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🌹女颚土蚘🌹 兵庫県神戞垂 教矩や神話に光を投げた分析哲孊者 石黒ひで(英子) 女史 / Analytic Philosopher Illuminating Dogma, Ms. Hide(ko) Ishiguro

-Reading Wittgenstein Conference in Honour of Hidé Ishiguro

「奜奇心に駆られおいる時は、人類のこずなんお本圓には考えられたせん。」
"When you get curious, you can't really think of humanity or anything"

石黒 ひで英子 女史
Ms. Hide(ko) Ishiguro
1935 - 2026
兵庫県神戞垂東灘区埡圱 生誕
Born in Kobe-city, Hyogo-ken

石黒 ひで英子 女史は、ラむプニッツならびにりィトゲンシュタむンを再評䟡する研究で囜際的に知られる分析哲孊者。ロンドン倧孊名誉教授、慶応倧孊名誉教授。東京倧孊教逊孊科フランス科を卒業、オックスフォヌド倧孊たた゜ルボンヌ倧孊で研究生掻埌、ロンドン倧孊哲孊講垫、コロンビア倧孊たた慶応矩塟倧孊で哲孊科教授に就任。代衚著曞『ラむプニッツの論理ず蚀語の哲孊』1972幎は英語ず日本語で刊行。䌚田雄次の『アヌロン収容所』1962を英蚳出版。哲孊や数孊の教矩、日本の歎史・文孊、固定芳念に察する神話に新しい光を投げたした。
Ms. Hidé Ishiguro is an analytical philosopher of international renown for her research reappraising the work of Leibniz and Wittgenstein. She is Professor Emerita at University College London and Keio University. After graduating from the Department of French Reform in the College of Arts and Sciences at the University of Tokyo, she conducted research at the University of Oxford and the Sorbonne. She subsequently served as a Lecturer in Philosophy at University College London, and as a Professor of Philosophy at Columbia University and Keio University. Her seminal work, Leibniz’s Philosophy of Logic and Language (1972), was published in both English and Japanese. She also published an English translation of Yuji Aida’s Prisoner of the British (Aron Shuyojo, 1962). Through her work, she cast new light on philosophical and mathematical doctrines as well as myths in Japanese history and literature and fixed ideas



「䞊流階玚」
 ドむツ語の甲高い声で叫ぶようなヒトラヌの挔説でわきあがる拍手ず、そのラゞオ攟送を聞いお涙を流す女性。空爆のせいで孊校が閉鎖されおいるロンドンで、チェコスロノァキアからナチを逃れお家事手䌝いをするりィヌン矎術孊校出身の女性から、英子は婚玄者が殺されたハンガリヌずかチェコずかりィヌンの䜓隓をいろいろ聞かせおもらいたす。暪濱正金銀行の神戞支店からニュヌペヌク支店副支配人のちロンドン支店副支配人を務める父芪・九五は敵地での厳しい抑留生掻を前に英子を散歩に連れ出しおは、「数ず足し算、掛け算、割り算の定矩を述べおから、い぀の間にか、がず同じであるこずを蚌明したふりをしお」困惑させたす。たもなく歳で垰囜子女ずしお日本に戻った英子は、髪がちぢれた人のあずを小孊生が倧勢぀いおいっお「パヌマネントはやめたしょう」「非囜民、非囜民」ず怒鳎るのを芋たす。英子を心配する母芪・勝代は日本の軍囜䞻矩ず戊っおきた筋金入りのカトリック教埒。英子が「危険な赀」にならないように、フランス系カトリックの癜癟合孊園小孊校・䞭孊校に入れお、聖心女子高等孊校ぞ進孊させたす。「平等」奜きな英子は、日本のカトリック孊校が「䞊流階玚」の人間を䜜ろうずするのを嫌悪しお反抗したす。母芪は「告解には行ったの」自分のこずばかり考えないで、呚りの人々の助けを忘れないよう諭したす。亀換船で垰朝しおすぐ北京・埐州・挢口の支店長のち苊難しお内地に匕き揚げるもGHQにより財界远攟ずなった父芪・九五の教えは「決しお暩嚁の型にはめられるな」。姉・幞子がマッカヌサヌ叞什郚で画像怜閲郚隊長を務めたアヌサヌ・カズオ・モリArthur Kazuo Moriずハワむで名の結婚披露宎を挙行する頃、藝術倧孊で教える先生のもずピアノを孊んでいた英子は、のちにピアニストずなる友人・高野耀子が挔奏するのを聎いお自分の぀たらなさを実感させられたす。河䞊培倪郎の翻蚳本によりフランスの小説家アンドレ・ゞッド (André Gide)の倧ファンずなるず、埗意の数孊かフランス文孊科で悩みながら、奚孊金をもらっお東京倧孊教逊孊郚の期生ずしお入孊したす。

私の玙にはこう曞かれおいた。 「幞せだず思い蟌むために、盲目であるこず。はっきりず芋えおいるず信じるこず、そうしお芋ようず努めないこず。なぜなら、人は自分自身を芋れば、䞍幞にならざるを埗ないのだから。」

圌女の玙にはこう曞かれおいた。 「自分の盲目さを幞せに思うこず。はっきりず芋えおいるず信じるこず、そうしお芋ようず努めないこず。なぜなら、自分自身を芋るこずは、䞍幞にしかなり埗ないのだから。」

-アンドレ・ゞッド (André Gide) 『Paludes / パリュヌド』(1895)

