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🌹女颚土蚘🌹 愛知県束山垂 モンテカルロ火のダンス事件 宮田(æ­Šæž—, äž­å¹³)文子 女史 / Affaire «Danse du Feu» à Monte-Carlo, Ms. Foumiko Miyata/Takebayashi/Nakahira

「ツタヌンカヌメンの墓穎から、䞀女王の呜什ずしおあなたの䞭枢神経ぞ向けお送信する。」
"Sent from the tomb of Tutankhamun to your central nervous system, by command of a queen."

宮田 歊林, 䞭平 文子 女史
Ms. Foumiko Miyata / Takebayashi / Nakahira 
1888 - 1966
愛媛県束山垂唐人町珟䞉番町) 生誕
Born in Matsuyama-city, Ehime-ken

宮田 歊林, 䞭平 文子 女史は、蚘者・新日本舞螊家・実業家。朝鮮や䞭囜を攟浪したあず、番目の倫である䜜家・歊林歊想庵ずフランスに䜏み、番目の倫である貿易商・宮田耕䞉ずベルギヌに居䜏。「モンテカルロ火のダンス事件」で日欧を隒がせたした。
Ms. Foumiko Miyata (Takebayashi, Nakahira) is a journalist, modern Japanese dancer, and businesswoman. After wandering through Korea and China, she lived in France with her third husband, the author Musoan Takebayashi, and lived in Belgium with her fourth husband, the trader Kozo Miyata. She caused a stir in Japan and Europe with Affaire «Danse du Feu» à Monte-Carlo.



「ノラ」
 鉄道院官吏で束山駅長を務める父芪のもず、矎貌ず利発さに恵たれひずり嚘ずしお生たれた文子は、乳母日傘で育おられ、実の叔母である二床目の母をきかん気で圧倒したす。15歳のずきに、䞀家で京郜に移り京郜府立第䞀高女を成瞟優秀で卒業。18歳で眉目秀麗な名叀屋医専の孊生ず北海道ぞ駆け萜ちを蚈画したす。圌の知人に手玙を曞かせお就職を決めさせ、圌が医専を卒業した圓日に、名叀屋駅で萜ち合ったずころを取り抌さえられたす。たもなく東京の隅田川駅長に転任ずなった父芪は男の子の逊子をもらい受け、文子に瞁談を勧めたす。「どうでもいいような他人から、逆恚みされるこずにもなりかねない」医者を断り、「あたしは莅沢ですから、あなたじゃ無理でしょう」東倧出の若い䌚瀟員を断りたす。そしお、癜金䞉光町に倧きな新居を建おお女䞭も二人眮くず蚀っお、现かな装食を斜し長い金鎖が぀いた懐䞭時蚈を莈っおくれる、端正な顔立ちの慶応倧出の倧手貿易商瀟勀務の次男坊ずの結婚を承諟したす。19歳で結婚しお、幎䞭倧きなおなかを抱え、小さな子䟛の䞖話に远われおいるず、「元始、女性は実に倪陜であった。真正の人であった。」平塚雷鳥が婊人による婊人雑誌『青螏』を刊行、むプセン䜜『人圢の家』で女䞻人公ノラ圹を挔じた束井須磚子が舞台女優の草分けずなりたす。「掋行できないなら倖に女を぀くっお䞋さい」「これ以䞊子䟛を生みたくない」「女優になりたい」「䜜家になりたい」文子は結婚幎目で14歳幎䞊の倫ず、3人の子䟛を眮いお、婚家を飛び出したす。

「私は䞭倮新聞瀟に蚘者ずしおの䞉幎を、可成華かな色圩の裡に、倚くの波瀟を倚くの波瀟を重ねお䟆たした。私が蚘者生掻に入るの初めには、
劂䜕に堅固な意志を持぀お、歀新しい婊人の職業に努力する決心で埡座いたしたでせう!けれども、私の性栌はずもすれば浪挫的な思想に駈られがちでありたしたので、それ皋の決意を持ちながら、其半面は絕えず戀の誘惑より離れる事が出䟆なかったのでした。それ故に䞉幎間の蚘者生掻には、皮々な運呜に翻匄せられたした。私は其間に經お䟆た戀の歷史を、私の蚘者生掻の懺悔錄ずしお、玆に告癜する事に臎したす。私は先づ最初に、䞭倮新聞瀟長吉怍庄䞀郞氏ずの間に起぀た戀のいきさ぀を、最も赀裞々に癌衚する事にしたした。郜合䞊文體は氏ぞの手玙颚に認める事に臎したす。猶その他にも、文士の戀、新聞蚘者の戀、倧孞生の戀、倖國歊官の戀、參謀本郚の花圢であ぀た陞軍士官の戀、有名な某探偵の戀など、敞ぞ䞊げれば倚々ありたす。そうした事寊を告癜するのは私の眪ほろがしで、又䞀面瀟會に對する責任殊に職業に生きんずする䞖間幟倚の婊人が、今埌私ず同暣の埑路をたどる時、私が遭遇したやうな、巧劙な誘惑や区烈な刺激に詊みられる堎合を想像臎したすず、私は寊に戰慄する皋の危險ず䞍安ずを感ぜずには居られたせん。それ故に歀事寊を告癜する事は埌車の戒ずしお必ずしも無意矩でないずの確信のもずに、自己を犠牲にしお、其等の事寊に筆を染める事に臎したした。」

「曉に近い頃あなたは遂に情に堪ぞかね、私を぀ず抱ぞヌ頰に熱い××をしようずなさいたした、そしお私の耳に、『蚱しお䞋さい、僕はあなたを戀しお居たのだ、今倜斯うしおあなたに會はうが爲には、二幎間の遣瀚ない思を包んで䟆お居る。あゝ二幎の戀は長か぀た、僕は最初瀟の線茯宀で、初めおあなたに會぀た時、既にあなたから䞀皮の区い印象を與ぞられた、それ以䟆僕はあなたず屢々會ふこずの危險を自ら感じたので、會芋の必芁がある折は、わざずあゝしお筒井なぞを立會せお遭぀お居たが、や぀ぱり駄目だ぀た、僕はずうゝゝ戀に捕はれお了぀た、近䟆は瀟ぞ行぀おも他所ながらにでもあなたの姿を芋ない日は䜕ずなく物足りない氣がしおならなか぀た。忙がしい議會を濟たしお、䞀寞あなたに會぀おから歀方ぞ䟆やうず思぀たのに、今床は其暇も無か぀たので、梅田ぞ着くず急に懷しくな぀お蟛棒が出䟆なか぀たから、盎に今橋の瀟ぞ行぀お、箕面電車で寶塚ぞ着いお、湯の宿束凉通の奧た぀た河添ひの離れに萜附いたのは、旣う暮近い頃でした。やがおあなたがお湯ぞずお出でにな぀たあずで、私はひずり欄干にもたれお、暮れゆく河の面を眺め乍ら、暫く深い物思に沈みたした。昚日たでは自分を指導しお䞋さる垫ずしお先茩ずしお、只管に畏敬しお居たあなたず兎も角もあゝした堎所ぞ、人に隱れお埡䞀所に行぀たずいふ事は、その折の私の胞を、䜕れ皋悔ず䞍安ずに戰かせたでせう。その倜曎けお、河瀚になく千鳥の聲を聞きながら、あなたは私に䜕を語り䜕を說かうずなさいなさいたした?埋火深く生けた桐胎の火鉢を圍んで、二人は倜もすがら䞭倮公論䜕よりも先きに、あの手玙をあげたのだ、それでも果しお䟆お吳れるかどうかず、電報の䟆る迄は、䜕んなに心配したか知れ無い、ねえ、其僕の心を少しは汲んで吳れおも可いぢやありたせんか』ずお囁きにな぀たのでした。

「『䞖間では䞀口に政友會の幹郚ゝゝず云ふが其幹郚にも自ら黑幕の黑幕ずいふのがあ぀お倧岡だの元田だのず云ふ連䞭は、所謂衚面の黑幕で、眞の垷幄には逘り與぀お居ない、殊に倧岡育造氏なんずいふ人物は、品性が劣等で陰險極たる男だから、原敬氏君なぞからは敬しお遠ざけられお居る。山本(達雄氏)や高橋(是枅氏)は財政䞊の手腕は倚少あるが、猶䞔俗吏䞊りお、政黚的政治家ぢやない。目䞋原瞜裁に最も信任されお、眞の謀議に參しお居るのは、他にも二䞉あるが、たあ僕なんかも其䞀人だ、鵜柀瞜明氏だの犏井(䞉郞氏)だのは孞者ず云ふのみで、政治家ずしちやただ陣笠だよ、小久保保喜䞃氏や高橋(光嚁氏)や束源束氞源兵衛氏か、あんな連䞭はありやお぀ちよこちよい䞈で、ずおもお話しにならない、芁するに原敬氏君だ぀お忌憚なく云ぞば、瞜裁ずしおの執望はただたださ。』その倖、同志會や國民黚などの惡口も倧分䌺ひたした。それからあなたは政界の未䟆に就いお、日本が將䟆の癌展は支那にあるのだがら、是からはなるべく革呜の婊人なぞに亀際を求めお、䞀方機密を探るず云ふ事にも少し修逊を積んで眮く必芁があるず、其等に就いおも具體的の說明をいろゝゝお聞かせ䞋す぀たのでした。」

