🌹女風土記🌹 芸術と人権 / Arts and Human Rights
藝術と人権① / Arts and Human Rights 1

森鴎外「舞姫」(明治23/1890年)
森鴎外らしき若いエリート官僚が、留学先のベルリンで出会った二十歳に満たない薄幸の踊り子と恋仲になって仕事をやめ、記者の仕事にありついて慎ましい同棲生活を始めるも、伯爵の庇護を得ると少女と生れてくる子供を置いて日本へ帰国する内容(『国民の友』)。モデルとなったドイツ人女性エリーゼ・ヴィーゲルトは結婚の約束を信じて来日するも鴎外はじめ森家に追い返され、鴎外は赤松登志子と結婚し軍人や親族の前で「舞姫」を発表。鴎外の実妹・小金井喜美子の回想録で初めてエリーゼの実在が明らかに。
内田魯庵「破垣」(明治34/1901年)
伊藤博文の娘婿・末松謙澄と推察される男爵邸宅に女中として送り込まれた少女が、日々セクハラされる悩みを打ち明けた小学校恩師が左遷、少女は未だ邸宅に閉じ込められているという内容(『文芸倶楽部』第7巻1号)。内務大臣より風俗壊乱と認められ発売禁止に。内田魯庵は抗議文「『破垣』発売停止に就き当路者及び江湖に告ぐ」を「二六新報」に発表。「今の社会を常に怠らず注意するものが此「破垣」を読まば必ず思ひ半ばにて過ぎむ。」「我が破垣は風俗壊乱の社会を叱責せんがために作りしものにして耕作は本より風俗壊乱嫌いあるものにあらず。」
島崎藤村「舊主人」(明治35/1902年)
共に東京に明治女学校を創設した一番目の妻と死別し、郷里長野に小諸義塾を開設した牧師・木村熊二と思われる分家当主が、東京から呼び寄せた若い二番目の妻と若い歯科医との密会現場に、女中の手引きで踏み込む話(『新小説』第7巻11号)。信濃毎日新聞社の主事・山路愛山が警保局へ提訴し発売禁止に。
島崎藤村「水彩画家」(明治37/1904年)
洋行帰りの水彩画家が、妻が昔の恋人と文通しているのを知りながら許すが、画家自身も帰国途中の船中で知り合った別の女性音楽家と親しくなって妻が苦悩するという内容(『新小説』)。小諸義塾で教えていた水彩画家・丸山晩霞が『中央公論』(明治40/1907年10月号)に「島崎藤村著『水彩画家』の主人公に就て」を発表し事実無根を抗議。「藤村は自然派の作家であるから、他人をモデルにした場合はその皮相だけを映すのではなく、その自然の性情や習慣を映すべきである。自分はあんな男ではない。モデルにされたのですら迷惑であり、その上、事実を曲げられたのであれば何ともやりきれない。」藤村は「世間の誤解である。モデルは自分である。」
国木田独歩「鎌倉夫人」(明治35/1902年)・有馬武郎「或る女」(大正2/1918年)
独歩の妻らしき女性が、半年の結婚生活の後で逃げ出し離婚した後に、アメリカ在住の男と婚約し船で向かうも、船長と関係して帰国する帰路で、さらに妻子持ちの汽船会社事務員の男と関係を持ち所帯を持ち(『太平洋』)、男達に去られ子宮の病気で死の淵に瀕する(『白樺』)。『報知新聞』の連載「鎌倉丸の艶聞」が話題に拍車をかけた。作家たちの逝去により名誉回復の機会を失われたモデル女性の佐々城信子は世間の批判に晒され続けた。
森田草平「煤煙」(明治42/1909年)
森田草平らしき妻子ある作家が、文学研究会で知り合った女性と関係を深めるうちに、悟りを開こうと死を求める女性に心中へと引きづりこまれるも、直前で死を思いとどまる話(『朝日新聞』)。モデル女性の平塚明子(らいてう)は、疵ものと見られて申し込まれた結婚を拒否。社会に葬られるのも拒否して、女性ばかりの文学雑誌『青踏』を発刊。「この夜、この峠の頂で、この眼で見た月光のなかに照らしだされたまばゆいばかりの氷の山々の大パノラマ !荘厳、華麗な限りをつくした大自然の光の芸術は、私の心に深く刻まれて、一 生忘れることのできない至誠、至美なるものの一つとなりました。」「そして命をかけてきた自分がわかったような満足感を同時に味わいました。」