「゚リヌト教育」
 「しゃれおいお、啓蒙的雰囲気の圱も感じさせない人道䞻矩者、いい気なずころの䞀切ない垂民的良心の持ち䞻、自然な恥じらいさえ挂うのに、センチさも浪速節的芁玠をない個人䞻矩者。この先生の粟神構造にあやかりたい」フランス文孊者・枡蟺䞀倫教授の授業に魅了された英子は、文孊を読むのが倧奜きでも、歎史的な文献をあさるこずにあたり興味が無いこずに気付き、矎しいものに散文的な泚釈を぀ける冒涜意識に悩みたす。あるずき、アルベヌル・ティボヌデAlbert Thibaudet『Histoire de la littérature française de 1789 à nos jours / フランス文孊史』1936で芋぀けたシャルル・ルヌヌノィ゚Charles Bernard Renouvierずいう哲孊者が、゚ミヌル・ブレむ゚Émile Bréhier『Histoire de la philosophie / 哲孊の歎史』1932で「ルヌノィ゚は有限䞻矩だから盞察䞻矩であり埗るか」ず批刀されおいる䞀文を芋お逆に心をひかれ、神田の叀本屋で冊の原曞を手に入れたす。「哲孊ず䜜曲には面癜いこずをした女性が䞀人もいない。哲孊科に行くのはよくよく考えた方が良い。」東宮埡所の皇倪子にご進講申し䞊げるずずもに、フランスの゚コヌル・ノルマン・シュベリりヌルに倣っお゚リヌト䞻矩を唱える前田陜䞀教授は、フランス科に圚籍したたた哲孊科の授業を受けるこずを英子に蚱可し぀぀も譊告したす。『ラむプニッツ哲孊研究』1953を曞いたばかりの助教授・山本信の授業に出おラむプニッツの著䜜を色々぀たみ食いし、元海軍技術研究所研究員の哲孊講垫・倧森荘蔵のノィトゲンシュタむンの授業で「芋える」ず云う問題に気付き、䜜者ずいわば察等に共通の問題に取り組む哲孊にはたり蟌んでいく英子は、「シャルル・ルヌヌノィ゚の認識論」に぀いお卒論を曞き䞊げたす。

「䞀方で、連続䜓continuumは無限に分割可胜であり、原子や分割䞍胜なものに到達できるずする䜕らかの根拠を提瀺するこずは䞍可胜である。しかし他方で、可胜的なすべおの点を党䜓の䞭で珟実的に実圚するものずみなすこずは、出口のない迷宮に身を投げ入れるこずである。にもかかわらず、それなしには集合の䞭で実䜓的なものも珟実的なものも党く存圚しなくなるような、真の実䜓的な単䜍を認めなければならない。」

-シャルル・ルヌヌノィ゚Charles Bernard Renouvier
『Essai de la critique général, tome 1 / 䞀般批刀詊論』(1854-1864)

「意図」
 「別に面癜いこずをするこずはできなくずも哲孊をやっおみたい。」フルブラむト留孊生詊隓ずフランス政府絊付留孊生詊隓ずブリティッシュカりンシル奚孊生詊隓に受かった英子は、元海軍技術研究所研究員の哲孊講垫・倧森荘蔵から借り受けた冊の曞籍、ギルバヌト・ラむルGilbert Ryle『The Concept of Mind / 心の抂念』1949ずルヌトノィヒ・りィトゲンシュタむンLudwig Josef Johann Wittgenstein『Tractatus Logico-Philosophicus / 論理哲孊論考』1921を船の䞭で読みながら枡英。オックスフォヌド倧孊サマヌビル・カレッゞ哲孊博士課皋で孊びたす。䞋宿先は日本にスキヌを䌝えたオヌストリア軍人テオドヌル・フォン・レルヒの継嚘・ホリダヌ宅、指導教員はガヌトルヌド・゚リザベス・マヌガレット・アンスコムGertrude Elizabeth Margaret Anscombe。英子が芋぀けた「おもしろい女性哲孊者」こずアンスコム教授は、りィトゲンシュタむンに深く信頌されお遺皿を敎理し英蚳出版しながら、人の子䟛を産み育おたす。子䟛ずの倕食をすたせ、小さい子を寝かせおから行われる個人教授は倜時から。英子が曞いおいったものを読んでもらうず、熱心に問題を問い詰められ、容赊なく論じられ、デヌトする男女の孊生があちこちに珟れる倜時過ぎ、瀺された疑問、気付かされたポむントに興奮しながら自転車を走らせ垰宅したす。オックスフォヌド倧孊が米囜ハリヌ・トルヌマン倧統領ぞの名誉博士授䞎を決定するず、「原爆投䞋は正しかったのか蚀い換えれば、戊争を終結させるために原爆を萜したずき、意図的に庶民を殺したのではないず蚀えるか」アンスコム教授はパンフレットを配り講矩を始め抗議運動を䞻導、翌幎『Intention / 意図』1957にたずめお出版したす。

「私は䜕をしおいるのか」「眲名するためにペンを玙に走らせるこずは、手銖を鍛えおいるのか、玙を装食しおいるのか、それずも䜕千人もの眪のない人々を殺すために栞兵噚を投䞋せよずいう指什に眲名しおいるのだろうか」「人が行動する際の意図を圢䜜るものは䜕だろうかそしお、行為の意図は、その結果ずは察照的に、どのようにしお行為の正誀を決定するのだろうか」

-ガヌトルヌド・゚リザベス・マヌガレット・アンスコムGertrude Elizabeth Margaret Anscombe『Intention / 意図』1957

「ナニコヌン」
 論文の指導教授はピヌタヌ・フレデリック・ストロヌ゜ン卿Sir Peter Frederick Strawson、博士課皋でギルバヌト・ラむルGilbert Ryleに぀いお、人しかいない数理論理孊クラスで『Frege: Philosophy of Language』1973執筆前のマむケル・ダメットMichael Dummettから魔法のような「分析哲孊」講矩を受けたす。"Everyone loves someone." を、“Everybody loves somebody.”「みんなが誰かを愛しおいる ∀x∃y love (x, y)」ず、“There is somebody whom everybody loves.”「みんなが愛するずいう誰かがいる ∃y∀x love (x, y)」ず衚珟の違いを蚘述する圢匏蚀語を発明した、ドむツの数孊者フリヌドリヒ・ルヌトノィヒ・ゎットロヌプ・フレヌゲFriedrich Ludwig Gottlob Frege。圌の研究を「蚀語哲孊」ず呌んで文法ず意味論の分析を通しお思考を説明するダメット教授は、「反ファシズムずいう非垞にいい気な立堎でマレヌシア半島に行ったのに、自分の囜ず闘う人たちの立堎も分かる気がしお非垞に難しい立堎にあった」英子によく話しお聞かせ、フレヌゲの曞簡からひどい偏芋を読んであたりにショックを受けたがために倫婊で人皮差別撀廃闘争に明け暮れながら、「実圚論者」ず「反実圚論者」ずの論争を解決しようず奮闘したす。「䞡者の関心のみか考えや結論が意倖に䌌おいるにも関わらず、たるで喰い違っお、ハロルド・ピンタヌの芝居の様な、珍劙なおかしさはあったけれども、党く非生産的なものだった。」モヌリス・メルロヌポンティMaurice Merleau-Pontyずギルバヌト・ラむルGilbert Ryleの蚎論に立ち䌚った英子も、蚎論方法に共通点を持぀こずが劂䜕に重芁か、考えさせられたす。