䞭平文子「匱きが故に誀られた私の新聞蚘者生掻」『䞭倮公論』倧正5/1916幎5月号

「化け蟌みお目み埗たわり」
 女優を目指しお束井須磚子のいた『文芞協䌚』ぞ入るものの、文子に団䜓生掻は難しく、䞻宰者である坪内逍遥に「きみは正盎過ぎる」ず蚀われお退団。続いお、父芪の぀おで立憲政友䌚の機関玙『䞭倮新聞』に入りたす。文章力よりたず容姿ず倖亀術が芁求される、数えるほどしかいない婊人蚘者ずなるず、明治時代の採霞女史「小間䜿い日蚘」の向こうをはっお、吉原花魁の付き人、奇術垫の女匟子、小笠原長幹邞や浜束料亭「岡田」はじめ埅合料亭や実業家たた政治家の邞宅ぞ女䞭奉公、文子は倉装ず工倫を凝らしお朜行取材したす。「婊人蚘者 化け蟌みお目み埗たわり」は名物蚘事ずなり、文子はマスコミの寵児ずなりたす。䌚瀟瀟長、䜜家、蚘者、倧孊生、倖囜人将校、陞軍士官、探偵らずの恋の誘惑に駆られながら幎目、厭に傲慢ぶるようになった文子の異倉に、敏感な蚘者たちが嗅ぎ぀けたす。千葉県遞出のフィクサヌ的な政友䌚代議士で『䞭倮新聞』ず『倧阪新報』の瀟長を務める吉怍庄䞀郎ずの浮名をマスコミに流され、吉怍が囲う築地の埅合「぀くし」女将を巻き蟌む䞉角関係で倧隒ぎずなりたす。頌りにする『䞭倮新聞』重圹らから冷淡に切り捚おられ退職に远い蟌たれた文子は、事の顛末を赀裞々に曞き連ねお「匱きが故に誀られた私の新聞蚘者生掻」『䞭倮公論』倧正5/1916幎5月号で、23歳幎䞊の吉怍のスキャンダラスな私行をすっぱ抜き、吉怍からの手玙や葉曞を添えお、今でいうセクハラの内郚告発をしたす。

「䞭平文子君、僕は、以䞋、君に對しお、君ずいふ敬語を甚ゐるこずをやめお、お前ず呌ぶこずにする。それは、君ず敬皱する皋の價を、芋出し埗なくな぀たからずいふ譯ではない、僕は今、䞉界の倧導垫ずしお、君に臚ンで居るからである。お前が「䞭倮公論」に曞いた吉怍庄䞀郎ずお前ずの関係、あれを、文字通りに読んでも、お前に、暗い處のあったずいふこずは歎々ずしお蔜ふこずは出来ない。況んや、其の光玙背に培する僕の燗県は、お前の暗黒面を、看砎せずんば巳たないのである。滔々たる䞖間の薄ノロは、あれを讀ンで、吉怍君が、お前を挑んで、遂に目的を達し埗なか぀たのであ぀お、お前は、胜く、その處女の操(䞉人の子を產ンで埌の處女の操)を保ち埗たのであるず、速斷するかは知れないが、吊、お前のあの文を曞いた目的は、正に、䞖人をしお、しか思はせやうずいふにあ぀たのであらうが、䞖間は、そンな薄ノロばかりでない、少々は、厚ノロも居る。お前が、『䞭倮新聞』の女蚘者であ぀お、吉怍君は、その重圹である。䞉人の子たでなしたる倫婊仲を、お前の䞍行跡から、倫に捚おられたずさぞ評刀される皋のお前が、吉怍君ずいふ誘ふ氎があ぀お、なンで、いなんずぞ思はずに居られやう。僕は、寧ろ、吉怍君の方が、据膳の箞を取らぬは男の耻蟱ず、劙なずころで、茶氣を出したのではあるたいかずさぞ、思぀た䜍である。お前が劂䜕に自ら蟯護しお、お前の操を金鐵の劂くであるずいふこずにし、吉怍君を、色魔のやうに蚀ひくろめやうず謀぀おも、お前のためには、䞍幞にしお、楊震四知の戒は、今も尙、嚎ずしお光り茝いお居る。殊に、電車の䞭で、某新聞蚘者が、吉怍君ずお前ずが、いちや぀きながら、乘぀お居るのを芋たのみならず、その時、お前が、吉怍君に、プラチナの時蚈をねだ぀お居たのをたで、聞いたずいふのである。そうしお、日ならず、お前の垶の間には、プラチナの時蚈が、チクタクずお前の眪惡を、お前の胞に刻み぀け始めたずいふのである。若し、お前ず吉怍君ずの關係が、單に、お前の語぀お居るやうに、重圹對䜎玚蚘者ずしおの關係であるならば、電車の䞭なんぞで、どうしお、そんな芁求をするこずが出䟆やうや。吉怍君の功ず蚀ふこずが出䟆ないたでも、肉の亀枉が開始せられお居たずいふこずは、想像するに難くないではないか。」

高島米峰「䞭平文子君に匕導を枡す」『䞭倮公論』倧正5/1916幎7月号

「女のくせに」
 するず、道埳批評家・高島米峰が「䞭平文子君に匕導を枡す」『䞭倮公論』倧正5/1916幎7月号で文子を叩き据えたす。「お前が「䞭倮公論」に曞いた吉怍庄䞀郎ずお前ずの関係、あれを、文字通りに読んでも、お前に、暗い處のあったずいふこずは歎々ずしお蔜ふこずは出来ない。況んや、其の光玙背に培する僕の燗県は、お前の暗黒面を、看砎せずんば巳たないのである。」吉怍はカスリ傷で代議士六期を重ねお政友䌚総務や商工政務次官などを歎任する䞀方、「䞭平文子は淫婊、こわい女だ」文子は深手を負っお新聞から足を抜きたす。䞖間を隒がせ東京にいられなくなり、第二の故郷である京郜で写真屋に䞋宿し、尌になる぀もりで嵯峚の倩竜寺ぞ入っお行くず、犅の修行䞭の矎貌の哲孊青幎に出䌚いたす。名叀屋近くの有力な政友䌚代議士の息子で、神経衰匱のため早皲田倧孊を䞭退し倩竜寺に預けられおいる男の背景を調べ䞊げた27歳の文子は、䞋宿に誘っお結婚を迫りたす。「ね、東京ぞゆかない結婚しない」実はれっきずした分裂症患者であった男をもおあたす家族は文子を倧歓迎し、新居ず十分な捚扶持を䞎えたす。「金のない恐ろしく嫉劬狂のその男ずの間には、絶えず生かすの殺すのず喧嘩沙汰が続いお、私の身䜓には生傷が絶えなかった。」転んでもただでは起きない文子は、矩父の぀おを頌りに、政友䌚代議士の豪商で亀友関係の広い林小䞀郎を介し、坪内逍遥や癜蓮らから小説の指導を受け、「やずな物語」明治出版協䌚1915幎「埡目芋埗廻り」須原啓興瀟1916幎「女のくせに」やなぎや曞房1916幎を出版し芋事にカムバックを果たしたす。

「矎人寫眞入の匕札―――倧正の埡代の新産物―――廣くお深い新生掻――きおも䞍思議な 「やずな」の通――元家臣の数にはれた―――四盀の道向ひ忍び難い屈蟱―――
『歌舞音曲、蔵匏の心埗ある䞉郜の矎人を、園遊通、埡祀宎、家庭の埡宎垭、さおは四季折々の埡遊山のお䟛などに、幎頃、髪圢は、お奜みに任せ、お召しに感じお、即刻に花のやうに装はせお、䌺ばせ申したす』
文句は右の通り、あるひは幟぀かの矎人の寫真などを刷り蟌んだ新聞の廣告や、氣の利いた匕き札などが、近ごろ倧分䞖間の人目を匕くやうになりたした。これぞ即ち倧正の埡代の新しい産物ずもいふべき、雇仲居やずなずいふ䞀皮の階玚の女のこずでありたす。
䞀體、雇仲居やずなずはどんな女で、䜕をする商賣でせうか?、仲居ず蚀぀おしたぞばそれたでなれど、只だの仲居ずは倧分譯が違ふ。圌れは圚来の型に嵌った女であるが、これは新時代の新らしい女です。圌れの職業の範は極めおく狭く限られおあるが、これの職業範圍は極めお廣いのおす。圌れの生掻は殆ど浅薄であるが、これの生掻は極めお深いのです。さおも䞍思議な女ですこず」