久米正雄「破船」(大正7/1918年)・松岡譲「憂鬱な愛人」(昭和3/1928年)
夏目漱石らしき作家の娘を巡る、久米正雄と松岡譲らしき門人2人の激しい争奪戦と絶縁を描いている。直後から自身の失恋を題材に作品を発表し始めた久米正雄の「蛍草」(『時事新報』医学士の主人公が留学から帰国後に婚約者も研究も友人に奪われる)そして「破船」(『婦人の友社』)は世間の同情と支持を広く集め、門人仲間はじめマスコミも煽りも手伝って、松岡譲・筆子夫妻の子供までいじめられるほどに。
島崎藤村「新生」(大正8/1919年)
島崎藤村自身と推察される中年作家が姪を妊娠させてパリに逃げ、実兄に義絶されてようやく姪との関係を断ち切ったという内容。他の作家はじめマスコミに取り上げられ物議を醸した。作品中の姪にあたる島崎こま子は、出産した男児を養子に出し、両親を捨て社会主義運動に入り、検挙された10歳年下の夫に代わって託児所の保母や筆耕また行商などで娘を養うも、過労と栄養不足で巣鴨養育院に収容されたところを再びマスコミが報道。こま子曰く「叔父の社会的名声と人格を傷付けることを恐れ、女の多くが持つ犠牲の精神で女心を慰めるより他なかった。」
太宰治「斜陽」(昭和22/1947年)
終戦直後、東京を引き払って伊豆で暮らし始めた没落上流家庭の娘が、東京に住む妻子ある小説家のもとに入り浸り妊娠、母と弟を失くし、作家にも去られた後でシングルマザーとして子を育てていくことを決心する話。モデル女性の太田静子は原作として提供した「相模曽我日記」を「斜陽日記」(石狩書房)として発表するも、太宰治による盗用が多すぎて正当に評価されなかった(「斜陽」全8章のうち5章までほとんど「斜陽日記」が原型)。
藝術と人権② / Arts and Human Rights 2

大岡昇平「武蔵野夫人」(昭和25/1950年)
若くして嫁いで武蔵野に夫と暮らす女性が、戦地から帰還した従兄と心通わせるようになるも、夫や友人夫婦の嫉妬や裏切りが錯綜する中、行き場を失い睡眠薬を飲んで命を絶つ物語。モデル女性・坂本睦子は、没落した実家を出てホステスとして働き始め、16歳のとき文芸春秋のオフィス内で直木三十五にレイプされて以降、菊池寛、小林秀雄、中原中也、坂口安吾、河上徹太郎、大岡昇平など主に文藝春秋の文人たちの愛人をトロフィーのように務めさせられながら、銀座でバーを経営。物語の主人公と同じ様に何度も睡眠自殺を図って44歳で逝去。
平林たい子「栄誉夫人」(昭和25/1950年)
松谷天光光らしき労農党女性代議士が、父親の猛反対を押し切って、園田直らしき妻子ある民主党代議士とイデオロギーを超えた「白亜の恋」に落ち、駆け落ち結婚、「厳粛なる事実」である妊娠・出産に至るまでの話(『小説新潮』)。「以前に多くの男関係があり妊娠したこともあり、実父とも不倫関係にあったなど事実を曲げて興味本位に書いたのは明らかに名誉棄損。」天光光と父親が平林たい子と新潮編集長・佐藤俊夫に名誉棄損を提訴。時効2日前の3年目に慰謝料支払いと謝罪文掲載、そして小説絶版の条件で示談が成立。
由起しげ子「警視総監の笑い」(昭和26/1951年)
著者らしき女性が、先夫の許に残してきた亡き姉の娘を救出する話。菅原通済が「芥川賞の殺人」(オール読物昭和25年10月号)で、戸祭正直による鎌倉の海への抗議の入水自殺を告発。著者曰く「さみしいことだけれども、もし私の作品が自殺の原因となったのなら、生意気な言い方と思われるでしょうが、むしろあの人に良心があったという証明じゃないでしょうか。あの人は自己の良心の辻褄を合わせようとして清く美しくなったのであり、むしろあの死は本人にとって祝福されるべきものなのかもしれないと考えてあげたいのです。」
有馬頼義「終身未決囚」(昭和29/1954年)
