中年夫婦の神社巡り⑪【大宮八幡宮〜吉祥寺】夫婦で歩く、初夏のお出かけと絶品ナポリピッツァ。
六月下旬の、梅雨の晴れ間。
東京の空は驚くほど青く、容赦ない初夏の陽射しがアスファルトを焦がしていた。
僕たちは涼を求めて、杉並の閑静な住宅街に佇む「大宮八幡宮」を訪れていた。

「東京のへそ、なんだって」
妻がスマートフォンの画面を見せながら言う。境内へ一歩足を踏み入れると、それまでの都会の喧騒が嘘のように消え去り、鬱蒼とした鎮守の森が僕たちを包み込んだ。
神門へと続く表参道は、緑のトンネルのよう。木漏れ日が、妻の薄手のワンピースに不規則な水玉模様を描いている。
「本当に、空気がひんやりするね」
そう言って微笑む妻の横顔を見る。それは僕たちが共に過ごしてきた、穏やかな時間の証明のようでもある。僕らの会話は、いつだって飾る必要がない。ただ、目の前にある緑の深さや、風の心地よさを、等身大の二人で分かち合う。

本殿の前に置かれた「茅の輪(ちのわ)」を見つけ、僕たちは顔を見合わせた。半年の罪穢れを祓う「夏越の祓(なごしのはらえ)」の神事だ。
作法に従って、八の字を描くように二人でぐるぐると輪をくぐる。
「後半の半年も、二人で元気に過ごせますように」
小さな声で呟いた妻の横顔に、僕も心の中でそっと手を合わせた。大仰な願い事はいらない。ただ、この静かな日常が明日も続くこと。それだけで十分だった。
杉並の緑に癒やされた僕たちは、井の頭線に揺られて吉祥寺へと向かった。
時刻はちょうど正午。お腹の虫が鳴り出す頃だ。今日の本命は、以前から妻が「どうしても行きたい」とブックマークしていたナポリピッツァの名店。
吉祥寺駅の南口を出て、井の頭公園へと続く賑やかな通りを少し歩き、ビルの階段を地下へと降りていく。そこにあるのが「Pizzeria GG 吉祥寺」だ。

人気店なのは知っていたけれど、やはりお店の前には何組かの先客が並んでいた。
「待つ?」と僕が聞くと、「もちろん」と妻が即答する。階段に漂う香ばしい薪の匂いを嗅ぎながら、メニュー表を二人で覗き込む。次に来たらあれを食べよう、なんて話しながら待つ時間も、思いがけない僕らのデートの時間になった。
しばらくして、ようやく名前が呼ばれた。
ドアを開けると、薪窯から漂う香ばしい小麦と焦げた薪の匂いが一気に鼻腔をくすぐった。本場ナポリの食堂を思わせる、活気ある空間。
案内された席に座り、まずは冷えたビールとブラッドオレンジジュースで乾杯する。
メニューを眺めながら、あれこれと悩む時間も夫婦の定番だ。僕たちは定番の「マルゲリータ」と、もう一枚、お店のおすすめを頼んでシェアすることにした。
運ばれてきたピッツァは、中心が薄く、縁(コルニチョーネ)がぷっくりと膨んで、美しい焼き目がついている。これぞまさに本場のナポリサイズ。
「熱いうちに食べて!」
妻が急かすように言う。ナイフとフォークを器用に使い、一切れを口に運ぶ。
……美味い。
噛んだ瞬間に、生地のモチモチとした力強い食感が弾けた。トマトソースのフレッシュな酸味と、とろけるモッツァレラチーズのコク、バジルの爽やかな香りが、口の中で完璧なハーモニーを奏でる。薪窯の高温で一気に焼き上げられた生地の、ほのかな苦味すら愛おしい。
「ナポリの人が羨ましくなっちゃうね」
口のまわりに少しソースをつけた妻が笑う。僕はナプキンを差し出しながら、その笑顔を眺めていた。こうして少し狭い地下の名店で、お互いの顔を見つめ合いながら、ただ「美味しいね」と言い合える。この贅沢さを、僕らはもっと噛み締めていいはずだ。
お腹がいっぱいになった僕たちは、店を出て、午後の強い陽射しの中をまた歩き始めた。
井の頭公園の池には、初夏の濃い緑が反射してきらきらと輝いている。
「次はどこへ行こうか」
「そうね、ちょっと涼しいカフェで、かき氷でも食べない?」
どちらからともなく手を繋ぐ。少し汗ばんだ手のひらから、お互いの体温が伝わってくる。
中年夫婦の、ありふれた休日。
ドラマチックな出来事は何一つないけれど、大宮八幡宮の深い緑と、吉祥寺で食べた絶品のピッツァがあれば、僕たちの人生はそれだけで十分に満たされている。
そんなことを思いながら、僕は妻の歩調に合わせて、ゆっくりと歩みを進めた。
