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「七面倒くさい日本語」発言、僕が感じた「残念」と「怒り」──この国は誰のためにあるのか?

問題提起と僕の疑問

「七面倒くさい日本語や慣習を、日本政府の負担で習得してもらう」。
この言葉をニュースで目にしたとき、僕は思わず手を止めました。
それが、日本のリーダーである石破総理の発言だったからです。

発言の意図がどこにあったのかは、本人にしか分かりません。けれど、あの言葉に込められた響きは、決して小さくなかった。僕たちの暮らしや文化、そしてこの国のあり方を、どこか軽んじるような響きさえ、感じてしまったのです。

果たしてこの国は、誰のためにあるのでしょうか?
政治は、僕たち一人ひとりに、どれだけ真摯に向き合っているのでしょうか?


「七面倒くさい」に込められた違和感

言葉は、時に人を救い、時に人を深く傷つける。
僕はそう信じています。だからこそ、国のトップの言葉には、重さと覚悟があってほしい。

石破総理の「七面倒くさい」という表現は、日本語や文化そのものを煩わしいものとして語っているように感じられました。
それを「だからこそ外国人にきちんと教えるべき」と続けたとしても、その出発点が歪んでいるように聞こえるんです。

日本語や慣習は、決して効率的とは言えないかもしれない。
でもそこには、人の思いやりや繊細な感覚が宿っていて、長い時間をかけて育まれてきた「心の文化」があるはずなんです。


貧困と少子化、そして誰の責任か

なぜ今、ここまで外国人労働力の受け入れが焦点になっているのでしょう。
それは裏を返せば、日本人が減り、働き手が足りないから。でもその背景には、長年続いてきた「人が希望を持ちにくい社会」がある。

子育てが大変すぎる社会、物価だけが上がっていく日常。
消費税の減税もされず、実質賃金が伸びない状況で、「子どもを持とう」と思える家庭は、どれだけあるでしょうか。

学者の中には、こうした現状は「政府の貧困放置が原因だ」と厳しく指摘している人もいます。
だとすれば、今の労働力不足は、決して自然な現象ではなく、政策の失敗のツケとも言えるのかもしれません。


日本人を、どう見ているのか

僕は、今回の「七面倒くさい」発言に、もう一つの怖さを感じました。
それは、政治の焦点が、どんどん国民の生活から外れていっていることです。

外国人労働者のためには日本語教育を充実させる。けれど、国民の暮らしを支える減税や制度改革には、ほとんど手が届かない。
その優先順位は、本当に正しいのか?

「日本人が日本人のために築いた国」だとするなら、政治はまず、今を生きる僕たちの暮らしを守ることから始めてほしい。
減税、教育、出産や育児の支援。政治の言葉が、もっと僕らの目線に近づくことが求められている気がしてなりません。


僕たちは、この国の「主語」になれるか

政治は、特別な人のためだけにあるものじゃない。
この国で暮らす、すべての僕たちのためにある。

そして僕は、「怒り」を感じたときこそ、行動すべきだと学びました。
次の選挙が近づく今、僕たちはこの「違和感」や「疑問」を、投票という行動で示すことができる。

誰の声も、無駄になんかならない。
大切なのは、「僕がいる」という意志を、社会にちゃんと伝えること。


読者への問いかけ

今回の石破総理の発言、あなたはどう感じましたか?
この国の未来に、あなたの想いは届いていると思いますか?

「ひちめんどくさい」と切り捨てられる前に、
僕たちは、僕たち自身の言葉で、この国のあり方を語り直す必要があるのかもしれません。

コメント欄で、ぜひあなたの声を聞かせてください。
今こそ、静かな怒りを言葉に変えるときです。


noteヘッダー画像提案(横長 16:9)

  • 雨上がりの夕暮れ、静かな交差点に立ち尽くす人物(蒼真を思わせる影)

  • 背景には霞んだビル群、でも一筋の光が差し込んでいる

  • 色調:ややくすんだ青と灰、差し色に淡い金


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