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🌹女風土記🌹 沖縄県名護市 アナタハンの女王 比嘉和子 女史 / The Queen of Anatahan, Ms. Kazuko Higa

-比嘉和子「生きた恋した女の100年 : 女はいつも朝日のように」(朝日生命広報室 企画編集 / 共同通信社1988年)

「ココロワマルク キワナガク ハラヲタテズニ 人ヲオーキク」
"With a gentle heart, endure long, never anger, and always be great to others."

比嘉 和子 女史
Ms. Kazuko Higa
1924 - 1974
沖縄県名護市(屋部村勝山) 生誕
Born in Nago-city, Okinawa-ken

比嘉 和子 女史は「アナタハンの女王」。マリアナ諸島のアナタハン島に男性32名とたった一人の女性として取り残され、過酷な環境を7年生き抜いて戦後5年目にアメリカ海軍によって救出。新聞・雑誌はじめ、小説化や映画化・舞台化で話題に。
Ms. Kazuko Higa, known as "The Queen of Anatahan," was the sole woman among 32 men stranded on Anatahan Island in the Mariana Islands. She survived the harsh conditions for seven years before being rescued by the U.S. Navy in 1950, five years after WWII ended. Her story became a sensation, adapted into novels, films, and plays.

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「コプラ栽培」
 和子は沖縄北部の山岳地で農業を営む両親のもと、5人きょうだいで生まれます。7歳で母親が逝去すると、継母に懐くことができないまま12歳で父親が逝去。14歳で尋常小学校を中退して、大阪・岸和田のナニワ紡績に働きに出ます。長続きせずに1年くらいで沖縄に戻ると、兄を手伝うため北マリアナ諸島サイパンへ渡ります。マリアナ諸島では日本人によるコプラ(ココヤシ果実の油脂部分を乾燥させたもの)栽培が盛んで、兄も早くから出稼ぎに出ていました。「給料が余計にもらえるから」7か月目で悪い男の甘言に乗って隣島のパガン島へ。料理屋で女中奉公するはずが「アイマイ屋」(表向きは料理屋・旅館でひそかに客をとる売春家)で男性客をとらされます。南方の戦況がまだ日本軍に有利な頃は、南洋の島々は売春業が盛況で、日本や周辺地域から若い女性達が集められていました。

「アナタハン島」
 「南洋興発」に勤める比嘉正一に見初められ和子は20歳で結婚し、「コプラ園」主任に栄転した夫に従ってアナタハン島へ渡ります。苦しい船旅を経てたどり着いた島に暮らす日本人は「南洋興発」責任者で同郷の比嘉菊一郎の家族だけ。他はサトウキビ栽培に従事する原住民カナカ族47人。1年もたたないうちに、米軍の来襲が必至と言われるようになり、上司の菊一郎は妻子をサイパンへ避難させ、夫は飛行場のあるバガン島から妹を避難させるためサリガン島に渡ります。まもなくB29が来襲、日増しに激烈な空襲を加えます。夫に置き去りにされた妻と、妻子のもとに帰れぬ夫は、ジャングルの中を逃げ惑い、原住民に助けられながら穴居生活を始めます。敵襲と毒虫、飲料水に苦しんで和子は流産してしまいます。

「男性遭難者31名」
 日本部隊への物資調達の途中で沈没した3汽船「曙丸」「兵助丸」「海凰丸」の日本人男性31名(水兵8名、陸軍兵2名、海軍に徴用された漁師21名)の遭難者が上陸。和子と菊一郎は夫婦を装い、彼らに生活術を指南します。飲料水は井戸も川もなく雨水だけが頼り、食糧は難を免れた小さな農園と「南洋興発」の豚60匹・鶏300羽・ヤギ20頭、カナカ人の耕す里芋、野生のヤシの実・バナナ・パパイヤ・魚・コウモリ・コブラ・トカゲ・黒蜂・オオタニワタリ、お酒は原住民伝授のヤシ樹液の「トバ酒」。和子と菊一郎は沖縄に帰ろうと、目と鼻の先のサイパンを目指して、山から木を切り出してカヌーを作り、木片を集めてイカダを組み立てます。2人の作業日誌は上陸した米兵に持ち去られ、衣服は擦り切れ、植物を体に巻き付けて過ごすようになります。

