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🌹女風土記🌹 東京都中央区小伝馬町 日本女性初の劇作家 長谷川 時雨 女史 / Japan's First Female Playwright, Ms. Shigure Hasegawa

-東京都中央区立郷土資料館 / Tokyo Chuo City Museum

「女が女の肩を持たないでどうしますか!」
"Women must stand by women. Or who will?"

長谷川 時雨 女史
Ms. Shigure Hasegawa
1879 - 1941 
東京都中央区小伝馬町 生誕
Born in Kodenma-tyo, Chuo-ku, Tokyo-to

長谷川時雨 女史は女性初の劇作家・歌舞伎脚本家。『女人藝術』の創刊者。「日本女流文学者会」創始者。世界恐慌また戦時下で、日本の女性の文化芸術活動を支えるために奔走。
Ms. Shigure Hasegawa is the first female playwright and Kabuki playwright. She was the founder of the magazine Nyonin Geijutsu (Women's Arts) and the founder of the Nihon Joryū Bungakusha Kai (Japanese Women Writers' Association). During the Great Depression and wartime, she worked tirelessly to support the cultural and artistic activities of Japanese women.

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「あんぽんたん」
 
時雨こと康子は1879年東京府日本橋区に、御用呉服屋の息子で免許代言人(弁護士)の父と、没落士族の娘で苦労人の母親のもと、6人兄弟の長女として生まれます。病弱ではにかみ屋の「アンポンタン」として、もと御殿女中で呉服商家を盛り立てた祖母に溺愛されて育てられます。祖母や母の教育方針で学校へは上がらず、寺子屋で読み書きそろばん・裁縫・長唄・日本舞踊・二絃琴・生け花・茶の湯を身に着けます。母・多喜は、康子が読書をすると目の前で本をビリビリに破って燃やし、康子を激しく殴打して蔵に閉じ込めます。日髪日風呂を欠かさない祖母・小りんは、康子が下田歌子の私塾に通うのを阻止、かわりに康子を連れて芝居小屋へ通います。14歳になると池田詮政侯爵家に行儀見習い奉公に出されます。康子は給料を書籍につぎ込んで夜分に読書に耽ります。3年目で肋膜炎を病んで家に戻されると、父の伝手で著名な歌人で国文学者の佐佐木信綱が主宰する「竹柏園」に通うことを許されます。康子は仕事を済ませるとご飯もろくに食べずに通りを急いで、嬉々として源氏物語や万葉集の古典を学びます。

「いやだいやだいだ」
 
康子は18歳のときに、両親の命で成金で評判の悪い鉄問屋・水橋家の次男・信蔵と結婚。嫁ぎ先では上品ぶってると悪口を言われ、書きものをするとはばかりに捨てらます。康子は家族の外出時には留守番をして読書に浸ります。しばらくして、父・深造が水橋家絡みで東京市議会を巻き込んだ贈収賄事件により公職を辞職。康子は離婚を申し出るも叶わず、実家から勘当された夫・信蔵とともに、岩手・釜石の鉱山町に移り住みます。夫・信蔵は東京へ行って放蕩三昧で帰って来ず、康子は釜石で独り小説を書いて明け暮らします。22歳の時に水橋康子のペンネームで雑誌『女学世界』に投稿した短編『うづみ火』が特賞に選ばれます。長谷川康子・水橋時雨・長谷川時雨の名前で投稿を繰り返す中で入選を繰り返し注目され賞金を得るようになります。25歳で離婚を決意して帰京すると母親を征服、隠居中の父・深造と佃島の屋敷に住みながら、築地の女子語学校(今の雙葉学園)の初等科に通って英語を学びます。釜石時代の文通相手で、早稲田大学に通う演劇青年・中谷徳太郎と交際をはじめると、康子は歌舞伎と演劇に熱中。26歳のときに読売新聞に応募した戯曲「海潮音」が演劇界の大御所・坪内逍遙に絶賛されて入選、新派の喜多村緑郎、伊井蓉峰らによって上演されます。

-「江島生島」長谷川時雨作(歌舞伎座 昭和10(1935)年 9月)中﨟 江島 / [4代目] 市川 男女蔵、生島新五郞 / [6代目] 尾上 菊五郎(文化デジタルライブラリーHP)

