アガサ・クリスティー再読感想文 その19 好きな作品⑤ 『予告殺人』中編 三つのドラマ
映像化のお話をした時にも取り上げましたが、ミス・マープルのドラマといえばこの二つ。
『ミス・マープル ジョーン・ヒクソン版』(BBCで1984年から)と。
『アガサ・クリスティー ミス・マープル』(ITVで2004年から)。
どちらもミス・マープル12の長編小説の全てを映像化しているので、同じ原作のドラマを見比べることができます。
大体二時間ほどに収められるドラマ。
長い小説のどこに焦点を当てるか、どこを取り上げてどこを切り捨てるか、製作者によって取捨選択が異なり、脚本、演出、役者さんの演技なども少しずつ違ってきます。
面白いです。
『予告殺人〔新訳版〕』
アガサ・クリスティー(著) 羽田 詩津子(訳) 早川書房 クリスティー文庫
今回は二つのドラマシリーズに加えてもう一つ。
三つの『予告殺人』のお話をしたいと思います。
その前に時代背景と手紙のお話しを少しだけ。
参考文献はいつもの2冊。
・『アガサ・クリスティー百科事典 ―作品・登場人物・アイテム・演劇・映像のすべて―』数藤 康雄編、竜 弓人編、早川書房、2004年出版。
・『アガサ・クリスティー完全攻略〔決定版〕』霜月 蒼著、杉江松恋解説、早川書房、2018年。
感謝です。
1 時代背景
チッピングクレグホーンの住人の誰もが読んでいる地元紙ガゼット。
その個人広告欄に殺人予告が。
殺人のお知らせ申し上げます。十月二十九日金曜日、午後六時半にリトルパドックスにて。お知り合いの方々にご出席いただきたく、右ご通知まで。
住人たちは皆この奇妙な招待状に興味津々。
いそいそとリトルパドックスに集まってきます。
前回もお話ししました物語の冒頭。
ちょっと不謹慎ながら、楽しそうな村の住人たちの様子が描かれています。
戦後の貧しい中、食べ物を交換して助け合ったり。
その交換のために、家には鍵をかけず、留守宅でも互いに自由に出入りしていたり。
顔見知りで仲がいい住人たち。
楽しそうなご近所付き合いが描かれているのですが。
しかし事件は起きてしまいます。
捜査するクラドック警部は言います。
この村では和気あいあいとした、ありふれた生活が送られているように思えます──中略──滑稽で、つつましく、単純だ。それなのに、一人の女性と一人の男性が殺され、私がしかるべき手を打たなければ、もう一人の女性が殺されるかもしれないのです。
捜査が進んでいくにつれて、和気あいあいとした村人たちの関係に疑問が生じ、実は互いのことを意外と知らなかったことがわかってきます。
この作品が発表されたのは1950年。
時代は戦後です。
『予告殺人』の時代背景は、第二次世界大戦の終戦からの復興期にあたる。戦勝国となったものの、国民は戦争の疲弊を引きずり、インフレと物質の欠乏に苦しんでいた。燃料の石炭は配給制となり、作中でも登場人物たちは口々に室内暖房のセントラルヒーティングのことを話題にしている。
作中でもミス・マープルが15年前の話をして
でも、もうそんな時代ではありません。どの村も、どの小さな田舎町も、まったく縁もゆかりもないのに引っ越してきて住み着いた人たちばかりですから。大きな屋敷は売られ、コテージは改造されています。そして、よそ者がやって来る。その人についてわかっているのは、本人が言っていることだけです。──中略──本人の言ったことが、そのままその人の評価になるんです。誰それはとても愉快な人で、以前からの知り合いだ、と保証してくれる友人からの手紙が届かなくても、みんないそいそと新入りの人を訪ねていくんですわ
チッピングクレグホーンの住人たちも皆、本人がそう言っているだけでそれを証明する手立てがありません。顔見知りの仲良しの住民たちのはずが、急に不気味な存在になり、隠された別の顔が見えてきます。
クリスティーはこういった戦後の時代背景をミステリーにうまく使っていると思うのですが。
(この感じ、横溝正史作品にも時々ありますよね。どちらの作家も好きです。)
登場人物の思わぬ別の顔というのは物語としても面白く、人間の複雑さにも通じていて興味深いです。
このことはリトルパドックスの住人にも言えることで。
リトルパドックスの主人レティシア・ブラックロック。
彼女を頼ってやってきた若い親戚二人にはこれまでほとんど会ったことがなく。
同居人の戦争未亡人も事件前に見知らぬ男性と会っていたことが目撃され。
学生時代の友人もほんの少し前に彼女を頼ってこの村にやってきたばかり。
レティシア自身も実は若い頃経済界で活躍した人物で、今の落ち着いた生活を送る老婦人と異なる顔を持っていて。
と、登場人物は皆、疑わしく見えてきます。
その上レティシアにはもうすぐ莫大な遺産が手に入るらしいことがわかり、そこに犯人の動機が隠れていそうで。
古いアルバムや手紙が重要な証拠になるのでは?