なでし子䞭平文子「やずな物語」明治出版協䌚 倧正4


「聖なる恋人」
 文子は2番目の倫から逃れるように䞊海ぞ枡り、そこで知り合った倧阪の実業家に生掻の面倒を芋おもらいながら、『䞊海日報』の婊人蚘者ずしお各界名士蚪問蚘事を担圓したす。䞊海枯に停泊する日本郵船「銙取䞞」ぞ乗りみ「クルミ船長」の異名で評刀の船長・今歊平ず初察面しおから船長宀に入り浞りたす。郵船キャプテンのかたわらむンドのベンガルに本郚をおく「神智孊協䌚The Bengal Theosophical Society」に所属し、クルミを䞻ずする菜食䞻矩を貫いおいたした。「い぀あの恐ろしい男がやっおくるかもしれないず思うず、萜ち着いお眠れないんです。埡船は海のお城、海の城たでは来られたせん。キャプテン、お船が出るたで船に泊たらせおいただけたら、私どんなに幞せでしょう。」「よろしい、泊めお䞊げたしょう。霊知孊の話、パリやロンドンやロヌマやニュヌペヌク、船の寄枯地のむンドや゚ゞプトの話をお聞かせしたしょう。するずあなたは、い぀か䞀床、どうしおも欧米ぞ行っおみようずいう気になりたす。未来に垌望を持぀こずはあなたを珟圚のその悩みから立ち䞊がらせるこずで、勇気が出たす。そしお早い機䌚に、できたらあなたが、私のこの船でいっしょに欧米ぞ行ける日がくるように私も祈りたす。」その・か月埌、文子は䞉浊環、荷颚倫人である藀陰静枝、倩勝、川䞊貞奎ら他倧勢のファンを抌しのけるように、神戞枯で埅぀家族よりも先に䞊海たで「クルミ船長」を迎えに行き、欧州寄枯各地から届いた神智孊講矩の手玙の束を劻に芋せお卒倒させ、詩や画に没頭する息子たち、今東光たた今日出海の䞋宿先を蚪ねお小遣いを枡したす。

「浮気者だった私にも、過去を通じおただ䞀人の聖なる恋人があった。それは䞊海でふずめぐり䌚った、圓時の銙取䞞の船長・今歊平さんだ。癜髪で鶎のような痩躯。厳粛な感じの人だ。でも話しおいるず匕き぀けられる優しさがある。心に悩みを持぀者は、なんずなく、そのそばに䞀時も長くいたい-ずいう気になる人だ。今歊平さんは乙女の恋のような枅らかな恋情を私に持たせた英囜型の老玳士だ。」

宮田文子「わたしの癜曞 : 幞犏な劖婊の告癜」講談瀟1966幎

「掋行結婚」
 䜕人もの男ず必芁に応じお肉䜓関係も持ち、むンドの虎狩り将軍こず吉井信敬陞軍倧将や革呜家孫文の名もあがり、二幎以䞊倧陞で流浪する間、文子は資生堂にわたりを぀けお化粧品や人圢を卞しおもらい、䞊海、満州、䞭囜や朝鮮の各郜垂を巡っお、バザヌを開いたり音楜䌚の䌁画を手掛けお糊口をしのぎたす。ようやく離婚が成立しお東京に舞い戻った文子は、たた金のありそうな男ず付き合っお、仕事のチャンスを埅ちたす。或る日、少女小説で鳎らす同郷の女流䜜家・内藀千代子を蚪ねたす。「あなた知っおいらっしゃるでしょう、フランス文孊で有名な歊林無想庵。チョむずした勉匷になるわ。これからふたりで行っおみない北海道の土地が売れたんで、近く掋行するんですっお。」材朚屋の矎人劻ず倱恋しお鵠沌藀沢垂の東屋に匕きこもっお酒ばかり飲んでいる歊林無想庵は、東京・麹町の歊林写真通の逊子から東京垝倧を出た文筆家で六代目菊五郎そっくりの男前。「私もパリに行きたいな」。人で京郜旅行する間に新橋の「鳥籠」の家を畳んで、垝囜ホテルで結婚匏を挙げたす。歊林無想庵40歳、文子は32歳で3床目の結婚。月䞋氷人は田山花袋ず田村江村。島厎藀村、谷厎最䞀郎、小山内薫らそうそうたる文壇人が出垭したす。「子䟛を産むのが厭だったら、医者にかかっお堕胎すればいいじゃないか」「経過が悪くお回埩が長匕いおフランス行きがのびるようなこずになるず、気たぐれの圌、たたどう気が倉わるか分からない。」人はすぐに「暪浜䞞」で枡欧したす。

「パリの公園」
 「むかしはおそろしくきれいな倫婊だった。さんざん莅沢もしたみたい」東京の矎容院で知り合った日英混血の女性の玹介状を持っお、圌女のパリの逊芪を蚪ねたす。「私は女優だった。シネマの䞖界に顔が利く。あなたを売り出しおあげるこずができる。これからの人生をそれに賭けおもいい。赀子は里子に出しなさい。」1910代幎の䞖界的オリ゚ンタル・ブヌムで、冷酷非道な「東掋の悪」をサむレント映画で挔じた早川雪掲がセックス・シンボルずしおハリりッドに君臚、ペヌロッパにたで名前を蜟かせおいたした。日本で代目団十郎ず共挔したこずがあるずいうマダムは、日本語をぜ぀りぜ぀り思い出しお身振り手振りでしゃべっおくれるので、文子はそれをフランス語にしお教わっお日垞の甚が足りるようになりたす。ムッシュりの早口は、倫・無想庵が蟞曞を片手に通蚳したす。「蚀葉は分からなくおも芳おいればわかる」手間賃を䞊乗せした・倍の䞊垭切笊ずシャンパンを買わされお、カゞノ・ド・パリ、フォリ・ヌベルれヌル、コメディヌ・フランセヌズ、そしお手足のないサラ・ベルナヌルSarah Bernhardtの匕退芝居『栄光 La Gloire』ぞ連れお行っおもらいたす。
 「パリの公園で、芋惚れるほどに矎しい、可愛らしいず思っお魅かれたフランスの子どもの服や垜子のこずは、私の過ぎこし方の䞀生に、どんなに私に぀いおたわっおきおいるか」嚘・むノォンヌを生んだ文子は田舎に預けるこずをやめお、パリの高玚アパルトマンに芪子3人で移り䜏み、パリの裕犏な日本人たちを頻繁に招埅しながら、買い物、オペラ、パヌティヌず飛び回り぀぀、歌や螊りの代わりにベビヌ服仕立おず垜子づくりの個人教授を受け、コルドン・ブルヌ料理孊校でフランス料理を習い、有名なレストランの食べ歩きをしたす。倫・無想庵はフランス語を習い、友人たちず矎術通や博物通を巡り、酒を飲んで感想を語り合い、本を片っ端から買っお読みたす。幎を過ぎ資金が底を぀いおくるず、むギリス・ドむツ・むタリア・ベルギヌ・スむスを呚遊した埌で、幎半ぶりに家族人で垰囜したす。

「COCU文孊」
 仕事がはかどらない倫・無想庵の代わりに、34歳の文子は「パリ垰り」を売り蟌み、資生堂掋服郚で月収䞉癟円の特別契玄瀟員ずしお働き始めたす。「舶来小児服展芧䌚」を開催し、女性雑誌の蚘事を曞きたす。助手たちず折り合いがいろいろず難しくなり幎半で䌚瀟勀めを蟞めるず、それたで二宮から新橋たでの電車通勀䞭に手がけた子䟛垜子数癟点で、東京、倧阪、京郜の倧䞞癟貚店にお「子䟛の垜子展芧䌚」を催したす。䜜家の小山内薫、同郷の画家・和田英䜜を顧問に「流行孊校」を芝田村町に開校。倧量に持ち垰ったパリのモヌド雑誌をテキストに、䞭流家庭の䞻婊たちを生埒に、文子が子䟛垜子ず子䟛服の制䜜を指導し、出来の良い䜜品を遞んで銀座の毛皮店に眮かせおもらいたす。杉野芳子の「ドレスメヌカヌ女孊院」蚭立の幎前で、生埒がなかなか集たらず苊劎しおいるずころに、過去が犍いしお暎力団に殎り蟌たれ、そのうえ関東倧震灜倧正12/1923幎に遭遇。暪浜正金銀行の瓊瀫から這い出しお暪浜埠頭でフランス客船に乗り蟌んで神戞に向かい、船䞭から神戞䜏友支店に電報を打ちたす。「オオケガヲシテフネニむマス。アスアサニツキマス。カワダニデムカ゚テクレルペりツタ゚テクダサむ フミコ」倫・無想庵の友人で歌人で倧阪䜏友本店垞務の川田順の名前を出しお神戞支店長に病院の手配をさせたす。党快するず、倫・無想庵が逊父から盞続した北海道の土地の残りを担保に円を工面しお、「鹿児島䞞」で芪子人再床枡仏したす。文子ず無想庵は翻蚳したり小説やパリ雑蚘を曞いお日本ぞ送るものの、その原皿が必ず売れるずも限らず、むノォンヌは気管支炎になり、無想庵は緑内障で手術が必芁ずなりたす。原皿生掻が行き詰ったかに芋えた頃、倫・無想庵の自虐的懺悔録「Cocuのなげき」『改造』倧正14/1925幎9月号が日本文孊史䞊はじめおの「コキュcocu劻を寝取られた男文孊」ずしお話題ずなりたす。

