🌹女風土記🌹 東京都 ビデオ・ジャーナリズムの先駆者 津野 敬子 女史 / The Pioneer of "Video Journalism", Ms. Keiko Tsuno

「まず自分がいるコミュニティにカメラを向けてみなさい。あなたが喋る言葉は聞かれなくても、撮ることで大人だって耳を傾けるのよ。」
"First, try pointing your camera at your own community. Even if the words you speak aren't heard, when you film, even adults will listen."
津野 敬子 女史
Ms. Keiko Tsuno
1944 -
東京都 生誕
Born in Tokyo-to
津野 敬子 女史は、ジョン・アルパートとビデオ制作と市民活動のための非営利組織DCTV(Downtown Community Television Center)を設立。マスコミとは一線を画す、ビデオによる報道作品やドキュメンタリー作品を制作し続け、夫妻でエミー賞を受賞。「ビデオ・ジャーナリズム」の先駆者、「草の根ジャーナリズム」、「良心的な独立ジャーナリスト」としてアメリカで注目を集めつづけている。
Ms. Keiko Tsuno co-founded DCTV (Downtown Community Television Center), a non-profit organization dedicated to video production and community activism, with Jon Alpert. Distinguishing themselves from mainstream media, they have continuously produced video news and documentary works, earning Emmy Awards as a couple. They continue to garner attention in the United States as pioneers of "video journalism," advocates of "grassroots journalism," and "conscientious independent journalists."
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「教育委員会 / School Board」(1972)
敬子は多摩美術大学を卒業後、前衛アートの中心地ニューヨークを目指して渡米。安価で機動性に富んだ新しい撮影機材「ビデオ」に興味を持ち、ソニーの最初の白黒カメラ「ソニー ポータパック / Sony Portapak」(1967)を1600ドルで購入します。「DVC-2400」(ビデオレコーダー)と「AVC-3400」(カメラ)の組み合わせにバッテリー駆動で持ち運び可能、月65ドルの家賃2年分の金額。キャナル・ストリートのロフトに住んで、「禅の隠れ家」のように全てを白く塗って、家具はピクニックテーブルのみ。「シンプルな生活を送りたい、すべてのエネルギーを作品に注ぎ込みたい」。そんな時、ジョン・アルパートが敬子の前に現れます。「ビデオを使って変化を起こしたい」「アーティストは自己中心的だ」「社会のために何かしたい」。コルゲート大学を卒業後、ビデオ制作のためにタクシー運転手をしていた彼は、タクシー運転手の組合組織化を進めているというのです。早速、敬子はジョンと一緒にブロンクスに行って、タクシー運転手のストライキをビデオ撮影、その後、運転手たちをマンハッタン上映会に招待します。約50人が来場、議論と行動が巻き起こります。「アメリカ民主主義の根幹は教育委員会」と語るジョンの父親は教育委員会の会長を務めていました。2人はチャイナタウンの腐敗した教育委員会理事会をビデオ撮影します。保護者の発言は認められず議決は強行採決、抗議する者を連行するため警察官が控えている、その映像が大きな変化をもたらし、理事会を解任に追い込みます 。
「国民による、国民のための、国民に届けるテレビ」
「これまで地域活動で成し遂げられなかったことを、メディアが成し遂げる力を持っている」敬子とジョンは、新しく原始的な機械から無造作に巻き出されるテープをカミソリで切って、いつも火事を起こす最初に発売された編集機で消火器を常備して編集。「音声消去ヘッドに紙をかぶせて2つ目の音声トラックを得られるって」「クリーニング屋のシャツに付いてくる段ボールを安物マイクに巻き付けて指向性マイクを作ったよ」。ハングリー精神あふれる他のビデオアーティスト集団らと学び合いながら、創造的なアイディアをどんどん出しては機材を発明し実験を繰り返します。テレビ局からは狂人呼ばわりされる中、「国民による、国民のための、国民に届けるテレビ」を創設。2人は古い郵便トラックを購入し、チャイナタウンの公園や街角に移動上映ユニットを設置して、地域の人々が英語を学んだり、地下鉄に乗ったり、歯医者に行ったりできるような多言語ビデオを上映します。乏しい照明とひどい騒音に悩まされながらも、工場へと急ぐ時間に追われる観客に向けて簡潔で心に響く物語を伝えようと努力します。2人とも映画もドキュメンタリーの作り方も学んだことはなく、ただ、「ドキュメンタリーは1時間以内でなければならない」ということを路上で学びます。「人々の反応を観察して、笑ってくれれば成功。立ち去ってしまうと、『ああ、この部分は長すぎる』」
