして、

その骨を箸でひろって壺に入れてとっておくという弔い方をする民族もいるんです」

って書いてあったんですね(笑)。



「これ日本やんけ!」

って私ツッコミそうになった(笑)。

自分たちでは「当たり前」と思っている慣習でも、海外の方からみるとギョっと驚くような行為に見えたりもするんだねぇ。



で、話は戻って、自分が文化人類学者になったら一体何をするか?

当たり前ですけど、人類の文化を研究するんです。たとえばね、アマゾンの奥地に入り込んでいって、

そこで暮らしている部族の人たちを取材してどういう葬儀を行っているのか

を調査するわけですよ。



ところが、ですよ?

これね、問題が一つあるんです。

調査するその研究者によって、研究結果が異なってしまう、という問題です。



たとえば、取材先の部族の人から嫌われてしまったとしたら

「鳥に遺体を食べさせる鳥葬という儀式は存在しますか?」

と聞いても「NO」とウソの答えが返ってきてしまうわけですよ。




また、取材先の部族の人から好かれたとしても、好かれすぎたがゆえに

「この人はきっとこういう答えを求めているんだろうな」

と相手の部族の方たちが「厚意で」、実際に行われている葬儀とは違う葬儀のやり方について回答しちゃうわけなんですよ。



つまり、「観測者によって観測結果が異なる」という現象が起こるわけですね。

だから、

科学としては二流なんですよ。


科学なんだから、観測者によって観測結果が異なってはいけないからです。




物質が燃焼しても、燃焼の前後で質量そのものは変化しないでしょう?

1+1は常に2でしょう?

電子は、原子核の周りをぐるぐる周ってるでしょう?

そしてこれらの事柄は、

観測者によって観測結果が異なる

なんてことは、一切ないでしょう?



物理学者「いや実際にはE=mc²だから、物質が燃焼すると質量はわずかだが変わ……ry

私「黙れ」



数学者「いや1+1とか定義不足すぎてそもそも解が出せな……ry

私「黙れ」



量子力学者「それはそうとて、不確定性原理というものがあってだな……ry

私「黙れ」




いまそういう話してんじゃないの!!みんな黙ってて!!



たとえば今さ、目の前に小さい子供がいたとするでしょ?

で、その子がさ

「聞いて!ぼく!大人になったら科学者になる!」

って言ったら、

絶対に「自然科学」の領域をイメージするでしょ?(笑)



「科学者になる!」って聞いたら絶対に

物理学、生物学、化学

などの科学者を想像するでしょ。



間違ってもここで、その子が「歴史学者」とか「心理学者」とか「文化人類学者」にその子がなろうとしているなんて、思いもしないでしょ。

それは、人文科学、社会科学が

「科学としては二流」だから

なんですよ。

だから、科学と聞いて真っ先に思い浮かぶのが「自然科学」になっちゃうんです。




これはね、それぞれの科学の性質上、仕方がないことなんですよ。

優劣の問題を

言っているんじゃなくて、

特徴の話をしているわけです。




自然科学が優れていて、人文科学、社会科学は劣っているって意味じゃ決してないですからね。



そして、私自身はこの

「科学としては二流」である、いわゆる文系科目

にはとてつもない価値があると思っています。

なぜならば、これらの二流科学においては前述のとおり

「観測者によって観測結果が異なってしまう」ことがあるから

です。



つまり、自然科学と違って観測結果が異なってしまうからこそ、

「これって本当に正しいんだろうか」
「別の角度からみたらまた違った風景が見れるんじゃないだろうか」

と常に神経をピンと張りつめさせておくことができるんですよ。

この「それって本当に正しいの?」と疑う姿勢こそが、「情報」があふれている今の社会に必要とされるものだと私は思います。




***


マロ主さんはゾウさんを見たことがありますか。

そう、動物園にいるあのゾウさんです。

あのゾウさんを「目の見えない人たち」に触らせると

ゾウの鼻を触った人は「ゾウは細長い動物だ」と言い

ゾウの牙を触った人は「ゾウは固い動物だ」と言い

ゾウの耳を触った人は「ゾウはうちわのような動物だ」と言い

ゾウの足を触った人は「ゾウは大木のような動物だ」

と言うんです。



この逸話のことを、

「群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす)」

と言います。

物事の一部分しか見えていない人が、「自分が見た箇所だけで」全体を判断してしまうことを表す言葉です。

こうならないために、物事を多面的に見る姿勢が必要なんですよ。




***



マロ主さんはどんな場所で生まれ育ちましたか?

私は超超超ド田舎で育ったんですが、よく学校が終わったらいったん家に帰ってランドセルを置き、すぐ外に飛び出して

友達と山や草原で遊んでました。



アケビをとって食べたり、花の蜜をすったり、川で水遊びをしたり、砂場でお城をつくったりしてました。

ちなみにアケビってこれね。

私にとって、アケビとは

「お腹が空いたときに山でとってくるオヤツ」

だったので、東京に出てきてスーパーで売ってるのを見た時は驚愕しました(笑)。

「アケビって、

買うものなんだ……」

と驚きましたね(笑)。



ちなみに、私が一番大好きな植物は桜です。

よく小さい頃は、桜の時期になると桜並木の下に座って、風で飛び散る桜の花びらを帽子でキャッチする遊びをしていました。



***


私は会社を辞めて、今は経営者をしています。

社長になると、自分の会社の

社内規則を好きに

決めることができます。




私が社長になって最初に定めたのは、

「桜休暇制度」の確立と

取得の義務化


でした。



桜休暇がどんな休暇かというと、

・桜の満開予想日が報じられたら、その日は会社がお休み。
・会社から桜手当が出ます。
・一人5,000円出ます。
・そのお金で、好きな弁当を買って好きな場所へ行き一人で桜を満喫すること

を義務付けた休暇です。

まぁ別に、報告の義務はないから、お金だけもらって家でごろごろしててもいいんだけどさ(笑)。



マロ主さんは今高校生ですよね。

じゃあ、たとえばマロ主さんがあと50年生きるとしましょう。

すると、マロ主さんが

桜を見られるのは

あとたったの

50回しかないんですよ。




桜が咲いたら、仕事してる場合じゃないんです。

私たちは人生を楽しむために生まれてきたんですよ。

桜を見に行かずに仕事するなんて、すごくもったいないと思いませんか。




ところで、私は今年のお花見の時、

「桜ってなんで

桜って言うんだろう?」

とふと思いました。



そこで本で調べてみたら、面白いことがわかったんです。



マロ主さんは、夏休みにおばあちゃんちに遊びに行きますか?

田舎のばあちゃんちの庭って、よく「蔵(くら)」があるじゃないですか。


「くら」って、

「何かを入れるための空っぽの入れ物」

なワケですよ。



そして、田んぼの神様のことを昔の人は「さ」と言ったんだって。

で、田んぼに田植えをする季節が近づいてくると、

神様が宿るための空っぽの依り代である木(=くら)に、

田んぼの神様(=さ)が宿って

その木の花が一斉に咲くから

「さ・くら」と呼ばれるようになったんだって。



だから、田植えに関する言葉って桜以外にも「さ」がつくのよね。



田植えをする5月は、「さつき」。

植える苗は「さなえ」。

早苗を植える人は「さおとめ」。



もうさ~、こういうのって本当に面白いよね。


これが、学問というものなんですよ。学問とは、

未知を既知にし、

既知を未知にしていく営み

のことを言います。

これは社会学者である出口剛司(でぐちたけし)先生が、私に教えてくれた言葉です。

海沿いの県で院生のゼミ合宿があったんですけど、その時に出口先生がポロっと言っていた言葉です。先生自身は、

「今日はいい天気ですねぇ」

ぐらいの何気ない感じで言ってたんですが、私にとってはビッグバン並みに衝撃的な言葉でした。



……私たちはこの世に生を受け、「桜」という未知の植物を知ります。

そうして桜は、既知のものとなります。

だけど、既知となった桜をもう一度

「待てよ、桜ってなんで桜っていうんだろう?」

未知に戻す。これこそが、学問という営みなんですよね。

だから、楽しい。だから、面白い。



***



さて、こんな風に私は自然豊かな田舎で生まれ育ちました。だからいつも、私が遊ぶ場所には虫がいました。

私は昆虫が好きだったので、

よく昆虫を

観察して眺めてたんです。

中でも好きだったのは、ハサミムシ。



ハサミムシの写真は載せません(笑)。虫が苦手な人もいるだろうからね。まぁ、名前の通り尾の先にハサミがついている虫です。

▼すんごいデフォルメすると、こんな感じ

ハサミムシは、よく石の下にいます。石をひっくり返すと、ハサミムシは一斉に逃げていくんですね。



ところが。

決して逃げない

ハサミムシがいるんです。


他の大勢のハサミムシが逃げる中で、彼女は一体、なぜ逃げないんでしょうか?



それは彼女が母親だからです。

ハサミをふりあげ、これから孵化する卵を守ろうと威嚇してくるんですよ。



ハサミムシの母親は、とても丁寧な育児をすることで知られています。

卵にカビが生えないよう、一つひとつ舐めてきれいにしたり、卵を移動させて空気に当てるなど、かいがいしく世話をするんですね。

そしてなんと、卵が孵化するまで母親は飲まず食わずでこの世話をし続けるんだそうです。卵が孵化するまで、40日から80日かかるそうです。



人間の母親だったらとっくに

死んじゃってますよ。

だけど、ハサミムシの母親は、そんな長期間の間せっせと卵の世話をするんです。

そして、いよいよ孵化の時間がやってきます。卵からかえった赤ちゃんたちは、お腹がぺこぺこです。



さてここで問題です。

赤ちゃんたちは、

何を食べるでしょうか?




人間の赤ちゃんだったら母乳ですよね。

ハですが、サミムシの赤ちゃんたちは、

なんと母親の体を食べるんです。




母親はお腹のやわらかい部分を赤ちゃんたちに向けて、食べやすい体勢をとります。

母親は赤ちゃんたちが自分の腹を食い破るのを静かに見つめています。赤ちゃんが自分を食べている最中、人間が石をどけると

最後の力を振り絞って、

わが子を守るために

ハサミをふりかざし、威嚇するんです。



私だったら絶対に無理だ。

生きたまま、無数の赤ん坊たちに腹を食い破られるとか絶対にイヤだ。

しかも食い殺されている最中に、自分を食べているわが子を守ろうとか思わない。

誰かがやってきたらわが子を守ろうと威嚇するのではなく、その誰かに対して「助けてくれ」と命乞いをするだろう。



私はハサミムシのこの生態を知った時、

「どうしてそんなことをするんだろうか」

と思いました。



だって母親が生きていた方が都合がいいじゃん。生まれてきた子供たちを守れるじゃん。何も母親が自分を食べさせることないじゃん。



でもね、この問い自体が

間違っているんですよ。



ハサミムシの赤ちゃんが、母親を食べるように進化したのではなく。

母親を食べる本能を持ったハサミムシだけが、生き残ったというただそれだけの話なんです。




ハサミムシの赤ちゃんたちは、母親を食べて成長します。そうして大きくなった赤ちゃんたちは、一人前のハサミムシとして石の下から出てきて、巣立っていくんです。

石の下には、食べつくされた母親の死骸のかけらが残されています。

そういう風に、彼らは命をつないでいくんですね。




***



マロ主さんは、チョウチンアンコウという魚を知っていますか?

そう、深海魚の一種ですよね。


でも実は、深海に生きる生物であるがゆえに、その生態は長い間不明のままだったんです。

「深海の探査は、なんと火星の探査よりも進んでいない」

と言われることがあります。



理由は簡単です。火星は人工衛星が何年も周回しており、表面全体の詳細な地図が作られているからです。

だけど、深海の底を直接観察できた範囲は、とても狭いんですよね。

まぁ考えてみれば当然です。水深2,000メートルを超える深海底なんて、そうそう探索できるものではありませんから。



さて、このチョウチナンコウですが、一体何を食べてどんな生き方をし、どれくらいの期間生きるのか

全然分かっていませんでした。




ところがある日、研究者がチョウチンアンコウの死体を発見するんです。その死体には、

ものすごく小さな

生き物が付着していました。

最初、研究者たちは寄生虫か何かだと思ったそうです。



しかもこの小さな生き物。

ただくっついているだけではないんです。

その小さな生き物はチョウチンアンコウの

体の一部であるかのように

一体化していたそうです。



そして調査が進んだ結果、

驚くべき事実が判明しました。

これ、巨大なチョウチンアンコウの体にくっついていた、小さな小さな生物は、寄生虫ではなかったんです。



なんとチョウチンアンコウの

「オス」だったんですね。




魚の世界では、メスのほうが体が大きいこともよくあります。

ニモもそうです。

カクレクマノミであるニモたちは、メスの方が大きいんですよね。



だから映画「ファインディング・ニモ」の冒頭でニモのお父さんとお母さんが登場しますが、

あれ実はおかしいんですよ。

お父さんとお母さんの体のサイズがほぼ一緒ですからね。本来ならば、お母さんの方が大きいハズなんです(笑)。



さて、メスの方が大きいというのはチョウチンアンコウの世界でも一緒です。

チョウチンアンコウのメスは40センチメートルもありますが、一方でオスはなんとわずか4センチしかないんです。

単三電池が約5センチですから、

オスは乾電池よりも

小さいんですよね。




さて、それではなぜオスはメスの体の一部になってしまうのでしょうか?