「劻はこの歳若な秀才ず、ある倜ひそかにかけ萜ちしおここたで萜ちのびお来おいるのだ。そうしおそのかけ萜ちを黙蚱した、あるいはむしろ勧誘した、むしろ教唆した、ははなはだ気の知れぬ倫であるわたし自身が、こうしお二人のあずを远いかけおいる。なんずいう䞍可思議きわたる人間の近代的シチュアションであろう。原因は、すべおわたしに金がないこずからだ。怠け者であるこずからだ。そしお劻がいく぀になっおも、あたりにその容貌ず姿かたちの矎しさを枛ぜぬこずからだ。
むかし近所にバカ勝ずいうあなたず同じように䜓の倧きいのそっずしたばかがいたけれど、そうしおあなたがただ぀っ立っおいるのを芋るずい぀でもそれを思いだすず劻は蚀う。わたしはバカ勝だ。こうやっお本圓の䞀文なしになっおも、党く着のみ着のたたになっおもわたしは毎日この安䞋宿を出お、あるいは日に二床も䞉床もサカリの぀いたおす犬のように、あの坂道をのがりあの束林をぬけお、䞀心䞍乱に䞀心䞍乱にグランド・ホテルに通った。劻はいやがった。(䜐野)次郎巊衛門に察する八぀橋のようにいやがった。いやがられればいやがられるほどわたしは、桜姫にあこがれる枅玄のようにしおたで぀きたずった。」

歊林無想庵「Cocuのなげき」『改造』倧正14/1925幎9月号

「念願の女優デビュヌ」
 実は震灜前に文子は、資生堂裏手にある、桂倪郎公爵の愛人ずしお有名な元新橋芞者のお鯉本名小久江照が開いた西掋料理店「カフェヌ・ナショナル」に通い詰めお、圌女の資金䞇円をもずにパリでにショヌ付日本料理店を開く算段をしおいたした。震灜でうやむやになったものの、珟状を打砎したい文子はむノォンヌを連れお、前回の枡欧時に倫・無想庵の䜜家仲間に玹介されお芪しくなった、英囜䞇博開催時にパントマむム䞀座を率いおペヌロッパ各地を巡業䞭にオヌギュスト・ロダンの圫刻モデルずなったこずで有名な、元岐阜芞者・花子本名倪田ひさがロンドンに開いた日本料理店「湖月」に赎きたす。するず花子は郷里の母芪を看病する為に垰囜しおいお、花子の元パヌトナヌで氎倫あがりの川村泉が店を買い取っおいたした。文子は「湖月」新オヌナヌを口説いお出資させ「パリ・湖月」共同経営に乗り出したす。文子は朝起きるや䞹念に化粧しお着物をずっかえひっかえし、めがしい客ず食事を共にし名所芋物に出かけ、新しい客を連れお戻りたす。玠人経営で幎経たずに倒産するず、䞍枡り手圢を出しお倜逃げせざるを埗ず、垞連客だった゜ルボンヌ倧孊留孊生の蟲政孊者でいずれ北海道の玠封家の逊子ずなるずいう池本喜䞉倫ず、䞊流瀟亀堎である南仏ニヌスぞ旅行に出かけたす、むノォンヌを連れお。「トりブンココニむマス」電報を受け取った倫・無想庵が滞圚先ぞ飛んで行くず、「意気地なしは倧嫌い、蟛抱しお傑䜜を曞きなさい」。そしお舶来的な新日本舞螊を考案しアメリカからフランスぞ枡っおきた舞螊家・小森敏のパヌトナヌ圹を掎んだ文子は、舞台皜叀を぀けおもらい念願の女優ずしお、倧䜿通・博物通・䌯爵邞・芞術家カフェ・パリのフェミニナ座で公挔したす。そこでパリの老舗出版瀟株䞻りヌれヌヌ・ファスケルEugÚne Fasquelleを筆頭に、女流䜜家マルセル・ノュヌMarcelle Vioux、劇䜜家・詩人メヌテルリンクMaurice Maeterlinck、䜜家・蚘者アンリ・バルビュスHenri Barbusseらず友人になりたす。

「モンテカルロ銃撃事件」
 切矜詰たった川村は、ロンドン「湖月」本店を売り払い、スポンサヌを埗お、モンテ・カルロにダンスキャバレヌ「レストラン・クリフォヌド」を開業、文子ず小森敏に協力を仰ぎたす。そこで奇劙な四角関係か五角関係がも぀れた歳の文子は川村に顔面を銃撃され、モナコの病院に担ぎ蟌たれたす倧正15/1926幎。匟䞞は巊頬を撃ち抜いお右奥歯で留たり、䞀呜を取り留めた文子を日本の新聞は集䞭批刀したす。
「䞭平文子で知られた歊林無想庵の劻・文子はニヌスのオックスフォヌド・ホテルの倧広間で撃たれ重䜓。原因は痎情のためらしい」「男から男を远ふ圌女の生掻原因は痎情」「亭䞻を顧みず恋の䞉角関係」「どんな男でもずろりずさせる文子の攟瞊ぶり」「䞭平文子で売぀た無想庵倫人ニヌスのホテル倧広間にお情倫なる同胞の手で」「倫を芋捚おお攟瞊な生掻」「男から男ぞ恋愛ず攟浪の旅女優」「散々絞られた湖月の䞻人」「束井須磚子の効分ずなるノラを地でい぀お」「パリヌでも浮名を流す 同地圚䜏日本人間にも肉䜓女子のあだ名」
 ペヌロッパの新聞は「火のダンス」Le Petit Niçois新聞事件のヒロむンである文子に同情的で、パリの老舗出版瀟ファスケルÉditions Fasquelleが静逊のため南仏の別荘を提䟛したす。ここで文子はフランスで床目の堕胎手術を枈たせた埌、芪子3人で気候の良いコヌトダゞュヌル近く持村の手頃なアパヌトに匕っ越したす。倫・無想庵の「Cocuのなげき」原皿収入は文子の入院費ず堕胎費ず匕っ越し代で䜿い果たし、川村からの賠償金フランで食い繋ぎ぀぀、『婊人公論』に手蚘を連茉し、ファスケル出版瀟が提案するフランス人向け小説「珟代版浮䞖颚呂」や「日本のおずぎ話」を倫婊で䌁画執筆し、「無想庵、飢逓に瀕す」朝日新聞瀟のパリ特掟員に窮状を蚎えお出版瀟に掛け合っおもらいフランを送金させたす。

「矚たしいかぎりのあなた方倫劻が再びロンドンぞおいでになるずいうお手玙をいただいたずきには、わたしはどんなに喜んだか知れたせん。ずころがお出になったのはお嬢さんず奥さんだけ、しかもご甚件は意倖にも生掻の問題だったのでびっくりしたした。
それでわたしもできるだけご協力申しあげようず考えたのですが、お着きになっお間もない頃、 お䟛した䞭囜料理店でひょっこり私の女ず出あい、そのたた遅くたで飲んで垰った晩でした。奥さんはわたしの手をずっお、「䞀緒に寝よう」ずおっしゃるのです。わたしが「ずんでもないこずです」ず恐瞮しお手を匕っ蟌めようずするず、「なぁに、ほんのお遊びだから宜しいじゃないですか」ずおっしゃっお手をお離しになりたせん。
わたしずすれば五幎前、初めおお目にかかっお以来、劻をも぀ならこういう方ず憧れおいたものですから、そこたでおっしゃられるず䞀も二もなく、ズルズルず匕き蟌たれおいっおしたいたした。
それからパリぞお送りした日から、マドレヌヌのあのホテルで申し分けないず思いながらも、 毎日道ならぬ逢匕きを぀づけおたいりたした。奥さんはわたしずそうなっおから、「初めお男女の楜しみをみ぀けるこずができた」ずおっしゃっおいたした。
しかしわたしはさすがに良心がずがめお、䞀緒にアメリカぞ逃げようずいう盞談をするず、途端にわたしの無孊をののしり、「お前のような男は肉䜓の玩具にすぎないのよ」ずきめ぀けたりしたしたので、わたしはめちゃくちゃに殎り぀けたこずがありたす・・・。」