「ピストル」
 和子と菊一郎は実質的な夫婦になり、一日に何度も罵る、殴る、蹴飛ばす、引っぱたく、などのDVが始まります。和子はたまらず若い漁師と駆け落ちして関係を持ち、このことが引き金となって、男たちは和子の奪い合いを始めます。同じ頃、突如として島は大空襲に見舞われます。東京大空襲、沖縄戦、原爆投下、天皇詔勅、敗戦を知らない和子と男たちは、山の中でB29の残骸からピストル3挺を発見。和子とピストルを巡って殺し合いが始まり、和子は男達に要求されるまま体を差し出します。「他の人を選べば、ピストルを持っている男に別の男がまた殺される。仕方の無いことでしょう・・・」「私が死んでしまえば、男たちの殺し合いは無くなると思ったけど、神様は死なせてくれなかった。」

「ミス・スージー号」
 男たちの数が32名から22名になった頃、男たちは和子の処刑を話し合います。「和子さえいなければ争いは起きない。和子には死んでもらう。」それから1ヶ月、和子はジャングルを逃げ回り、米軍の船を見つけると、海岸のヤシの木に登って白い下着を白旗代わりに懸命に振り続けます。「私が悪くないことを神様は知っている。私は生きて祖国に帰りたい。」その頃、和子たちを目撃した漁師たちの話が日本の新聞に掲載されます。1950年6月23日、アメリカ海軍船「ミス・スージー号」に発見された和子は、米軍民生部ジェームズ・B・ジョンソン少佐の指揮のもと、サイパンにただ一隻残されていた日本の「焼き玉エンジン漁船」を操縦するパラオ出身の南鉄太郎ことマニュエル・サブランによって、アナタハン島から7年ぶりに救出されます。

「アナタハンの女王」
 沖縄へ戻った和子は正一が再婚して家庭を築いていることを知ります。名護市の歓楽街にある料亭「南栄楼」で住み込み女中として働き始め、男たちに求められるまま「アナタハン踊り」を半裸で披露、1ヶ月先まで予約が埋まる人気者になります。沖縄の劇団珊瑚座が「アナタハンの女王蜂」を上演、アメリカの映画監督ジョセフ・フォン・スタンバーグが「The Saga Of Anatahan」(東宝1953年)の撮影を開始。和子は石垣島出身の詩人で作家の伊波南哲に連れられて上京すると、映画「アナタハンの真相はこれだ」(盛野二郎監督、新大都映画1953年)に出演。興行師の男と関係を結んで、東京はじめ地方巡業でストリップ舞台に立ちます。男たちに食い物にされ酒とギャンブルに溺れるようになった和子は30歳で沖縄に戻ります。「どうせ世間に売った名だ。この名でレストランのマダムとして成功させよう。」親族会議によってカフェ「ANATAHAN」を開業、11歳年上の真面目な運送屋・仲間高保と再婚。和子は2人の連れ子の継母として、夫の逝去後はたこ焼き屋とヤギ料理店を営業しながら子供を育て上げ、50歳で逝去します。

-Journal of The Pacific Society / April 1999/No,82− 83 (Vol.22,No.1 − 2)
中央に救出されたばかりの比嘉和子。右からジョンソン少佐、通訳、米軍兵士、グアム元日本兵、マニュエル・サブラン、サイパン残留日本人。

-「悪女と呼ばれた女たち (小池真理子 著 / 集英社1986)
-「ひめゆり部隊 」(石野径一郎 著/出版東京1952)
-「沖縄ヤクザ戦争 (ルポルタージュ叢書 ; 11)」(大島幸夫 著 / 晩声社1978)
-「昭和性相史 戦前・戦中篇 (昭和元年~昭和20年)」(下川耿史 著 / 伝統と現代社1981.6)
-「アナタハン」(丸山通郎 /東和斜1951年)
-「アナタハンの告白」(丸山通郎・田中秀吉/ 東和社1952年)
-「生きた恋した女の100年 : 女はいつも朝日のように
」(朝日生命広報室 企画編集 / 共同通信社1988年)
-「新潮45」2005年8月号特集「昭和史七大『猛女怪女』列伝」
-「喜寿回想」(杉江伝六 著・出版1985)
-「南島の情熱 : 伊波南哲の人と文学」(三木健 編 / 伊波南哲詩碑建立期成会1978年)
-「マリアナ・オーラル・ヒストリー・シリーズ②帝国海軍軍属・南鉄太郎」(太平洋学会誌1991年10月第52号)

女風土記 Happywomen
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