🌹女風土記🌹 京都府福知山市 「大本教」開祖 出口 なお 女史 / The Founder of Omoto-kyo, Ms. Nao Deguchi

「うしとらのこんじ んわかひめぎみの みことで九ちのかみ とあらわるわ へんじよなんし」
出口 なお 女史
Ms. Nao Deguchi
1837 - 1918
京都府福知山市字上紺屋町(丹波国天田郡上紺屋町) 生誕
Born in Fukutiyama-city, Kyoto-fu
出口 なお 女史は、「大本教」開祖。「艮の金神」が神懸った「綾部の金神さん」として「お筆先」で世直しを訴えるも、明治政府の思想弾圧や、娘婿・喜三郎(王任三郎)による教団支配に苦しむ。
Ms. Nao Deguchi founded Omoto-kyo, a Japanese new religion. Possessed by "Ushitora no Konjin," she became "Ayabe no Konjin-san" and advocated for world reform through her automatic writings, "Ofudesaki." She faced struggles with the Meiji government's suppression and her son-in-law, Kisaburo, control over the organization.
「神懸かり」
天保の大飢饉に、山陰の一城下町は福知山藩領に、藩の大工を務める父・桐村五郎三郎と、資産家の娘である母・そよの長女としてなおは誕生。父親の放蕩で一家は没落、なおは危うく間引きされるところを、姑に強いて反対されて命を取りとめます。仕立て屋・饅頭屋・呉服屋と下女奉公を経て19歳で婿取り養女として叔母の出口家を継ぎますが、財産争いに巻き込まれて郷里に戻ります。夫・政五郎は腕利きの大工ながら、酒と芝居好きの道楽者で取引下手。予算度外視で仕事を請け負い、名声は高まるものの損を重ね、家に持ち帰るはずのお金を酒と芝居に使い、親戚からのお金の工面にも快く応じます。たちまち一家は没落、なおは11人の子供を産み、夫を助けて普請現場で壁下地作り・土あげ・瓦運びを手伝い、饅頭屋、下駄の鼻緒づくりや糸引き(製糸工場)の内職をして3男5女を育て上げます。やがて怪我を負って患っていた夫が逝去、長男の自殺未遂と行方不明、嫁いでいた三女ならびに長女の発狂などの不幸な事件が相次ぎ、57歳のなおはある日突然神懸ります。祈祷をしてもいっそう激しくなる神懸かりに、昼間は行商に出て、夜中に起きて水を浴びて神と問答、大声をあげて叫んだり舞ったりもする。なおは娘婿に狂人とされ座敷牢へ閉じ込めます。
「お筆先」
明治初期、物納の年貢が金納の地租にかわり、兵役や義務教育の新しい負担、外国との戦争、新しい苦しみや不安に悩む名も無い民衆の間から、続々と新しい宗教が興ります。中でも、それまで霊性を封じられ抑圧されてきた女性教祖が表舞台に出現。小倉の下女・島村ミツを開祖とする神道蓮門教、大和の地主農婦・中山みきを教祖とする天理教・・・。無学の貧農主婦である出口なおも神懸かります。なおは、手元にあった古釘をとって座敷牢の柱に文字を刻みつけはじめます。筆をとったなおは、習ったこともない文字をなまりそのままに素朴で大らかに書いていきます。「うしとらのこんじ んわかひめぎみの みことで九ちのかみ とあらわるわ へんじよなんし」「よがまいりてきたぞよよ わもちきりにわいた させんともしてあるぞよ もしてあるとがで て九るのわ これわ じせつがまわりてきた のどよじせつわまわ るのであるからこの よがすむとゆことわな いなれどよのきりか江 となるのでしんかいも にんけんかいもさわか しきことであるぞよな がよきのしまいのよが まぼのよであ九のみ」・・・「で九ちなお六十八歳 めじ三十六ねんの六か つの二十にに少のふ でさきにどめのよの たてか 江のしるし」
「綾部の金神さん」
屋敷家財道具を処分して40日ぶりに座敷牢から出されたなおは、無一文になって修験道に入り荒行を経て、他の娘たちの家を転々としながら布教活動を行います。「出雲の御用を出来さして、天も地も世界を均すぞよ」「どうしたら世が代わると云うことは、世に出て御い出る神様も御存知はないぞよ」明治維新に抑圧された丹波地方の人々の思想・伝承をゆさぶります。病気治癒をしながら世直しを訴え、日清戦争の予言を的中させ、信者を増やします。「綾部の金神さん」として有名になるも、大和朝廷に対して出雲の優位を主張、現人神を批判したことから弾圧の対象となります。なおは金光教と手を結ぶも独立、静岡の稲荷講社で修業して霊学会を率いる新進の宗教家・上田喜三郎(のち王任三郎に改名)と合流。5女すみの婿に迎えます。まもなく「お筆先」を軽んじる喜三郎との内紛が絶えず、日露戦争の敗戦の予言が外れ、多くの信者が教団を去ります。すると国家神道・弥勒信仰を取り入れて全国的な大教団「大日本修斎会」「皇道大本」に改編した喜三郎は、なおの地位を奪い、なお以上の地位を獲得しようとします。社会批判・変革論に惹かれて知識人・軍人が多く入信して拡大する教団と距離を取るなおは、質素な生活と貧者への親切を続けながら「お筆先」の執筆や修行に勤しみつつ82歳で昇天。26年間の「お筆先」は一万巻、半紙20万枚に及びます。

-「女人の書」(前田詇子 著 / 講談社1974)
-「偉人・天才たちの食卓」(佐伯マオ 著 / 徳間書店1991)
-女性と宗教 出口なおについての一考察 / 頼住光子「平和と宗教 : 庭野平和財団平和研究レポート (15)」(庭野平和財団平和研究所編集委員会 編 / 庭野平和財団1996)
-「近代女性精神史」(河野信子 著 / 大和書房1982)
-「女の一生 : 人物近代女性史 8」(瀬戸内晴美 編 / 講談社1984)

Share Your Love and Happy Women's Story!
あなたを元気にする女性の逸話をお寄せください!
Share your story of a woman that inspires you!
