【つながる愛②】「見せてくれてありがとう」という愛 〜安心の形が変わると、人生が変わる 〜
息子たちが一人暮らしを始めた頃。
料理を作ると、写真を送ってくれた。
私がよく作っていた酢豚。
「作ってみたよ。」
そんな写真もあった。
その写真を見るたびに、私はうれしかった。
自分が作ってあげていた料理を、
今度は自分で作れるようになったんだ。
そんな成長もうれしかった。
だから私は、
「おいしそう。」
「上手にできたね。」
そんな言葉を返していた。
それが愛だと思っていた。
でも今なら、少し違う景色が見える。
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本当は、
料理を褒めてほしかったんじゃない。
お土産を褒めてほしかったんじゃない。
写真を見てほしかったんじゃない。
その奥には、
「見て。」
という、小さな気持ちがあった。
「作れるようになったよ。」
「今日はこんなことがあったよ。」
そんな毎日の出来事を、
一緒に味わってほしかったのかもしれない。
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私は料理を見ていた。
でも、本当に見たかったのは、
料理の向こう側にいる息子だった。
「おいしそう。」
その一言でもよかった。
でも、その前に、
「見せてくれてありがとう。」
そんな空気で受け取れたら、
もっとよかったのかもしれない。
言葉が大切だったわけじゃない。
きっと伝わるのは、
「あなたを見ているよ。」
という空気だった。
「頑張ったんだね。」
「うれしいな。」
「成長したね。」
そんな気持ちが、自然ににじむ空気。
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旅行のお土産も同じだった。
私は、
「ありがとう。」
と受け取っていた。
もちろん、その気持ちに嘘はなかった。
でも今思う。
本当に受け取りたかったのは、
お土産ではなく、
お土産を選んでくれた時間だった。
「これ、喜んでくれるかな。」
そんな気持ちがあったことを、
もっと味わいたかった。
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私はずっと、
「相手が喜ぶ返事」を探してきた。
でも、本当に大切だったのは、
正解の言葉ではなかった。
相手の気持ちを見ようとすること。
その人と、一緒にいること。
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もし、またそんな日が来たら。
今度は最初に、
「見せてくれてありがとう」
そう伝えたい。
誰かに気持ちを受け取ってもらえると、
「私は見てもらえた。」
そんな小さな安心が生まれる。
その安心は、
少しずつ、
「ここにいていい。」
へ育っていくのだと思う。
🌿 「人が見せてくれるものの奥には、
その人の大切な想いがある。」
最後まで読んで下さり、ありがとうございました🍃
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