川村泉から歊林無想庵ぞの手玙
玉川しんめい「゚コヌル・ド・パリの日本人野郎 : 実録読物」朝日新聞瀟, 1989.10

「ロザンギャヌル」
 䜓調が回埩した文子は、舞螊家・小森敏ず再び組んで、パリのオランピア劇堎、ベルギヌやオランダのキャバレヌで、パントマむム劇に参加したす。そしお、日系アメリカ人゜プラノ歌手・倧貫春子のベルリンはりむンテル・ガルテンWintergarten座公挔に、むノォンヌず芪子で参加したす。春子に巊前の着物は間違えだずいうこずを苊劎しお玍埗させ、近東颚な䞭囜颚な挔奏に合わせお昌は劇堎で「かっぜれ」、倜はキャバレヌで「道成寺」を、毎日螊り続けたす。ベルリンの日本料理屋「藀巻」で出䌚ったのは、仲間ず「資本論」をはじめお和蚳したずいう『倧阪朝日新聞』ベルリン特掟員・黒田瀌二。2歳䞋のゞョセフィン・ベヌカヌ䌌で、パリに䜏む別れた劻は画家、ポヌランド人画家ずの間に子䟛が生たれたばかり。倫・無想庵に䞀時垰囜させ出版を催促させおいる間に、むノォンヌをパリ郊倖の蟲家に預けお孊校に通わせ、40歳を過ぎた文子は黒田ず芪密になるものの、ドむツの䞖界最倧飛行船「ツェッペリン」に乗船し損なうなど、なかなか良い仕事に結び぀きたせん。頌みごずのあれやこれやを断られた手玙を倫に芋぀かり暎力を振るわれるず、譊察に通報する代わりにロザンギャヌルRosengartの車ずパリ郊倖高玚䜏宅地に新しいアパルトマンを賌入させお前進を決意。倫・無想庵がモヌリス・デコブラMaurice Dekobraの「銖切りセレナヌデ」を蚳し、『倧阪毎日新聞』に「䞖界を股に」を連茉開始するのを暪目に、文子も仕事を掎もうず幎振りに䞀時垰囜したす。シベリア鉄道でハルビンに着く間に掟手な宣䌝方法を考え出し、日本航空フォッカヌ茞送機Fokker Super Universalで京城から倧阪ぞ、ゞェネラル・モヌタヌスのシボレヌChevroletで東海道をドラむブしお東京入りする算段を枈たせたずころぞ、18幎前に捚おた我が子が蚪ねおきたす。慶応倧孊を出おから母芪のいるパリを目指しお倧陞に枡り、ハルピンの『露字新聞』に勀め始めたずいう我が子ず感動の再䌚を果たしたか月埌、文子は『婊人公論』誌䞊で絶瞁状を送りたす。

 「これから私の云はうずしおゐるこずを、あなたは䞀切あなたの末梢神経に匕぀かけお、センチメンタルな母の蚀葉ずしお聎いおはならない。私は以䞋の数語を、八千幎以来゚ゞプトのカル゜りに残぀おゐるツタンカヌメンの墓穎から、䞀女王の呜什ずしおあなたの䞭枢神経ぞ向けお送信する。」
「ハタツの女王は、八千幎の時を超越しお自分に䌌おいるずいう同じ東掋の日本女に、正しき理性のうえに立っお、もっずも人間的に生きる進路を、その倜倢で暗瀺しおくれたのだ。千九癟䞉十䞀幎のハタツの女王は、八千幎前の、男にな぀お囜家に君臚したハタツの女王の匷さから、数枚のメモを読んだサア浩私はこれからそれをあなたの脳の䞭枢に向けお送信する  。浩ハタツの女王に血ず涙がないず思぀おは䞍可ない。この䞀文を曞いお埌、恐らく再びあなたやあなたの効達に逢ふ日が来やうずは思ひ埗られないあなたの母が、八幎振り故郷の山に向か぀お、あのあなたのハルピンで芋芚えた玅い唇-あなたにどこか生き写しの唇をずがらせながら曞いおゐる、その姿の-そのオカッパの黒髪の-゚トランゞな震ぞを芋のがすこずなしに-あなたの網膜の䞊ぞ焌き写すこずなしに、以䞋の数語を読んではならない!」
「アナタハ、ハルビンニマダむルナラ、コノ文章ヲミタラ、スグ父ノトコロぞ垰レ。金ガナクバ、働キナガラ、歩むテカ゚レ。アナタガ生ミノ母ヲ愛スルナラ、垰ッテアナタノ第二ノ母ニ尜スベキ道ヲ考゚ペ。䜕故ニ?考゚タラスグワカル。䞀人ノ無教逊ナ無理解ナ女ガ、䞉人ノ他人ノ生ンダ子䟛ヲ無事ニ倧人ニ育テアゲタ劎力ハ䞀人ノ教逊アル賢む女ガ、䞉十冊ノ立掟ナ本ヲ゜ノ䞀生ニ曞キ䞊ゲゲタ劎力ペリモ遙カニ倧キむ。゜シテアナタハ、゜ノ子䟛ノ䞀人ナノダ。アナタガ、生ミノ母ヲミツメテ、ハルビンマデ螏ミダシタ勇気デ、アナタノ育テノ母ヲ守レ。゜りスルコトハ決シテヒポクリットデナむ。アナタト圌女トノ折合むハ、アナタガ、父ノ死埌、圌女ノ物質的安定ヲ、充分ナ同情デ保護スルトむり意志ヲホノメカスコトニ䟝ッテキット調停サレル。゜レヲ瀺ス䞀端ニ二人ノ効ガ結婚シタラ、アナタノケツグベキ近藀家ノ財産ヲ党郚圌女ニ残スコトヲ、むマカラ圌女ニ充分了解サセペ。アナタガ第二ノ母ヲカク守ルコトハ、アナタガ、憧レノ生ミノ母カラ、倧キナ感謝ヲ払ワレルコトダ。䞀カクシテアナタハ、登ルベキ人生ノ階段ノ第䞀段ニ足ヲ眮ケ。無䞀物カラ出発シテモ、螏ミシメル䞀歩䞀歩ガ真剣ナラ、アナタハキット䞀段ズツ䞊ル「人生ノ階段ハ、倱敗シテ萜チナむ限リ、最埌マデ、決シテ意識シテ䞀段デモ降リテハナラナむ。降ロサセラレル消極的ノ苊悶ガ来タトキハ、゜ノ苊悶デ次ニ登レル積極的ノ時間マデ、゜ノ階段ニ螏ミ止レ」「アナタノ母ハ、十八幎間ニ、幟床モ倱敗ッテ人生ノ階段カラ萜チタ。ガ未ダカツテ、ナオコレカラモ、決シテ゜ノ階段ヲ、意識シテ消極的ニハ降リナむ。人生ノ階段ヲ、意識シテ消極的ニ降リナむダケノ芚悟ヲ持ツ者ハむカナル倱敗ニ萜チタトキデモ、自分ノ個性ヲ守リりル。゜シテ、゜りむり芚悟ヲ持チりル者ノ個性ハ、むツむカナル堎合デモ、必ズ真剣デ゜シテ、自ラノ魂ヲギュット芋ツメりル。アナタノ顔ガ、コノ䞖ニタダ䞀ツノ存圚デアルコトヲ認識スルナラバ、アナタノ個性ヲ抱キシメペ。自ラノ個性ヲ尊重シ、゜コニ䞍倉ノ自信ヲ持チりル者ハ、倱望ノナカニ老ナルコトナシニ人生ト戊゚ル。抱キシメりル個性ヲ持チ合ス者ハ、アナタノ顔ガコノ䞖ニ二ツナむト同ゞク、アナタノオリゞナリテ゚ヲ持ツハズダ。人生ノマラ゜ン競走ニ、むツダッテ、ハンディキャップガアル、男デモ女デモ蚀りマデモナむコトダガ、人間ノ暙的ニ、アナタノ父ノペりナ男ヲ芋ツメルナ。私ニ蚀ワセルト、圌ハ自ラノ個性ヲ本圓ニ抱キシメ゚ナむ、オリゞナリテ゚ノ無所有者ダ。圌が十八幎前ニ本圓圓ノ人間愛ヲ自芚セズ、若カッタロマンチストノ小鳥ヲむタワリ゚ナむデ、自己満足ヲ䞻匵シタ今日マデノ結果ハドりダ!゜シテ今日ノ珟圚ハドりダ」
「再ビ蚀り!オリゞナリテ゚ノ無所有者ト、気ノ毒ナ無教逊ノ女性ニ、倧切ナ二人ノ効ヲ枡ンテオカナむデ、即座ニハルビンカラ東京ぞ向ケテ垰レ。゜シテアナタノ家カラ改メテ出盎スアナタノ力匷む真剣ナ第䞀歩デ、アナタノ父ヲ、型ニ嵌ッタ道埳ノ冊カラ匕キ出セ!父ノ無理解ヲ嘆むテ十八幎ブリノ傷マシむ母子差向むノ食事䞭ニ、オロオロ声ヲアゲテ泣むタアナタダ!涙ト愛デ父ヲ目醒メサセ、同時ニ、゜ノ真情デアナタノ生ミノ母ニ代ッテ、アナタガタ䞉人ヲ、ココマデ倧キクシタ劎力ノ功瞟者ニ、深む感謝ト同情ヲ捧ゲペアナタノ前ニアナタノ人生ノ階段ガアリ、私ノ前ニ私ノ人生ノ階段ガアル。ガシカシ、゜レダハダトモニ手ヲ牜キ合ッテ登ルベク、ツむニ離サレテシマッテむル。私カラハアナタニ向ケニ䞀切手ヲ差シ出ス暩利ハナむ、゜レハ哀シむ!シカシ゜レハ恚メシクモコノ人生ニ存圚スルナントモむタシ方ノナむ玄束ダ浩アナタノ脳ノ䞭枢ニ、最埌ノ䞀蚀ヲ送信シテ、私ハコノメモヲ終ル。アナタハアナタノ、高む人生ノ階段ノ䞀番䞊ニ『䞀人ノ癟䞇長者』カ、䞇人ノ魂ヲ本圓ニギュット吞むツケル『磁石ノョりナ男』ヲ暙的ニ眮むテ、懞呜ニ䞀段ズツ䞊レ゜レハ確カニ千八癟䞉十䞀幎型ノ青幎ダ
アデュり」

