気遣いだと思っていたけど、不安だったのかもしれない|見捨てられる恐怖に気づいた話
私は長い間、人の顔色をうかがい、
自分を責める癖があると思っていた。
でもある出来事をきっかけに、
それは気遣いではなく「不安」だったのかもしれない
と気づいた。
最近、役所での手続きを進めている。
役所の方がとても丁寧に対応してくださっていて、
こちらの事情にもたくさん配慮してくれた。
ところが私は、その優しさを受け取るたびに、
なぜか落ち着かなくなっていた。
電話に出られなかった。
返信が少し遅くなった。
それだけなのに、妙に気になった。
最初は、
「迷惑をかけてしまったからだ」
と思っていた。
でも、少し違ったみたいだ。
気遣いだと思っていた
私は昔から、人への気遣いが大切だと思っていた。
相手が丁寧に接してくれたら、
こちらもちゃんと応えなければいけない。
相手が配慮してくれたら、
その分返さなければいけない。
そんな感覚があった。
でも今回気づいた。
もしかしたら私は、気遣いをしていたというより、
不安に反応していただけなのかもしれない。
相手がどう思ったかわからない
役所の人から電話があった日、私は出られなかった。
翌日メールもいただいた。
そこで私の中にモヤモヤが生まれた。
本当に苦しかったのは、電話に出られなかったことではなかった。
返信が遅れたことでもなかった。
「相手がどう思ったかわからない」
ことだった。
失礼だと思われただろうか。
困らせただろうか。
悪い印象を持たれただろうか。
そんなことを考えていた。
私は自分を責めたかったわけじゃない
その時、ふと気づいた。
私は自分を責めたいわけじゃなかった。
不安を終わらせたかっただけだった。
例えば、
「私が悪かった」
と結論が出れば、苦しい気持ちは一旦終わる。
自分は傷つくけれど、不安は確定する。
相手がどう思ったかわからない状態より、
「私が悪かった」
の方が安心できる。
だから私は、無意識に自分を責めていたのかもしれない。
今までずっと、
自分責めの癖があると思っていた。
でも本当は、
不安に耐えられなかっただけなのかもしれない。
気遣いも罪悪感も、不安から始まっていた
ここで、今までバラバラだと思っていたものが繋がった。
気遣い。
確認。
管理。
比較。
背負うこと。
罪悪感。
全部別々の問題だと思っていた。
でも違った。
全部、不安から始まっていた。
不安だから確認する。
不安だから先回りする。
不安だから背負う。
不安だから自分を責める。
私はずっと、
安心するために頑張っていたのかもしれない。
不安の奥にあったもの
さらに見ていくと、
不安のもっと奥にあったのは恐怖だった。
見捨てられる恐怖。
否定されることが怖かったのではなく、
離れていかれることが怖かった。
私は子どもの頃、
嫌だと言ったら
お母さんに山に捨てると言われたことがある。
なぜ怒られたのかも分からなかった。
だから私は、
「自分の気持ちを出したら見捨てられる」
をどこかで学んだのかもしれない。
今振り返ると、
私はずっと見捨てられないように生きてきた。
息子を心配していた本当の理由
私は息子たちのことをよく心配していた。
もちろん大切だからだ。
でも今回気づいたことがある。
もしかしたら私は、
息子を心配することで、
自分の居場所を守ろうとしていた部分もあったのかもしれない。
夫と離婚して、
息子たちまで離れていったら、
私は一人になる。
それが怖かった。
だから心配していた。
だから背負っていた。
だから必要とされようとしていた。
そんな部分もあったのだと思う。
たとえ一人でも、一人じゃない
離婚は怖かった。
一人になるのも怖かった。
見捨てられるのも怖かった。
だから私はずっと、
神経を張りつめて生きてきた。
でも今は少しだけ思う。
たとえ一人でいても、
一人じゃない気がする。
それは誰かが必ずそばにいるという意味ではない。
「私が私を置いていかない」
そんな感覚に近い。
私はずっと、
「見捨てられないように生きる」
ことに必死だった。
でもこれからは、
「安心して生きる」
を少しずつ選んでいきたい。
恐怖の物語の続きに、
初めて安心の物語が書き始められた気がしている。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
🌿あわせて読みたい記事
🌻「気遣いは優しさだと思っていた。でも不安だったのかもしれない」
気遣いの裏にあった不安について書いた記事です。
🌻「全部背負わなくていいと気づいた日」
私はなぜ人の問題まで背負ってしまうのか。その理由が少し見えた記事です。
🌻「理由の分からない生きづらさの正体」
