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🌹女風土記🌹 愛媛県松山市 文藝春秋社のミューズ 坂本睦子 女史 / Muse of Bungeishunju Ltd., Ms. Mutsuko Sakamoto

坂本睦子
-「おもかげの人々 : 名作のモデルを訪ねて」和田芳恵 著 講談社, 1958

「わたし男のひとってキライじゃないわ」
"I don't hate men."

坂本 睦子 女史
Ms. Mutsuko Sakamoto
1915 - 1958
愛媛県松山市 生誕
Born in Matsuyama-city,Ehime-ken

坂本睦子 女史は、大岡昇平「武蔵野夫人」(昭和25/1950年)のモデル。美術評論家・青山二郎をパトロンに持ち、直木三十五、菊池寛、小林秀雄、坂口安吾、河上徹太郎、永井龍男、巌谷大四、川西政明、大岡昇平ら文人たちの愛人をトロフィーのように務めさせられながら、銀座でバーを経営また手伝う。物語の主人公と同じ様に何度も睡眠自殺を図って44歳で逝去。
Ms. Mutsuko Sakamoto served as the real-life model for the protagonist in Shohei Ooka’s 1950 novel, Lady Musashino (Musashino Fujin). Under the patronage of art critic Jiro Aoyama, she was treated as a "trophy mistress" among an elite circle of literary figures, including Kan Kikuchi, Hideo Kobayashi, and Ango Sakaguchi. While managing bars in Ginza, she mirrored her fictional counterpart's tragic path, ultimately passing away at the age of 44 following multiple suicide attempts.

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「さげ髪の美少女」
 睦子は大正3年、愛媛県松山に生れます。父親の坂本栄は祖父から継いだ資産家で、体の弱い母親はまもなく死に、継母・杉崎まさに育てられますが、まもなく離婚して一緒に家を出ていきます。継母・まさは、バンコク博覧会の売り子となってロシアへ行き、帰朝後ステーションホテルの通訳をし、震災前は有楽町にロシア料理の店を開いていました。実の両親の記憶が無い睦子は継母・まさの祖母と静岡で暮らし小学校を卒業。芸者をしたあと沼津の相磯家に再縁した姪を頼り、上京して喜悦孝子の日本女子商業学校へ入学。「母をあまり好みませんから」16・7歳のとき継母と衝突して家を出ると、姪夫婦が経営する銀座の酒場「ロータリー」でウロチョロします。フランス人形を思わせる睦子は、そこで時代小説の流行作家・直木三十五に目を付けられ、この人気作家を抱える文芸春秋社のある大阪ビル地階「レインボー・グリル」喫茶バーと、銀座向こうの木挽町にある「文芸春秋社倶楽部」に連れて行かれ、不本意に処女を奪われます(強姦)。新橋花柳界の中にある3階建ての倶楽部の2階は直木三十五の執筆所兼妾宅で、睦子は同じ様に連れてこられる少女や若い女性たちと寝起きし過酷に扱われます。

 「むうちゃんがはじめて街に現れた時、わずか十六、七の子供だったと聞く。それは偶然、昔の文春(文藝春秋)の地下室にある、レインボウというレストランであった。伝説では、その日、ある著名な文士に、処女を奪われたことになっている。が、その日がどの日だか、著名な文士が誰であったか、穿鑿する興味は私にはない。処女を失ったことすら、遅かれ早かれ誰にも起こるようなことが起こったにすぎない。その頃のむうちゃんの写真が遺っているが、どこにでもいるような下げ髪の美少女で、将来の運命を予想させる何物もない」

-「銀座に生き銀座に死す / 白洲正子『行雲抄』」『文藝春秋』1958年6月

「理想の女体」
 まもなく美術評論家・青山二郎が経営する京橋八重洲通りのバー「ウィンザー」に洋子として勤め始めます。大金持ちである青山二郎の父親・青山八郎衛門が土地を増やしたのは、麻布を通って芝、浜松町から東京湾に注ぐ古川の蛇行を直す堤防工事を引き受ける際に、賃仕事としてではなく余剰の出た土地を払い下げてもらう条件で河川工事を請け負ったから。一ノ橋から二ノ橋を経て天現寺まで、河の両側に細長く続く河岸地を青山家の土地にします。息子の二郎は麻布中学を退学し日本大学の法科に裏口入学するも、関東大震災で卒業したかどうか本人も不明。まもなく骨董や美術の眼識を備え、民芸推進者のひとりとして「日本民芸美術館」設立に柳宗悦、宮本憲吉、河井寛治次郎、浜田庄司らと名前を連ねます。この「青山サロン」に小林秀雄、中原中也、河上徹太郎、大岡昇平、菊池寛、永井龍男、巌谷大四、川西政明、宇野千代、白洲正子ら文壇人たちが出入りします。文人らを介して骨董の目利きとして名を馳せる青山二郎に頼まれて、美術骨董品を睦子が持っていけばいくらでも言い値で買ってくれます。可愛がられる睦子は「不感症」と言われながらも美しさが評判になり、作家、実業家、編集者、報道関係者、スポーツマン、睦子の肉体に数多くの男たちの名前が刻まれます。

「むうちゃんは、それらの人々によってつくられた。人間もつくられたが、同時に、自分は欲しもしなければ要りもしない「名声」もつくられて行った。それほどの人物を相手にとった女は、さぞかし凄腕と想われるかも知れない。が、いわゆる凄腕の女だったら、いかにかくしても完全な素材とはなり切れなかったであろう。彼女は自分が男の夢を描くにふさわしい理想の女体であったのだ。ことに、創造を仕事とする作家達にとって、己が姿を映す又となき鏡だったに違いない」

