【ベガちゃんの物語】ベガちゃんは、帰る星をなくした
ずっと昔。
地球の人が、まだ空を見上げて、
星に名前をつけるよりも前のことです。
遠い宇宙に、 ひとつの美しい星がありました。
地球から見ると、 こと座のあたり。
その星の人たちは、 歌うことが好きでした。
といっても、 地球のようにマイクを持って
歌うわけではありません。
嬉しいときには嬉しい音がして、
悲しいときには悲しい音がする。
人にも、木にも、水にも、
それぞれ違う響きがありました。
だから誰かと違っていても、
「変だね」
とは言いません。
「あなたは、そんな音なんだね」
と言いました。
ベガちゃんは、 そこで生まれました。
たいした子どもではありませんでした。
勉強がものすごくできたわけでも、
特別な力があったわけでもありません。
よく笑って、 よく道草をして、
空を眺めるのが好きな子でした。
大人たちが難しい話をしている横で、
「それ、お腹すいてるから怒ってるんじゃない?」
などと言って、 叱られるような子でした。
みんな仲良く平和に暮らしていました。
ところが、ある頃から、
星の様子がおかしくなりました。
誰が正しいのか。
誰の考えが優れているのか。
誰が上で、 誰が下なのか。
そんなことを、 みんなが言い始めたのです。
最初は言葉だけでした。
でも、やがて国が分かれ、 仲間が分かれ、
争いになりました。
昨日まで一緒に歌っていた人たちが、
敵と味方に分かれました。
ベガちゃんには、 どうしてもわかりませんでした。
「違う音だから、 きれいだったんじゃないの?」
けれど、子どもの話など 誰も聞いてくれませんでした。
争いは大きくなりました。
そして、ある日。
ベガちゃんは、 小さな避難船に乗せられました。
何が起きているのか、 よくわかりませんでした。
窓の向こうに、 自分の星が見えました。
いつも見ていた山。
遊んだ場所。
知っている街の灯り。
それが、 どんどん遠くなっていきました。
「いつ帰れるの?」
ベガちゃんは聞きました。
誰も答えませんでした。
そして——
帰る日は来ませんでした。
故郷は、 なくなってしまったからです。
*
それから、 ずいぶん長い旅をしました。
どれくらい長かったのか、
ベガちゃんにもわかりません。
宇宙では、 時間の数え方なんて、
あまり意味がないのです。
そしてあるとき、 青い星を見つけました。
地球でした。
水がありました。
木がありました。
鳥がいました。
花が咲いていました。
そして、 たくさんの人間がいました。
ベガちゃんは、
しばらく地球を観察することにしました。
ところが、見ているうちに、
妙なことに気づきました。
地球人は、 よく戦っていました。
国と国が戦う。
人と人が戦う。
それだけではありません。
どうやら地球人は、
自分とも戦っているらしいのです。
もっと頑張らなくちゃ。
ちゃんとしなくちゃ。
あの人みたいにならなくちゃ。
こんな自分じゃダメ。
もっと役に立たなくちゃ。
もっと稼がなくちゃ。
もっとしあわせにならなくちゃ。
ベガちゃんは驚きました。
「なんで?」
誰も攻めてきていないのに、
自分で自分を攻撃しています。
失敗すると、 自分を叱ります。
疲れて休んでいるだけなのに、
「こんなことしていていいのかな」と言います。
泣きたいのに、 笑おうとします。
本当は嫌なのに、
「大丈夫です」と言います。
ベガちゃんには、
それが不思議で仕方ありませんでした。
だって故郷では、
違う音は、 間違った音ではなかったからです。
*
そこでベガちゃんは、
地球人をもっと観察することにしました。
そして「地球観察日記」を書き始めました。
地球人は、 とてもおかしな生き物でした。
生姜を買いにスーパーへ行ったのに、
安売りのお菓子やら何やらをたくさん買って、
肝心の生姜を忘れて帰ってきます。
「もう絶対に怒らない」
と言った三分後に怒ります。
痩せたいと言いながら、
夜になると冷蔵庫を開けます。
好きな人には、 好きと言えません。
会いたい人ほど、 会わなかったりします。
そして、「私には何の才能もありません」
と言う人に限って、
誰かのためにご飯を作ったり、
困っている人に声をかけたり、
花を育てたり、
面白い話をしたり、
誰にも見えないところで、 誰かを支えていたりします。
ベガちゃんは、 だんだんわからなくなってきました。
地球人は、 自分たちが思っているより、
ずっとすごいんじゃないかな。
いや。
もしかすると——
みんな、最初から天才だったんじゃないの?
ただ、 自分の音を忘れているだけなんじゃないのかな。
*
そしてベガちゃんは、 地球を離れませんでした。
使命があったからではありません。
地球を救うためでもありません。
選ばれた宇宙人だったからでもありません。
帰るところが、 なかったのです。
ふるさとの星はもうありません。
でも不思議なものです。
仕方なく住み始めた星なのに、
いつの間にか、 好きになっていました。
夕焼け。
炊きたてのご飯。
猫。
雨上がりの匂い。
くだらない冗談。
誰かの笑い声。
そして、
何度失敗しても、 次の日になると、
また起きてくる人間たち。
「地球人って、 ほんと、不器用だなあ」
ベガちゃんは、 今日も笑っています。
*
夜になると、 ときどき空を見ます。
こと座のあたりには、
地球の人が「ベガ」と呼んでいる、
明るい星があります。
「あそこが、 ベガちゃんの故郷?」
そう聞かれることがあります。
そんなとき、 ベガちゃんは少し黙ります。
そして言います。
「ううん。ベガちゃんが帰りたい場所は、もうないんだ。」
でも最近は、 そのあとに一言、
つけ加えるようになりました。
「でもね。帰る場所って、
生まれた場所じゃないのかもしれないよ。」
自分のままでいていい場所。
違う音を鳴らしても、 笑われない場所。
疲れたら、 休んでもいい場所。
泣いたら、 誰かが黙って隣にいてくれる場所。
そして帰ってきたとき、
「おかえり」と言ってもらえる場所。
そこが、 故郷なのかもしれません。
だからベガちゃんは、 今日も地球にいます。
この星で出会った、 ちょっと不器用で、
とても愛おしい生き物を眺めながら。
そして、ときどき、 こんなことを言います。
「そんなに自分と戦わなくても いいんじゃない?」
「あなたの音、 ちゃんと聞こえてるよ。」
そして——
出会ったみんなに言います。
「おかえり。」
これは、 故郷をなくしたひとりの宇宙人が、
地球で新しい故郷を見つける物語です。
この物語のつづき
ベガちゃんは、それから地球に住みつきました。
そして、この星に暮らす人たちを眺めながら、
小さな「地球観察日記」を書くようになります。
人間って、どうしてこんなに頑張るんだろう。
どうして、自分にだけ厳しいんだろう。
どうして、ほんとうは寂しいのに
「大丈夫」と言うんだろう。
そして——
どうしてこんなに不器用なのに、
こんなにも愛おしいんだろうね。
そんなベガちゃんの地球観察と、
ここで出会った人たちのお話を、
これから少しずつ書いていきます。