歊林文子「䞀九䞉䞀幎富士屋ホテルニテ」
『婊人公論』昭和六6幎11~12月号

「䞀九䞉二幎の母」
 「黒おんの襟巻に、二重にくくれた顎を埋めた圌女も、四十女の老醜はかくせなか぀た。ボ゜プの頭髪、メヌキ・アツプした巎里ゞ゚ンヌ奜みの絹の様な匕き眉、そのどれもが、倖囜の険しい生掻を物語るに過ぎなかった。」『婊人サロン』昭和6幎11月号心を蚱しおむンタビュヌに応じた婊人雑誌『婊人公論』の婊人蚘者・阿地知信子に貶された文子は、倧阪は道頓堀の角座興行䞻がドロンした埌にやっお来た刺青衆を手なづけお束竹に絊䞎円を賠償させるず、矎容敎圢を宣䌝するために来日しおいたフランス女医・ノ゚ルの元に駆け蟌みたす。「圢を敎ぞ、皺を华く、敎容倖科ず云ふものは、決しお、人類のオルギペむナ(䞍幞ではない。女性を倱業より救ふために、今埌最も必芁な䞀科孞であらう。・・・人は私の手術を魔術だずいふが、非垞に簡單な手術で誰れでも出䟆るものだ」『婊人サロン』昭和7幎8月号文子の頬の銃撃跡ず県の䞋の皺ず脂肪を取る敎圢矎容手術を執刀するノ゚ル女医は、「午前八時に手術を右県からはじめ、巊県を終぀たのは十䞀時であ぀た。十䞀時に、暪濱のフランス領事に接埅されおゐるず云ふので急いでゐた」ために、巊䞋県瞌が癒着しお「巊県がベツカンコあっかんべヌをしたような目」になった文子は、翌日にノ゚ル女医はアメリカぞ出発した埌で、䞞ビル敎圢の内田孝蔵のもずで再手術を受けたす。こういったフランス文化人らずの亀友を歊噚ずする文子は、情に厚いず評刀の京郜倪秊日掻撮圱所長を泣き萜ずしお、「花のコスモポリタン歊林文子が倧河内䌝次郎ず共挔」するはずだった映画「䞊海」村田実監督1932幎䞻挔を人気女優・梅村蓉子に奪われた代わりに、映画「䞀九䞉二幎の母」歊林文子原䜜・䞻挔、村田実脚本・監督に自らの原䜜で䞻挔を果たしたす。ギャラは円で、金持ち道楜息子に誘惑され未婚のたた嚘を生んだ矎貌の女が、男に捚おられ泣く泣く赀子を蟲家に預けお倖囜ぞ旅立ち、陰謀や決闘を経お15幎ぶりに母嚘再䌚するストヌリヌ。酷評されるものの、パリで日本映画の売り蟌みの仕事にあり぀こうず目論む文子は、2幎ぶりに枡仏したす。

「黒おんの襟巻に、二重にくくれた顎を埋めた圌女も、四十女の老醜はかくせなか぀た。ボ゜プの頭髪、メヌキ・アツプした巎里ゞ゚ンヌ奜みの絹の様な匕き眉、そのどれもが、倖囜の険しい生掻を物語るに過ぎなかった。・・・女性の四十歳ずいぞば、もうそろそろあの関係で、䞭性化するものであるさうな。わたしは圌女で初めおその知識を埗た。譬ぞ、今のやうな話し振りが乱暎だずか、いけぞんざいだからずいふのではない。圌女が持぀倧切なものはすべお異境の巎里で、消耗し尜くしお来たからずいふのでも決しおない。぀たり䜕もかも幎霢がさうさせるのであらう。」

「東京に、じゃない、日本にハむサヌビスあるかいたずえば、巎里でいえば、こうなんだ。巎里からスむスずかマドリッドずかぞ、男性を、旊那でも瀟長でもない、そうかずいっお恋人ずいうのでもない間柄で、䞀緒に出掛けるんだよ。そこで・か月も暮らす。もちろん、秘曞でもセルバントでもない。タむピストでは曎にない。そしおあず1幎や2幎䜍遊んで食べるくらいのお絊金を貰っちゃう。ずいうようなの、流行る」「わたしどう芋えお?老醜だ぀お?」圌女は再び觊れられた傷口を抑ぞるやうな物かなしい県でそのずき私を芋た。「粟神的に、それずも盞貌?日本人はよくそんなこずを蚀ふよ」れネラル・モヌタヌスのマヌク5000号を぀けた圌女の扁平胞が籐怅子に力なくもたれた。「ホテル䜕凊?あずからゆくよ。さみしくな぀た」私が倧倉のホテルに垰぀おから間もなく、圌女から電話があ぀た。「老醜぀お蚀葉取り消さなくちや。䞀日䞭䜕も出来やしないぢやないか。これからゆく元気もない。」思ぞば圌女は非垞に倧きいセンチを担ぎ蟌んで、いた日本に垰぀おきおいるのだ。圌女はそれから二日埌入京した。「ただで食はせる奇節家はゐないかしら」ずい぀お東京人を甘く芋た。然し圌女の心境は切実だ。
「食わせおくれればハむ・サヌビスするよ。」本誌愛読の諞嬢よ。あなた方の父䞊で圌女のハむ・サヌビスを求められたいのだ぀たら私を経ずずも圌女に盎接申し蟌んで䞋さい。

阿地知信子『婊人サロン』昭和6幎11月号

「契玄結婚」
 日本から持っおきた映画は、ファスキル瀟の尜力でもっおしおも䞊映先や買い手が芋぀からず、文子は緑内障手術埌の経過が芳しくない倫・無想庵を日本に垰囜させたす。「゚チオピアの皇倪子さたの花嫁に黒田子爵の什嬢第䞀候補ずしお埡所望の入電」『朝日新聞』昭和9幎1月20日を知るや、珟地で特ダネを取っおひずもうけしようず野心を起こしたす。嚘・むノォンヌを南仏に借りおいた別荘の倧家宅に預けお、日本欧州航路の執着枯ベルギヌのアントワヌプにひずりで向かいたす。お目圓おは、困っおいる人間を絶察に芋捚おないず評刀で、日本から来た貧しい芞術家の卵が集たる「居候株匏䌚瀟」こず「郜商䌚のち宮田商䌚」瀟長の宮田耕䞉。北海道屯田兵の末裔で、詩人・金子光晎の劻・森矎千代に倱恋したばかりでした。
 スポンサヌを探しお䞖の䞭を枡る森矎千代は、関西の「寿屋珟圚のサントリヌ」瀟長・鳥居信次郎の支揎を受け東京高等垫範孊校珟圚のお茶の氎倧孊に進孊埌、詩人・金子光晎ず恋愛結婚しお䞭退、のち矎術評論家ずなる矎貌の巊翌孊生・土方定䞀ずの同棲生掻を解消させようずする倫に誘われ枡欧、自由なパリで圓然の暩利を掎もうず文化人・芞術家ずクヌプルの組み合えをしながら宮田耕䞉の女秘曞にあり぀いお幎、宮田が囲うベルギヌ女に寝宀ぞ匟䞞を撃ちこたれ、パリ駐圚歊官や鳥居信次郎から䞉千代ぞの仕送りを䜿い蟌んだ「いずこ」であるはずの倫ず䞀緒に垰囜しおいきたした。
 「わたし、゚チオピアぞ行きたいんです。」森䞉千代がか぀お頌った服食研究家・山田倏子からの玹介状を広げたす。゚チオピア行き船䟿は、毎月回アントワヌプ枯からアゞスアベバぞ出航しおいるむタリア汜船を宮田が手配。゚チオピアたでの旅費は、ロンドンに同行した宮田の口添えで『日英週報』臚時特掟員の契玄成立。ビザ申請のために、゚チオピア倧䜿通のあるパリたでの切笊ず圓座の生掻費を宮田から枡され別れたす。ずころが黒田雅子ず゚チオピア皇子ずの婚玄はむタリア政府の干枉で砎談ずなり、生掻の芋蟌みが立たなくなった文子は宮田に手玙を曞きたす。「私が男でないのでそちられ居候に斌いおもらえないのが残念です」「日本のトヌキヌを持っおアントワヌプに来なさい。『日癜芪善の倕べ』を開いお生掻の足しにしおあげられる。圓分アントワヌプで居候しおもらっお構わない。」毎晩䞀緒に食事をしお飲み歩いおいるうちに、45歳の文子は7歳幎䞋の宮田ず結ばれ、「コキュヌの嘆き」の先手を打っお倫・無想庵に手玙で離婚を告げ、床目の結婚を幎目に正匏離婚、床目の結婚は幎毎の契玄結婚ずしたす。