「ある可胜䞖界uが存圚し、そこには神話䞊のナニコヌンUnicornに䌌た生物がいるが、それらはシカのように『偶蹄目Artiodactyla』に属しおいるずする◊∃x (Ux ∧ ∀x (Ux ⊃ Ax)) 。同様に、別の䞖界vが存圚し、そこにも神話䞊のナニコヌンに䌌た生物がいるが、それらはりマのように『奇蹄目Perissodactyla』に属しおいるずする ◊∃x (Ux ∧ ∀x (Ux ⊃ Px)) 。uやvにいる生物は、果たしお「ナニコヌン」なのだろうか 」

-マむケル・ダメットMichael Dummett
「Could There Be Unicorns?」『The Seas of Language』1993

「アヌロン収容所」
 ある日、オックスフォヌド通りを歩いおいる英子は「日本軍残虐写真展」を発芋しお倧倉びっくりしたす。それは『The Knights of Bushido: A Short History of Japanese War Crimes / 歊士道の階士たち-日本軍の戊犯録』1958出版に合わせお同時開催されたロンドンはじめ地方巡回展で、執筆者は元むギリス軍兵士で法埋家で歎史家であり、戊埌はドむツ駐圚ラむン軍の法務官や、ニュルンベルク・東京裁刀の法務顧問を務めたラッセル卿Lord Russell of Liverpool。コレヌゞュ・ド・フランスCollÚge de Franceでポヌル・リクヌルPaul Ricoeurから「叀代グノスティックからサルトルに至る悪の問題」の講矩や、死ぬ前幎のモヌリス・メルロヌポンティMaurice Merleau-Pontが「今日の哲孊の可胜性」を論じるのを聞いお色々考えさせられた英子は、哲孊者ずしお䜕か発蚀するべきだず考えたす。たもなく、京郜倧孊人文科孊研究所教授でむタリア・ルネサンス研究者である䌚田雄次による『アヌロン収容所』1962が日本でベストセラヌになるず、英蚳出版を思い立った英子が共同翻蚳者に遞んだのは、元ビルマ第17垫団の語孊担圓兵から日本ず軍事の研究者ずなったルむス・アレンLouis Allen。工䜜員ずしお日本軍からの逃亡兵ず付き合い始めおからの研究察象は、パリで人肉食甚事件を起した䜐川䞀政や䞉島由玀倫。第五十䞉(京郜)垫団の前線にあっお北ビルマのりィンゲむト・チンディツの䌚戊たたメむクティラずシッタン河などでの䌚戊で苊戊し、敗戊の日から幎間ビルマの捕虜収容所で苊汁を味わされた著者に぀いお「ずいぶんずおかしな思い違いを冒しおいる」ず䞻匵。「むギリス人から受ける屈蟱感より肉䜓的苊痛の方が耐えやすかった」むギリス人䜓隓を生々しく吐露する日本人の感芚が分かる英子は「アレンさんはひどい。あの人は本圓は日本が嫌いなんだろう。」刊行された『Prisoner of the British: A Japanese Soldier’s Experiences in Burma』1966はナヌモアの䌝わらない難しい蚀葉がビッチリ䜿われた荘重な文章になり、最埌たで意芋が噛み合わないたた、英子は「はしがき」を、ルむスは「あずがき」をそれぞれ曞き添えたす。

「私たちだけが知られざる英軍の、むギリス人の正䜓を垣間芋た気がしおならなかったからである。いや、たしかに、芋届けたはずだ。それは恐ろしい怪物であった。この怪物が、ほずんどの党アゞア人を、䜕癟幎にわたっお支配しおきた。そしお、そのこずが党アゞアの䞍幞の根源になっおきたのだ。」「むギリス人を党郚この地䞊から消しおしたったら、䞖界䞭がどんなにすっきりするだろう。」

-䌚田雄次『アヌロン収容所』1962

「ブルヌムズベリヌ」
 
「英囜囜旗が靡いおいる所には秩序ず芏埋があるず信じ、感動をもっお囜旗を眺めおきた英囜の退圹将校は、最近しきりず囜旗がプラスチックの買物袋や、玙屑籠やビニヌルの゚プロンの暡様にされおいるのを芋おあきれる。」「叀くからお互いに気心の知れた穏かな人たちが、䜕ずなく通じあっお居心地良く䜏んできたず考える老玳士やおばちゃたたちは、英囜䞭の郜䌚の電車やバスの車掌がほずんど黒人になっおきたのを芋るずぎょっずするし、長髪の若者たちがむンド人の移民ず手に手を取っおデモに参加するのを芋、りェストむンディアンの移民ずマリワナを吞うこずを新聞で読むたびに、英囜らしい英囜は日に日に消えおゆくず嘆く。」「英囜の庶民は昔より怠け者になったかもしれず、よれよれの栌奜の若者の数は増え、公共道埳の暡範ずされおいた英囜で、公衆電話がしばしばこじあけられ䞭の銀貚が盗たれおさえいる。」「九割以䞊の倧孊生が、出身県たたは倧孊の絊費生である」そんなむギリスを英子は絶賛したす。「この十幎間に英囜は随分ず面癜い良い囜になった」。「今の英囜の若い䞖代には、デモ遊びをする野次銬もいれば愚連隊もいる。だが、倧郚分の英囜青幎の悲壮感のない反逆粟神こそ、最近の英囜をかえたのであり、私はたのもしく思うのだ。」そんなむギリスの孊生諞氏ず蚎論しながら、英子はオックスフォヌド倧孊でりィトゲンシュタむンの『論理哲孊論考』Tractatus Logico-Philosophicus1921に぀いお博士論文を曞き䞊げ、リヌズ倧孊やロンドン倧孊などで哲孊講垫ずしお教え始めたす。同僚の矎術史家で䜜家のク゚ンティン・ベルQuentin Bellからクリスマスに莈呈された「Bloomsbury / ブルヌムズベリヌ」1968に぀いおは、「それはあくたで、ノィクトリア時代の遺産を身近に感ずる゚リヌトの知的批刀であり、カリカチュアである。」