-「銀座に生き銀座に死す / 白洲正子『行雲抄』」『文藝春秋』1958年6月

「古代の巫女」
 男達にせっせと通い詰められる睦子は、命に触れるものがない男達に失望し、何度も自分を試した後に産婦人科医師に「子供のできる身体ではない」と診断され、アデリンを致死量以上飲んで自殺をはかります。誰にでも全てを捧げて愛しても満たされないまま「顔一杯を口にしてゲラゲラ笑ふ女」睦子は「アルル」を任され、夜の銀座でちょっと名の知れた存在になります。マカロニと女給を売り物とする「プランタン」(明治39年)にはじまる銀座カフェには文学者らが集い、主役が酒でも料理でもなく女給そのものになる頃、「真珠夫人」「貞操問答」を飛ばし直木賞また芥川賞の創設を思いついた文芸春秋社社長・菊池寛が、銀座カフェ「タイガー」女給に多額の金を渡してもなびかれなかったことを暴露した広津和郎「女給」版元の中央公論社に殴り込み編集者を殴りつける騒動を起こし、朝日新聞連載の武田麟太郎「銀座八丁」が評判となります。敗戦後の銀座の酒場は、戦前の待合なみに「名士」の社交場と化し、作家も実業家・政治家なみの「名士」になったといいます。若松美佐「ブーケ」、片岡エミ「ブンケ」、川辺るみ子「エスポワール」、瀬尾春「らどんな」、上羽秀「おそめ」、園田静香「数寄屋橋」etc、銀座バーのマダムたちがしのぎを削り、金銭に無頓着で店を閉めた睦子は知人のバーを手伝います。

「年を経るにしたがって、彼女はあたかも古代の巫女のように、彼等が信じる文学の象徴のようなものとなり、それに付随する名声の化身となり果せた。凄いといえば、そんなものに化けて、化けさせられて、無言で耐えていたことである。しかし、以上のようなことはすべて私の想像に過ぎないし、当人はむろんのこと先生たちのあずかり知ることではない。が、少なくとも、私だけにはそう見えるのだ」

-「銀座に生き銀座に死す / 白洲正子『行雲抄』」『文藝春秋』1958年6月

「月光の美しさ」
 「白洲さんて、何でも持っていらっしゃるのね」スポンサ-青山二郎に引き合わされた白洲正子は、父親は貴族議員で実業家、夫は貿易商の御曹司、子供にも恵まれ、自身も日本文化について数多くの随筆を手掛けます。睦子は女同士の他愛ない話を弾ませ、一緒に飲んだり旅行にも行ったり、友達付き合いをするようになります。「あたし宇野さん大好き。あたしこの爪剥がしちゃう、ね、剥がしちゃえって宇野さんが言えばあたしいますぐ剥がしちゃう」お酒に酔って自分の爪を剥がし出す睦子は、何とかしてやらなくちゃならないと宇野千代をハラハラさせます。睦子のアパートで大岡昇平が「武蔵野夫人」を執筆し始めると、本妻に自殺未遂騒動を起こされ、別れたあと一人住まうのは、中野区大久保百人町にあるアパートの2階。長い不眠症で、睡眠薬でつらい気持ちを眠らせてやっと生きているような睦子は、年下の青年と最後の恋をしてから、枕元に遺書を置いて、寝床の中で両足をしっかり縛り、湯たんぽを入れ、睡眠薬を多量に飲んで死んでいきます。発見が24時間後になるように計画、「検死はなるべく簡単に、誰にも知らせず、葬式もあっさりと無縁仏にでもして欲しい」がま口には20円、鴨居の中には脳溢血で目覚める見込みのない親友・石田愛子のために集めた8000円。上野の寺で行われた葬式には、作家、報道関係者、酒場の女たちが百数十人参列します。

「彼等は奪った。血を血で洗う争いだった。奪われたものは大地をかきむしって泣き、呪い、恨みは長く尾をひいた。再びいうが、それは只の女を失うことではなかった。といって、現実には只の女を失うことであった。人生の何もかも知りつくし、人の心の奥底を究めた達人が打ちのめされ、憔悴し切った姿は、男心の愚かさと美しさの極みであり、人間の矛盾をむき出しにして見せつけた。かたわら女は、奪われる度毎に、月光の美しさを増して行く。彼女が浮気だったのでもなければ、弄ばれたのでもない」

-「銀座に生き銀座に死す / 白洲正子『行雲抄』」『文藝春秋』1958年6月

-「近代名作モデル事典」吉田精一 編 至文堂, 1960
-「戦後・日本文壇史 」巌谷大四 著 朝日新聞社, 1964
-「おもかげの人々 : 名作のモデルを訪ねて」和田芳恵 著 講談社, 1958
-「文壇の魔性・坂本睦子の華麗なる大物遍歴 / 山内宏泰」『新潮45』2006年2月号
-「銀座に生き銀座に死す / 白洲正子『行雲抄』」『文藝春秋』1958年6月
-「人間・菊池寛 」佐藤碧子 著 新潮社, 1961
-「折り折りの人 第1」朝日新聞社1966
-「音楽界実力派」安倍寧 著 音楽之友社1966
-「作家の生態学」山本容朗 著 文芸春秋1985.10
-「四谷花園アパート : 文壇資料」村上護 著 講談社1978.9


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