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🌹女風土記🌹 千葉県佐倉市 ホセ・リサール秘密の恋人 臼井 勢似子 女史 / Jose Rizal's Secret Lover, Ms. Seiko Usui

臼井 勢似子「ホセ・リサールと日本」(木村毅 編 / アポロン社1961)

「思い出は誰からも触れられたくない」
"I don't want anyone to touch my memories."

臼井 勢似子 女史
Ms. Seiko Usui
1866 - 1947
千葉県佐倉市(千葉県印旛郡臼井村) 先端
Born in Sakura-city, Chiba-ken

臼井 勢似子 女史は、ホセ・リサール日本滞在時の秘密の恋人。太平洋戦争後の戦時賠償金交渉中に存在が発見されます。
Ms. Seiko Usui is the secret lover of Jose Rizal during his short stay in Japan. Her existence was first discovered during post-WWII war reparations negotiations.

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「おせいさん」
 「日本は私を魅了してしまった。美しい風景と、花と、樹木と、そして平和で勇敢で愛嬌のある国民と! おせいさんよ、さよなら。さよなら。私は黄金色にかがやく幸福なひと月をおくった。私の全生涯に、又とこのようなときがくるかどうか、私にはわからない。愛も、金も、 友情も、理解も、尊敬も、なにひとつとして不足したものはなかった。思えば私は、この生活をあとにして不安と未知にむかって旅たとうとしているのだ。ここ(日本)で私にたやすく愛と尊敬の生活ができる道が申出されているのに。私の青春の思出の最後の一章をあなたにささげます。どんな女もあなたのような愛し方を私にしてくれたものはなかった。どの女もあなたのように献身的にはならなかった。丁字の花はうてなから落ちても、砕けず汚れず、いきいきとした形をたもっている。落ちてもまだ詩をのこしている。あなたもそのように散った。あなたはその純潔を失いもしなければ、またその無垢の花びらをしぼませてしまうこともなかった。さようなら、さようなら!私はあなたを忘れない、あなたの面影は私の記憶のなかに生きている。しかしあなたが又私にもどってきてそれを知ってくれる日は永遠にないでしょう。私はたえずあなたのことを思いつづけることでしょう。あなたの名は私の唇からもれる吐息の中に住み、あなたの面影は、私の物思いにまつわり、そしてこれらに霊感をあたえてくれます。あの目黒のお寺で過したような神々しい午後を過すために、私はいつ又帰ってこられるだろうか。あなたと送ったような楽しい時間がいつもどってくるであろうか。あれ以上のたのしくて、静かで、魅惑的な時間が、 いつ又私に見つかるだろうか。椿の花の清新と優雅があなたにはそなわっていた。・・・・・・ああ、不幸な仇討ちに忠実であった気高い家がらの出であるあなたは愛らしくて、まことに・・・・・・もうやめよう。みんなおしまいになってしまった。さようなら、さようなら」

 太平洋戦争後、インドネシア、ビルマ、南ベトナムに続いてフィリピンは日本に80億ドルの戦時賠償金を要求。難航する賠償交渉の最中に発見された国民的英雄ホセ・リサールの遺筆が、反日感情の高かった多くのフィリピン国民の気持ちを柔らげます。彼が心を通い合わせた女性、10代のときの許婚・レオノール、獄中で結婚式を挙げたジョセフィン、2人に続く日本の「おせいさん」の存在が日本とフィリピンの「暗夜の一燈」になりました。

「1人目の勢似子」
 箱根につぐ關所で、漁師町として栄えていた新居濱。網元で船主として大した勢力のある家、袴田家の主人・袴田又吉と、その妻・よしの間に勢似子は長女として生れます。異父姉・まき、弟・小八、妹・はるの四人きょうだいで育ちます。やがて義姉・まきは、横濱南京屋敷(外人居留地の携稱)に働いてるる実父のもとに引きとられ、十九の年に、芳といふ土地の船大工に嫁ぎ子供一人を儲けるものの、夫に捨てられ、愛兒は天死、さびしい寡婦の生活を送ります。そして、勢似子の性格が急に一變する事件が突發。横濱に行った義姉・まきが、彼岸の先祖の墓参りのため実家に帰ってくると、外人好みの華美な姿で郷党に眼を見はらせます。おまけに親戚知人に、お土産代りといつて、氣前よく札びらを切って見せるのです。「どうせ暮すなら、あんなに派手に・・・・・・」寡婦の勢似子は義姉の後を追って横濱へ出ると、その口添へで南京屋敷に奉公を始めます。そこで知り合った27歳のフィリピン人医師ホセ・リサールと恋愛関係を結びますが、スペイン植民地支配からの独立運動に取り組む彼は、2か月後には日本を去ってしまいます。勢似子は彼を追いかけ、日本で最初の無電汽船・沖縄丸に乗って、支那そしてフィリピンに渡って行ったきり、恋人にめぐりあえないまま消息を絶ちます。35歳にしてマリラで銃殺されたかつての恋人が1枚だけ残した、モダンな髪型で着物をドレスの様に着こなす日本女性「おせいさん」の写真。毎日新聞を介して証言を寄せてきた勢似子の甥・袴田幸吉の手元に残っている写真を見て、ホセ・リサール研究者で早稲田大学教授・木村毅は納得したといいます。勢似子の幼友達・太田だい女は「額の広いところ、鼻筋の通った眼差しの涼しいところ、髪の結い方、非常に美しい人だった私のお友達だったおせいさんに間違いない」