オスは、真っ暗な深海を泳いでいきます。メスが放つライトを頼りになんとかメスを見つけます。

だけど、広大な海の中でやっと出会えたメスとはぐれずにずっと一緒に泳いでいるのは非常に難しい。

だから、オスはメスの体を噛み、口からメスの血を吸って栄養をもらい、そうして次第にメスの体と一体化していくんだそうです。



そして徐々に、オスの体は退化していきます。泳ぐ必要性がなくなるから、

ひれが消えてなくなります。



餌を見つける必要がなくなるから、

目がなくなります。



そして栄養を直接メスの血からもらえるから、餌を消化する

内臓も退化していきます。



そして、子孫を残すために精巣だけが異常なまでに発達していく。

そして受精さえ終えてしまえば、

もうオスは用済みなんです。



だからオスは、メスに吸収されていき、そうやって命を終えるんです。



これ、マロ主さんだったらどう思いますか?

次世代の子孫を残し終えたら、手足を失い、目を失い、内臓を失い、パートナーの体の一部となって消え失せる。

私だったら、イヤです。

そんな死に方したくない。



だけど、チョウチンアンコウはこういう生存戦略をとったんですね。


***



カゲロウという昆虫がいます。

この虫は、2~3年の間幼虫である時期をすごし、

そして成虫になると

わずか数時間で死んでしまうんです。




なんだか、すごく切ない話だと思いませんか。

私たち人間は、生まれてから成人するまで18年かかります。やっと18歳になり、

大人になったというのに

そのわずか数時間後に

死んでしまうとしたら。

やっぱり、すごく嫌だし寂しいですよね。



でも、カゲロウにとってはその

「数時間で速やかに死ぬ」こと

こそに、価値があるんです。



成虫になったカゲロウが無駄に長く生きれば生きるほど、天敵に食べられたりして死んでしまう確率が上がります。

そうなれば、子孫を残すことができません。種を絶滅させないために、素早く子孫を残し、

速やかに死ぬことが

あらかじめプログラム

されているワケです。



幼虫であるカゲロウは川に住んでいます。そして、夏から秋にかけて羽化するんですね。

羽化が始まるのは常に夕方。あたりが薄暗くなる時間帯を狙って羽化するんです。周囲が暗ければ、天敵である鳥に食べられにくくなりますからね。



成虫になったカゲロウを見かけたら、ぜひ口元を見てみてほしいんです。

なんと、

成虫したカゲロウには、

口がないんです。




なぜなら、成虫になった瞬間、速やかに子孫を残し速やかに死ぬことがプログラムされているからです。

速やかに死ぬべき存在だから、

餌をとって食べる

必要がないんですよ。

だから、口がないんです。



マロ主さんだったらどう思います?

一生懸命頑張って生きてきた結果、大人になった瞬間

「はい、じゃあ急いで子孫を残してください」

「ダラダラと長く生きてると子孫を残せる可能性が低くなるから、速やかに死んでくださいね」

「速やかに死ねるよう、口ももう無くしておきましたから」

「別に口なんかいらないでしょ?もう二度と、ご飯を食べることなんてないんだから」

って言われたら、どう思いますか。



たしかに、残酷かもしれない。

だけど、それがカゲロウたちの選んだ生存戦略なんです。



***



ところで、カゲロウの姿を見てこうは思わなかったでしょうか?

「ひどく、弱い生物だな」

と。

彼らの姿を見てみてください。本当に小さくてか弱い印象を受けます。

どうしてこんなにか弱い(ように見える)生き物が、絶滅せずに生きていられるのでしょうか?




***



私が子どもだったころ、

「世界に一つだけの花」

という歌が流行りました。

その歌詞に、こんな言葉が出てきます。

「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」。

マロ主さんは、この歌詞についてどう思いますか?



「いやいやこの世は

弱肉強食なんだから

ナンバーワンにならないと

生き残れないだろうが

何言ってんだお前」

と感じる人もいるでしょう。



しかし一方で真逆の意見の人もいるでしょう。

「この世は確かに競争社会だ。

幼稚園の時点で他人と比べられ、社会に出ても比べられ、

出世競争、ご近所とのマウントのとりあい、本当に人より優れていることが正しいとされる。

だけどそれって、本当に価値ある生き方なんだろうか?

ナンバーワンにならなくても、幸せならそれでいいんじゃないだろうか?」

と思う人もいるでしょう。



これね、実は生物学という学問領域においては明確に「正解」がたたき出されています。

どっちの生き方が

正解だと思いますか。




正解は、「ナンバーワンじゃないと生き残れない」、です。




***



マロ主さんはゾウリムシを見たことがありますか?



そう、よく理科の教科書に載ってますよね。

ちなみに草履によく似ているからゾウリムシって呼ばれているそうですが、私草履を履いたことないんですよね。

▼ちょっと履いてみたい。どんな感じがするんだろうか



さて、このゾウリムシですが、ガウゼという生態学者が、

・ゾウリムシと
・ヒメゾウリムシ

っていう2種類のゾウリムシを一つの水槽に入れたんです。



すると、最後には「ヒメゾウリムシ」の方が生き残り、ゾウリムシはいなくなっちゃったんですね。



つまり、二種類の生物がいた場合、どちらかが死ぬまで競争が行われるってことです。そして強い方が生き残るんです。だから、生物の世界では

「オンリーワンとか

言ってる場合ではない」

「ナンバーワンじゃないと

生き残れない」

というのが正解なんです。



だけど、世界を見渡してみてください。

いろ~んな生き物が生きて暮らしていますよね。




これ、おかしいと

思いませんか?

ナンバーワンじゃないと生き残れないんですよね。



じゃあ、生き残る生物って

一種類のはずじゃないですか。



なぜ、

ナンバーワンじゃないと生き残れないこの残酷な世界

で、さまざまな生物が生きているのでしょうか?



理由はシンプルです。

すべての生物がナンバーワンだから、たくさんの生物が生きていられるんです。



さっき二種類のゾウリムシを入れたら、一種類が消えていなくなり、もう一種類が生き残ったって言ったじゃないですか。

この後、ガウゼは

・ゾウリムシと
・ミドリゾウリムシを

水槽に入れてみたんです。

すると、面白いことが

分かりました。

今度はどちらかが死ぬことなく、両方とも生き残ったんですよ。



両方とも生き残った理由は、生き方が異なっていたからです。

ゾウリムシは水槽の上の方に生きていて、浮いている大腸菌を餌にするそうです。

一方、ミドリゾウリムシは水槽の下の方に生きています。だから、餌がゾウリムシとは異なるんですね。水槽の底にいる「酵母菌」を食べて生きていたんです。



つまり、こういうことです。

「水槽の上の方」という場所においては、ゾウリムシはナンバーワン。

「水槽の下の方」という場所においては、ミドリゾウリムシがナンバーワン。

両方とも、「その場所においては」ナンバーワンだから生き残ったってことです。



この地球には、なんと175万種類もの生き物が暮らしていると言われています。

そして、その175万種類もの生き物が、それぞれの場所で

全員「ナンバーワン」

なんですよ。




だから、私たち人間から見るとカゲロウは

「なんて儚くてか弱い生物なんだろう」

と見えてしまうんですが、カゲロウだってナンバーワンを勝ち取った勝者だってことなんです。



***



人間の祖先は、森を失い草原に追い出されたサルの仲間だったそうです。

今生き残っている私たち人類はホモ・サピエンスと呼ばれる種族です。



ですが、かつては我々ホモ・サピエンスのライバルとしてネアンデルタール人という種族がいたんですね。

教科書の最初の方に出てきますよね(笑)。学校のテストでは、

「ネアンデルタール」

という名前さえ書ければ点がもらえます。



ですが、ネアンデルタール人って

いったいどんな種族

だったんでしょうか?



ネアンデルタール人と、我々ホモ・サピエンスはかつて競合していた時代がありました。

この二種族が競合していた時代は、圧倒的に

ネアンデルタール人の方が

強かったんですね。




彼らは私たちホモ・サピエンスに比べて圧倒的に大きな肉体を持ち、高い知能を有していたそうです。

そして、ネアンデルタール人は強者だからこそ、仲間同士で助け合うことがなかったんだそうです。



そりゃ~そうですよね。

強い肉体と高い知能を持っているんだから、自分ひとりで生きていける。だから、助け合う習慣を彼らは持ち合わせていなかった。

そして、それが

結局仇となりました。



大きな環境の変化が起こった時、ネアンデルタール人は滅んでしまったんです。理由は実にシンプルで、仲間同士で助け合うことができなかったからだそうです。



一方、弱者であった私たちホモ・サピエンスは弱いからこそお互いに助け合っていたことで、何とか生き延びることができました。

実に皮肉な話です。強い肉体と高い知能を有し、

「強い生物」であったが

ゆえに滅んでしまった

というのですから。



***


映画「ジュラシック・パーク」。

マロ主さんは観たことがありますか?



この映画の冒頭では、

一体どうやって恐竜を現代によみがえらせたのか

そのやり方について解説をするシーンがあります。

映画では、琥珀に閉じ込められていた蚊から、恐竜の血を採取して恐竜たちをよみがえらせるんです。



そしてそのシーンが終わった後に、主人公たちが食事をするんですね。

その食事をしている最中、主人公のひとりであるマルコム博士が怒りをあらわにするんです。

「ココに並べ立ててある、自然への謙虚さの欠如には、めまいがするよ」

と、

自然に対する敬意のなさに対して

批判をするんですね。




すると、恐竜をよみがえらせた張本人「ジョン・ハモンド」というおじさんがこう言い返します。

「少しは褒めてくれたっていいんじゃないのか?!」

「我々は、誰にもできなかったことを成し遂げたんだ」

と。



するとマルコム博士は彼の言葉をさえぎって、こう返します。

「できるかどうかに心を奪われて、

すべきかどうかは考えなかった」


と。


当時まだ子どもだった私には、この言葉の意味がわかりませんでした。

絶滅した恐竜たちが、現代によみがえったんですよ?

人間は恐竜を見ることができて嬉しいし、絶滅した恐竜たちも生き返ることができてラッキーじゃんと。




ちなみに、マルコム博士の吹き替え声優は

「大塚芳忠」さんです。




大塚芳忠さんが演じた有名な役どころは、こんな感じ。

『NARUTO -ナルト-』の自来也。

『ゴールデンカムイ』の鶴見中尉。

『SLAM DUNK』の仙道彰。

『銀魂』の阿伏兎(あぶと)。

『鬼滅の刃』の鱗滝左近次。



そしてジュラシックパークでは、大塚芳忠さん演じるマルコム博士が、

サトラー博士という美人な学者

を口説くシーンがあります。


▼左の女性がサトラー博士

Source: “Ian Malcolm Explains Chaos Theory | Jurassic Park | Movie Scene,” YouTube. Screenshot from the video.


サトラー博士の吹き替えを担当したのは、弥永和子(やなが かずこ)さん。

この人はなんと、

大塚芳忠さんの奥さんです。


マルコム博士が映画の中で口説こうとした女性は、現実世界では実の奥さんだったんですね。




***



さて、マロ主さんは、「どうして勉強しないといけないんですか」と先生に質問してましたよね。そして先生はこう答えました。

「いい大学に行っていい会社に入るため」

これは一面真理かもしれませんし、私自身、

高校生のころは全く

同じことを考えていました。




今でも覚えているんですが、高校3年生の秋ごろのこと。

「特別授業」

というものが行われました。普通教室から別室に生徒が移されて、そこでビデオを観るんです。



私が高校3年生の時に観せられたビデオは

ハンセン病

についてでした。


ハンセン病とは、

細菌によって起こる感染症です。

現在では、複数の抗菌薬を使って治療することができます。



ですが、昔はそうではありませんでした。

「感染する病気である」
「絶対に治ることはない」

とたくさんの人が考えていたため、ハンセン病にかかった人はひどい差別を受けました。



松本清張が生み出した名作「砂の器」は、まさにこのハンセン病を描いた作品です。

映画化されたこともあるんですが、この映画の写真を見てください。



一人の大人と、

一人の子供が

映っているでしょう?



