歴史を動かし歴史を見つめて来た鐘
石田三成の聖地巡礼を細々としている者のひとりごとである。
三十三間堂をあとにして方広寺方面へ歩くと見えて来る異様な巨石群。


でっかい!!!
写真だと伝わらない…
この石がどれくらい大きいかというと…
これくらい↓↓↓

人より遥かに大きな石っ!!
この巨石の石垣は方広寺大仏殿の境内のための石垣だそうで、秀吉公が築かせた石垣です。
当時はこの巨石の上に、
三十三間堂にある太閤塀よりも大きな?築地塀が建っていたらしい。
大阪城の巨石石垣も大きすぎて笑っちゃいましたが。
こちらも笑っちゃうほど大きいです(笑)
大阪城の石は加工しましたーー!!
シャキーーン!!!
という石だけども。
(この大阪城の石垣は徳川時代)


シャキーーーン!!
ここの巨石はゴツゴツ。
石というより岩🪨
野趣溢れる姿をしています。

何度も言うけど、
写真では大きさが伝わらないけど本当に凄いです。

巨石と巨石の間の絶妙な石を見るのが大好物!
こちらは三角ですね△
秀吉公が威信をかけて築いた石垣。
これでもかと並ぶ巨石。
脅威を感じます。
当時の人も驚いたでしょうし、
見物人も多かったのでしょうね。
現代はみんな素通りでしたが。

歩道の横が垣根になるところからは豊国神社の敷地になります。
方広寺の大仏殿は、
今の京博・豊国神社・方広寺を合わせた敷地なのでかなり広大でした。
方広寺大仏様の方が、
東大寺大仏様より大きかったそうなので。
大仏殿もそれに合わせてかなりの規模だったのでしょうね。
豊国神社の鳥居があるところは、
大仏殿の仁王門があったところだそうです。

手水舎には瓢箪。
秀吉公といえば瓢箪。

金色で秀吉公が好きそうですね(笑)
おそらく、
コロナの影響でこの様な手水舎になったのでしょうね。
柄杓で水を掬う手水舎が減ってしまって淋しい反面、
工夫を凝らした手水舎が増えたのはそれはそれで楽しくて良いなと思います。

秀吉公の銅像。
こちらも金色風?
金を好む太閤殿下はついに御自身も金に(笑)
そして……

国宝の唐門。
なんて荘厳なのだろう。
華やかさのなかにも武士らしい威厳を感じる。
この唐門は伏見城の城門で、
伏見城から移築されたといわれています。
といっても、
伏見城から直にここへ移築されたわけではありません。
二条城→南禅寺金地院時代を経てからの豊国神社だそうです。
伏見城の城門だったという確かな証拠もないようですが、
秀吉公はこの様な門を大坂城や伏見城に建てていると思うので。
当時を偲ぶには充分です。

彫刻が素晴らしいのですが、
参拝される方がたくさんいらっしゃるので。
じっくり眺める事ができなくて残念。
他の方の迷惑にならないように遠くからパチリ📸

とくに扉の彫刻が素晴らしい。
参拝される方にはぜひ、
扉の下まで見てほしい。

秀吉公の馬印があるなと思ったら、
絵馬掛けでした。
ひょうたんの形の絵馬がかわいい。
方広寺の大仏様は、
豊国神社の社殿の奥に鎮座していたようです。
時間がなくて宝物館へ行けなかったので、
豊国神社リベンジしたいです…
そして豊国神社のお隣。
方広寺へ。
先ず目に入ってくるのは鐘楼!!

