「オランダはなぜ違う? 欧米と日本の境界知能事情」
「境界知能」という言葉は、日本で近年よく聞かれるようになりましたが、
実はこの概念は欧米にも以前から存在しています。
英語では Borderline Intellectual Functioning(BIF) と呼ばれ、
IQ70~85程度の範囲を指します。
これは、
⚫︎知的障害(IQ70未満)ほど重くはない
⚫︎けれど平均的な知能(IQ85以上)よりは低い
という、いわばグレーゾーンの状態です。
日本で言われている「境界知能」と、ほぼ同じ意味と考えてよいものです。
欧米での位置づけ:診断名ではない「注意が必要な状態」
アメリカ精神医学会の診断基準 DSM-5 や、
WHOの国際疾患分類 ICD-10 / ICD-11 では、
境界知能(BIF)は 正式な「障害」診断には含まれていません。
⚫︎DSMでは Vコード
⚫︎ICDでは Rコード
として、「臨床的に注意が必要な状態」と位置づけられています。
※(Vコード、Rコードについては末尾に記載)
そのため、
IQの数値だけで判断してはいけない
日常生活や社会適応の困難さ(適応機能)を慎重に評価する必要がある
という点が強調されています。
現在の欧米では、
「IQだけで線を引く」のではなく、
生活全体の機能や困りごとを見る方向に考え方が移っています。
研究では、
人口の約12~14%がこの範囲に該当するとされています。
欧米の支援の実情:「見えにくく、支援につながりにくい」
ただし、制度面では厳しい現実もあります。
多くの欧米諸国では、
境界知能(BIF)は 知的障害の支援対象にはならない ため、
• 障害者手帳に相当する制度
• 知的障害者向けの専門施設
などは 基本的に利用できません。
その結果、
一般の精神科医療や教育支援の中で対応されることが多く、
「困っているのに、制度の網にかからない存在」になりがちです。
アメリカ・イギリスの場合
⚫︎学校では slow learner として補助を受けられることがある
⚫︎大人になると、一般の精神科・カウンセリング・就労支援が中心
⚫︎うつ病や不安障害など、併存する精神疾患の治療が主になる
その他のヨーロッパ
⚫︎スペイン(カタルーニャなど)では一部ガイドラインあり
⚫︎早期介入や包括ケアが推奨される地域もある
⚫︎ただし、国全体で統一された支援制度は少ない
欧米全体としても、
境界知能は「生きづらさが大きいのに目立たない」存在として、
支援不足が課題とされています。
例外的に進んでいる国:【オランダ】
そんな中で、オランダは例外的に進んだ国として知られています。
オランダでは、境界知能を
Lichte Verstandelijke Beperking(LVB)
または Zwakbegaafdheid と呼び、
軽度知的障害(MID:IQ50~70)と連続したものとして扱うことが多いのが特徴です。
オランダの大きな特徴
IQより「生活の困難さ」を重視
• 社会適応に困難があれば
• IQが70~85でも
→ 知的障害者向けの専門的メンタルヘルスサービスが利用可能
受けられる支援の例
• GGZ(精神保健機関)の専門センター
• 外来
• 入院
• 部分入院
• FACT MID/BIF
• 地域チームが積極的に関わる支援モデル
• 入院の減少、警察との接触減少、社会的問題の改善が報告されている
• LVB/BIF専門の医療センター
• 例:GGZ Oost Brabant
• 一般精神科とも連携し、理解のある治療体制
対象者は、
精神疾患や行動問題を併存する人が多く、
人口の6~8%程度と推定されています。
なぜオランダは進んでいるのか
理由は大きく3つあります。
① IQ中心から「支援ニーズ中心」へ
2000年代以降、
「IQ70未満かどうか」ではなく、
どれだけ支援が必要かを基準に制度を設計。
② 研究と実践の積み重ね
大学・専門機関がLVB/BIF研究を進め、
ガイドラインを整備。
精神医療と知的障害ケアの連携が強い。
③ 実用的・包括的な発想
アメリカやイギリスが
「診断に当てはまらないなら一般対応」とするのに対し、
オランダは
「困っているなら支援する」
という現実重視の姿勢を取っています。
境界知能は「7~8人に1人」
人口の12~14%という数字を、人数で考えると、
• 12% → 約8~9人に1人
• 14% → 約7人に1人
つまり、
7~8人に1人が境界知能の範囲に該当します。