1940年代のこと。

一家の主である父親がハンセン病にかかってしまい、子どもをつれて各地を放浪するシーンなんです。ハンセン病にかかった以上、もうその土地にはいられないからです。



子どもを連れて放浪の旅に出る父と子。しかし、放浪したとしても、その放浪先で

ひどい差別を受けます。

だって村人からしたら、とても怖いですからね。

「感染する」という強い恐怖から、村人たちはこの親子を追い払うんです。

ひどいときには父親に向かって石を投げつけることもありました。



村人から父親を守るために、幼い息子が父親をかばうシーンもありました。そのシーンでは、息子のひたいから大量の血があふれ出ます。

それでも息子は、

「お父さんを傷つけるな」

と言わんばかりの鋭い目つきで、父を殴ろうとした村人をにらみつけます。



あの時の、血だらけになったあの子の目を。

私は忘れることができません。



マロ主さんだったら、どう思いますか。

もしも自分のお父さんがハンセン病にかかってしまい、今の家に住んでいられなくなり、各地を放浪とし、行く先々で暴力を振るわれたら。




……こういう出来事が、過去にあったんですよ。

だからこそ、特別授業として高校生である私たちにハンセン病の歴史を教えるべくビデオを見せたんです。

ですが私は、授業が始まる前に先生にこう聞きました。

「あのぉ~、これってテストに出ます?」

と。



ぶっとばしたくなる一言ですよね(笑)。



私がこの質問をした相手の先生は、専門が化学でした。

斎藤先生っていう男の先生で、私の担任の先生でした。

とても穏やかで、物静かで、すごく優しい先生だったんですが、私がこの質問をした瞬間すごい勢いで怒りだしました。



怒っている姿なんて、初めて見ました。



たしか2分間ぐらい怒られたかな。

何て言われて怒られたのかは、全く、ただの一言も覚えていません。

覚えていない理由はとてもシンプル。

「自分がなぜ怒られているのか」

を理解するだけの知能を有していなかったからです。




「うるさいな、何で怒ってんの?意味わかんない」

「テストでいい点を取るために勉強ってするんでしょ?

大人たちがそう決めたんじゃん」

「ってかウチら、今高校三年生だよ?

もうすぐ受験があるこんな大事な時期に、受験に関係のないビデオなんか見せないでよ」

「受験に関係がないなら、こんなの、観るだけ時間のムダ」

と、本気で思ってました。



ほんっっっっっっっとに、バカでした。



私も、今当時の私が目の前にいたら、

「この先一生、弁当についている割りばしがうまく割れずに苦しみますように」

と呪いをかけます。

「なぜハンセン病について学ぶのか、2秒でいいから考えろよ」、と。



***



こんなバカな私ですが、

先日、日本最古の

学校に行ってきました。



どこにあると思いますか?それは、栃木県足利市です。

ここにある「足利学校」こそが、現存する日本最古の学校なんですね。

建てられたのは平安時代とも、鎌倉時代とも言われています。いずれにせよ、すご~く古い学校ですよね。



さて、この足利学校では一体どんなことを生徒たちに教えていたのでしょうか?

算数でしょうか?
国語でしょうか?
理科でしょうか?

違うんです。メインで教えられていたのは、

なんと儒教なんですね。




だから、足利学校の中には儒教の創始者である「孔子」の像がたくさん置かれていました。

▼こういう像


この孔子像を見て、

私はひとりの男を

思い出していました。



名を、洪秀全(こうしゅうぜん)と言います。


Anonymous. Portrait of Hong Xiuquan. Wikimedia Commons. Public Domain.


1851年に太平天国の乱を起こした張本人ですね。

この太平天国の乱によって、

20,000,000人

以上の人が死んだとされています。

何人だか分かります?ゼロの数が多すぎて一瞬わからなくなりますよね。

正解は、2,000万人です。



私は、こういう数字の書き方が好きです。

2,000万人って書いてしまうと、

ゼロとして省略された人たちの命

をないがしろにしている気持ちになるからです。

だから、

「ゼロの数が多すぎて何人なのか瞬時には分からないだろうな」

と理解していても、意図的にこう書いているんです。戦争で命を奪われた人たちへの、せめてもの敬意なんです。



アメリカで起きた戦争の中で、

もっとも多い死者数を

出したのが「南北戦争」。

その死者数は、約750,000人。

つまり、75万人です。



それを考えると、

20,000,000人

という死者数がどれほど多いかわかるでしょう。



この洪秀全という男は、科挙(かきょ)に4回落ちました。

科挙とは、

役人になるための

試験のことです。



日本が遣隋使を送ったころの中国、隋(ずい)の皇帝・煬帝が始めた試験です。それを考えるとずいぶん昔から行われていた試験なんですね。

合格者の平均年齢は、(資料によって異なりますが)なんと40歳だそうです。

だからむしろ科挙って

「落ちるのが普通」だったんですね。




ちなみに、合格するために受験生は本当に必死だったので、着物の下に着るインナーや下着にびっしり文字を書いてカンニングすることもあったそうです。

▼イメージ図ですがこんな感じ

いつも思うんだけど、コレ書いている最中に内容覚えちゃわないか?



さて、この科挙ですが、出される問題は基本的にすべて

「儒教に関する知識」

を問う問題でした。


そして科挙に4回落ちた洪秀全は、儒教の開祖である孔子を激しく憎むようになります。

その結果、彼が起こした「太平天国の乱」の間は、中国全土にあった

孔子像が

破壊されまくったんです。



私は、足利学校に置かれていた孔子像を見てこう思いました。

「私には、無理だな」と。

今ここで、ばかでかいハンマーを手渡されて、

「はい、じゃあ今からこの孔子像を破壊してください」

って言われても無理です。



人の形をしているからというのもありますが、何よりも「偶像である」ということがストッパーになります。



だって、この像が目の前に存在しているということは、この像を作った人がどこかにいるってことじゃないですか。

そして、この像を作った人、あるいは作らせた人は、この像で描かれた人のことを少なくとも

敬う気持ちを

持っていたはずなんです。

だから、私には壊せない。そう思ったんです。



ですが洪秀全は破壊の限りをつくしました。

壊して、壊して、壊しまくったんです。

孔子への憎悪がどれほどものだったか、想像に難くないですよね。



じゃあ、洪秀全はいったい「太平天国の乱」で

どんな国をつくろうと

したんでしょうか?



実はね、彼が目指したのは

「家の戸に鍵をかけず、開けっ放しにしていても

盗人が襲ってこないような、安心して暮らせる社会」

だったんですね。



それはひょっとしてギャグで言ってるのか?

って、そう思いません?

だってコレ、まさに儒教が目指した社会じゃないですか。




つまり、洪秀全がどれだけ孔子を憎悪しても、

結局孔子の呪縛からは

逃れられなかった

ってことです。




……本当に、哀れな、男です。



洪秀全は1864年6月1日、命を落としました。

最期は清軍に包囲され、食べ物がなくなり、道に生えた草を食べて生きながらえようとしましたが、結局飢えて死ぬこととなったんです。

享年50歳でした。



教科書ではここまでのことしか描かれていませんが、実は太平天国の乱には続きがあります。

洪秀全が死んだ後、彼の息子が太平天国の君主になったんです。



しかし結局、息子は清軍に捕らえられ処刑されました。



私は、いろんな歴史の本を読んできましたが最も残酷な処刑方法は

・火刑
・餓死刑
・凌遅刑(りょうちけい)

の3つだと思っています。


火刑は火あぶりで処刑すること。
餓死刑は飢えさせて処刑すること。



凌遅刑は決して

検索しないでください。



火刑と餓死刑は、画像が絵画で出てくるんですが、凌遅刑は写真が出てきてしまうんです。だから、決して見ないでください。

そして洪秀全の息子は、人類が編み出した処刑法の中でも特に残酷な刑罰である凌遅刑に処せられました。



まだ、14歳の子供でした。




***



足利学校に入ると、最初に目に入るのは大きな孔子像です。

そしてその孔子像を観た後にうしろを振り返ると、

とんでもないものが

目に入ってきます。




なんだと思いますか?

それは、フランシスコ・ザビエルの肖像画です。

▼マジでこれがガラスのショーケースの中に飾ってある

Unknown artist. Saint Francis Xavier. Wikimedia Commons. Public Domain.


「は?」

と思いました。だってここ、儒教を学ぶ場所じゃないですか。

ザビエルってイエズス会の宣教師ですよね?なんでこんなところに居るんですか?



イエズス会は、

あのルターがブチ切れて

95か条の論題を教会の扉にはりつけた「後に」設立されました。

目的は、カトリックを立て直すこと。そしてその一環として、プロテスタントの弾圧も行うことをいとわなかったんです。



でも、ザビエルが日本に来た当時、当たり前だけどプロテスタントなんて日本にいるわけないじゃないですか。

さて、じゃあザビエルは何しに日本に来たんでしょうか?

教科書的な答えは「宣教」ですよね。キリスト教を布教しに日本にやってきた。

だけど、それって本当でしょうか?



ザビエルはスペイン出身です。

……「コロンブスが」、アメリカに到着した際のスペインの王はイサベル女王でしたよね。

では、「ザビエルが」、日本に来たときのスペイン王は誰でしょうか?



そう、かの有名なカルロス1世です。

いや、別の名前で呼んだ方が通りが良いかもしれませんね。

彼は神聖ローマ帝国の

皇帝「カール5世」です。


Attributed to Juan Pantoja de la Cruz. Portrait of Emperor Charles V. Wikimedia Commons. Public Domain.


ちなみに、カール5世の従姉妹がこの人です。



やだもう何回も出てくるわね、メアリったら。大好き。


さて、強大な帝国を治めた神聖ローマ皇帝カール5世。

この人が

「遠い東にハポン(=日本)という名前の国があるらしいぞ!」

「よーし、キリスト教に目覚めてない哀れな民族たちよ!」

「今から、宣教してやろう!」

なんて言うと思います?



これは私の独断と偏見と悪意に満ちた意見ですが、「日本を征服しに来たんじゃないの?」とこの時思いました。

「イエズス会の宣教師は、

ローマカトリック教会が

解き放った先兵なのでは?」

と。



実はこう考えた研究者は意外と多くて、実際近年、当時のイエズス会の一次史料研究が進み、

・宣教師が日本の政治や軍事を詳細に本国に報告していたこと
・日本人奴隷の売買について教会内部で議論していたこと

が明らかになってます。



それにさ、実際ザビエルが日本に来たすぐ後の1565年。

スペインは

フィリピンを征服したじゃん。


フィリピンって日本のすぐ真下にあるじゃん。そこを征服したじゃん。もうガンガン領土を拡大する気が満々じゃん。



フィリピンがスペインによって征服されたとき、カルロス1世はすでに引退していました。

そのため、この時のスペイン王は、息子のフェリペ2世でした。



だから、フィリピンは

「フィリピン」

っていう名前なんですよ。



征服した当時のスペイン王が「フェリペ」って名前だったから、それが由来となったんです。

ちなみに、フェリペ2世はハプスブルク家出身なんですが、ハプスブルク家の中でも

とびっきりの美男です。

▼この人

Wikimedia Commons – Philip II of Spain by Alonso Sánchez Coello (Public Domain)



ちなみにこの時代の男性の肖像画は、ほとんどの人が白タイツをはいています。

冒頭で登場した「世界史上最も長く国王であり続けた」ルイ14世も白タイツをはいてましたよね。

▼見てほら、タイツ履いてるでしょ

Hyacinthe Rigaud, Louis XIV, roi de France, 1701. Wikimedia Commons. Public Domain.


これ、不思議じゃないですか?

「なんで男の人が

白タイツはいてるの?」

と高校生のころ私はいつも思ってました。



でもね、実は当時「美脚をアピール」するのは女性ではなく男性の側だったんですね。

だから、絵本のおとぎ話なんかを読んでいると「白タイツをはいた王子さま」が出てくるわけです。



フェリペ2世はとびっきりの美男でした。

彼の美貌に、妻となった女性もめろめろでした。




彼の奥さんは

誰だと思いますか?




この人です。




あらやだ、また会ったわねメアリ―。大好き。



***


さて、フェリペ2世はスペインの王様でした。

スペインの歴史を紐解いてみると、王様が処刑されたことはないんですね。


だけど、イギリスでは清教徒革命で国王チャールズ1世が処刑されました。
フランスでは、フランス革命で国王ルイ16世が処刑されました。

すごいですよね。王様って絶対的な存在だったはずなのに、いとも簡単に処刑されてしまうんです。



さて、マロ主さん。

ルイ16世が処刑されたあと、フランスはどうなったか覚えてますか?


結局、また王政に

戻りましたよね。



教科書を見てみてください。ナポレオン戦争が終わった後らへんのページにこう書いてあると思うんです。

ルイ16世の弟であるルイ18世が国王として即位した

って書いてあると思うんですね。



これ、おかしいと思いませんか?

16世の、次の国王が、18世。



……17世はどこに

行ったんでしょうか。



今の教科書に何て書いてあるのかはわかりませんが、私が高校生だったころ、世界史の教科書にはルイ17世という人物は登場しませんでした。

「フランス革命が起きましたー」
「ルイ16世が処刑されましたー」

「ナポレオンが皇帝になりましたー」

「ナポレオンが失脚して、結局フランスは王政に戻りましたー」
「なので、ルイ16世の弟であるルイ18世が王様になりましたー」

としか書いてなかったんです。


どうして、ルイ17世は

登場しないんでしょうか。




彼はどこでどう生きて、

結局最期はどうなったんでしょうか。



わずか10歳だったルイ17世がどうなったかなんて、私は知りません。

知りたくもありません。



あれじゃない?