ムッシュ―、私の唇をそんなに芋おはいけたせん。
ワルツが又聞こえおくる。
赀い長襊袢を来たマダム、階段の途䞭で、私はあなたの県から、あなたの暪顔から、氷のようなものを济びせられかけた。
私はたちがえたずころに着陞した旅行家のように、うろたえる。

森䞉千代 著 堀朚正路 線「䞉千代の日蚘」『面癜半分』昭和27幎4月号-8月号

「囜蟱映画」
 「むノォンヌは歊林の嚘だ。いくら可愛くお手攟したくなくおも、い぀たでもこっちにおいおおくわけにはいかない。」南仏から匕き取った嚘・むノォンヌず無想庵の芪子人が東京で楜に暮らせるように、谷厎最䞀郎の玹介で「P.C.L.Photo Chemical Laboratory写真化孊研究所・映画補䜜郚門」ず月絊円の契玄をたずめたす。倫・耕䞉に甚意させたパリのモンパルナスのアトリ゚で、パリにいない舞螊家・小森敏のかわりに象牙圫刻科・岡本豊倪郎のもずで日本舞螊を孊ばせるず、画家・䜜家・蚘者・留孊生などパリに来おいる日本男性らにちょくちょくお酒を飲みに連れ出され、医孊留孊生に倱恋したあげく歳で床も自殺未遂をしお酒ず睡眠薬を垞甚するようになりたす。日枅戊争前倜を背景に、吉原に身売りした芞者・小花ずロシアの海軍将校ずの恋愛を描く、フランス映画「ペシワラ」マックス・オフュルス / Max OphÃŒls監督1937幎ぞ嚘を出挔させようずしお声楜家・田䞭路子に䞻挔を奪われた文子は、デタラメで䞋品で非垞識でいやらしい「囜蟱映画」ずしお文士たちず組んで批刀運動し、日本囜内で䞊映犁止に远い蟌みたす。しばらくしお、嚘・むノォンヌは無想庵の芪友・蟻最ず䌊藀野枝の息子・蟻たこずず結婚し野生のぶ、維生いぶをもうけお離婚。文子が間に入っお野生のぶを逊子に出し、維生いぶを連れお『䞭囜新聞』蚘者・朝倉晃仁ず結婚させたす。「むブね、朝倉はね、本圓のお前の父芪じゃないんだよ」リ゚ヌゞュの寄宿舎付女孊校に通うむブに文子は突然暎露しお、倫が頌りにする埓業員でもある嚘婿は远い出されるような圢で家を出お行きたす。

「冷氎摩擊」
 「あんた朝から晩たで商売商売で匵り切っおいるくせに、そのわりに金をもうけおないわね、同じ商売商売で忙しくするんなら、もっずお金のもうかる商売したらどう」「そんなに金金ずそうガツガツしなさんな。金は仕事のりンコだよ。」「どれもこれも小さい、みんな金魚のりンコだ」「今床の仕事は倧きい。鯚のりンコだ」「ぞヌえ」宮田耕䞉倫人ずなった文子は、芞術家の居候たちを远い出し、アルゞェリアやモロッコの鳥海青児から莈られおくる絵葉曞を砎り捚おたす。懇意になった裁断孊校長から個人教授を受けお商売にしようず目論みながら、アントワヌプ郊倖の䞀戞建おの家に、食うや食わずの日本人留孊生は䞀人も呌ぶこずなく、ロシアの亡呜貎族やベルギヌの䞊流や実業家らを招埅しお毎週パヌティヌを開いお、倫の商談に花を咲かせたす。倫・耕は戊争で高隰する鉄屑を欧州各地から集めお日本に送り続けたす。むギリス空軍によっおアントワヌプ枯湟䞀垯が砎壊され、倉庫矀が火の海ずなり瓊瀫の山ず化す頃、52歳ず45歳のふたりはフランスずベルギヌの圚欧日本人らが集たるベルツィヒBelzigのアむれンハルト城Burg Eisenhardt、続いおベルリン郊倖のマヌルスドルフ城Schloss Mahlsdorfぞ避難したす。「これから生きるか死ぬかは運ずからだだな。からだが元気なら、収容所ぞ入れられおも䜕ずか生きられるかもしれない。」「䜕ずしおも生延びたしょう。戊争は必ず終わる、平和が来る。」文子は戊乱を生き抜くために、冷氎摩擊を考えたす。氎颚呂で数分間䜓を冷やし、そのあずブラシで党身をくたなくこすりたす。倫婊で冷氎摩擊を続ける疎開生掻幎目の1943幎5月、゜連軍がやっお来お、すし詰め列車で3週間寝起きしながらリヒテンブルク、ワルシャワ、モスクワ、ハルビンぞ送還されたす。

「駆け匕き」
 「倧陞に残ろう。ハルビンはロシア人も倚いずいうし、ペヌロッパに䌌おいるからいいんじゃないの。」倧倉商事や䞉井物産の商瀟マンや倖務省官僚から情報を集めた文子ず耕䞉は、ハルビンに留たっお、終戊埌にベルギヌに垰囜しようず決心したす。「ただただ日本も捚おたもんじゃない」囜防婊人䌚の奉仕によるカレヌラむスを避難民たちず䞀緒に貪り食べたす。文子ず耕䞉は、円・ドル・ボンド・フランの100円札をたたんで䞡腕、シャツの䞋、腹巻の間に分散しお総額100䞇円、スヌツケヌスの䞭に物々亀換甚のダむダ・着物・ドレス・靎・草履・背広・垜子・時蚈・カメラ・䞇幎筆を持ち蟌んでいたした。文子は抌しず粘りでハルビンの居䜏暩を埗、日本人から䞀軒家を借りたす。倫・耕䞉は40䞇坪の蟲園ず鉄工堎を経営する日本人から出埁の埌事を蚗されたす。2か月埌、ハルビンの東にある牡䞹江を゜連軍が空爆。「もう䞀床ペヌロッパで必ず仕事ができるようになる。呜さえあれば、からださえ元気なら䜕ずかやっおいけるよ。」倩皇陛䞋の重倧攟送がハルビンに響いた埌で、57歳の文子ず50歳の耕䞉がペヌロッパぞ戻る方法を考え始めた矢先、倫・耕䞉が゜連軍に捕らえられたす。文子は゜連軍叞什郚ぞ出かけお行っお、フランス語ず激しいゞェスチャヌで蚎え続けたす。時間埌に根負けした門衛から、フランス語を話す䞭将秘曞官ずの面䌚を蚱されるず、10幎以䞊もパリで底蟺から貎族階玚たであらゆる倖囜人ず接觊しおきた駆け匕きで圧倒。䞭将に面䌚しお、「盎ぐに宮田耕䞉を釈攟しおください」「これからも突然゜連兵がやっおきお私の倧事な䞻人を匕っ匵っおいかれたのではたたりたせん。宮田耕䞉はペヌロッパからの移䜏者で、反゜的な掻動もしおおらず、関東軍ずも関係がなかったずいう、叞什官の蚌明曞を曞いお䞋さい」。倕方に釈攟された倫は文子を拝みたす。䞀緒に逮捕された他の日本人男性たちはシベリアに送られたす。

「ミス・タンゲット」
 幎埌、文子ず耕䞉は奉倩から葫蘆島を経お海路で長厎ぞ匕き䞊げたす。焌け跡の倧坂の筋違橋に䞭叀バス2台を䞊べ1台を䜏居ずし、もう台を赀く塗っお䌚員制バスレストラン「ミス・タンゲット」を開店。文子は倧阪で名の通った䌚瀟の瀟長や圹員を開拓し、進駐軍から食材・調味料や調理噚具を集め、料理人ずしお毎日腕を振るっお安定した珟金収入を埗たす。倫・耕䞉は倧阪で貿易のネタになりそうな消費や需芁の動向を掘り圓おようず倧阪垂内をほっ぀き歩きたす。「やっぱり東京じゃなければダメだな。動いおも反応は少ないし、これずいう人もいない。オレは東京ぞ行きたいよ。こんなころにいたら腐っおしたう。」幎埌、文子は倧阪で顔芋知りになった米軍幹郚から東京方面に圱響力のありそうな軍人の玹介を埗お䞊京、払い䞋げの郜電を台賌入しお、芝の裏通りで「電車レストラン」を開きたす。掋食奜きの進駐軍、珍しいものに飛び぀く郜䌚人たちに知れ枡り、文子は名の通った文士たちに挚拶に出向いお評刀を広げたす。
 そんな䞭、朝鮮動乱で軍需が殺到した亜麻業界で、倍にはねあがったベルギヌ補麻の䟡栌調敎に悩む垝囜補麻瀟長ず出䌚いたす。倫・耕䞉は代理店であるマむナミ商䌚駐圚員ずしおベルギヌに枡るず、ベルギヌ亜麻業界を代衚する䞀族だけで行われる地元匏兞コンスタント・オむブレヒトConstant Huybrecht生誕癟幎祭に目を付けたす。圌はノィヌノェルゲムWevelgem出身の亜麻補織技術者で、明治政府の招きで1幎半に枡っお北海道で亜麻栜培から浞氎採織たで指導にあたった、日本にずっおも亜麻産業の育おの芪。耕䞉は、ノィヌノェルゲム垂䞻催で垝囜補麻を招埅させ、日本ずベルギヌの亜麻業界公匏行事ずしお貿易亀枉を開始させたす。日本の経枈が回埩する数幎の間、ベルギヌ垂䟡よりも34割䜎い倀段で原料を買い付ける亀枉をたずめ、「ハラキリ」「ハラキリ」船積み問題を解決し、戊前からの信甚による耕䞉の手圢決枈で取匕開始。芋事にカムバックを果たした56歳の倫・耕䞉を远っお63歳の文子も11幎ぶりにブリュッセルに戻りたす。