同人誌『文学生活』続いて短篇集に発表した「終身未決囚」が第31回(昭和29年)直木賞を受賞すると、政治評論家の津久井龍雄は「大川周明とわかる主人公に関するその他の記述は一部事実と異つておりその異つた事実を基として此の一篇の小説は構成されている」「主人公が東京裁判の法廷で将軍の禿頭を叩いて収容された病院で発狂したとして、大川周明の名誉を毀損し、尊敬する人々の心情を不快にした」と批判(『出版ニュース』昭和29/1954年)。有間頼義は「法廷に於いて大川氏が演じたことは、大川氏個人の行為ではなく、日本人全体の象徴なのだ。」と反論することで批判は収束。
宮本幹也「幹事長と女秘書」(昭和29/1954年)
疑獄事件で自民党幹事長の職を辞す決意をかためた代議士が、20歳前後の若い女性にふりまわされながら、赤坂の芸者に産ませた娘や代議士の実兄また総理とのやりとりを描く(光文社『面白倶楽部』)。「この小説にはモデルはありません」末尾文句に関わらず、右翼団体が乗り込んできた後に佐藤栄作に名誉毀損で告訴されると、被告側は示談を拒否して法廷で争うことに。文筆活動と編集権を圧迫するものとして大衆文芸作家らに支援を要請された文芸家協会は拒否。東京地裁浦辺裁判長は宮本幹也(本名正勝)と光文社編集長・丸尾文六にそれぞれ罰金5万円(求刑禁固8か月)の判決を下した(東京地方裁判所 昭和29年(刑わ)4084号)。
三島由紀夫「宴のあと」(昭和35/1960年)
般若苑女将・畔上照井らしき料亭の女将が、有田八郎らしき元外相の後妻に入り、東京都知事選に当選させるべく料亭を抵当に入れて八方に七面六臂の大奮闘するも敗北し、再び料亭を再開する道を選ぶまでの話。「私と前妻との私生活に関するのぞき見に過ぎず、納得できない。」日本初のプライバシー裁判に発展。東京地裁(石田哲一裁判長)は損害賠償の支払いを三島と新潮社に命じた。「言論、表現の自由は絶対的なものではなく、他の名誉、信用、プライバシー等の法益を侵害しないかぎりにおいてその自由が保障されているものである。」
梶山季之「生贄」(昭和41/1966年)
結婚相手の伯父の仕事を手伝うことになった中学校教師が、日本の戦後賠償の交渉相手国からやってきた無類の女好き大統領に、金持ちになる野心を持ちながら新宿でウェイトレスをするかつての教え子を送り込む話。妊娠中に一時帰国していたデヴィ・スカルノ夫人(27)が著者の梶山季之と徳間書店代表・徳間康快を相手に名誉棄損の損害賠償ならびに毎日・朝日・読売新聞への謝罪広告掲載を求めて東京地検に告訴。外国人記者クラブで会見後、和解が成立。
高橋治「名もなき道を」(昭和63/1988年)
旧制高等学校の元教師が、伊豆の家族や友人に奇怪な言動で気になっていた教え子の消息を尋ねて周る話。「兄をモデルにされプライバシーを侵害された」妹夫婦が高橋治と講談社を相手に出版発行中止と謝罪広告、慰謝料1,000万円を求めて提訴。東京地裁(魚住庸夫裁判長)は「その事実が当該小説の主題及びこれを支える構成上不可欠であると認められかつ、表現の方法・内容において秘事のあからさまな暴露にならない慎重な配慮がされ、小説全体としても作者の芸術的想像力の生み出した創作であって虚構であると認められるときには、プライバシー侵害としての違法性を欠く」東京高裁で和解が成立。
柳美里「石に泳ぐ魚」(平成6/1994年)
在日韓国人で新人劇作家の女性が、ギャンブル・水商売・ゲーム・女優業に狂う父母弟妹に去られ、2人の恋人と赤ちゃんに去られ、大切な友人となった彫刻を学ぶ顔に障害のある在日韓国人女性にも新興宗教を理由に去られる話(『新潮』)。モデル女性が修正を要求後、プライバシー侵害と名誉棄損の損害賠償、出版差し止めを求めて提訴。東京地裁(小池信行裁判長)は「読者が原告をモデルであると認識するかどうかは小説としての価値評価とは必ずしも関連性がない」。出版差し止め、著者と新潮社に小説の慰謝料100万円の連帯支払いを命じ、二審・最高裁もこれを支持。判決確定後に修正版小説が刊行。

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