ほら、フランス革命ん時さ、バスティーユ監獄が襲撃されたじゃん?

あの時、多くの貴族や王族が外国に逃げたじゃん。

あの時に一緒に逃げたんだよ。

そうだよ、そうに決まってる。



あの子は、王族ではなくなったけれども。

命を落とすことなく無事に遠い異国の地にたどり着いて、生涯そこで、平和に幸せに暮らしたに決まっている。

きっとそうだと私は思う。




フランス革命では、人権宣言なるものが出されましたよね。

「人は生まれながらにして

自由であり、平等である」

って。

そう高らかに宣言しましたよね。



じゃあ、どうしてあの子には生きる権利が与えられなかったんでしょうか。

どうしてあの子には自由が与えられなかったのでしょうか。

どうしてあんな仕打ちを受けなければならなかったんでしょうか。

どうしてあそこまで無惨な死を遂げなければならなかったんでしょうか。

誰か、知っていたら教えてください。




あんなの、人間がしていい死に方じゃない。




***


映画「マンダロリアン アンド グローグー」。

今めちゃくちゃ流行ってますよね。マロ主さんは、もう劇場で見ましたか?

あの映画では、帝国が崩壊し新しく「共和国」というものができました。




ところで、共和国って何でしょうか?



共和国とは、

王様がおらず、みんなでリーダーを選んでリーダーに政治をやってもらう国のこと

を指します。今でいうフランスやドイツのことです。



一方、立憲君主制という国もあります。これは、

君主はいるけれど、政治は君主ではなくみんなで行う国のこと

を指します。天皇がいる日本や、女王がいるイギリスがこれに当たります。



そして王国は、国王が政治を行う国。

そして帝国は、皇帝が政治を行う国。



こうやって「政治をどうやって行うのか」を比較してみてみると

「みんなで政治をやろうねー」

という共和国が

一番なんだか

平和に見えますよね。




でも、その認識は本当に正しいのでしょうか?



***


「共和国万歳!」


空砲の音が鳴り響き、衛兵たちが一斉に叫びました。

その言葉を、閉じ込められている塔の中で耳にした女性がいました。

彼女の名は、

マリー・アントーニア。




耳慣れない名前ですね。

一体どこの

誰なんでしょうか。




じゃあ、分かりやすいようフランス語読みにしてみましょう。

マリー・アントーニアは、フランス語で

「マリー・アントワネット」

と言います。



そう、フランス王ルイ16世の王妃です。



マリーは「共和国万歳!」という喝采を耳にして、すべてを悟りました。

王政が終わり、フランスが共和国になったのです。

そして王政が終わったということは、それすなわち国王がいなくなったということです。


マリーは夫が処刑されたことを悟り、全身を震わせながらベッドに倒れました。そして幼い王太子であり、同時に自分の実の息子であり、

そしてたった今、

新国王となった

ルイ17世に跪いたのです。




***


ルイ16世は断頭台の前に立った後、民衆たちにこう呼びかけます。


「私は無罪のうちに死ぬ」

「私の血がフランス国民の

幸福の礎(いしずえ)となることを願う」



その後、ルイ16世はまだ何かを言おうとしました。しかし、それを衛兵が遮り、ルイ16世は断頭台で処刑されました。

1793年1月21日。

午前10時22分のことでした。



彼は、国民の幸福を願った後に、一体何を言おうとしたのでしょうか。



ルイ16世は死刑になりました。

彼の罪状は一体なんだと思いますか?

実は、罪状が、ないんです。




ん、まぁ正確には、一応「国家に対する反逆」など取り繕った罪状はありましたけどね。

だけど、事実上「罪状がない」状態で死刑判決が下ったんです。

だからルイ16世は、処刑前に「私は罪なくして死ぬ」と言ったんです。



ルイ16世を処刑すべきだと、強く主張した男がいました。

名を、マクシミリアン・ロベスピエールと言います。

Portrait of Maximilien Robespierre, anonymous artist, c. 1790. Musée Carnavalet, Paris. Via Wikimedia Commons (Public Domain).



ルイ16世が処刑された後、恐怖政治を展開した男です。



恐怖政治が展開された期間では、多くの国民がギロチンで処刑されました。

資料によって数字はまちまちですが、

なんと30分で

26人の処刑を完了させた

という記録もあります。



……この恐怖政治を見ていると、私はギルバート・チェスタトンが残した言葉を思い出します。

「狂人とは、理性を失った人のことではない」

「理性以外のすべてを失った人のことである」



物事を論理的かつ合理的に考える理性「だけ」が肥大化すると、人に対する思いやりや共感する力が減退していきます。

そうして徐々に誠実さや謙虚さ、そして自分を客観視し

「自分が行っていることは本当に正しいのか?」

を疑う姿勢が失われてしまうんですね。




ロベスピエールってね、非常~~に理性的で頭のいい男だったんですよ。

でも、だからこそ恐怖政治を展開することが「できてしまった」んです。



共和国を実現するためならば、共和国の敵であるという「論理で」、大量の人々を処刑することを正しいことだと信じてしまったからです。

「もしかして、俺がやってることって、間違ってんじゃないの?」

と疑うことすらできなかったからです。



「狂人とは、理性を失った人のことではない」。

「理性以外のすべてを失った人のことである」。

この言葉は、まさにロベスピエールという男を体現していると私は思います。




そしてこのロベスピエールという男。

めちゃくちゃ頭がよかったと言いましたが、彼の職業は何だったと思いますか?



彼の職業は、なんと恐ろしいことに「弁護士」でした。



弁護士なのに、

罪状のないまま国王を

処刑に追い込んだんです。


法の番人のすることか?それ。




……ルイ16世は、いったいなぜ処刑されなければならなかったんでしょうね。

この問題は、歴史学と法学の双方の観点からずーっと議論されている事柄なんです。



このロベスピエールという男の名。

テストで書けば点をもらえますよね。

だけど、この男は最後

どうなったと思いますか?

このまま恐怖政治の中心人物として、君臨し続けたと思いますか?



そんなワケがありません。

ロベスピエールもまた、最期は断頭台に送られたんです。



1794年7月27日の夜のこと。

ロベスピエールは兵士によって下顎を銃で撃たれます。所説ありますが、書類にサインしている最中に撃たれたのではと言われていますね。

▼その時の書類がこちら。

Wikimedia Commons「Commune de Paris. Le Comité d'exécution, le 9 Thermidor」(Public Domain)


一番下を見てください。

ロベスピエールの「ロ」だけ書かれていて、途中で終わってますよね。

ロベスピエールと書き終わる前に撃たれたってことです。書類の下に飛び散っているのはその時の血です。



ロベスピエールは下顎を撃たれた後、必死に

「ペンと紙をくれ」

と懇願したそうです。下顎を撃たれているから喋ることができず、ジェスチャーでペンと紙を要求したそうです。



しかしその要求は無視されました。



まるで、彼が殺したルイ16世のようですね。

処刑される最後の瞬間。

愛する国民に何かを言おうとしたのに、さえぎられてそのまま処刑されたルイ16世と一緒です。



ロベスピエールは、最後に何を伝えたかったのでしょうか。



彼は、逮捕された翌日に断頭台に連れていかれました。

処刑の直前に、撃たれた下顎の包帯を外した瞬間、あまりの激痛にすさまじい咆哮をとどろかせたという記録もあります。

そして、そのままあっさりと首を落とされ断頭台の露と消えました。




***



歴史は、繰り返さないくせに「韻を踏む」。


これはアメリカの小説家であるマーク・トウェインが言ったとされる言葉です。



結局、

「たった一人の人間が政治を行うのはおかしい!」
「政治はみんなでやるべきだ!」

と、王政や帝政を打倒し共和制を目指した結果は、ぜぇ~んぶ同じだったじゃないですか。

フランス革命も。
清教徒革命も。
ロシア革命も。
辛亥革命も。

結局、「たった一人の人間」が

権力を握っただけに

終わったじゃないですか。





歴史には、パターンがあります。

そのパターンを知らずに、現代を生きるということは、私には恐ろしすぎてできません。

次、一体何が起こるのか。歴史を学んでおけば、ある程度の予測はつくからです。



大学受験するとき、

過去問題を解くでしょう?

過去問を解かずに受験に挑む人なんて、いないでしょう?

それと一緒で、過去の傾向をつかまずにこれからの未来を生きていくなんて、無謀が過ぎると思うんですよ。



***



愚者は経験に学び、

賢者は歴史に学ぶ。



これは、19世紀、バラバラだったドイツを一つの国にまとめた人

「オットー・フォン・ビスマルク」

が残したとされる言葉です。

▼この人ね

Bundesarchiv, Bild 146-2005-0057 / CC-BY-SA 3.0, Otto von Bismarck. Wikimedia Commons.


自分がやりそうな失敗は、既に歴史上の誰かがやってくれているんですよ。

同じ失敗を、自分が経験する必要は一切ない。

だから、同じ失敗をしないように、どうすればより正解に近づけるのかを「カンニング」をするために過去の歴史を学ぶ必要があるんです。



ちなみにビスマルクは、写真では分かりにくいですが超~~~~~でっかいおじいちゃんなんです。

身長はなんと193cm。

一般的な自販機の高さが約190~193cmとされていますから、自販機くらい大きかったんですね。

いや、自販機って……でっか……。



しかも体重は約118kg。

体重の方は公式記録ではなく推定ですが、おそらくそれくらいの重さがあったのではと言われています。



118キロってすごくないですか。私の体重が今42キロなので、私がビスマルクを倒そうと思ったら

私が3人いてようやく相手ができる

ってレベルですよ。

すごいな。私ビスマルクが前から歩いてきたら逃げると思う。デカくて怖いもん。




卵が大好きなおじいちゃんで、一説によると

「1回の朝ごはんで卵を10個食べた」

と言われています。

▼これ全部なんて食べられない


シンプルに、すごいな。私も食欲の化け物でものすごい量を食べるけど、「卵だけを10個食べろ」って言われたら無理かも。飽きちゃうし。



***


さて、ビスマルクによる統一国家の成立によって、経済や教育が発展し、

出版業も成長しました。

そのため、このころ多くの優れた文学作品が生まれています。『ツァラトゥストラはこう語った』『白馬の騎手』などです。



マロ主さんは、昔の文学作品を読んだりしますか?

私は大学生のころ、「ロリータ」という小説を読んだことがあります。



ロリコンって言葉がありますよね。

「ロリータ・コンプレックス」の略です。

これは、

正式な診断名ではありません。



精神疾患の診断基準をまとめたマニュアルがあるんですが、このマニュアルのことを

DSMと言います。

▼めっちゃお値段お高いのよ(笑)



このDSMには「ロリータ・コンプレックス」という診断名は載っていません。

じゃあ何という言葉が載っているのかというと、「小児性愛障害」と記載されているんですね。

すっごく雑に定義すると

大人が、小さな子どもに性的な気持ちを向けてしまう状態

のことを指します。



さて、ロリコンという言葉の由来になったのは、実は小説です。

ロシアの小説家ウラジーミル・ナボコフが書いた「ロ・リータ」という小説があるんですね。

この小説では、主人公の中年男性が

12歳の少女であるロリータ

に執着する様子が描かれています。



私はこの小説を大学生のころに読みました。

だけど、あまりにも気持ちが悪くて冒頭の数ページで挫折してしまったんです。



この小説の冒頭では、主人公の中年男性が、恋した相手である少女「ロリータ」の名前を、

まるで甘い飴玉を口の中で

転がすかのように

何度も呼ぶ様子

が描かれています。



※マロ主さんは女の人かな?

