永久(とこしえ)なる日常は
とくにキレイでもない、普通の海を唯一の観光資源にしている小さな町の居酒屋。
その洗い場で143枚目の皿を洗い終え、五時間のバイトが終わった。
日が変わる手前の海岸線を、相棒のママチャリに跨ってノロノロと走る僕。
首を左に向けると月明かりの下で、光を反照した水面が柔らかな輝きを放ち、漆黒の世界に染まるのを押し留めている。
少し先に見えるマンションの真上で世界を見下ろす満月は、輪郭をぼやかせながら妖艶な雰囲気を醸し出していた。
今日の満月はやけに大きい。
「つまらん仕事の後でも、月はキレイってか」
鼻からニャンコが飛び出して~
ワンコとパンコをかき混ぜた~
おサルはムキッと笑ったよ~~
ララララララ~~ラララ~~~
僕は気分がいいと、子供の頃に流行ったお気に入りのCMソングを口ずさむのだ。
歌詞の意味なんて知らない。
けれど、既にこのリズムは体にしっくりと馴染んでしまっているので、無意識に口から出てしまうのだから仕方ない。
「あ~あと三十分もすれば二十五か……やっべぇな俺」
どう足掻いてもやってくる誕生日を控え、二十代半ばで未だバイト生活の境遇を嘆いた。
「おんっ?」
と、眼前に見えるマンションに少し違和感を感じた。
自転車を止め目を凝らすと、さっきから月の真下で照らされているマンションの屋上に人影が動いている。
「なんだ、人か」
ほっと胸を撫でおろそうとした時、何の予感がその手を止めた。
(うん?人、だよな…何かおかしくね?)
頭らしきものと胴体、そこから左右に伸びる両手とニョッキリ生えている両足と思わしきシルエット。
その形は紛れもなく人に見える。
けど、けどデカい、多分相当デカいんだと気付いた。
下の階の部屋と同じ位の大きさに感じる。
(マンションの天井って、どれくらいだっけ?)
その人物は、両手の肘を曲げ天に伸ばす動きを延々繰り返していて、何だか雨乞いのようだなと僕は思った。
「なんだなんだ?目がおかしいのか?」
もっと近くで見ようと再び自転車を漕ぎ出しす。
さっきまでと違い、ペダルを踏む足に力が入る。
目標のマンションの近くにつれ、その人物?の姿が詳細に見えてきた。
改めて見るとやっぱり大きくて、三メートル位はあるように感じた。
手足は長くて上半身は裸。というか真っ裸。
服らしきものと言えば、首元を一周する銀色のバンドとそこから体を縦に分断するかのように、真っ直ぐ伸びている同色のバンド。
何だか銀色のきしめんを貼り付けているみたいで、滑稽な感じさえする。
そして目が異様にデカい、TVでよく見る宇宙人を想像させた。
腰くらいの長さの髪の毛が、バサバサと風になびいている。
「何なんだありゃ…」
相変わらず両腕を天に向かって、曲げ伸ばししている。
その動きをジッと観察している内に僕は気付いた。
「あれって、月に向かってお祈りとかしてるのか?」
呟いている最中、はじめて動きが変わった。
両腕を月に伸ばしたまま、動きを止めたのである。
「うわ~、何してんだマジで?」
「流石にあそこまでいくのは怖え~な」
「マジかよ、ドッキリとかじゃな~よな」
「っていうかあれ人じゃね~よな?妖怪?宇宙人?」
「誰か居ないかな」
興味と恐怖がごちゃ混ぜになり混乱した僕は、矢継ぎ早に独り言を繰り返し、必至に思考を整理する。
しばらくして漸く、スマホを動画モードに切り替えることに気付いた。
「やべっ、動画撮らなきゃ」
動画アプリを起ち上げ、スマホをかの人物に向けたタイミングで、月に向かって上げていた両腕がオーケストラの指揮者の如く降り下ろされた。
と、それに合わせて月が動いた。ズレた?
「ふぁ?」
僕の口から間抜けな声が漏れる。
月だったものは、海に向かって落下し始める。
落下というには巨大過ぎるな気がして、こぼれ落ちたと言ったほうが、しっくりくるなと僕は呑気に思ってしまった。
さっきまで”それ”があった場所には、本来の月が下界を照らしているけど、拍子抜けするくらいの小ささで、申し訳なさそうにも見える。
というか中途半端に欠けていて、満月ですらなかった。
そんな事を思っている最中も、”それ”はドンドン落下スピードを上げてやがて海中に没した。
”それ”が海中に姿を消すと、海面はもの凄い光を放つ。
まるで繊細かつ複雑にカットしたダイヤの板を、内側からとんでもない光量で照らしたような、でたらめな眩しさが世界を照らす。
僕は眩しすぎて目が開けられなかったけど、暫くするとその光も落ち着いたようで周りの景色を見る余裕も出てきた。
さっきよりマシとはいえ、目に入る世界は夜中とは思えない程の明るさだ。
「遅かったか…」
状況が飲み込めず呆けていると、後ろから声がした。
(えっ?)
振り向くとそこには真っ赤な顔に、長く大きな鼻の天狗が立っていた。
「うえっ!あっ!てってん…てん……」
もうそれとしか表現のしようのない、完璧な天狗の姿をしている。
法衣のような物を纏っているけど、隙間から除く大胸筋の盛り上がりは尋常じゃない厚みを物語っている。
バイト仲間で、アムステルダムからの留学生ジムもかなり大きいけど(アメフトやってたとか言ってたな)彼よりも一回りはデカい。
「マニアワナカッタ」
さっきとは違う、たどたどしい声がした。
よく見ると、天狗の斜め後ろに更にデカいやつがいる。
”テーマは鉄と岩石で巨人を作ってみましょう”を体現したような外見で、もし頭にネジが刺さっていたら、名前はフランケンしかないだろう。
灰色のゴツゴツした皮膚と白目だけの小さな目、とんでもなくぶっとい腕……って左腕は千切れてしまったのか、肘から先が無くて緑色の(多分血液だと思う)液体がバタバタと垂れている。
表情はよく分からないけど、2人とも残念そうに海の方角に目をやってる。
つられて視線を送った海からは、地鳴りのような重苦しい音が聞こえてきた。
「すまない。守れなかった」
また違う声。
その声の主は、僕の肩に手を置く。
いつの間にか右横に、天狗と同じ位の身長の白人が立っていた。
長い髪を後ろで束ね、体のあちこちから流れる血と古い傷跡、悔しそうに真一文字に結ばれた口元、歴戦の戦士然とした佇まい。
それを見た瞬間、僕は遺伝子レベルで全てを悟った。
「あっいえ、あざす」
恐らく、地球上の全ての生き物を代表したであろう感謝の言葉は、謝意の歴史上最も軽いものになってしまった。
戦士は肩に置いた手に僅かな力を込め、僕の礼に答えた。
目に写る海面は、気が付けば空まで届く壁のようにせり上がり、まるで世界から僕たちの日本列島が寸断されてしまったようだった。
月も隠れてしまい、先ほどとは真逆の闇が覆う。
この期に及んで、僕の頭の中にあったのは(あっ今月家賃払えないかも)だった。
全世界同時多発的に起こった千五百メートル級の津波は、地球上のありとあらゆる生物、文明を破壊し尽くした。
こうして、地球の支配権は新たな種族に交代されることになった。
ー終ー
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