「美人伝・名婦伝」
 女性初の劇作家となった康子は逍遙に師事しながら新舞踊劇を創作、日本海事協会に当選した「覇王丸」を「花王丸」と改題して市村羽左衛門と歌舞伎座で上演。表看板には康子の写真が掲げられ、ブロマイド写真を売り出され、女性初の歌舞伎脚本家として舞台挨拶に立ちます。康子脚本「さくら吹雪」があたり芸となった六代目尾上菊五郎らと『舞踊協会』『狂言座』を結成、森鴎外・夏目漱石・佐々木信綱を顧問に迎えて新感覚歌舞伎の上演に取り組みます。劇作家としての地位が確立した康子は、江戸っ子で無口な中谷といつもいつも口喧嘩ばかりしながら、共同で演劇雑誌『シバヰ』を発行。
30歳から古今の女性を題材にした美人伝・名婦伝を『読売新聞』『東京朝日新聞』『婦人画報』『婦人公論』などに発表して話題を集めます。その頃、ひとまわり年下の駆け出し作家・三上於菟吉から熱烈な求愛を受けて結婚、献身的に支えます。同時に甥っ子を引き取り、母と旅館の経営を始め、家庭の仕事に追われるようになります。やがて売れ出した夫・於菟吉が妾を囲い芸者を侍らせ放蕩三昧となると、康子は44歳で岡田八千代を誘って同人雑誌『女人芸術』を創刊。女性作家たちに自由な活動の場を与えるも、関東大震災により2号で廃刊に。

-女人芸術表紙(1928年7月号~1932年6月)

「火のような熱情」
 49歳の康子は、円本ブームで多額の収入を得た夫・於菟吉の資金援助のもと、仲間割れで廃刊していた『青鞜』メンバーを迎え入れて『女人芸術』を再興。自伝的作品『旧聞日本橋』の連載を始めて人気を集めます。康子は思想弾圧を受けて困窮する左翼の女性作家も受け入れ、たびたび発禁処分を受け資金に行き詰まります。世界恐慌の波が襲う中、康子は雑誌にする紙を買い、活版屋に払う金を貰ってうろうろしながら、何度も病に伏し、銀行を差し押さえて金をもぎ取る業者たちの前に挫折。満州事変、2・26事件、日中戦争と相次ぐ戦時下で、康子は53歳のとき軍部協力と引き換えに『輝ク会』を結成して機関紙『輝ク』を創刊。日中戦争開始とともに『皇軍慰問号』を発行、激化する戦局に知識女性層による銃後慰問団体『輝ク部隊』を結成、陸海軍資金援助・監修により3冊の文集『輝ク部隊』『海の銃後』『海の勇士慰問文集』を制作。同時に康子は脳血栓で倒れた夫・於菟吉を看病しながら彼の新聞連載を代筆、さらに『輝ク部隊』を引き連れて中国厦門から広東へ、南シナ海を渡って海南島へ、さらに仏印まで足をのばそうというところで戦況が激化して引き返します。疲れ果てて帰国すると、体に鞭打って「日本女流文学者会」を発足する中で発病、61歳で没します。物質不足で紙の統制も始まる中、樋口一葉・与謝野晶子につぐ三人目の女性作家の全集として、美しく贅沢な装丁で刊行されます。

-「前線へ慰問袋を 長谷川時雨さんの遺志つぐ」No.CFNH(C)-0065_3(中日映画社2023/01/24)
https://youtu.be/L3Y9vzh6NOk?feature=shared

岡田八千代、野上弥生子、神近市子、山川菊栄、三宅やす子、島本久恵、富本一枝、高群逸枝、長谷川春子、湯浅芳子、尾崎翠、野溝七生子、宮本百合子、望月百合子、真杉静枝、大谷藤子、戸田豊子、平林英子、林芙美子、中本たか子、村山籌子、佐多稲子、竹内てるよ、平林たい子、円地文子、松田解子、矢田津世子、大田洋子、若林つや、田村俊子、柳原白蓮、平塚らいてう、長谷川かな女、深尾須磨子、岡本かの子、鷹野つぎ、高群逸枝、八木あき、坂西志保、板垣直子、中村汀女、大谷藤子、森茉莉、林芙美子、窪川稲子、平林たい子、円地文子、田中千代、大石千代子、吉屋信子らとともに女性の自由な活躍の場を広げました。

-『女人芸術の世界 長谷川時雨とその周辺』(尾形明子 / ドメス出版1980)
-『評伝長谷川時雨』(岩橋邦枝 /筑摩書房1993)
-『「輝ク」の時代 長谷川時雨とその周辺』(尾形明子 / ドメス出版1993)
-『わたしの長谷川時雨』(森下真理 / ドメス出版2005)
-東京都中央区立郷土資料館 Tokyo Chuo City Museum

女風土記 Happywomen
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