もし、男の人から執拗な好意を受けて嫌な思いをしたことがあるなら、

2回くらいスクロールしてから飛ばしてね。

ちょっと気持ち悪い思いをさせてしまうかもしれないから。



さて、ロリータの冒頭では前述のとおり

主人公が自らの口の中で、「愛するロリータの名前を発音する感覚そのもの」に陶酔している様子

が描写されてるんですが、それがこちら。



「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。

舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩目にそっと歯を叩く。ロ。リー。タ」

『ロリータ』の冒頭より引用



私これ読んだ瞬間に

「っっっ………………:(;゙゚'ω゚'):」

ってなっちゃったんだよね。

本当にすまん、小説上の演出なのは分かっているんだが、気持ちが悪すぎる。




ちなみに、結局半年ぐらいたってから

「やっぱ最後どうなるのかが知りたい」

と思って頑張って続きを読みました。

ラストがかなり衝撃的なので、

もし読む際は「メンタルが元気な時」に読んでね。



***



さて、小説「ロリータ」では、主人公の歪んだ愛が描かれています。

ですが、歪んでいるのは

本当に主人公の方なんでしょうか。




もちろんこれは、小児性愛障害を認める発言ではありません。

子どもはどんな時代でも、どんな文化でも、どんな民族でも、どんな国でも守られるべき大切な存在であり、性的な対象にすることは決して許されることではありません。



***


1985年。社会病理学会という学会が設立されました。

名前の通り、

・社会の
・病理について
・研究をする

という学会です。



この学会は今も存在していて、今年の学会発表は9月に広島で開催予定です。

▼これはイメージ画像だけど、学会発表ってこんな感じで行われます



ちなみに、これ

知らない人多いんだけど

実は学会って普通の人でも

参加できるんですよね。


※参加っていっても、ただ聴講するだけだけどね。発表はできない。



たとえば社会病理学会の場合、参加費の箇所を見てみると

会員(一般):3,000円
会員(院生):1,000円
非会員(一般・院生):3,000円
非会員(学部生):無料

って書いてあります。

私は学会の会員ではないので、参加するとしたら「非会員」に該当します。そのため、3,000円支払えば

学会に参加できるんですよね。



毎回、結構な人数が参加するんですがマジですごいですよ。

歴史に名を残すような偉大な学者も、平然と参加しますからね。




「ちょっと早く着いちゃったから、学術書でも読んで待ってるかー」

と椅子に座って本を読んでいると、横に人がやってきて座るんですが、ふと顔を見ると

「今私が読んでいる

書籍を書いた、著者本人」

だったりするんです。

マジで一回、学会は行ってみるといいですよ。本当にいろんな人が来ていて面白いですから。



さて、社会病理学会は当初、名前の通り

・社会の
・病理について
・研究する

学会として設立されました。


だけど、今はちょっと

考え方が違うんです。




たとえば、昔は

「入れ墨をしている人=悪い人」

という認識が一般的でした。



だけど、社会病理学では、「入れ墨は悪である」とは考えないんです。そうではなくて、

「入れ墨は悪である」という認識は、なぜなされるのだろうか?

ということを考えるんですよね。



私たちが

「それってビョーキじゃんwww」

と思うようなことに対して、

「それは本当に病理と言えるのか?」
「そして、それはなぜ多くの人々から病理とみなされるのか?」

を考えるんです。



私は、この社会病理学の

姿勢がとても好きです。




社会病理学ってさ。なんか名前だけ見ると一瞬

「なんっって傲慢な学問なんだ……」

って思いますよね(笑)。



だって「社会の」「病理を」「研究する」んですよ?それって、

「我々は、何が病理なのかを判定する側にいるのだ」

「そして、全ての病理は治癒されなければならない」

という意味にも一瞬見えますよね。超傲慢。



昔は、同性愛が違法でした。

バレたら逮捕される時代があったんです。それはつまり、

「同性愛はビョーキである」

「だから悪いことである」

「よって、同性愛者は全員逮捕」

と判定する、大変ゴリッパな人間がいたからなんですね。



これは同性愛に限った話ではありません。

不登校とかもそうですね。

マロ主さんには信じてもらえないかもしれませんが、昔は

「不登校は病気である」
「治療が必要だ」

と真顔で言う大人がいたんです。



いや、マジでいたんです。

いたんだって!!マジでいたの!!

ホントだもん!!ウソじゃないもん!!トトロいたもん!!



すごいですよね。不登校はビョーキですって。

学校が大嫌いだった私は

「不登校なんて、狂気に満ちた

学校制度に対する

いたって正常な反応じゃん……」

とすら思ってました。

いや、まぁこれはこれで言いすぎなんだけどさ。



だから、私はこの社会病理学がとる

「それは本当に病理と言えるのか?」

「そして、それはなぜ多くの人々から病理とみなされるのか?」

という穏やかで謙虚な姿勢が大好きです。



一方的に

「〇〇は悪だ!病理だ!治療すべきだ!」

と一面的なものの見方をせず、多面的に、客観的に、冷静に物事を見ようとする姿勢だからです。




***



マロ主さんは、心療内科に行ったことがありますか?

もし大人になって、つらい思いをした時は絶対にちゃんと通ってくださいね。心療内科に通うことは恥ずかしいことでもなんでもない。


骨折したら整骨院に行くじゃん?
風邪ひいたら内科いくじゃん?
ニキビできたら皮膚科いくじゃん?



それと一緒で、メンタルに傷を負ったらちゃんと心療内科医にいくべきなんですよ。

ケガしたら治す。当たり前のことじゃないですか。



さて、20世紀の半ばごろに

「精神科病棟に、偽の患者を送り込んで、偽の患者かどうかを見抜けるか」

をテストした人がいました。

名を、ローゼンハンと言います。



この人は、精神科病棟になんと

「別に精神を病んではいない状態の人」

を送り込んで、病院側が

「この人は本物の患者なのか、それともローゼンハンが送り込んだニセ患者なのか」

を見分けられるかをテストしたんですね。

そして病院には、193人の新規患者がやってきました。



病院側は彼らを厳しく検査します。その結果、

41人を「偽患者だ」
42人を「偽患者かどうかはわからない、だが怪しい」

と判断しました。



ところが、です。

実際にはローゼンハンは偽の患者をなんと

ただの一人も

送り込んでいませんでした。



つまり、病院側は本物の患者を

「偽物かもしれない」

と疑ってしまったのです。



……一体何をもってして「病理」であると言えるのか。

私たちが「病理」だと信じているそれは本当に病理であると言えるのか。

そういう「常に疑う姿勢」が大切だと私は思います。



***


ひとつ、面白いジョークを

紹介しましょう。



マロ主さん、

「この世で最も恐ろしい物質」

を説明した文章を今から引用するので、読んでみて下さい。


はい、スタート。



この物質は毎年数え切れない人間の死に関与している。

固体になると組織を破壊する。

気体を吸入すると死亡する危険がある。

金属を腐食させる。

がん患者の体内からも検出される。

この物質への依存症になると、数日摂取しないだけで死亡する。



ここまで読んだだけでも、

非常に怖い物質

であることがわかりますよね。



じゃあ、この物質の名前は何というのでしょうか?

この物質は、名前を

「ジハイドロゲン モノオキサイド」

と言います。



「ジハイドロゲン モノオキサイド」ってなんだと思いますか?

これは、一酸化二水素。化学式で表すとH₂O。



つまり、ただの水です。



これは90年代に流行った風刺です。

「科学っぽい難しい言葉だけで説明すると、どんなものでも恐ろしく見える」

というジョークなんですね。



科学は疑うことから始まり、宗教は信じることから始まる。

そんな言葉がありますが、私たちは

「疑う」という大切な行為

を常に忘れずに生きていかねばならんのです。



さっきの「ジハイドロゲンモノオキサイド」の説明文を見たでしょう。あれ、そのまま読んだら恐ろしくて頭から信じてしまうでしょう。

だから、ちゃんと「疑う」という手順を踏んだ方がいいんですよ。


何らかの情報に接した時、疑うという検証コストを支払わずに頭から信じるのは、それは「誠実」とか「無垢」とか「心がきれい」なのではなく

単なる怠慢だ

ってことなんです。



***


マロ主さんは、国会議事堂にいったことがありますか?

小学校や中学校の遠足先として、議事堂を訪れることがありますよね。私は小学生の時に初めて国会議事堂を遠足で訪れました。

「わー!テレビでよくみる場所だ!」

とはしゃいだことを覚えています。



それ以降、私は国会の答弁を見るようになりました。一回訪れた場所だから、なんか愛着がわいたんですよね。

そしてある日のこと。国会答弁を見ていたら、こんなヤジを飛ばした議員がいました。

「だいたい、アンタがそういうことを考えていること自体が悪なんだ」

と。


頭で考えた内容に対して「それは悪だ」と糾弾したんですね。


しかしこれは間違っています。

日本では、

「頭の中で何考えてもいいよー」

と、その権利が保障されているんですね。

これを思想信条の自由と言います。



これを聞くと、

「へ?頭の中で何を考えようと、自由なんじゃないの?」

って思われるかもしれませんが、昔はそれが当たり前ではなかったんです。



約400年前のこと。

「王様が死ぬところを想像した」

という罪で、死刑になった女性がいました。



一体誰だと思いますか?

それは、

なんと王の妃だったんです。




名前を「アン・ブーリン」と言います。

Anne Boleyn. Unknown artist, late 16th century. Wikimedia Commons.



アンは、国王の「二番目の」妃です。

国王の最初の妃は男の子を生むことができませんでした。それを見たアンは、

「私なら、男の子を産めますよ」

と国王に近づいてきたんです。



そうして、アンは、王のハートを射止めて王妃になりました。そのため、アンは

「正式な妃から

国王を奪った悪女」

として描かれることがあります。



……さて、これがもしおとぎ話だったら

「アンはこうして無事に王妃様になりました」
「そして高らかに宣言した通り、男の子を生みました」

となるでしょう。


でも結局、アンが産んだ子供は「残念ながら」女の子でした。



だから、国王は適当な罪をでっちあげて

アンを処刑したんです。

次の妃と結婚するにはアンが邪魔だったからです。そのときアンにかぶせられた罪のひとつが、

「国王の死を想像した」

でした。



頭の中で、夫である王が死ぬところを想像した。

それが本当なのかどうかはわかりません。だけど、頭の中でそう考えたと糾弾され、それだけでアンは死罪を言い渡されたんです。

そうして1536年5月19日。

アンは首をはねられて処刑されました。



処刑の前日。アンに与えられた部屋はなんと

「アンが戴冠式の前日に泊まった、豪華な居室」

と「同じ部屋」でした。

「かつて自分が王妃になる前日に泊まったのと同じ部屋」を、処刑される前日に与えられたんです。

人の心とか無いんか?

って感じですよね。



アンが処刑されたのは、王妃になってからわずか1000日あまり。そのためアンは、

1000日間の王妃

とも呼ばれます。



20分だけ王だったルイ19世や、9日間だけ女王だったジェーン・グレイと比べるとちょっとだけ期間が長いですね。



アンは、最後まで

「せめて剣で処刑してほしい」

と懇願しました。なぜならば、斧での斬首は非常に失敗しやすいからです。剣ならば苦しまずに死ねるからです。

だから「幸いなことに」アンは斧ではなく剣で処刑されました。



私はさっき、マロ主さんに対して

「処刑の絵を見る時は、処刑人が持っている武器を見てほしい」

と伝えましたよね。アンの処刑の絵を見てください。斧じゃなくて剣を持っているでしょう?

Anne Boleyn execution illustration, via Wikimedia Commons(Public Domain)




令和を生きる私たちからすると、非常に残酷な絵に見えるかもしれません。ですが、この「剣での処刑」は王から王妃に対する

最後の情けだったワケです。



ちなみに。

アンは正妻から王を奪った悪女として描かれることが多い

と先ほど伝えましたが、

アンによって、正妻の座から引きずり降ろされた女性が産み落とした女の子

は、そのあと一体どうなったと思います?



もう正妻じゃないから、「元」正妻が産み落とした子どもも単なる庶子になりますよね。

ですが、元正妻が産んだ女の子は

なんとその後

マジで女王となりました。



誰だと思いますか?

マロ主さんの

よく知っている人ですよ。






それが、この人です。




もー、メアリーったら、何回も登場するわね(笑)。大好き。



***



さて、先日アメリカが建国されてから250年が経ちました。

盛大に建国を祝うイベントがニュースで報道されましたよね。



今や世界最強の国家とも言われるアメリカですが、じゃあ一方で

世界史上、最も失敗した国家

はどこだと思いますか?


その答えは歴史家によって異なるでしょうけど、私はワイマール共和国だと思います。

ワイマール共和国ってのは、まぁすっごく簡単に言ってしまえば

「昔のドイツ」です。

場所はここです。



さて、なぜワイマール共和国が世界史上最も失敗した国家だと言えるのか?