『Cuba:The People』(1974)
ビデオテープから変化が生まれるのを目の当たりにした敬子とアルパートは、キャナル通りにある敬子のロフトでコミュニティビデオの無料講座を開き始めます。やがて、市の文化局の推薦と助成金を受け、「すべての人にカメラを与え、世界を変えよう」1972年、ビデオ制作と市民活動のための非営利組織DCTV(Downtown Community Television Center)を設立します。すると、PBS、NBC、HBOなど放送局がカラービデオを義務付けて独立系ドキュメンタリーの放送を阻み始めます。敬子は日本にいる家族親戚に頼んで、ベータテスター(正式販売前の製品評価)として、JVC工場の組立ラインから最新のカラービデオ機材を2台入手。早速、ソニー1/2インチカラーポータパックで毎週日曜日、DCTVメンバーと国連キューバ外交官らとのセントラルパークでの野球試合を放送します。「Docu-Dedmons / ドキュ・デーモンズ」(1972-1974)。スポーツマンシップを発揮して2年間負け続けたDCTVメンバーは、他の放送局に先んじてハバナでの撮影ビザを取得。次世代ポータブルビデオ機材23kg(大型カメラ・コントロールユニット・レコーダー・重いバッテリーベルトで構成)、2000Wの照明機器をベビーカーに詰め込んで、1974年キューバのフィデル・カストロ国家主席へのインタビューはじめ、キューバ激動の40年間をキューバ人3家族の運命とともに描いた、『Cuba:The People』(1974)を製作。独立系制作初のカラードキュメンタリーは、エミー賞歴史ドキュメンタリー部門にノミネートされ、PBS放送局で5本のドキュメンタリー番組を担当、公共放送への道が開けます。
「Chinatown: Immigrants in America」(1976)
地域の問題に継続的に関わって深い信頼を得ていた敬子とジョンは、チャイナタウンの隣人の物語「Chinatown: Immigrants in America」(1976)を製作。週60時間100ドル未満の賃金で働く厨房労働者、市内で最も高額な家賃、安全とは言えない環境で最低賃金で働く衣料品縫製労働者の実態を明らかにします。PBSで全国放送され、デュポン=コロンビア放送ジャーナリズム賞(DuPont-Columbia Citation for Broadcast Journalism)やクリストファー賞(The Christopher Award)やインディーズ賞を受賞します。さらに、ジャーナリズムの質とコミュニティへの貢献が高く評価され始めた敬子とジョンは、ニューヨーク市ブルックリンにある「キングス・カウンティ市立病院」と、通りの向かいにある「ダウンステート医療センター」の2つの病院の全面協力のもと、貧困層と富裕層の医療格差を描いたドキュメンタリー『Healthcare: Your Money or Your Life』(1977)を製作。「カメラの前で人が亡くなった最初の作品」はPBS特別番組として全国放送され広く議論を呼びます。敬子とジョンは、スラム街の若者にテレビ芸術を教え始めます。問題を抱える若者を対象とした無料のユースメディアプログラムでは、ビデオ制作やメディアリテラシーのワークショップ、毎年恒例のユース・ビデオ・フェスティバルに参加。若者たちが考案・制作した作品は国内外で数々の賞を受賞、子供たちの高等教育や就職への道筋を拓きます。
『Vietnam: Picking up the Pieces』(1978年)
ベトナム戦争中にアメリカとベトナム間の対話の促進はじめ、捕虜解放交渉など重要な役割を果たした平和活動家 Cora Weiss / コラ・ワイスを理事に得たDCTCは、アメリカ軍撤退後にベトナムと中国の戦争を予想。敬子とジョンはじめDCTCメンバーは、断られたPBSに続いてNBCと交渉してビザを入手、アメリカの放送局に先駆けてなんとか最前線へたどり着くと、荒廃した国土と殺戮現場を初めてビデオで記録。『ベトナム:平和への旅 / Vietnam: Picking up the Pieces』(1978年)はデュポン・コロンビア賞を受賞。全国規模の視聴者とNBCの支援を獲得した敬子とジョンは、フィリピン、エルサルバドル、ニカラグア、カンボジア、アフガニスタン、アンゴラ、チアパス、イラクなど、DCTCのメンバーを引き連れ戦場から戦場へと足を運んで戦争取材を学びます。しかし、NBCは湾岸戦争でバクダッド市民の居住地区における死と破壊を記録した映像を、放送予定の3時間前に放送しないという決定を下します。