と事件を担当するクラドック警部はそれらを探しますが。
2 手紙 姉から妹へ
この物語には手紙のほかに、新聞、メモ、アルバムなど、書かれたものとか写されたものなどが登場します。手記や手紙を物語の中に効果的に登場させるクリスティーは今回もその辺がかなり巧みで楽しいです。
それらは意外なヒントになっていたりいなかったり。
なのですが。
私が好きなのはレティシアが若い頃に妹に宛てた手紙。
レティシアには故郷に病で引きこもっている妹がいました。
彼女はたくさんの手紙を書き、妹を励まします。
いとしいシャーロット
ときどきは人に会ってほしいと思います。あなた、大げさに考えているのよ、わかるでしょ。自分で思っているほどひどくないわ。それに、他人はそういうことを気にしないものよ。自分で思っているほど醜くなんでないわ。
手紙を読んだクラドック警部は言います。
心を動かされる手紙の束でした。ミス・ブラックロックは妹が人生に興味を持ち、健康に過ごせるように、ありったけの言葉を尽くして手紙を書いていました。
聡明な姉から病の妹へ送られた手紙の束。
そのうちの一通が作中に全文載っています。
そこから書き手のレティシアの人となりもわかってきます。
彼女の賢さ聡明さ愛情深さ。
妹を思う気持ち。
心温まる手紙です。
もちろんこの手紙も事件解決のヒントになるわけですが。
3 三つのドラマ
さて、これまでに私がみた「予告殺人」のドラマは三つ。
それぞれを比較して私がこの作品の魅力だと思っている部分のお話に繋げたいと思います。
① ジョーン・ヒクソン版
BBC製作、1984年から放映されたドラマシリーズの「予告殺人」は。
このシリーズの他のドラマ作品と同様に、原作を丁寧に視覚化するという感じの作りになっていると思います。
事件の起こるチッピング・クレグホーンの村の様子とか、登場人物やセリフなども、割合に原作に忠実に丁寧に描かれいます。原作世界を視覚化するとこんな感じだったのかなと思わせてくれて楽しいです。
ドラマの冒頭は原作と違い、ミス・マープルがホテルでメイドと会話している短い場面から始まりますが、原作ではミス・マープルの出番は物語の後の方なので、ドラマとしてはこの方がいいかもしれません。メイドさんはこの後事件に少し関わることになるので、ちゃんと意味のあるエピソードになっています。
その後新聞配達の少年が登場。原作の冒頭と同じです。
少年は各家庭に新聞を「押し込む」のではなく、入り口に置いて石で押さえてましたけど。
ミス・マープル役のジョーン・ヒクスンはもちろん。
レティシアやその友人のドラ、住民の人たちも原作のイメージに近くてなかなか良かったです。
クラドック警部役の方が私が想像していたよりもちょっと厳しめで重い感じだったかもしれません。
前回お話しした原作のエピローグ、新聞屋さんとのやり取りがドラマにはありませんが、最後にミス・マープルが「この村のことはガゼット(問題の地元紙)で知ることができる」と締めくくってくれるので、原作ファンとしてはちょっと嬉しいです。
② ジェラルディン・マクイーワン版
2004年から始まった『アガサ・クリスティー ミス・マープル』(Agatha Christie's Marple)のドラマシリーズは前半と後半で異なる二人の役者さんがミス・マープルを演じています。
『予告殺人』はシーズン1の エピソード4(通算第4話 イギリス2005年放送)なので前半。ジェラルディン・マクイーワン版になります。
こちらの冒頭はレティシアが若い頃秘書をしていた富豪のランダル・ゲドラーの死のニュース映像からだったかな?
