それでも僕は、教員になりたい。
――結果でしか見てもらえなかった僕が、夢を持てた理由
将来の夢は、いつから「簡単に言えないもの」になったのでしょうか。
迷っているわけではありません。
ただ、軽い言葉で語ってしまうには、あまりにも多くの時間と感情を通ってきました。
それでも、僕ははっきりと言えます。
教員になりたいです。
教員になりたい理由は、ひとつではありません。
いくつもの出来事や感情が重なって、今の僕をつくっています。
中学生の頃、家に帰るのが怖い日が何度もありました。
学校で何があったかよりも、「今日は何を言われるんだろう」と、そればかりを考えていました。
テストの点数、部活の結果______
少しでも期待から外れると、ため息や強い言葉が返ってきました。
怒鳴られるわけではありません。
でも、静かで冷たい空気は、心に深く残ります。
「自分は、結果を出さないと価値がないのかもしれない」
そんな考えが、いつの間にか当たり前になっていました。
学校は、そんな僕にとって唯一、息ができる場所でした。
すべてが楽しかったわけではありません。
失敗もしたし、悔しい思いも、情けない思いもたくさんしました。
それでも、たった一言で救われた瞬間がありました。
うまくいかなかった僕に、先生がこう言ってくれたのです。
「そこまで考えてたんやな」
評価でも、結果でもなく、過程を見てくれた言葉でした。
その一言で、「見てくれている人はいる」と初めて思えました。
あの瞬間の安心感を、今でもはっきり覚えています。
高校生になった今、部活では後輩を教える立場になりました。
最初は正直、うまくいきませんでした。
「なんでできへんのやろう」
「こうすればいいだけやのに」
そう思ってしまう自分がいました。
でも、気づいたのです。
伝えているつもりでも、伝わっていない。
分かっているつもりでも、相手の立場には立てていない。
教えることは、思っていた以上に難しくて、同時に、奥深いものでした。
相手ができるようになった瞬間、自分のことのように嬉しくなる。
その感覚が、僕の中で確かなものになっていきました。
ニュースで、同年代やそれより小さな子どもたちが、つらい状況に追い込まれていることを知るたびに、胸が苦しくなります。本当に辛くなります。
「誰かが、もう少し早く気づけていたら」
「声をかけられていたら」
そんなことを、考えずにはいられません。
教員になれば、すべてを救えるわけではありません。
それでも、気づくことはできるかもしれない。
寄り添うことはできるかもしれない。
救える命があるかもしれない。
僕は、そう信じています。
もちろん、そんな綺麗事だけでなく、不安もあります。
本当に向いているのか。
途中で折れてしまわないか。
でも、迷いながらでも進み続けている今の自分を、少しだけ誇りに思っています。
勉強を続けること。
人の話を聞くこと。
感情に向き合うこと。
どれもすぐに結果が出るものではありません。
それでも、小さな一歩を積み重ねることで、僕の未来は動き出すと信じています。
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僕がかなえたい夢は、
子どもが「ここにいていい」と思える教室をつくることです。
点数や結果だけでは測れない気持ちが、確かに存在すること。
うまく言葉にできなくても、誰かがちゃんと見ていること。
かつての僕が、たった一言で救われたように。
今度は僕が、誰かの未来の「きっかけ」になりたい。
それでも僕は、教員になりたい。
これが、今の僕の正直な夢です。