それは、ナチス政権の台頭を許してしまったからです。

民主主義国家として誕生したにもかかわらず、結局はたくさんの人の命を奪う独裁政権を生み出してしまったんですね。




民主主義って聞くと、なんだかついつい「良いもの」と思ってしまいがちですよね。

だけど私は、民意ほど

恐ろしいものは

無いと思います。



なぜなら民意は間違えることがあるから、です。

それは歴史が既に証明しています。



民意とは、所詮ただの「回答」であって「解答」ではない。

故に、「信用」しても良いが「信頼」してはならない。




……だけど、だからといって0か100かの思考で

「民主主義は悪だ!」

と言うつもりもありません。




これはウィンストン・チャーチルがかつて言った言葉にも通じるものがあります。彼はこういう言葉を残しました。

「民主主義は最悪の政治形態である」

「これまで試みられてきた、

他のすべての政治形態を除けば」。




つまり、

「民主主義はたしかに完璧じゃないけど、だけどこれまで人類が試してきた中では最もましな制度だよね」

ってことです。



***


マロ主さんは、「彼らは自由だと思っていた」という本を知っていますか。



第二次世界大戦後、著者が10人のドイツ人に長期インタビューを行った記録を載せた本です。


彼らは悪人ではなく、ごく普通の市民として描かれているんですね。

……すごくないですか。ナチスを支持した人間が、「普通の市民」として描かれているんですよ。


そして書籍のタイトル通り、

彼らは自分たちのことを自由だ

と思っていました。



ナチスが台頭したあの国に生きた国民たちは、

「これくらいまぁいいだろう」

と妥協を重ねていきました。そうして、少しずつ異論を唱えることが難しい社会になっていくんですね。



そして徐々に、だんだんと自らの頭で考え、行動する力が弱まっていきます。



本を読み終わった時、私はこう思いました。

「自由は一瞬で奪われるのではなく、気づかないうちにジワジワと失われるのか」

と。



***



こないださ、私インフルエンザになって10日間、寝たきりになっちゃったんですよね。

そしたらその時、ちょうどYouTubeで「帰ってきたヒトラー」が無料公開されていたんです。



ちなみに、ヒトラーという単語を

YouTubeの動画のタイトルやコメント欄

で使うとマジで垢BANされる可能性があります。



だから、動画投稿者の人達はヒトラーをこう呼ぶんです。

・「ヒューラー」(ドイツ語で総統のこと)とか、

・「美大落ち」(ヒトラーは美大に落ちたので)とか

・「ヨーロッパを代表する偉大なる画家」(美大に落ちたことへの皮肉)とか

・「ペルツル」(=ヒトラーの母親の旧姓)

って呼ぶんですね。垢BAN対策としての別称です。



さて、このYouTubeで公開されたヒトラーの映画。

この映画の

キャッチコピーは、

「笑うな危険」です。




私はこの時思いっきりインフルエンザに罹患していました。

高熱で朦朧としていましたが、それでもなんかただ寝ているだけなのはもったいなくて、ヒトラーの映画をなんとなしに観ていました。



この「帰ってきたヒトラー」は、タイトルの通り

「本物のヒトラーが現代にタイムスリップしてやってくる」

という内容です。



マンションの裏庭で、ヒトラーが起き上がるシーンから始まります。

起き上がったヒトラーは、

「ガソリン臭い」

と文句を言います。これは、ヒトラーが死んだ後、彼の遺体がガソリンで燃やされたことを暗示しているのでしょう。



そして現代にやってきたヒトラーは、ひょんなことから

「ヒトラーそっくりの、面白いコスプレ芸人」

として一躍有名になります。


ヒトラーの演説の物まねが

あまりにもそっくりで。

映画の中の人達も、そして私も。

本当に声を出して大笑いしてしまいました。



笑いながら、私はこう思いました。

「なるほど、だから『笑うな危険』というキャッチコピーなのか」

と。



ですが、映画の終盤で、現代によみがえったヒトラーはホロコーストを生き延びた老婆と出会います。

老婆は、実際に当時のヒトラーの姿を見ていた本物の生き証人です。



老婆は認知症を患っていたおばあちゃんでした。ですが、ヒトラーの姿を見た瞬間、表情を変えます。

「全員、こいつに殺された」

「私は、忘れてないよ」

と。



そして老婆はこう続けます。

「あの時と同じだね」

「最初はみんな、笑ってた」

と。



そのセリフを言われた瞬間、映画が始まってからずっとヘラヘラ笑っていた私の顔から一瞬で笑みが消え去りました。




これ、どういう意味か、分かりますか。




つまり、

「ナチスが台頭した当時も、人々は最初はヒトラーを笑い、深刻に受け止めなかった」

ということです。



ここでようやく、なぜこの映画のコピーが「笑うな危険」なのかが分かるワケです。

映画のヒトラーを見て、私たち観客は声を出して笑ってました。ですが、その態度こそが、

「歴史から何も学ぶことなく、どうせまた似たようなことを繰り返しちゃうでしょ」

ということを実証していたワケですよ。



「笑うな危険」は、

「この映画、超面白いから期待してね!」

といった軽い意味ではなかったんです。

「笑ってしまったあなたは、

歴史から何も学んでいない」


という、強烈なメッセージだったんです。




……結局、「人類が歴史から学んだことはただ一つ。

人類は、歴史から何も学ばない」ということなのでしょう。





***



極寒の中、ボロボロの服を着て疲れ果てながらも歩かされる男がいました。

名を、ヴィクトール・フランクルと言います。



彼は倒れそうになりながらも必死に歩き続け、愛する妻の面影を心に浮かべます。妻への愛だけが、フランクルの足を支えていたんです。ですがフランクルはこう思いました。

「妻は、生きているだろうか」

と。


なぜ、妻の生死がわからないのか。

それはね、彼が今、アウシュヴィッツの収容所にいるからです。



フランクルは解放された後、「夜と霧」という本を書きました。


凄まじい描写が続くので、読むときは覚悟を決めてください。


私は、一度しか読んだことがありません。二回読むことができないんです。あまりにも、つらすぎて再読に耐えうる本ではないんです。


つらすぎてページをめくれないこともありました。

食事が配給されるシーンです。



強制収容所の囚人たちに配られる食事は、ほとんどが水のように薄いスープでした。鍋の上の方は汁ばかりで、底にはわずかな豆やジャガイモなどの具が沈んでいました。

そのため囚人たちは、配給係に対して、

「おたまをもう少し深く入れてくれないか」

と懇願することがありました。少しでも具が入れば、生き残る可能性が高まるからです。



どれほどの飢餓に苦しんでいたのか、このたった一言のセリフ

「おたまをもう少し深く入れてくれないか」

でわかりますよね。




……「AIに聞けば何でもわかる時代」とマロ主さんは言いましたよね。

だけど、「アウシュヴィッツで何が起きたのか」とAIに聞いても

アウシュヴィッツでは、働けないと判断された人々はガス室で殺害され、働かされた人々も飢えや病気、過酷な労働で命を落としました。約110万人が犠牲になったとされ、人類史上最大級の虐殺の現場として知られています。

としか返ってきません。ただ、情報が羅列されているだけです。



「どうか、おたまをもう少し、深く沈めてはくれないだろうか」。

そう言って懇願した囚人がいたことは、AIは教えてくれないんですよ。



***




「産業革命は筋肉の民主化、

インターネットは情報の民主化、

AIはIQの民主化」


アメリカの作家ジェームス・スキナーが言った言葉です。



前半の2つに関しては同感です。

しかし「AIはIQの民主化」に関しては、私は真逆の意見を持っています。

すなわち、

「AIはIQの

中央集権化を促すのでは」

と思ってるんです。


***



先日、仕事で出版社の方とお打ち合わせをしている際、相手の方が

「世界で一番売れてる

ベストセラーって

聖書なんですよ」

と教えてくれたことがありました。


その話の流れで、

「じゃあ、著者別に見たら

誰の本が一番売れてるんだろう?」

という話題になったんですね。



そこで私はスマホを取り出して「ちょっとAIに聞いてみていいですか」と言ったところ

「いや!考える力を養うためにも、脳トレとして考えてみましょうよ(笑)」

という話になったんです。



私は最初、こう考えました。

「その著者が生まれた年代が早ければ早いほど、本が世に出ている期間が長いのだから、紀元前生まれの人の本が一番売れてるのでは?」

と思ったんです。だから、「孔子が書いたとされる『論語』では」という仮説を立てました。



しかし、紀元前には活版印刷技術がないじゃないですか。

活版印刷技術が登場するのは、たしか世界史の教科書でいうと

ルネサンスの後あたりの

ページだったはず。

てことは、活版印刷技術が登場したのは多分15世紀。

だから、15世紀以降の著者さんの本が売れているのではと次に考えました。



そして、活版印刷技術をつくったのはグーテンベルクという人だったはず。

名前の感じからして多分ドイツの人だろう。

だから、15世紀のドイツの人の本が売れているのかもと考えました。



でも、活版印刷技術が登場してもすぐに普及したわけではないことが推察されます。だから、

「もう少し活版印刷技術が普及してからの時代の人」

の本が売れたのではと考えたんです。

そうなると、もう少し先の時代に出版された、カントの「純粋理性批判」とか、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」とかが該当するのかな……。

でも、

学術書よりも一般大衆が楽しめるエンターテイメント系の本

の方が売れそうだよな……。

しかも時代が進むと、ドイツ以外のフランスやイギリスでも活版印刷技術が普及してそうだな……。



だから私は、こう結論づけました。

「コナン・ドイルが書いた

シャーロックホームズシリーズの本」

が、著者別でみた場合の「世界で一番売れてる本」なのではと思ったんです。



でも、結局正解はシェイクスピアでした(笑)。

推定累計販売部数は20億~40億部と言われています。



だけど、正解にたどり着けなくても別に良いんです。

そうではなく、

「世界で一番売れてる本が聖書であるならば、著者別に見た時に一番売れてる人は誰なんだろう」

と頭を働かせることが大切なワケです。



ちなみに、私が高校生の時は

「シェイクスピアは実在した」

という前提で教科書に載ってたんだけど、今の教科書ではどうなってるのかな?



昔は聖徳太子は実在したとされてたけど、今はもう

「そんな人いたかどうか怪しいから厩戸皇子(うまやどのおう)って書いておこうぜ」

と教科書には書かれているんでしょ?



あと、私が高校生だったころは、鎌倉幕府が成立したのは1192年だったんだけど、今は1185年なんでしょ?

それと一緒で、シェイクスピアは今も教科書では「実在した」という前提で載ってるのかな?



実は、シェイクスピアは昔から実在が疑われていた人物なんですよ。

この問題を、

シェイクスピア オーサーシップ クエスチョン

と言います。オーサーシップとは、「作者は誰なのか」という意味の言葉です。まぁそのまんま、

「シェイクスピアって

本当にいたんですかね」

って意味ですよ。



シェイクスピアは謎が多い人物なんですね。

シェイクスピアが描く作品は、宮廷生活や法律、外国事情など幅広い知識を持ち合わせていないと

絶対に書けないものなんですね。

だけど、彼の私生活の記録は異常に少ないんです。かろうじて残された記録にも、

・地方で生まれ育ちました

ぐらいの情報しか載ってないんです。大学に通った記録もないんです。だから、シェイクスピアの作品って

「彼が知っているはずのないことが」

たくさん描かれているんですよね。



おまけに、シェイクスピアが活動していたのは、英国の偉大なる女王「エリザベス1世」の治世の時期でした。

それなのに、シェイクスピアはエリザベス女王の伝記劇や女王を主人公にした物語を書き残していないんですよ。これを

「非常に不自然だ」

とする歴史学者もいるワケです。



ちなみに、エリザベス1世の

お母さんって誰だと思いますか?



なんと、この人です。




そう、1000日の王妃、

アン・ブーリン。



男の子を産めずに処刑されたアン。

彼女が産んだ女の子こそが、エリザベス女王だったワケです。



なんだか不思議ですよね。

男の子を産めなかったから殺されたのに。

女の子を産んだから殺されたのに。

アンが産んだ女の子は、歴史に名を遺す偉大なる女王になったんですから。




***



先日、刑事ドラマを見ていたら、刑事が死体を発見するシーンが描かれていました。

庭園にたくさんの花が咲き誇っているんですが、

その花の一部だけが、

色が違っていたんですね。



その色が違う花の下に、死体が埋められていました。

死体から流れでた血が、土のペーハー値を変えてしまい、それによって血を吸った花だけが変色してしまったんです。



***


「死んでもいい人間なんて、

この世にひとり

だっていないんですよ」



ドラマ「古畑任三郎」。今すごく流行ってますよね。

古畑が残した名言は数多くありますが、私が一番好きなのはこのセリフです。

「死んでもいい人間なんて、ひとりもいない」。



……私は高校生の時、歴史は暗記科目だと思っていました。

だけど、実際は違うんですよね。



当時の自分がもしも今目の前にいたら、私はこう言います。

歴史が暗記科目だと?

ふざけるな。




私たちが踏みしめている大地は、一体どれほどの血を吸ったと思いますか。

親が子を殺し、子が親を殺し、異民族同士で殺し合い、同族同士で殺し合い、すさまじい人間の屍の上に、今の私たちの社会は成り立っているんですよ。



私たちが普段見ている日常の風景。

その中には、きれいな花が咲いていたりしますよね。

その花の色は、もしかすると本来の色「ではない」んじゃないでしょうか。すさまじい数の人間の血を吸った結果の、「変色した色」なのではないでしょうか。



16歳で断頭台にあがったジェーン・グレイ。

わずか10歳で「人間がしてはいけない」死に方をしたルイ17世。

人類が編み出した処刑法で最も残酷な「凌遅刑」で処刑された、洪秀全の幼い息子。



夫が死ぬところを想像しただけで首をはねられた王妃、アン・ブーリン。

男の子を産めずお城に閉じ込められ、愛する娘と最後の別れもできなかった、キャサリン・オブ・アラゴン。




罪状がないのに死刑に処されたフランス国王、ルイ16世。

下顎を撃たれた状態で一晩放置され、翌日あっさりと首を落とされたマクシミリアン・ロベスピエール。

恐怖政治のもと、「30分で26人」というすさまじいペースで殺害されたフランスの市民たち。



19歳で火刑に処せられたジャンヌ・ダルク。

殺されている最中、猛烈な業火の中で「どうか、もう少し薪を足してください」と早く死ねるように懇願した「魔女」と呼ばれた人たち。



フランスの「英雄」・ナポレオンが巻き起こした大戦争で命を奪われた、5,000,000〜7,000,000人という人々。

コロンブスがアメリカに到着した後に無惨に命を奪われた、何十万という先住民たち。



アウシュヴィッツ収容所に移送され、愛する夫と離れ離れにされ、24歳の若さで命を奪われたヴィクトール・フランクルの妻。

極限の飢餓の中で、「おたまをもう少し沈めてくれないだろうか」とお願いした囚人たち。

そして、歴史に名を遺すことなく理不尽に命を奪われ、統計上の数値として、「0」として省略されていった大勢の人たち。



こういう人達の屍の上に、いま、私たちは立っているんです。



私がマロ主さんくらいの年のころ、「封神演義」という漫画が流行っていました。

主人公の名は、太公望。

彼は作中でこんなセリフを残しています。

「わしは遠い未来の事にまで責任は持てぬし、未来を救えると思えるほど傲慢にはなれぬよ。

わしらに出来るのは、わしらが正しく使った世界を後の人々へバトンタッチする事であろう?