その後ミス・マープルがホテルで楽しそうに過ごしている場面に変わったはず。
(記憶がちょっと曖昧ですみません。あとで確認して違っていたら訂正します。)
マクイーワンはいつも楽しそうでお茶目な感じが好きです。
ホテルのボーイに小切手を偽造されたけど、歳をとると小切手帳に書く金額は決まってるから騙されませんと得意気にいったり、でも物価が上がったのでその金額をちょっと増やしたんですとか言ってみたり。原作のエピソードを可愛く話してくれて嬉しいです。
新聞配達少年も少し出てきます。
さてこちらのドラマの焦点はレティシアかなと思いました。
なんといってもレティシア・ブラックロック役をゾーイ・ワナメイカーという役者さんが演じているのですが、この方はポアロのドラマシリーズで後半、時々ワトソン的立ち位置に収まるオリヴァ夫人も演じてくださっています。私は彼女のオリヴァ夫人が大好きなのですが、レティシアはオリヴァ夫人よりもしっかりして落ち着いた女性で、昔、富豪と一緒にビジネス界を渡り歩いた有能な秘書という感じも出しているのかも。すごくあっていました。
あ、今確認したのですが、こちらは2005年作品でオリヴァ夫人の初登場は2006年なのですね。
レティシアが先でした。
物語のラスト。残念ながら新聞屋さんは出てきません。
富豪の病弱な奥さんベル・ゲドラーが静かに息を引き取るところで終わります。
(彼女については次回お話しします)
最後にもう一つ。
今回どうしても取り上げたかったのは。
③ 『ドラマスペシャル アガサ・クリスティ 予告殺人』
日本で制作されたドラマです。
テレビ朝日系列で2019年に放送されたはず。
私はその頃すでにクリスティーのファンで、リアルタイムで楽しませていただきました。
舞台も日本の現代に置き換え、美しい山あいの村の様子が印象的でした。
このドラマ。
なんと、ミス・マープルは出てきません。
探偵役はその前に制作されたクリスティー原作のドラマシリーズから続投の男性警部さんでした。
原作ではミス・マープルが最後にある行動をして犯人を心理的に追い詰めるのですが、ヒクスン版もマクイーワン版もその表現はありません。映像化するのはちょっと難しいかなと思ったのですが。
それをこちらのドラマでは沢村一樹さん演じる相国寺警部が現代的なアイテムを使って行います。あ、なるほど上手いなと思いました。
それと村の住人たちにあだ名をつけて呼び合うのですが、住人たちの仲の良さを演出しつつ、それも謎解きに上手く関わっていて面白かったです。
さて私がこのドラマで一番好きなのは。
中年の孤独な女性二人の関係を丁寧に取り上げてくれたこと。
寂しい二人の女性が互いに相手をかけがえのない存在と感じている描写です。
ドラマの冒頭。
レイリー(レティシアのことです。ドラマでは黒岩怜里という名前でレイリーと呼ばれてます)が新聞に乗っていた殺人予告を見て驚き、同居の友人ドラ(ドラマでは土田寅美という名前でドラと呼ばれます)にそのことを知らせる場面から始まります。が、ここからすでに原作や他のドラマと印象がちょっと違います。
原作では身に覚えのない殺人予告に対し、レティシアは本気にせず困ったことだと呆れた感じで、一方のドラは嫌な感じだと怯えてました。先にお話しした二つのドラマの役者さんも同じような演技をされていました。
でもこちらのレイリーは誰かのイタズラだと言いってドラと一緒にちょっと面白がってむしろはしゃいだ感じで楽しそう。
このドラマの二人はすごく仲がいいのです。
二人の老婦人の関係。
年老いて暮らしに困り学友のレイリーを頼るドラ。体も弱り、思考も鈍り、それでもレイリーが好きで役に立ちたいと思うドラを室井滋さんが演じ、そんなドラに愛情と哀れみを感じるレイリーを大地真央さんが演じられていて。素晴らしかったです。
もしかしたら原作より丁寧に二人の関係を描いていたように思います。
推理小説を映像化する時は、原作のトリックをどう見せるかとか、被害者や犯人の人物造形をどうするかなど、難しいと思いますが。
原作の魅力を引き出すための工夫がドラマによって異なり、それぞれに良し悪しがあって、観る人の好みも分かれそうですが。
老婦人の関係を丁寧に扱ってくれたこの作品。
私にはとりわけ印象深くて。
ということで。
次回はレティシアとドラの二人と。
もう一人の老婦人ベル・ゲドラーについてお話ししたいと思います。
そして最後に犯人のお話も。
次回。
アガサ・クリスティー再読感想文
その20 好きな作品⑤ 『予告殺人』後編 三人の老婦人と犯人
三人の老婦人の生き方とか、老いることとはどういうことか、とか。
それと切ない犯人と。
クリスティーの人物造形は本当に素晴らしいです。
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