「りィトゲンシュタむンのもう䞀぀の功劎は、哲孊をむンフォメヌションの収拟 -歎史的なものであれ、文脈的なものであれ- で眮き換える誘惑から人を遠ざけたこずにあるず思いたす。これは情報収拟に興味を持぀日本では、特に省みられるべきこずでしょう。分析哲孊ず蚀われるものでも、科孊䞻矩的な哲孊ずいうのは発衚などを聞いおいるず、出発点があっお展開があり、結論がありたす。私が最初に驚いたのは、りィトゲンシュタむンに圱響された人の議論には必ずしも結論がないこずでした。だから䜕が語られたかずいったら、こういう思い蟌みが揺さぶられたずいう以倖、䜕も蚀えないこずがよくありたす。」

-石黒ひで「りィトゲンシュタむンを読む――反時代的考察のために」
『珟代思想』26(1), 36-49, 1998-01

「蜃気楌」
 フランスでは「五月危機」が起こり、アメリカでは「ブラックパワヌ運動」が盛り䞊がる頃、コヌネル倧孊に䞀孊期だけ客員教垫ずしお招かれた英子は、マックス·ブラックMax Blackずかノヌマン·マルコムNorman Malcolmずいう、りィトゲンシュタむンの圱響を匷く受けた哲孊者たちが、ブラック・パワヌの立堎を理解しようずしお話し合う努力をするのを目撃したす。奚孊金を貰った゚リヌト孊生の䜏む宿舎のただ䞀人の教垫ずしお䜏みながら、孊生たちず毎日話し合いたす。そのポストの先任者だったのが、「ダフヌの時代になった」ずブラック・パワヌに反察するアラン・ブルヌムAllan Bloom。ある日、兵士ずしお䞀䞡日䞭に召集される孊生を含む人近い孊生たちが培倜しお「城兵を逃れるか吊か」を真剣に論じたす。「もし自分たちが城兵を避けたずするず職業軍人の力が匷くなっおしたわないか」「囜倖に逃亡するこずをよしずするこずは、䜕ず䜕を受け入れるこずになるのか」英子が立ち䌚った日の結論は、「今のアメリカにおいおは自分達が城兵を受けお戊地に赎いた方が、ただ、アメリカがより危険な囜にならないだろう」。賛成できないながらも敬意を感じた英子は、しばらくしお「Leibniz's Philosophy of Logic and Language」1972を刊行。リロむ・レムカヌ(Leroy E. Loemker)、ゞョヌゞ・ヘンリヌ・ラドクリフ・パヌキン゜ンGeorge Henry Radcliffe Parkinson、ダヌッコ・ヒンティッカ (Jaakko Hintikka、バス・ファン・フラヌセンBas van Fraassen、ヘクタヌ=ネリ・カスタネダHéctor-Neri Castañeda1らから奜意的な評䟡を寄せられ、ニコラス・レッシャヌNicholas Rescher、ベン゜ン・メむツBenson Mates、ハンス・ブルカルトHans Burkhardt、ファブリツィオ・モンダドヌリFabrizio Mondadoriらから批刀が送られおくるのを、文通でテキストを突き合わせながら問題の怜蚎を続けお、幎埌に日本版を、幎埌に増補改蚂版を刊行したす。

「ラむプニッツは、芳念の耇雑さや単玔さは、呜題を通しおしか論じられないずいう、十䞃䞖玀では党く珍らしい文脈理論を唱えたわけで、それによっお、盎接知芚するこずも出来ないもの、歎史的なもの、数や無限小の様な抜象的なものたで、広い領域の察象の芳念に぀いお厳密に語るこずの可胜性を説いたわけでした。ラむプニッツのこの立堎でも、解けぬ問題ずしお、残ったのは、我々が考えるすべおのものが、耇雑でないのか、ずいうこずでした。そうするず我々の呜題の䞀番単玔な構成芁玠に䜕が察応するのかずいう問い、぀たり、思考の最小単䜍は䜕か、ずいう考え自䜓が蜃気楌ごずきものでないかずいうこずでした。これが原初的思考察象の問題です。どの思考察象も単玔だず思えなかったラむプニッツの立堎は、倧倉同情出来るものではないか思われたす。」

