ゴッホのひまわりを見て「寂しい」と思った
黄色いのに。
夏の太陽、ひまわりなのに。
私は、もちろんゴッホの作品を知っていた。
ひまわりも知っていたし、星月夜も知っていた。
けれど、ゴッホという人については、ほとんど何も知らなかった。
だから、自分でも少し不思議だった。
どうして私は、この絵を見てこんなに苦しいんだろう。
私は高校3年間デザイン科にいた。
芸術やデザインを主に学ぶ学校だったので、他校と合同で美術館に作品を出すこともあったし、作品を鑑賞する機会も多かった。
同じ高校生なのに、こんな作品を書くんだ…
そう思ったことは何度もある。
濃い色を激しく重ねた抽象画が並ぶエリアは、少し苦手だった。
心がざわついた。
なぜ、この色を選んだんだろう。
この人の中には、何が渦巻いているんだろう。
これをゴールと決めて進めたのか。
それとも、描いているうちに、
これがゴールになったのか。
そんなことを、あれこれ考えていた。
絵を見ているのに、その絵を描いた人の心情まで考えてしまう。
今思えば、「HSP」という気質からくる感覚だったのかもしれない。
でも、当時はそんな言葉を知らなかった。
それから何年も経って、芸術とはまったく無縁の生活を送った。
そして、たまたまゴッホ展に行く機会があった。
そこには、見た事のないゴッホの作品がたくさんあった。
赤。
黄色。
緑。
たくさん色味が使われている作品が多い。
荒々しく描いたものもあれば、愛しいものを描いたものもある。
高校生の頃に見た作品とは、やはり比べものにならない。
それなのに。
どれも寂しかった。
ゴッホの孤独を感じた。
私は、ゴッホの人生を知らない。
どんな人だったのかも、ほとんど知らない。
それなのに、絵から寂しさを感じる。
孤独を感じる。
不思議だった。
そして、誰もが知っているであろう作品。
黄色い一面。
華やかな色。
「ひまわり」という題材。
専門家がこの作品をどう評価しているのか、
調べた事がないからわからない。
名画だから素晴らしいのかもしれない。
ゴッホだから価値があるのかもしれない。
ただ、
美しい、というより、
すごい、というより先に
私が感じたのは『空虚と孤独』だった。
これから先、
最後まで見られる自信がなくなるくらい、
息苦しさでいっぱいになった。
観覧を終えて外に出た。
胸に手を当て深呼吸をした。
外の空気をとにかくいっぱい体に入れ込んだ。
どっと疲れた。
疲弊した。
あとになって、ゴッホという人の人生を知った。
そこで初めて、あのとき感じたものが少しだけわかった気がした。
空間を支配しそうなゴッホの魂。
隠しても隠しきれなかったものなのか。
それとも、
それすら表現したかったことなのか。
私にはわからない。
ひまわりの絵を見て、癒される人もいるだろう。
同じ絵でも、
見る角度によって、
きっといろんな捉え方がある。
だから
これも私の戯言。