人類の歴史がどこへ行きつくか、その結果はわしではない誰かが見ればよい。」



私たちが、少なくとも「今日の時点で」平和に暮らせているのは、そうなるように努力した過去の人々のおかげなんですよ。

だから、私たちはそうした平和な世界を「正しく使い」、次の世代にバトンタッチする義務があるんですよ。



映画クレヨンしんちゃん「暗黒タマタマ大追跡」で野原ひろしはこう言いました。

「自分ひとりでデカくなった気でいるヤツは、デカくなる資格がない。」

これと一緒です。



自分ひとりで生きている気になってるやつは、「生きる資格がある」とは言えないんじゃないでしょうか。




のどが乾いてたまりませんでした

水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました

どうしても水が欲しくて

とうとうあぶらの浮いたまま飲みました


これは長崎・平和公園の「平和の泉」に刻まれている、被爆当時9歳だった山口幸子さんの手記です。

こういった人たちが過去にいたことを、私たちは絶対に忘れちゃダメなんですよ。



***


強くなければ、

生きていけない。



優しくなければ、

生きていく資格がない。


私が大好きな言葉です。




知能が高く、強い肉体を持っていたネアンデルタール人は滅んでしまいましたよね。知能が高く、強かったがゆえに助け合うことがなかったからです。

一方、私たちホモ・サピエンスは、弱い存在であるがゆえにお互いに助け合うことで生き延びましたよね。



つまり、「人に対する優しさ」を持ち合わせていたからこそ、生きのびることができたんです。

「優しくなければ生きていく資格がない」ってのは、つまりそういうことです。

それが、我々ホモ・サピエンスが選んだ生存戦略だからです。




……AIの登場により、「知性」の在り方が劇的に変わってしまいましたよね。

知性とは、

よくパソコンに

たとえられます。


地頭の良さがCPU。
同時にたくさんのことができる能力がメモリー。
そして多くのことを知っている能力がストレージ。

だけど、もうそれらの知性に「高い価値」は無くなってしまったんですね。



「世界で最も多くのことを

知っている人がいなくなった」



世界的な学者であるトマス・ヤングが1829年に亡くなった際、彼はそうたたえられました。

この時代は、「たくさんのことを知っていること」に価値があったからです。彼が亡くなったことで、膨大な知識がこの地球上から失われたとされたんですよ。



だけど今、知識の価値が変容しつつあります。

AIの台頭で「たくさんのことを知っていること」の価値が薄れてしまいましたよね。だってマロ主さんの言うとおり、AIに聞けばわかるんですもん。



***


「もうお前しゃべんなよ」

「知能の低さが露呈してんぞ」



私はかつて、職場でパワハラを受けたときこう言われたことがありました。

これは、ある意味真実です。

だって、私が喋るとバカなのがバレちゃうんですもん。



頭のいい人が話す前に考えていること

という本があります。



この本には、「頭がいいと周囲から思われにくい人」が、普段どんなふうに喋ってるかが描かれています。

読んだ瞬間、

とても傷つきました。

まさに普段、私が喋っているありさまと同じだったからです。



「頭悪い人って、こういう喋り方するよねーwwwwww」

と、バカにされた気持ちになったんです。



だけど、こうやって傷つくことが傲慢なんですよね。

それって「私は頭がいいはずだ」という考えがないと出てこない発想ですから。



不思議ですよね。

頭のいい人ほど、「私は何も知らないんだ」と、謙虚に「無知の知」を実現しているのに。

バカな人間ほど、「私は頭がいいはずだ」と傲慢になるんですから。



***


私は、昔から本当に頭の悪い人間でした。

小学校3年生の時だったと思います。算数の授業でとてもつらい思いをしました。

「割合」という概念を理解するのに一年以上かかったんです。だからクラスメイトのみんなからはバカにされました。




当時の田舎にはまだ特殊学級なんてなかったので、

その子の発達段階にあわせて、教育をうけられる

という環境が整っていませんでした。だから、みんながどんどん授業の内容を理解していく中、私だけが一人取り残されていたんです。



本当に、苦労しました。

西と東を覚えるのにマジで数年かかりました。

ってか今でも

「あれ、どっちが西だっけ?左右で言う左だっけ?」

と分からなくなる時があります。

だからこのnoteでも、フィリピンの話が出た時に

「フィリピンって日本のすぐ真下にあるじゃん」

と書かれているんです。私には、北と南の区別がつかないからです。

普通の人は「南」って書くよね(笑)



中学校に進学しても、英語の関係代名詞を理解するのに数か月かかったんです。

っていうか今も理解できてません。どうみてもあれ、関係「接続詞」じゃん。代名詞じゃないじゃん。



英語の「17」と「70」を高校1年生になっても書けませんでした。

17はseventeen(セブンティーン)
70はseventy(セブンティ)

じゃないですか。でも私はこの二つの区別がつかなかったんです。



だから、授業の最中、英語の先生がわざと私を立たせて

「英語で70を言ってみて」

と命令し、みんなの前で恥をかかせたこともありました。みんなの前で恥をかけば、私が必死になって勉強すると先生は思っていたからです。

先生にとっては優しさゆえの指導だったんでしょうが、結果は惨敗。

私は知能の低さを露呈しただけに終わり、より一層みんなからいじめらるだけに終わりました。



おまけに、周りには地頭の良い子がたくさんいたのも余計につらかったです。

一次方程式を習っただけで、二次方程式を解ける子もいました。名前は

「さっちゃん」

でした。背が高くて、とても優しい子で、頭が悪くてクラスでいじめられている私にも平等に話しかけてくれました。

彼女は吹奏楽部に所属していて、トランペットをふいていました。今でも、彼女がかけてくれた優しさをふと思い出すことがあります。



見てのとおり、私はもう言い訳のしようがないほどバカです。

だけど、一つだけ私には強みがあります。

それは、私は自分がバカであることをちゃんと理解している

「頭のいい」バカだ

ということです。



みずから見識ありとする者はものごとがよく見えず

これは孔子が残した言葉です。簡単に言っちゃえば

「自分のことを頭いいと思っているうちは、何も理解することができないよ」

って意味です。

だから、自分がバカであることに絶望することはない。

そこはゴールではなくスタート地点。

バカであることを自覚できた、頭のいいバカとして生きて行けばいいんですよ。



「どんな人生でも、生きていくしかない」。


映画「マンダロリアン アンド グローグー」

に登場するキャラクター「ロッタ」が言ったセリフです。



だから私は会社を辞めました。頭が悪すぎて会社員が務まらなかったからです。

「言われたことを言われた通りに実行する」

ただそれだけのことができなかったんですよ。


だから、自分で会社を立ち上げて、自分より数百倍頭の良い人たちを雇って、助けてもらうことにしたんですよ。

もうそれでしか、生きていくことができなかったからです。



肩書はたしかに「社長」ですが、社長ってのは

「サラリーマンでいることができなかった社会不適合者」

であることも多いんですよ(笑)。周りに私みたいな社長けっこういますからね(笑)。

有能ではないからこそ、自分より有能な人間を雇って、なんとか生きて行こうともがいていくんです。



***


私は、地頭がよくありません。CPUの性能が悪いんです。

同時にたくさんのことをこなす能力もありません。メモリーの性能も低いんです。

知識の量だって、本屋さんに行って

「私が知らないことがまだこんなにたくさんあるのか」

と呆然とするくらい私は何も知らないんです。ストレージの中身がほとんど空なんです。




ですが、AIの台頭により「知性の定義」が変わりつつあります。

AIが台頭した今、どんな人が「頭の良い人」と言われると思いますか。


それはね、

問いを立てられる人なんですよ。



***



万有引力を発見したのは誰でしょうか?

そう、アイザック・ニュートンですよね。

彼は「リンゴが木から落ちるのを見て」万有引力の法則を発見したと言われています。



ですが、実際はもう少し話が違うんですね。

ニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見たあとにこう考えたんです。

「え、リンゴは落ちるのに、なんで夜空のお月さまは落ちてこないの?」

そしてさらに、彼はこういう問いを立てました。


……もしかして、

月は実際に落ちてきている

のではないだろうか?

と。


いやコレマジですごくないですか。

月を見て、

「この月も、リンゴと同じように地球に向かって落ちてきているのでは?」

なんて問い、立てられます?




「問いが立たなかったんですよねぇ……」

私が大学院にいたころ、こんな言葉が研究室で流行しました。



私たち学者の卵はね、2週間に一度、自分を担当してくれている教授を相手に研究発表をするんです。

だけど、その発表の際に、どうしても良い論文が書けなかったらこの言葉を使うんです。

「問いが立たなかったんです」

と。



「正しい問い」を立てることができなかったら、「正しい解」を導き出すことができないからです。




ニュートンだってそうだったでしょ?

「もしかして、月ってもう落ちてきてるのでは?」

という、「普通の人だったら思いつきもしないような問い」を立てることができなかったら、万有引力の法則を発見することはなかったワケです。




だから、「問いを立てる力」には凄まじい価値があるんですよ。



***



マロ主さんは、「AIに聞けばなんでも分かる」って言ってましたよね。

でも、AIに聞いた質問自体が

間違っていたら

どうなると思います?



問いがそもそも間違っていたら、その問いから導き出される答えも必然的に間違ったものになるんです。



私はね、過去200冊以上の片付け本を読んできました。

なんでそんなに大量に読んだのかというと、大量のモノを所有していたからです。

きっと世界のどこかに、アッと驚く収納術がある

と信じていたんですね。



でも、結局200冊の片付け本を読んで分かったことは

「使ってないもんは捨てろ」

という、ただそれだけのシンプルな真実でした。



つまり、私が立てた問いが間違っていたってことです。

「大量のモノをただの一つも捨てずに、すっきり片付いた部屋にするにはどうすればいい?」

という、この問いそのものが間違っていたってことですよ。




考えてみれば当たり前です。モノが大量にあるのに部屋がすっきりするワケないじゃないですか。



モノを一つも捨てずに部屋をすっきりさせたいだと?お前はバカか?

あっ、そうか、バカなのか……。


そうだった、バカなんだったな。

いや、バカなのはもういい、自分がバカなのはとっくに知ってる、そうじゃなくて、バカならバカなりに

自分が立てた問いが本当に正しいのか

を2秒でいいから考えろってことなんですよ。



そして私は問いを立てなおしました。

「どうすれば、モノへの

執着をなくせるだろうか」

と。そして自分でひねり出した答えを元に行動を起こしました。

そしたら部屋がすっきり片付いたんですよね。


この、「正しい問いを立てて、問いの答えを実践していく力」こそがAIが台頭した今の時代に必要なんです。



マロ主さんはこう言いましたね。

AIとか、車とか、家とか、宇宙ロケットとか、医療技術とか、スマホとか、インターネットとか、なんでもいいんですが私たちの生活を支えてくれているものって全部理系の人達がつくったものですよね

新しい技術を生み出して、社会そのものをよりよくしていくのって、結局理系ですよね

じゃあ、文系を学ぶ意味はないのでは?