「ホテルに着いたらね、カりンタヌのずころでこうやっお、ハンドバッグの䞊に巊手を重ねるのよ」そう蚀っおから、圌女はその仕草をやっお芋せたした。圌女のバッグは飛びきり䞊等の鰐皮、巊手の薬指にはぎかぎかのダむダ二個入り指茪がはたっおいたす。どこのホテルの番頭でも、ちらずこれらの品に目をずめたら、圌女の颚采なぞどうであっおも、たず、ホテル代を螏み倒しそうもないず、安心するに違いないからだず蚀うのでした。この話は私はあたり奜きではありたせんでした。しかし、䜓䞀぀で、䜕の身の䞊の保蚌もなく、䞖界䞭のホテルを飛び歩く圌女にずっおは、これは圌女䞀流の保身の術だったに違いありたせん。

宇野千代「自䌝的恋愛論」倧和曞房, 1984.5

「ノむロヌれ」
 文子はブリュッセルず日本を埀埩しながら、土産甚の耇補掋画や浮䞖絵版画で展芧䌚を開催するうちに、日本人圢をペヌロッパに玹介する展瀺䌁画を思い぀きたす。オランダ航空ずタむアップし、人圢䜜りを映画䌚瀟や䌁業に働きかけたす。䞉越の「ひな人圢」、八幡補鉄の「男雛」、味の玠の「子ずろ遊び」、囜策バルブの「たり千代の東螊り」、高島屋の「花嫁花婿」、束竹の「歌右衛門嚘道明寺」「幞四郎匁慶」、倧映の「京町子小町」「長谷川䞀倫業平」、宝塚歌劇の「ヅカムスメ」「倩接乙女鏡獅子」「砂原矎智子・氎谷八重子・八千草薫マダムバタフラむ」など100点以䞊を集めおペヌロッパ14郜垂で展瀺したす。こうしお文子が日本の有力䌁業幹郚ず顔芋知りになったのを、䞉菱商事や䞞玅ずいった総合商瀟の前に駆逐されようずする倫・耕䞉のビゞネスに結び付けたす。
 歳前埌になっお墓ノむロヌれになった文子ぱゞプトを旅行し、ブリュッセル博物通゚ゞプト研究所にか月通い、嚘・むノォンヌに手䌝っおもらい、「スカラベ ツタンカアモンの宝庫」䞭倮公論瀟1960幎を曞きあげたす。内偎に分身カアを持っお、日圓たりの良い芝生の岡の䞋が也いた砂地になっおいる墓地を芊屋に賌入しお墓ノむロヌれを克服するず、今床は䞍老長寿の秘蚣を探りに出かけようず思い立ちたす。「゚ゞプト展」東京䞉越䌚堎、読売新聞瀟䞻催に続いお、ベルギヌから独立したばかりの「コンゎ展」東京䞉越・倧阪阪急䌚堎、朝日新聞瀟埌揎を開催䞭に、「ミス・リペン」「ミス・フランス」1929幎から、シヌア掟むスマヌむヌル掟ニザヌル掟第48代最高指導者むマヌムアガ・カヌン䞖Aga Khan IIIの番目の劻ずなったむノェット・ラブルヌズYvette Labrousseがお忍びで垝囜ホテルに滞圚しおいるこずを聞き及びたす。文子は新聞蚘者や実業家人脈を駆䜿しお東京たた京阪芳光を手配しおか月埌、玄束通り䞖界的長寿囜フンザ囜王からの正匏招埅を受け、りルグヌ語のできる駐パキスタン倧䜿通の曞蚘官を䌎っお、飛行機ずゞヌプを乗り継いでパキスタン北郚ヒマラダ北西カラコルムKarakoram山脈の枓谷暙高2,500に分け入り、金も無い、恋愛も無い、人殺しもない桃源郷を、䞻食のクパニ杏 Khupani皮油ず、フンザの動物や怍物が織り蟌たれた絚毯を手土産に早々にひきあげたす。
 嚘・むノォンヌず䞀緒にブリュッセルのコンゎ博物通ずコンゎ情報通に通っお「刺青ず割瀌ず食人皮の囜 黒い秘境コンゎ」講談瀟1966幎を執筆䞭、日本ぞ飛んで挔出家・癜井鉄造ず話を぀けお孫嚘むブを宝塚歌劇団に入団させる準備をしおいるずころぞ、倫・耕䞉から囜際電話が入りたす。「むノォンヌが死んだ」「いったいどうしたのよ、ふだんあの子をよく知っおいるのに、なぜ早く気が付いお芋おやらなかったのよ。なんがなんでもあんたりかわいそうすぎる。わたしもうブリュッセルには垰らない」その半幎埌、自䌝を曞き終えた文子は、い぀もの垝囜ホテル旧通で倒れお逝去。3幎毎の契玄結婚の10回目を曎新した幎でした。倫・耕䞉は文子の亡骞を抱いお声を䞊げお号泣し、「愛する文子ぞ」ずメッセヌゞを添えた倧きな蘭の花束を捧げたす。

「ざたぁみろみんなお前のしたこずが掋行がしたいばかりに、愛情もないのに酒乱の男ず結婚しお子どもを産んだ報いだ䞃十八歳たでも生きたバアサン劖婊の銬鹿ゎメンナサい、むノォンヌ。䜕もかも私が悪かった
私は、生前圌女の望んでいた、䞖界䞀矎しい叀郜キリストの聖地ロヌマの墓地、そこに氞久に平和にねむるわが嚘の霊に、今遠くから手を合わせ、ひれ䌏しお、涙にくれおいる」

宮田文子「わたしの癜曞 : 幞犏な劖婊の告癜」講談瀟1966

-「䞀九䞉二幎の母」日掻映画
-「わたしの癜曞 : 幞犏な劖婊の告癜」宮田文子 著 講談瀟, 1966
-「おんなのくせに」䞭平文子 著 やなぎや曞房, 倧正5
-「䞃十䞉歳の青春」宮田文子 著 䞭倮公論瀟1962幎
-「スカラベ ツタンカアモンの宝庫」宮田文子 著 䞭倮公論瀟1960幎
-Foumiko TAKEBAYASHI, "Contes japonais" Fasquelle|Paris 1933
-「女の䞀生 : 人物近代女性史 7」瀬戞内晎矎 責任線集 講談瀟, 1981.3
-「熱月」山厎掋子 著 講談瀟, 1994.12
-「諧調は停りなり 䞋」 瀬戞内晎矎 著 文芞春秋, 1984.3.
-「愛の珟代史 : 『婊人公論』手蚘の蚌蚀 2 (愛ず自立のはざたに)」 瀬戞内晎矎 ç·š 䞭倮公論瀟, 1985.1
-「むさうあん物語」歊林無想庵 著 無想庵の䌚, 1962
-「無想庵物語」山本倏圊 著 文芞春秋, 1989.10
- 川村泉「歊林文子を撃぀たで」『サンデヌ毎日』昭和2幎1-2月号
- 川村泉「モンテカルロの悲劇」『女性』1927幎5-6月号
-「自䌝的恋愛論」宇野千代 著 倧和曞房, 1984.5
-「今東光物語」菊池達也 著 日本図曞刊行䌚, 1998.7
-「日本株匏䌚瀟」を育おた男 : アントワヌプのサムラむ商人」軍叞貞則 著 文芞春秋, 1985.6
-「䜏友回想蚘」川田順 著 䞭倮公論瀟1951
-「ねむれ巎里」金子光晎 著 䞭倮公論瀟, 1973
-「私の叀本倧孊 : 新劇人の読曞圷埚 Field note book」束本克平 著 青英舎, 1981.2
-「女が芋る県・女を芋る県 : 12人の女性に求めた人間像」草柳倧蔵 著 講談瀟, 1979.12
-「問題の女 䞭平文子ず『筑玫の卷』/築地道人」『新公論 31(6);6月號』(新公論瀟, 1916-06-01,p6572)
-「歊林文子女史の半代蚘」「名流婊人情史」照山赀次 著 日月瀟, p151 昭和4
-「゚コヌル・ド・パリの日本人野郎 : 実録読物」玉川しんめい 著 朝日新聞瀟, 1989.10
-「ルポ矎容敎圢 : 身䜓加工のテクノロゞヌ」山䞋柚実 著 䞉䞀曞房, 1991.11
-アガ・カヌン3䞖 THE CARTIERS

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