しんどい人に、一番必要なもの。2026.9.5.更新🗒
あなたは安心できる存在が近くにいますか?
突然ですが、私の中で「安心できる存在」というものを考えてみると、イマは思い浮かばないんですよね。SNSではいますが、リアルではいません。なので、実質いないという話ですね。
ですが最近、少しずつですが「人間」というものが好きになってきた気がします。だから、私と同じような境遇の人へ向けてのお手紙です。
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私たちが誰かと一緒にいるとき、心が一番そばにいるのって、「そのままのその人」つまり成功したとしても、たとえ失敗したとしても、どんな状態でも、ちゃんと見ているということなのかもしれない。
成功したから嬉しいは当たり前だけれど、成功したことではなくて、成功までの過程を喜べる。失敗したとしても失敗までの過程を「がんばったね」って言える関係性。それが最高なのではないかと思う。
頑張っているときに、「ここは凄くいいと思うけど、ここはこうしたほうがいいんじゃない?」「頑張ってるのはいいけど、私の話もたまには聞いてほしい」これくらいの距離感がいいのかもしれませんね。ちゃんと近くで、見守ってくれることが素敵だと思う。
だから、友達が「失敗した」って俯いているとき、「私なんてさ」って言葉が、口から出そうになることがありますが、できるだけ肯定してあげたい。
例えば、家を建てていて、家が全壊して「失敗した」って俯いてる人がいたら、なんて声かけますか?
「そんなことないよ」なんて言われたら、腹立ちますよね。
分かりやすく例えたら、こういうことなんです。
おそらく、「一生懸命の度合い」が違うだけだと思う。だから本気のときは、かける言葉も選ばないとと思いました。
その一言で、相手の「イマここにある気持ち」は、苦しくもなれば、楽にもなる。そんなふうに、簡単に変わってしまう。だから私は、こう言うようにしている。
「その気持ち、わかるよ。でも頑張ってたじゃん」って。
例えに家を出したせいか、話が入らないかもしれませんね。でもとにかく、そういうことです。
たったそれだけ。すごく小さな言葉なんですけれど、その一言で、相手の「ありのまま」の等身大の姿が、初めて立体化して現れる気がするんです。輪郭がボヤけていたのが、ハッキリと見えてくるような。谷折りの線が山折りの線になるような感じ。
なんでそう思ったのか。どうしてそんなに辛くなったのか。ぜんぶ理解できなくてもいい。理解しようと一生懸命に頭を働かせて、答えを出さなきゃいけないわけでもない。
外から内を理解しようとするというか、内側を聞き出さずに内側を理解しようとする姿勢。ただ、その人の顔を横からそっと見ながら、「うん、そうか」って、同じ空間を共にする。それだけで、十分に「認める」ということは始まっている。
言葉がなくてもいい。沈黙が流れてもいい。
その静かな時間の中に、すごく深いものが流れている。
あなたがイマ、誰かの隣にいるなら。誰かのことを思い出しているのなら。どうかその人の「そのまま」を、否定しないでいてあげてほしい。それだけで十分救われる。
否定しないということは、「あなたは間違ってないよ」って言ってあげることではなくて、「あなたが今そう感じていることを、そのまま受け止める」ということ。
それだけで、誰かの心は少しだけ息の通りが良くなる。今日もどこかで、誰かと誰かが、支え合っている。

今日も読んでいただきありがとうございます。
では、また次の記事で。
素敵な一日を、