と言いましたね。



それは違います。



文系は、前述した通り科学としては二流です。

「観測者によって観測結果が異なってしまう」ことがあるからです。

だけど、そこにこそ

意味があるんですよ。



観測結果が異なるからこそ、つまり正しい答えが出せているのかが分からない領域だからこそ、

「これって本当に正しいんだろうか」
「別の角度からみたらまた違った風景が見れるんじゃないだろうか」

と問い続けることができるんです。

そしてこの、問う力にこそ価値があるんです。



この世界には、いろんな

生物が懸命に

生きていますよね。




赤ちゃんに自分を食べさせるハサミムシの母親。

子孫を残したらメスと一体化し消え失せるチョウチンアンコウのオス。

成虫になったらご飯を食べる口すら持つことを許されないカゲロウ。



そんな生き物たちが、必死に生き抜いているんです。



「種を保存するためなら、それぞれの個体がどれだけ残酷に死のうが知ったことか」。

そんなメッセージすら感じとれる、彼らの死に様を見てください。

こうやって、生物は命をつないでいるんですよ。



そして、生存競争に敗れた生物は、もうそこで終わりなんです。

誰が何と言おうと、

もう、そこで終わりなんです。



それなのに、映画ジュラシックパークでは人間の都合で勝手に「絶滅したはずの恐竜たち」をよみがえらせましたよね。

映画の中でマルコム博士は

「(あなたたちの)自然への謙虚さの欠如には、めまいがする」

と言いました。



非常に静かで、大人な物言いですね。

私だったらブチ切れてます。

お前らには、生物に対する

敬意っつーもんがないのか?




恐竜たちは、生き残ることができなかったんです。生存競争に敗れたんです。だからもう、それで終わりなんです。



……恐竜たちをよみがえらせたのは、マロ主さんが言うところの

「理系分野の技術」

ですよね。



理系の技術は確かにすばらしいです。

ですが、同時に恐ろしいものでもあります。

なぜならば、理系の技術は

それをどう使えばいいのか

までは私たちに教えてくれないからです。



地上に天国を

築こうとするものが、

しばしば地獄を生む。



これは、哲学者カール・ポパーの思想を一言で体現した言葉です。



生きていくうえで、唯一絶対の正解はありません。

だから、自分の頭で考えて、どう生きていくのかを選び、決断していかなければならないんです。



私は精神医学の領域で研究をしていた元研究者です。

精神医学の領域では、論文ごとに「子ども」の定義が異なっています。そして、私が見てきた子供の定義で一番好きなものがこれです。

知らないうちに人を傷つけて、知らないうちに許されていることにも気づけない人

こういうのをガキって言うんだよ。



映画ジュラシックパークでは、恐竜をよみがえらせたことに対して、マルコム博士がこういうセリフを言って怒りをあらわにしましたよね。

できるかどうかに心を奪われて、すべきかどうかを考えなかった



これが、答えです。



できるかどうかに

心を奪われないために。



すべきかどうかを

考えるために学ぶんですよ。




文系の学問とは、慰めでもない。娯楽でもない。教養でもない。逃避先でもない。

できるかどうかに心を奪われないための「力」なんです。




私たちは人間です。

人間は他者を愛したり、傷つけたり、傷つけることを愛してたりするんです。

だから間違うこともある。

正解がないこの世界で、どす黒い不安の霧の中を自ら切り開いて生きて行かねばならんのです。

だから、正しい問いをたて、正しい答えを導き出し、その答えを実践していく力が必要なんです。

そのためにこそ、知を愛し知を探求し続けなければならないんです。



私が今回、マロ主さんのために筆をとったのは

あなたが知を

愛する者だったからです。



そして、あなたが愛した知を、どうかこれからの人生で実践していってください。



こないだね、荀子の本読んでたら

「アホな人は何か学んでも行動に移さず『こんなことを学んだよ♡』と言うだけで終わる」

って書いてあって、笑っちゃったんだよね(笑)。

ちなみに、原文は「小人(しょうじん)の学は耳より入りて口より出づ」だった


なんかこれって、

「今月は4冊も

本を読みましたー♡」

と、読んだ本の中身をきれいさっぱり忘れているのに読了冊数だけを自慢している私のことを、2,300年の時を超えてディスってきているようで苦笑いしちゃったよ(笑)。


いや、まぁ確かにその通りだよね。

知識とは、実践することで初めて価値あるものとなります。

実践しないんだったら、

そもそも知っている

ことにはなりません。




さて、それでは最後に、愛をこめてこの言葉を送ります。

知を愛する者同士、これからも一緒にたくさん学んでいきましょう。




今回マロ主さんが読んでくれたこの文章には、

「知を愛する」

という言葉が何度も出てきますよね。マロ主さんが送ってくれた、

「なんで勉強ってしないといけないのか?」

というその問いそのものが、知を愛する者として正しい姿勢だからです。



「当たり前だとされていることに対して、改めてなぜなのかを考える」

学問という営みは、まさにここから始まるからです。



今回のこの文章には、いろんな学問領域の話が出てきましたよね。

歴史学、民俗学、言語学、法学、進化生物学、熱傷学、精神医学、昆虫学、文学、送葬学、比較宗教学、神学、土壌化学、社会病理学、文化人類学、古生物学、歴史言語学、社会心理学。



あれれぇ?おかしいなぁ?(コナン君)

哲学の話が、一度も

出てきませんでしたよね。




マロ主さんの最初の文章に、

「哲学を学んでそれが何の役に立つんでしょうか」

って書いてあったのに。



っていうかそもそも、哲学って

学問の頂点に君臨し続けている

「学問の王様」

なのに。

それなのに、私は「哲学」に関してだけは、一度も触れることなく最後まで書ききったワケです。



それは一体、なぜなのでしょうか?



マロ主さんにクイズです。

「哲学」は、英語で何というでしょうか?



そう、

フィロソフィー(philosophy)

ですよね。



フィロソフィーの語源は実はギリシャ語なんです。ギリシャ語の

・philo(フィロ)
・sophia(ソフィア)

から来ているんです。



フィロ・ソフィア。

……これって、どういう意味なんでしょうか?



意味は、

フィロが、「愛する」
ソフィアが、「知恵」

です。



つまり哲学という言葉そのものが、

「知恵を愛する」

って意味なんですね。




ここまで言えば、もうお分かりでしょう。



私が書いたこの文章を、マロ主さんが最後まで読んでくれたのは

「この先を読みたい」

と思ってくれたからですよね。

それはすなわち、「知を愛していたから」に他ならないですよね。



知を愛そうとするその姿勢があったからこそ、マロ主さんは

「なぜ勉強しないといけないのか」
「なぜAIではだめなのか」
「なぜ理系の学問だけではいけないのか」

という問いを立て、そして「その問いに対する一つの答え」を読もうと、ここまでたどりつくことができたワケです。




「知を愛すること、すなわち『哲学』に、何の意味があるんでしょうか」

なんて、もう今のマロ主さんは一ミリも思わないんじゃないでしょうか(笑)。



知を愛したからこそ、最後までこの文章を読み切った。

その事実そのものが、「哲学」、すなわち「知を愛すること」の価値を証明しているワケですよ。

あなたが、自ら哲学の価値を証明したんですよ。



そしてその「知を愛する姿勢」は、絶対にこの先の人生で、必ずやあなたを助けてくれます。

この先の人生を、強く、健やかに生きていくことが必ず、できます。



マロ主さんは高校1年生かぁ~!!

いいね、まるで新品の台所スポンジのように、たっくさんの「知」を吸収できると思うよ。

私も負けずに、マロ主さんと一緒にいっぱい学んでいこうと思う。



ってことで、ありっっっったけの愛をこめてこの言葉を送ります。

どうか、素敵な高校生活を送ってくださいね。

ではまた!!



(了)





あとがき


あ"ーーーー、疲れた。

疲れた。マジで疲れた。つっっっっかれた。

人生最大のスランプ中で一行も書けなくなってた私に、なんつーもん書かせるのよ(笑)。



いやマジで疲れた。文字数はなんと6.9万文字。

こないだ私が出版した書籍より文字数多いよこれ。出版社に納品した時の文字数、たしか6万字切ってたからね。だからこの作品、本一冊書き上げたのと同じくらいのボリュームよ。




みんな、最近忙しくて本を読めてなかったんじゃないかな。

今回このnoteをここまで読んでくれたってことは、本を一冊読み終えたのと同じってこと。

ってことは、みんなには「本を一冊読み終えるだけの読書体力が十分にある」ってことだね。

だから、今回このnoteで

「学ぶのって楽しい!!(泣)本読みたい!!」

ってなった人は、ぜひ図書館に行って面白そうな本を借りてきてくださいな♡




今回のnote、本一冊分のボリュームを超えてしまったんだけどさ。だけどこれでもだいぶ削ったんだよ!(笑)本当は、

「実はこういう

面白い話があってだな……」

と、もっといっぱい小話が本文内にあったの!



だけど、「さすがに読むの疲れるだろうな」と思ったから全部削った。

あーあ。本当は

「なぜ『毒』という漢字に『母』という文字が入ってるのか」

とか

「なぜ『138億年前に起こった宇宙の始まりであるビッグバン』が、写真に撮れているのか」

とか

「なぜ蟻は高度三千メートルの高さから落ちても死なないのか」

とか

「なぜ与謝野晶子はヒトラーを殺さなかったのか」

とか話したかったな。残念。

まぁ、大幅に削ったお陰で「読むカロリーが低い作品」にはなったっしょ!!それでオッケ!!





さて、今回の作品はどうだったかなー??

一見バラバラに見える個別の話が、ラストで一つの話に収斂されるように描いてみました♡

面白かったと思ったら感想くれ感想!!

感想がないと、私みたいな物書きはまたスランプに陥っちゃうの!!

そしたらもう二度と筆をとれないの!!二度ともうこういう作品は書けなくなっちゃうの!!感想くれ感想!!



さて、スランプ脱出できたお祝いにブラッディーメアリーを飲んできました。

私お店でブラッディーメアリーを注文するたびに情緒がぐっちゃぐちゃになるんだよね。

たしかに、メアリは大勢の人を殺した。

それは、許されることではない。

だけど、悪人としての名前だけが、カクテルの名として残っているその事実に、心がぐちゃぐちゃになるんだよ。



……メアリが、望まれない子供として、一体どんな幼少期を過ごしたか知ってる?

メアリが愛するお母さんと離れ離れになったあと、どんな暮らしを強いられたか知ってる?

メアリがお母さんの死に目にも会えず、葬儀への参加も許されなかった時、どんな気持ちだったと思う?



結婚後、お腹に宿った赤ちゃんが結局ただの腫瘍だとわかった時、どれほど落胆したと思う?

もう自分は長くないと悟った時、次期女王としてエリザベス1世を指名した時、どんな気持ちだったと思う?



メアリにとってエリザベスは、

「自分の大切な母親を正妻の座から引きずり下ろした、憎き悪女アン・ブーリンが産んだ子供」

だよ?

それでも、自分の国を守るために、自分の血を途絶えさせないために、エリザベスを後継者に指名した時のメアリの気持ちはどんなだったと思う?



……でも、結局今のイギリスは「プロテスタント」の国なんだよね。

だから、カトリックであるメアリはこの先もずっと「敵である宗派」の女王なんだよ。だから、「悪人」としての評価が覆ることは無い。



それを考えると、歴史とは、過去の出来事ではないんだなぁとしみじみ思う。

歴史とは、今から見た「今の出来事」なんだよね。



でもさ、この世には悪人と善人がいるわけではない。

そうじゃなくて、

一人の人間が善いことも

悪いこともする。

ただそれだけの話なんだよ。



そして善悪は、立場によっても簡単に変わってしまう。

誰から見て、誰にとっての善なのか。
誰から見て、誰にとっての悪なのか。

簡単に、「コイツは悪人」「コイツは善人」ときっぱりキレイに分けられるもんでもないのだろう。



ってことで、まぁ何が言いたいのかと言うと私は結局メアリが好きだということだ。

だからみんな、バーで「ブラッディメアリ」を注文するときはぜひ一言、一緒にバーに行った連れにこう言ってほしい。

「たしかに、ブラッディメアリは、たくさんの人の命を奪った」

「だけど一方で、16歳の少女の命を最後まで助けようとした、たった一人の人だったんだよ」

と。



ちなみに、ブラッディメアリはあんまり美味しくない(笑)。

私、トマトジュースあんまり好きじゃないんだもん。



でも推しのカクテルだから飲む。これからも飲む。

たとえ悪名だってかまわない。

この先ずっと、メアリの名が残り続けることを祈っている。

400年前の遠い異国で、一人の女性が、自分の人生を懸命に生き抜いたことを覚えておいてほしいから。




ってことで、今回もここまで読んでくれてありがとう!!

ではまた!!

華より



▼あと忘れずに感想くれ感想!!感想感想!!感想感想!!ジャンプして喜ぶから!!


【追記】

感想もらえた~!!!嬉しい!!!ありがとう!!!このあとプリントして冷蔵庫に貼る!!!ありがとう!!ありがとう!!


▼マロ主さんからもお礼がきたよー!


▼あと、ツイッターで感想を書いてくれた方も!!(泣)



みんなからの感想もお待ちしてますっ!!!(ジャンピング土下座)



あと、普段からこんな感じでエッセイを書いているので、よかったら読んでみてね~!!


ぜひお楽しみくださいませ♡

ではまた!!

華より

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藤原華|作家 もしこのnoteが面白かったら300円サポートお願いします!😭肩こりと背中の痛みがひどくて椅子に座れないことが多くて……。整形外科で回300円の電気治療してるんだけど、いただいたサポートでもっと電気治療通いたい!!頂いた治療費、大切に使わせて頂いてます🙇