「2人目の勢似子」
 千葉県臼井村の戦闘的な武家の出だという臼井家に勢似子は生まれます(父母の氏名不明)。兄は戊辰戦争で新政府軍と闘った旧幕臣で、彰義隊員の一員として上野戦争で戦死(兄の氏名不明)。土地を失い家は没落。父親は武士の生活を捨てて貿易商に転身。店を横浜に開くとかなりに繁盛して東京に家を構えます。両親は、非常に内気で病身の勢似子のために、長崎生まれの孤児・よしを養女とすると、勢似子の義姉として世話をさせます。やがて勢似子は東京女学校で英語・フランス語を学び、絵画・音楽の素養を身につけます。23歳の初春、スペイン公使館に滞在中のフィリピン人医師ホセ・リサールの評判を聞きつけた知人の勧めで特別診療を請うたのをきっかけに、2人で歌舞伎を見物に出かけ、横浜や目黒の市内を汽車や人力車に乗って見てまわり、宇都宮・日光・国府津・小田原・湯本・宮の下・吉浜・熱海・藤・江の島・戸塚の方まで一緒に旅行します。フィリピンのサント・トマス大学医学部を修了後、スペインに渡ってマドリード大学の医学部と哲文学部を修め17か国語を駆使する言語学者としても知られる彼を、勢似子は名所旧跡に案内しながら日本の歴史や文化を教えます。2か月後の春、日本を去っていった彼について、やがて日本の新聞は大きく報道します。スペインで逮捕されフィリピンの首都マニラに送致された後、軍法会議にかけられ銃殺刑になったというのです。結婚を拒んでいた30歳の勢似子は、山口高等学校の英国人英語教師アルフレッド・ディー・チャールトンと結婚。夫が山形有朋に叙勲され学習院大学の英語教師となると、ひとり娘・ゆりこと義姉・よしを伴って山口県萩市から上京。貴族院議員の子息・瀧口義春を娘婿に迎え入れ、孫・瀧口吉亮は外交官に。戦後、講談社のキング編集長・橋本求(のち講談社編集局長)が、早稲田大学生時代に勢似子の家族のもとで居候していた証言を、ホセ・リサール研究者で早稲田大学教授・木村毅に寄せます。「思い出は誰からも触れられたくない」勢似子は面会を拒み、誰に話すこともなく、80歳で逝去。

「おせいさん」ホセ・リサール画「マニラ紀行 南の真珠」(木村毅 著 / 全国書房1942)

-「学習院の英語教師たち 一明治編一 」佐藤猛郎
-「明治32年(1899年)山口高等学校雇教師英国人アルフレッド、ディー、チャールトン叙勲ノ件」(「簿冊名 :叙勲裁可書・明治三十二年・叙勲巻二・外国人」)
-「マニラ紀行 南の真珠」(木村毅 著 / 全国書房1942)
-「日本におけるリサール」(セザール・ザイデ・ラヌーサ、 グレゴリオ・F.ザイデ 著 / 木村毅 訳 / アポロン社1961)
-「ホセ・リサールと日本」(木村毅 編 / アポロン社1961)
-「A BLEND OF VOICES」(牟礼一弥, ジェンマ・ボニリア 共著 / 牟礼一弥1975)
-「東京百年史 第3巻」(東京百年史編集委員会1972)
-「フィリピンと日本 : 交流500年の軌跡 」(佐藤虎男 著 / サイマル出版会1994.9)
-「発掘アジア歴史講談」(大野力 著 / 時事通信社1983.6)

女風土記 Happywomen
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