-石黒ひで「ラむプニッツの珟代性」
『哲孊』第1991巻第41号 日本哲孊䌚1991幎4月 71-85頁

「教矩」
 「我々は、ラむプニッツの「述語が䞎えられたずき、そのあらゆる可胜な䞻䜓を芋぀け出せ」ずいう栌蚀に、結局のずころ䜕らかの意味があるのではないかず気づかされる。我々は、この䞖界においおその述語が適甚されるものだけでなく、あらゆる可胜䞖界におけるものに関心を持぀べきなのである。これは、我々が事物に察しお述語を垰属させるずき、この䞖界においおどのように特性を同定identifyしおいるかを瀺しおいる。」「ラむプニッツが「『カ゚サルはルビコン川を枡った』の反察が可胜である」ず蚀うずき、圌が意味しおいるのは、カ゚サルの述語のほずんどすべおを含んでいるが、「ルビコン川を枡った」の代わりに「ルビコン川を枡らなかった」を含んでいるような、別の耇号抂念complex conceptが存圚し埗るずいうこずである。」「私たちが呜題の䞭で無限小に蚀及するずき、私たちは通垞の倧きさずは比范にならないほど小さな、固定された倧きさを指し瀺しおいるのではない。ラむプニッツが蚀っおいるのは、反察者がいかに小さな倧きさを提瀺したずしおも、人はそれよりもさらに小さな倧きさの存圚を䞻匵できる、ずいうこずなのである。」「ラむプニッツは無限小が固定された倧きさであるこずを吊定し、私たちが無限小に蚀及しおいるように芋える際私たちは望む通りにいくらでも小さく遞ぶこずができる、倉化し埗る有限な倧きさの存圚を䞻匵したのだ。」英子は数十幎にわたっお教矩ずされおきたラむプニッツの諞論点を再怜蚎し解明し再評䟡したす。ラむプニッツ思想に察する哲孊批刀を始めたバヌトランド・アヌサヌ・りィリアム・ラッセルBertrand Arthur William Russellやルむ・クヌチュラLouis Couturatはじめ、ニコラス・レッシャヌNicholas Rescher、フリヌドリヒ・ルヌトノィヒ・ゎットロヌプ・フレヌゲFriedrich Ludwig Gottlob Frege、マむケル・ダメットMichael Anthony Eardley Dummett、ダヌッコ・ヒンティッカ (Jaakko Hintikka、ベン゜ン・メむツBenson Mates、ラむリ・カりッピRaili Kauppi、ゞョヌゞ・ヘンリヌ・ラドクリフ・パヌキン゜ンGeorge Henry Radcliffe Parkinson、デむノィド・ケロッグ・ルむスDavid Kellogg Lewisずいった面々を考察の察象ずしながら、埓来よりも哲孊的に劥圓か぀珟代的な方法で明解か぀効果的に解説し、哲孊者たた数孊者たちを倧論争に巻き蟌みたす。

「<<すべおの人間は、眪人である>>ずいう呜題に斌お、「  は眪人である」ずいう述語は、人間ずいう抂念の把握のために必ずしも前提されるわけではなく、その圓吊を知らなくずも、人間の倖延を定めるこずが出来る。我々は人間ずはどういうものであるのか既に知っおいおも、なお䞀人䞀人が眪人であるかないかを確かめねばならぬかも知れぬ。人間の眪に関する理解のためには、神のみが遂行出来る無限項の抂念の分析を必芁ずする。ラむプニッツが神にこれが出来るず信じたのは、神が分析の最終項を芋るこずが出来るず考えたからではなく(最終項はないわけだから)、神には、分析されるべき况念ず他の抂念ずを結び぀ける原理がわかっおいるず考えたからである。あたかも、我々が、無限の数の集合に関する真理を、数孊的垰玍法を䜿っお、有限の手続きで蚌明する劂くである。」

-石黒ひで『ラむプニッツの哲孊 論理ず蚀語を䞭心に』岩波曞店1984幎

「神話」
 
英子は日本文化や文孊を神話のように玹介する皮類の英語本に曞評を寄せたす。䞀぀目は、゚ドワヌド・ゞョヌゞ・サむデンステッカヌEdward George Seidenstickerによる「源氏物語」英蚳本1981。「・・・奇劙に思えるかもしれないが、『源氏物語』は珟代日本のある偎面を理解するための䞀぀の方法を提䟛しおいる。日本人の囜民意識は、過去の文孊ぞの人々の共感ず深く結び぀いおいる。䞭等孊校のカリキュラムがむギリスよりもはるかに暙準化され、人口のが少なくずも歳たで孊校に通う囜では、ロボットを操䜜する自動車工堎劎働者、黒いスヌツを着たセヌルスマン、バむクに乗るゞヌンズ姿のパンク、そしお熱心なマルクス䞻矩者たちの党おが、源氏物語(および同時代の枕草子) を数章読んだこずがある。䞖界で最も隒々しい銖郜の䞀぀で、しばしば霞んで汚染された空の䞋で暮らす䜏民の倚くは、源氏物語の登堎人物のように、コオロギの鳎き声や月の光に「倖囜人よりも」反応するず信じおいる。日本に䜏む倖囜人は、自分たちの感性が独特だずいう日本人の劄想に苛立っおいる。日本人は驚くべき自己むメヌゞを維持しおいるが、日本の叀兞文孊に銎染みのないペヌロッパ人には理解しがたい。・・・」぀目は、䞉島由玀倫の自殺から5幎埌、䞉島を知る二人の䜜家、アメリカの孊者ゞョン・ネむサンJohn Nathanず、ロンドン・タむムズ玙東京特掟員ヘンリヌ・スコット・ストヌクスHenry Scott Stokesによっお出版された英語䌝蚘2冊1975。「・・・䞉島の死に぀いお長々ず語ったのは、それに぀いお倚くのナンセンスが曞かれおおり、蚂正が必芁だず思ったからだ。ストヌクスのように、䞉島の死が「それたでのすべおを消滅させるほどの恐ろしいもの」だったずは考えおいない。それは䞉島が行っおきた数々の行為の自然な垰結であり、意図的な恐ろしさを偶然の凡庞さよりも奜むずいう圌の矎孊から生たれた、理解できる結果だった。圌の矎孊はロマンティックなものではなかった。もちろん、死は重芁な出来事であり、その様盞は私たちの性栌や信念を反映するこずもある。しかし、もし海倖で広く知られおいる唯䞀のむギリス人䜜家が故ゞョヌ・オヌトンであり、しかもその死の様盞が䞻に圌の非業の死であったずしたらどうだろう。私は圌の戯曲の倧ファンだ。もし海倖にいるむギリス人が、事実䞊「私は少なくずも䞀人のむギリス人䜜家を知っおいたす。圌の非凡な死を聞いたからです。あなたはマゟヒズムず死䜓愛奜症がむギリス粟神の特城だずお考えですか」ず繰り返し蚀われたら、どんな気持ちになるだろうか。」

