”考える人”について考える。
歩くから何も考えずにいられることもある。
現代は、”考える人”で溢れているのかもしれない。
嬉しい・楽しいは、外に向かう感情で、考える・悩むは、内に向かう感情・思考のイメージがある。考える人は、何かを抱え込んでたように見える。
考える人って一般的には、「知的」とか、「哲学的」とか、そういう象徴として語られることが多いらしいです。
でもよく見ると、あの姿勢って全然ラクそうじゃない。どちらかというと「どうしようか悩んでる」ように見える。
前かがみで、
身体を縮めて、
凄く踏ん張って、
顔に手を当てている。
あれは、
”閃いたことをみんなに伝える人”というより、”自分一人で抱え込んでる人”に見える。
この像はもともと、
《地獄の門》の一部として作られていたらしい。
だから最初から、穏やかな読書家ではなく、
”地獄を見下ろしながら思考している存在”に近かったらしい。
そう考えると、あのブロンズが流し込まれた重そうな身体にも納得がいく気がする。
考えるって、
かなり消耗する行為。
可能性を見てしまう。
相手の感情を想像してしまう。
未来の不安を予測してしまう。
過去の「これでよかったのか」を繰り返してしまう。
しかも考える人って、
”考えたい”というより、止まらないから考えてしまう。
静かにしてても、横になっても、座ってても、立ってても、頭の中だけずっと動いてる。
そして最近、思ったことがある。
もしかすると現代って、”考える人”で溢れているのかもしれない。
SNSを開けば、他人の人生が流れ込んでくる。
比較。
正解探し。
人間関係。
承認欲求。
将来の不安。
炎上への恐怖。
見たくないものを座って眺めてる。
脳が休まる暇がない。
昔より便利になったはずなのに、
心はずっと情報に追われている。
だから現代人って、
椅子には座っていても、
頭の中ではずっと《考える人》の姿勢をしているのかもしれない。
身体は止まっているのに、
脳だけが前のめりになっている。
しかも、
考えすぎる人ほど、真面目だったり、優しかったりする。
空気を読む。
未来を想定する。
相手を傷つけないようにする。だから疲れる。
でも、
何も考えない時のほうが、
強く真っ直ぐに進める場面もある。
”考えられる”って才能でもあるけど、
それと同時に止まってしまう原因にもなる。
たぶんイマの時代に必要なのは、
”もっと考える”ことではなく、”考えたことを外に出す”ことなのかもしれない。
余白を作り、ボーッとしてみて、
そのなかで思い浮かんだことを文字にして外へ出す。
そうしないと現代人はみんな、
心の中でずっと《考える人》になり続けてしまう。

今日も読んでいただきありがとうございます。
では、また次の記事で。
素敵な一日を。