正直、御本堂よりも存在感あります🫢
東大寺よりも大きな大仏殿だったという事は、
鐘もそれに合わせて大きいのでしょうね🤔
と思ったらやはり!
日本三大梵鐘の一つだそうです。
(知恩院、方広寺、東大寺)

鐘楼の外からでもこの印のおかげでわかりました。
家康がいちゃもん付けた?『国家安康 君臣豊楽』。
大坂の陣の引き金となった銘文。

大きな鐘全体にビッシリと書かれているのにここだけ切り取るとか…
家康、性格悪すぎる(笑)
まぁ何が真実かはわかりませんが。笑
外から鐘を眺めていると、
鐘楼の中へ入って説明を受けている人達が。
なんと!
冬の特別拝観でした!
今回の京都旅は3日前に決まって下調べをまったくしていなかったので、
運が良かったです(笑)
御本堂も見学できるとのこと。
ありがたや😭✨
堂内の写真撮影は禁止なので写真を載せて紹介できませんが…
上のリンクが生きてる間はリンクから雰囲気を味わう事ができます。
秀吉公が護持していたとされる大黒天像。
五穀豊穣や金運の神様としてのイメージが強い大黒様ですが、
こちらの大黒天は戦の神としての姿なので鎧を着ているのだそうです。
そう説明を聞いてから近付いて眺めたけども、
本当に手のひらサイズだし鑑賞位置から距離もあったので、
鎧姿を拝む事はできませんでした😂ザンネン
オペラグラスを持って行くべきでした(笑)
ちなみにリンク先の写真でもよくわからないという……笑
大黒様だけでなく、
天井絵のことや方広寺の大仏様のことなど。
分厚いファイルを持った係の人が色々と教えてくださいました😊楽しかった
方広寺の大仏様は地震、火災、落雷など様々な運命をたどり……
現在は秀吉公が発願した大仏様の10分の1の大きさの盧舎那仏坐像(江戸時代)が方広寺の御本尊です。
10分の1のサイズとなったので大仏様ではなくなったわけですね。
御本堂を堪能したあとは、再び鐘楼へ。

1614年に鋳造された梵鐘。
『国家安康 君臣豊楽』に印がされているので…
私、恥ずかしながら……
ずっと資料用のレプリカだと思っておりましたっ(笑)
まさかの現存っ!!!
雨ざらしとなった時期もあったようですが。
明治期に鐘楼は再建されて今に至るようです。
天井絵がとても美しい✨


梵鐘の下にも入れました。

正直ちょっと怖かったです😂
約83トンですよっ!?
重過ぎて持ち上げれないから、
土を盛って梵鐘を持ち上げて、
鐘楼に吊り下げて、
土をとり払って。
という行程で吊り下げられたと説明受けた後ですもん😂
その重さを支え続けている鐘楼もすごい。

隅には大仏殿で使われた柱の鉄輪が展示されていました。
当然ながら、こちらもかなり大きいです。
この様な柱が92本以上立てられていたらしい!!

いつの日かこの鐘の音を聞いてみたいです。
いまの時代、ネットに転がっているでしょうが…。
やはり生音で聞きたいですよね。

鐘楼の出入口からは豊国神社がみえました。
町の人のご厚意で裏道?が通れるようになっておりました。ありがたい。
その道を抜けて、
大仏様が鎮座していたとされる場所へ。

今は緑地公園になっております。

発掘調査によって正確な位置が判明したそうです。
大仏様の台座の位置がわかるように石のベンチ?が設置されていました。
八角になっています。



全体像が写せませんでした😂
それくらい大きな大仏様だったということを実感しました。
Googleマップで見ると面白いですよ🎶
秀吉公は、
人を驚かせるのが好きだったのかなぁと🤔
権力誇示のためはもちろんあっただろうけど。
一夜城、中国大返し、賤ヶ岳なども含めて。
『どうだ!!凄いだろうっ🎶』感が強いなぁと。
三成様はじめまわりの方々は大変だっただろうけど(笑)
ワクワクしていた部分もありそうだなと思ったりなどしました☺️
方広寺の鐘銘事件がなくても豊臣は滅ぼされたのだろうけど…。
大坂の陣の引き金となってしまった鐘が、
豊臣の終焉、江戸幕府の終焉を見つめて来て今日まで遺っている。
感慨深いです。

いま大仏様はいらっしゃらないけれど、
こちらの交番は『大仏前』。
大仏様の名残が嬉しいです。
こちらは三十三間堂の日記です💁♀️