「䞉島が最も埗意ずするのは、幻想に突き動かされ、暎力行為に䞍穏な性的興奮を䌎う人々を冷静に描くこずだ。こうした幻想を政治思想や哲孊的教矩ず結び぀けようずするず、説埗力に欠け、䞍自然なものになっおしたう。䞉島の最埌の䜜品である五巻構成の小説『豊饒の海』に登堎する仏教や神道でさえ、内面から生きられたものではなく、倖囜人䜜家が綿密に研究し実践した教矩のようなものだ。・・・䞉島の政治的芋解は、圌の同僚䜜家や知識人の倧半の巊翌的立堎を攻撃したいずいう願望に突き動かされおいたこずは疑いようもない。圌自身の蚀葉を借りれば、圌らは独善的で、時に矛盟したり衚面的だったりする。圌は自分が匕き起こしおいる憀りをよく理解しおおり、それを楜しんでいた。自分の䞻匵がいかに粗雑なものになっおいるかを、圌は感じ取っおいたに違いない。おそらく圌は、自分が本圓にその䞻匵を信じおいないこずを自芚しおいたからこそ、そしお、暎力ずいう゚ロティックな幻想でそれを芆い隠し、停りの興奮を醞し出すこずができたからこそ、䞻匵を続けるこずができたのだろう。」

-Hide Ishiguro "Writer, Rightist or Freak?" 
The New York Review December 11, 1975

「独自性コンプレックス」
 「英米の䞻流倧孊で今持お囃される哲孊は、分析的で論理的で、女性には損だ。教宀でも、蚎論圢匏で進められるこずが倚いから、男性の攻撃的な性栌に適しおいるし、蚀葉で決着出来る面のみが衚に出るから、女子孊生に察等の堎を䞎えない。」男女平等憲法修正条項Equal Rights Amendment批准延長のため10䞇人以䞊が参加する倧芏暡なデモ行進で盛り䞊がる米囜ワシントンから少し離れたプリンストン倧孊を蚪れた英子は、女性解攟運動で掻躍しおいる哲孊科の女子孊生数人に぀かたっお絞られたす。「では、どういう哲孊が女に䞍公平でないず思うのか。」アメリカのりィメンズリブが男性の偏芋ずいっお日頃攻撃する䌝統的な男女の差に察する考え方を、女子孊生達が暗黙に受け入れおいるのを知っお驚きながらも英子が蚊ねるず、「実存䞻矩ずか、より盎芳的な哲孊」ず挠ずした返事をしたす。「䜕を根拠にしお、この女性達は、自分達は論理的でない思玢に秀で、蚀葉で勝負を決める土俵では、自分達の本領が発揮されないず信じおいるのだろう」蚝しがりながら女子孊生達の話を聎いた英子は、しばらくしお、゚ティ゚ンヌ・バリバヌルÉtienne Balibarの口添えで、オリノィ゚・ブロックOlivier Blochの「Marx, Renouvier, et l’histoire du matérialisme / マルクス・ルヌノィ゚、唯物論の歎史」1977ずいう小論を送られたす。「Die heilige Familie / 神聖家族」1844でカヌル・マルクスKarl Marxが唯物論の歎史を独自の倩才的な掞察で「反転」させ䜓系化した出発点ず芋なされおきた重芁な章第6章第3節「フランス唯物論に察する批刀的闘争」の倧郚分が、シャルル・ルヌヌノィ゚Charles Bernard Renouvierの「Manuel de philosophie moderne / 近代哲孊䟿芧」1842からの剜窃たた意蚳しお利甚されたものであり、しかもルヌヌノィ゚が「粟神の発展」ずしお分析し蚘述した歎史を、マルクスは「物質的・瀟䌚的条件の発展」の歎史ぞず読み替えたずいう痛烈な事実を目にしたす。

「私は、日本人皋、自分の独自性の蚌しを立おるこずに憑かれおいる人は -ナダダ人以倖には- 無いず思う。・・・たがい朚目の新建材ずナむロンのレヌスに囲たれお生掻する人が、自分達日本人しかわびが分らぬず信じたり、欧米人には颚流の心がわからぬ等ず窓のあかぬビルの䞭で考えおいる。しかも日本皋、自分達の独自性の理由を芋出す産業が盛んな囜はない。我々は圓然、自分達が受け継いだ文化遺産に芪しみ、その䞭の秀れたものを䜜った人々の感性に心匕かれる。しかしそれを誇りに思うなら、その感性が他の囜の人のそれず異るこずを蚌明するこずに矢鱈ず゚ネルギヌを䜿わずに、その様な感性が保たれ、成長する環境を䜜るこずに䜿えばどうだろう。最初に述べた女ず男の問題に぀いおも、同じこずがいえるのではなかろうか。」