『Third Avenue: Only the Strong Survive』(1980年)
妊娠した敬子は、都市での生存をテーマに、貧困・犯罪・薬物・荒廃・ギャングが蔓延するニューヨーク市サウスブロンクスのサード・アベニュー沿いに暮らし働く人々の物語を記録し始めます。車を盗む廃品置き場の売人、バワリーの浮浪者と彼が捨てた妻、5人の子供と共に廃墟ビルに住む生活保護受給者の母親、男娼、敬虔なプエルトリコ人工場労働者、そして老齢のイタリア人理容師とその妻といった登場人物たちは自ら語り、それぞれ異なる世界を率直に垣間見せてくれます。ジョンがカメラを手に取りレポーター兼カメラマンを、敬子が監督を務めた『サード・アベニュー:強者だけが生き残る / Third Avenue: Only the Strong Survive』(1980年)は全米エミー賞最優秀編集賞、モニター賞最優秀ドキュメンタリー賞、東京ビデオフェスティバルグランプリを受賞。敬子とジョンの誇りは、DCTCユースメディア・プログラムに参加した、低所得層出身の高校生の大多数が大学に進学していること。学生には番組制作会社でのインターンシップや就職、市内のPAトレーニング・プログラムへの参加など、専門能力開発の機会も提供。さらに、成人映画製作者向けにプロの映画製作教育を手頃な価格で利用できるMFAレベルのコースも提供しています。
「ロワール地方の城のような消防署廃墟」
敬子とジョンは、ラファイエット通りにある1895年築の消防署廃墟の2階を月500ドルで借りて移転します。ロワール地方の城のような外観ながら、建物は瓦礫でいっぱいて水道も電気も通っておらず、数か月間カメラの代わりにハンマーを持ち歩き、約45万ドルをかけて補修を終えたところ、ランドマーク指定を受けた建物全体を市に差し押さえられます。DCTVで制作したドキュメンタリーをPBS、NBC、HBOなど放送局に売り込んだ収益で、弁護士費用と市への家賃支払いを2年間続け、さらに80万ドルかけて沈下した基礎再建を経て、ようやく建物全体を買収します。1階に67席(車椅子スペースと付添人席を含む)の最新鋭映画館を建設。独立系ドキュメンタリーの発表の場と収益源を確保するアートセンター、コミュニティと文化の拠点形成として自己採算が取れるように。さらに消防署3階に、ケーブルテレビとインターネット放送を融合させたインタラクティブテレビスタジオを建設。このサイバースタジオは、加入者50万人を擁するマンハッタン・ネイバーフッド・ネットワーク(MNN)のサテライトスタジオに。障害者のためのメディア指導を始めた、敬子とジョンの舵取りは50周年を迎え、目下の悩みは、地元のチャイナタウン刑務所を取り壊し、高さ90メートルの「刑務所スクレーパー」建設計画が持ち上がったこと。建設工事で地下水位が下がると、木製の杭が腐って消防署建物は間違いなく倒壊すると言います。
-DCTV : Non-Profit Community Media Center
-「ビデオで世界を変えよう」(津野敬子 著 ・平野共余子 構成/ 草思社2003)
-Matthew Carey, "DCTV Celebrates 50th Anniversary With Documentary Retrospective Featuring Work Of Keiko Tsuno, Jon Alpert And Late James Gandolfini" DEASLINE August 23
-Patricia Thomson, "DCTV Celebrates 50 Years of Media Activism and Training" ida 04/19/2022
-"The Early Days of Video: A Conversation with Jon Alpert & Keiko Tsuno" The Gotham October 3
-"Firehouse: DCTV's Cinema for Documentary Film Opens in NY After 50 Years of Media Activism & Training" Democracy Now! September 30, 2022
-DCTV: Our History - Video History Project
-セルフィッシュに「一つ目のドア」を開ける。何度でも|ビデオジャーナリスト/DCTV・津野敬子|マガジン『pathports』全文公開 【公式】freee 個人事業主向け編集部 2024年7月5日

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