日本では約14%(約1700万人)という推定がよく使われ、
「7人に1人」という表現が広まりました。
これは日本特有の話ではなく、
世界共通のIQ分布に基づく推定です。
日本の取り組み:診断名に頼らない柔軟な支援
日本でも、少しずつ工夫が広がっています。
児童・思春期の医療型デイケア
精神科デイケアは、
医師の診察と指示があれば健康保険で利用可能です。
境界知能そのものは診断名ではありませんが、
• 不登校
• 集団適応の困難
• 生活リズムの乱れ
• 抑うつ・不安症状
などの 二次的な困難を治療対象として、
支援につなげるケースがあります。
東村山市「ひみつきち」の例
NHKでも紹介された
やまだこどもクリニック久米川では、
• 境界知能の子が多く利用
• しかし「境界知能」という診断名は使わない
• 実際の生きづらさを理由にデイケアを処方
医師、公認心理師、精神保健福祉士、看護師、作業療法士、保育士などが
チームで支援し、
• 学習支援
• 社会スキル訓練
• 遊びから学習への橋渡し
を行っています。
目標は、
学校復帰・社会的自立・自己肯定感の回復。
《おわりに》
境界知能は、
日本だけの問題でも、本人の努力不足でもありません。
欧米でも長く研究されながら、
なお「見えにくさ」に苦しんでいる人が多い分野です。
オランダのように、
診断名よりも生活の困難さを重視する視点は、
日本にとっても大きなヒントになります。
支援が「特別なもの」ではなく、
必要な人に自然につながるものになること。
その積み重ねが、これからの課題なのだと思います。
※【注意書き】DSM・ICDにおける境界知能(BIF)の位置づけについて
本文中で触れている「DSMではVコード」「ICDではRコード」という表現は、
境界知能(Borderline Intellectual Functioning:BIF)が診断基準上でどのように扱われているかを示したものです。
DSM(アメリカ精神医学会の診断基準)
現在使用されている DSM-5 では、境界知能は正式な「精神障害」の診断名には含まれていません。
代わりに、Vコード(臨床的注意を要するその他の状態)として位置づけられています。
V62.89:Borderline Intellectual Functioning
これは「病気や障害そのものではないが、臨床的に注意が必要で、支援やカウンセリングの対象となりうる状態」を意味します。
IQがおおむね70~85の範囲にあり、適応機能に困難がみられる場合を想定していますが、知的障害(Intellectual Disability)とは明確に区別されています。
ICD(WHO国際疾病分類):
WHOが定める ICD-10 および ICD-11 でも、境界知能は正式な疾患・障害としては扱われていません。
Rコード(健康状態や保健サービスとの接触に影響を及ぼす要因)として登録されています。
• ICD-10:R41.83 Borderline Intellectual Functioning
• ICD-11:同様に「診断名ではないが、臨床上考慮すべき状態」として整理
これは、「疾患ではないものの、健康や生活、社会適応に影響を与える可能性がある要因」として、医療や支援の現場で考慮される位置づけです。
《まとめ》
DSM・ICDのいずれにおいても、境界知能は
「知的障害ほど重度ではないが、無視できない生きづらさを伴う状態」
として認識されています。
そのため、
障害者手帳などの公的な障害福祉サービスにはつながりにくい一方で、
精神科医療やカウンセリングの場では、臨床的に重要な配慮対象であることを示す目印として用いられています。
オランダのように、実質的に支援対象を広げている国もありますが、
多くの国(日本を含む)では、このVコード・Rコードという位置づけのために、
境界知能が「グレーゾーン」とされ、支援が不足しやすい現状があります。
[参考文献]
1. American Psychiatric Association. DSM-5
2. World Health Organization. ICD-11
3. Embregts, P. et al. (2019). Mental health care for people with mild intellectual disability and borderline intellectual functioning
