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noteの街に問う『こころのうた』― 影隠し ―

はじめに

先日、

noteが大好きだった一人の人が、
noteを去りました。

noteを去った後、
リアルでも繋がりのあるクリエイターさんを介してボクにメッセージを届けてくださいました。

悔しい想いが綴られた
そのメッセージによると、、

そのきっかけになったのは、

ある人が自分自身を「良い人」として描き、
自分をかばうために書いた一つの記事だったそうです。

そこに書かれた言葉によって、

一人の人の心が、
深く傷つきました。

ボクはその出来事を見ながら、

今のnoteの“在り方”について、
改めて考えています。

もちろん、

誰か一人を責めたいわけではありません。

そして、

これはその人だけの話でもないと思っています。

ボクたちはnoteで、

自分の中にあるものを
言葉にして届けています。

でも同時に、

「良い人に見られたい」

「嫌われたくない」

「共感してもらいたい」

そんな気持ちから、

見せる自分を選んでしまうことも
あるのかもしれません。

優しい言葉を使うことが
悪いわけではありません。

誰かに寄り添うことも、

温かい場所を作ろうとすることも、

とても素敵なことだと思っています。

ただ、

「優しい人であること」と、
「優しい人に見えること」は、
同じなのでしょうか。


誰かの中に作られた、

「良い人」という自分を守るために、

本当の自分や、

目の前にいる誰かの痛みまで、

見えなくなってはいないでしょうか。

これは、

誰か一人に向けて書いた作品ではありません。

ここで言葉を届けている、

ボク自身を含めた、

すべての人への問いです。

ボクたちは、
ここで何を表現しているんだろう。


そして、

noteを去ることを決めたその人は、

最後に、

自分が感じたことを、

自分が傷ついたことを、

この場所に対して思っていたことを、

ボクに届けてくれました。

もう、

その人自身がここで
言葉を届けることはないのかもしれません。

でも、

受け取ったボクまで、

何も言わずに終わらせたくはありませんでした。

だから、

その人の言葉を代わりに語るのではなく、

その人から受け取った想いをきっかけに、

ボク自身の言葉で、
この場所に問いを残そう。


そう思いました。

これは、

誰かを責めるための作品ではありません。

正しい人と、

間違っている人を、

決めるための作品でもありません。

ただ、

画面の向こうにも、

ちゃんと心を持って生きている人がいること。

そして、

ボクたち自身も、

誰かに見せるための人物像ではなく、

光も影も持った、

一人の人間であること。

もう一度、

みんなで考えてみたい。

その人が最後に、

その想いをボクへ届けてくれたから。

だからボクは、
この作品をここに置きます。


― 影隠し ―

ここでは、

見せたい自分だけを
見せることができる。

やさしい言葉を選んで、

あたたかい言葉を並べて、

誰かに嫌われそうな言葉は
そっと消して。

怒った自分も、

妬んだ自分も、

迷った自分も、

画面の外へ置いておく。

そうすれば、

「やさしい人ですね」

と言ってもらえる。

「素敵な人ですね」

と言ってもらえる。

人だって、

集まってくるかもしれない。

 

でも、

少しだけ考えてみたい。

 

画面の中にいるその人は、

本当に、

あなたなのだろうか。

 

怒らない。

妬まない。

嫌わない。

間違えない。

いつも誰かを思いやって、

いつも正しい言葉を選んで、

いつも笑っている。

 

そんな人が、

本当にいるのだろうか。

 

人には、

光がある。

 

誰かを想う優しさ。

人を笑顔にする言葉。

誰かの痛みに寄り添う心。

 

でも、

人にはきっと、

影もある。

 

腹が立つ日もある。

誰かを羨む日もある。

言いたくないこともある。

認めたくない自分もいる。

間違えることもある。

格好悪い日もある。

 

それなのに、

光だけを切り取って、

影を全部消してしまったら。

 

そこに映っているのは、

本当に、

一人の人間なのだろうか。

 

それとも、

誰かに好かれるために作られた、

二次元の自分なのだろうか。

 

画面の中では、

影を隠せる。

 

言葉を選べる。

書き直せる。

消すこともできる。

 

だからこそ、

少し怖い。

 

「良い人」と思われることに慣れるほど、

その人物像から、

出られなくなってしまうことがあるから。

 

本当は違うと思っているのに、

言えない。

 

本当は苦しいのに、

笑ってしまう。

 

本当は怒っているのに、

また優しい言葉を探している。

 

その時、

守っているものは、

何なのだろう。

 

自分?

 

それとも、

誰かの中に作られた

「自分という人物像」?

 

人は、

二次元には生きていない。

 

ちゃんと、

三次元を生きている。

 

丸みがある。

凸凹がある。

傷がある。

見る方向によって、

違う表情がある。

 

そして、

光が当たれば、

影ができる。

 

影があるのは、

光が足りないからじゃない。

 

そこに、

実体があるから。

 

ちゃんと、

その人が存在しているから。

 

だから、

影を誰かにぶつける必要はない。

怒りを正しさに変えて、

誰かを傷つける必要もない。

 

でも、

影があることまで、

なかったことにしなくてもいい。

 

優しい自分も。

醜い自分も。

強い自分も。

弱い自分も。

笑っている自分も。

泣いている自分も。

 

きっと、

どれか一つだけが

「本当の自分」なのではなくて、

その全部で、

一人の人間だから。

 

だから、

少しだけ問いかけてみたい。

 

あなたは、

ここで何を表現したいですか。

 

「良い人」ですか。

 

それとも、

「あなた」ですか。

 

たくさんの人に好かれるために、

光だけを映し続けますか。

 

それとも、

影を落としながらでも、

自分の足で、

ここに立ちますか。

 

画面の向こうにいるのは、

数字じゃない。

 

そして、

画面のこちら側にいるあなたも、

ホログラムじゃない。

 

光もある。

影もある。

 

その両方があるから、

そこに、

あなたがいる。

 

あなたは今、

誰かに見せるための自分を

生きていませんか。


おわりに

優しい言葉を、

やめてほしいわけではありません。

むしろ、

優しい言葉がたくさんあるnoteが、

ボクは好きです。

でも、

その優しさを守るために、

自分自身まで隠さなくていい。

「良い人」であり続けるために、

苦しいのに笑わなくてもいい。

そして何より、

自分の人物像を守るために、

目の前で傷ついている誰かの心を、

見失ってはいけないと思っています。

画面の向こうにいるのは、

アカウントではありません。

フォロワーでも、

スキでも、

数字でもありません。

みんな、

それぞれの生活を生きている、

一人の人です。

そして、

書いているボクたちも、

一人の人です。

光だけじゃない。

影だってある。

間違えることもある。

だからこそ、

間違えた時には、

誰かに見せてきた

「良い自分」を守ることより、

目の前にいる一人の人を、

ちゃんと見られる人でありたい。

ボク自身も含めて、

そんな場所にしていけたらいいなと思っています。

良い人に見える人が集まる街ではなく、

いろんな人が、

いろんな形のまま、

ちゃんと実在できる街へ。

光だけを見せ合うのではなく、

影があることも知ったうえで、

それでも、

目の前の一人と向き合える街へ。

その人が、

最後にボクへ届けてくれた想いを、

ボクは忘れたくありません。

だから今日、

一つの答えとしてではなく、

一つの問いとして、

この作品を、

ここに置いておきます。

そして、

いつかまた、

その人がこの街を覗いてみようかなって思えた時。

少しだけ、

温かい街になっていたらいいな。

そんなことを、

ボクは願っています。

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