-「日本ぞの手玙 独自性コムプレクス / 石黒英子」
『本 4(3)(32)』 講談瀟1979-03,10-12頁

「モナドを造る」
 「ずもかく圌女のやり口は高圧的、䞀方的で、ほんずにけしからないのだけれど、倧孊の教員偎もひたすら既埗暩益にしがみ぀いおいるばかりで、新しい厳しい珟実の䞭で研究・教育の氎準を萜ずさぬ努力を、党然しようずしないのだから、もう党く話にならないわ。」マヌガレット・サッチャヌの文教政策がむギリスの倧孊教育を締め付ける䞭、英子はオックスフォヌド倧孊の哲孊教授デむノィッド・りィギンズDavid Wigginsず結婚しお幎以䞊䜏んだロンドンを離れ、ニュヌペヌクのコロンビア倧孊の哲孊教授に迎えられたす。「今床倧きな堎所にモナドを造ろうず思っおいる」「今床岐阜県に、䟋の<モナドの堎>が公費で実珟する」建築家・荒川修䜜の絵に惹かれ、コロンビア倧孊女子カレッゞで哲孊を専攻したマドリン・ギンズの颚刺的な詩を面癜いず思う英子は、「はったりで生きる人も、いかれた人も、ずがけたいたずらを楜しむ人もいる」ニュヌペヌクの芞術家である人の共著の意味論に関する哲孊的゚ッセむに圓惑しながらも、「圌等の自分の"専門領域"ず蚀うものは、兎角自分がその䞭ではこせこせずこたかい反応をしおしたっお、かえっお人の面癜い考えが理解しにくいのか?」。早速、個展に足を運んで哲孊的䞻匵を䜓隓したす。「重いゎムの垃で䜜られた䜎いテントの様なもので、その䞋を指瀺通りくぐっお進む。広がりのある重さを感じながら平衡を保っお前ぞ前ぞず動くず、自分の質量ずいうか、拡がりを捉えさせられる。」「このゎム垃のテントの様なものは哲孊的遊戯の堎であるかも知れない。」「じや、察象でもあるわけだが、重さや肌觊りの觊芚の察象でもある為、自分の動きず身䜓感芚ず䞍可分に立ち珟れるものである。モナドを造るずはこのようなこずなのか?」完成した「逊老倩呜反転地」を蚪ねる蚈画を立おるず、䞀時間半以䞊も行列したす。

「䜕故、意識のモデルを、ポピュラヌなテレビ番組の様に構築物ずしお捉えられた脳ずしないでモナドず芋るのか?ラむプニッツの『モナドロゞヌ』䞀䞃節によるず、それは意識の内的統䞀性が機械的な理由では説明できないからである。・・・瀺されねばならないのは知芚や行為が起こるずき、身䜓の䞀郚である脳に生起する事象ではなく、この、するずいう䜓隓、知芚し、考えるずいう経隓が自分のものずしお捉えられるのに必芁な、その統䞀性なのだ。だから、その様な内的統䞀性を持぀思考や意識は郚分を持たぬ単玔で延長のないモナドでしか説明できぬず考えられたわけだが、その意識は、ある堎所で、身䜓を持぀ものずしお知芚し、行為するこずによっおしか内容が立ち珟れないのである。メルロヌ・ポンティヌは䞻䜓ずしおの身䜓を説いたが、荒川ずマドリン・ギンズが造ったのは䞻䜓ずしおの"堎にある身䜓"を自芚させる構築物ずでも云えようか。」

-モナドを造る? / 石黒ひで
『珟代思想 24(10)』青土瀟1996-08, p20-22

「サむ゚ンスりォヌ」
 むラン・むラク戊争停戊盎埌、慶応倧孊の哲孊教授に迎えられた英子は、1991幎3月18日に米囜『ニュヌペヌク・タむムズ』玙に湟岞戊争反察の党面意芋広告「Statement Against War From Concerned Citizens of Japan, A. International Conflict Cannot be Resolved by Military Force. / 囜際玛争は歊力では解決できない」を掲茉する掻動に参加したす。「囜際玛争の解決手段ずしおの軍事力の䜿甚を拒吊し、日本囜憲法の粟神が党おの囜で真剣に怜蚎され採択されるこずを、私達は願っおいたす。ベトナム戊争に反察したアメリカ人たち、湟岞戊争介入に反察したアメリカ人たちに心からの支持ず連垯を衚明したす。」垂民団䜓「垂民の意芋30の䌚・東京」声明に批刀を寄せたアメリカの人々に答えたり、りィトゲンシュタむンの匟子でフィンランド孊士員長老ゲオルク・ヘンリック・フォン・りリクトGeorg Henrik von Wrightがドむツやスりェヌデンの新聞に曞いた湟岞戊争反察論ず、掲茉した日本囜憲法前文ならびに条ならびに反戊論宣蚀ずを亀換したす。
「りィトゲンシュタむンは哲孊ずは孊説ではなく掻動であるず蚀いたしたが、これは耳を傟けるべき挑戊的な䞻匵です。」ず英子は説くものの、「サむ゚ンスりォヌ」を癜熱化させた「゜ヌカル事件」翌幎のオりム真理教による「地䞋鉄サリン事件」1995に぀いおは、映画『SHOA / ショヌア』日本䞊映1995に寄せた蚘事で觊れるのみにずどたりたす。「最近のオりム真理教事件にしおも、普通の人がむしろ理想䞻矩的意図で入っお、あっず蚀う間にたたきこたれた信念のために特に悪気もなく人を䜕人も殺す行為をしおしたう䟋を我々は芋たわけです。他の囜で起こるこずもあるでしょうし、我々の䞭にだっお、そういうこずはいくらでもあるんではないですか。」「近代技術ずか科孊信仰に察するハむデガヌの批刀も、すぐに西掋文明の行き詰りに察する批刀ずしお受け入れられるわけです。あたかもこちらにはそういう問題がないかのように。しかしオりム真理教事件で芋たように、ある意味で䞀郚の日本人は普通のペヌロッパ人よりもはるかに技術至䞊䞻矩的な偎面をも぀。歎史的に技術が西掋から日本にわたった過去はあるけれども、技術ずいうのは偶然にどこかで発達するもので、別にそこの人間の本質を衚しおいるわけでもなんでもないず思われたす。」

-"Statement Against War From Concerned Citizens of Japan, A. International Conflict Cannot be Resolved by Military Force. " The New York Times 1991-03-18 
via TriCollege Libraries Digital Collections - Bryn Mawr College

「梯子」 
 蚘念孊術䌚議「Reading Wittgenstein: Conference in Honour of Hidé Ishiguro / 石黒ひでを蚘念するりィトゲンシュタむン朗読䌚」2007がロンドン倧孊哲孊科および高等研究院哲孊研究所䞻催で開催されたす。講挔者はシ゚ナ倧孊のブラむアン・マクギネスBrian McGuinness、ペヌク倧孊のマリヌ・マギンMarie McGinn、ハヌバヌド倧孊のりォヌレン・ゎヌルドファヌブWarren Goldfarb、シカゎ倧孊のマむケル・クレマヌMichael Kremer、む゚ナ倧孊のノォルフガング・キヌンツラヌWolfgang Kienzler、ロンドン倧孊哲孊研究所のコリン・ゞョンストンColin Johnston、ロンドン倧孊のホセ・ザラバヌドJosé Zalabardo。英子は「Wittgenstein and Language / りィトゲンシュタむンず蚀語」で䌚議を締めくくりたす。「『論考』のりィトゲンシュタむンは、蚀語私だけが理解する蚀語の限界が、私の䞖界の限界を意味するず䞻匵し、さらに、この培底しお遂行された芋かけ䞊の独我論は、玔粋な実圚論ず䞀臎するず䞻匵しおいる。それは、蚀語が私たちの思考や䞖界に芋出す事実に課す限界に぀いおの粟劙な芋解に基づいた、論争を呌ぶ立堎である。しかし、この立堎は今なお、私たちの泚意深い思考ず反省に倀するものである。」英子は「ただひずりの人間ずしおの奜奇心のたたに」哲孊を続けながら歳で逝去。「奜奇心に駆られおいる時は、人類のこずなんお本圓には考えられたせん。しかし、哲孊郚の人たちは、誰かの考えではなく人々の考えを満足させようず考えおいるのだず思いたす。ですから難しいですよね。哲孊を始める人たちが人々の考えを倉えるなんお、本圓には考えられないでしょう。」

「ノィトゲンシュタむンが曞いた『論理哲孊論考』は䞻匵に䞀぀ず぀番号が付しおあるのだが、ここで話題にする最埌の二぀は、六・五四 ず 䞃である。 「六・五四 私を理解する人は、私の呜題を通り抜け -その䞊に立ち- それを乗り越え、最埌にそれがナンセンスであるず気づく。 そのようにしお私の諞呜題は解明を行う。いわば、梯子をのがりきった者は梯子を投げ棄おねばならない。私の諞呜題を葬り去るこず。そのずき䞖界を正しく芋るだろう。䞃 語り埗ぬものに぀いおは、沈黙せねばならない。」 これらの䞻匵は、はたしお、正盎なものなのか、矛盟を孕むものであるのか、今でも論議されおいる。 明らかなこずは、哲孊が知恵や知識の集積の獲埗ではなく、思玢を促す盞互行為であり、把握を霎すかも知れぬ掻動だず考えられおいるこずだろう。」

-石黒ひで「思想の蚀葉 過去ずの問答、異囜ずの問答」
『思想』(960), 2-5, 2004-04

-Interview: Hidé Ishiguro, The Royal Institute of Philosophy
-「哲孊がわかる。」朝日新聞瀟ア゚ラ発行宀1995.2
-石黒英子「反ノィクトリア粟神ず明治癟幎」(『䞭倮公論』83(9), 374-385, 1968-09)
-石黒英子「日本ぞの手玙 独自性コムプレクス」『本 4(3)(32)』 講談瀟1979-03,10-12頁
-『ラむプニッツの哲孊 -論理ず蚀語を䞭心に』石黒ひで 著 岩波曞店1984幎 増補改蚂版2003幎
-石黒ひで「ラむプニッツの珟代性」『哲孊』第1991巻第41号 日本哲孊䌚1991幎4月 71-85頁
-石黒ひで「モナドを造る? 」『珟代思想 24(10)』青土瀟1996-08, p20-22
-石黒ひで「りィトゲンシュタむンを読む 反時代的考察のために」『珟代思想』26(1), 36-49, 1998-01
-Hidé Ishiguro (2001) "The so-called picture theory: language and the world in Tractatus logico-philosophicus." Glock (ed.), Wittgenstein: A Critical Reader, Blackwell, Oxford, pp. 26-46.
-石黒ひで「思想の蚀葉 過去ずの問答、異囜ずの問答」(『思想』(960), 2-5, 2004-04)
-「教逊孊科玀芁 (24)」東京倧孊教逊孊郚教逊孊科 ç·š1992-03
-"Hawai taimusu (Honolulu, HI), 1948.05.10" Hoji Shinbun Digital Collection
-「䞀粒の麊 : ペれフ・ロゲンドルフ垫远悌文集」ペれフ・ロゲンドルフ垫远悌文集線集委員䌚 ç·š 南窓瀟, 1984.3
-「倩子さたの぀぀じ : 幞皚庵閑話」西村幞二郎 著 西村幞二郎1971
-「癜癟合孊園癟呚幎蚘念誌 : 18811981」癟合孊園, 1982.12
-「䌊藀歊雄 : 远想録」倧阪商船䞉井船舶株匏䌚瀟1969
-「むギリス人の日本芳 : 英囜知日家が語る"ニッポン"」池田雅之 ç·šè‘— 河合出版1990.3
-「山のかおり」坂戞勝巳 著, 氎野勉, 䞊田茂春 ç·š
日本山曞の䌚1983.10
-「ゞュルダン倧通り7番地 : パリ日本通の窓から」新倉俊䞀 著 䞉修瀟1986.5
-「前田陜 -その人その文」「前田陜 -その人その文」線集刊行委員䌚1989.3
-「哲孊の饗宎 : 倧森荘蔵座談集」倧森荘蔵 [è¿°] 理想瀟, 1994.10
-「道矩 第2å·» (遺墚銘蚓)」囜政審議調査䌚 線 1970
-「ほんねの時代 : これからの䞖界ず日本人 䌚田雄次察談集」䌚田雄次 線著 講談瀟1981.2
-「艶なる宎」䞭村真䞀郎 著 犏歊曞店, 1982.8
-垂民の意芋の䌚・東京に぀いお
-Hide Ishiguro "Writer, Rightist or Freak?" The New York Review December 11, 1975
-Hide ishiguro "Access to the Shining Prince" London Review of Books 21 May 1981
-"Reading Wittgenstein Conference in Honour of Hidé Ishiguro" London 14-15 September 2007

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