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TRPGは、もっとくだらなくていいと思う。

これは特定の個人や出来事を批判するための文章ではなく、ここ数年TRPGで遊びながら考えていたことを、自分なりに整理したものです。

私は、別に人の遊び方を否定したいわけじゃない。
キャラクターの絵を描くのが好きだ。
いいと思う。
立ち絵を依頼して、できるだけ綺麗なものを用意したい。
それもいい。
ココフォリアを何十時間もかけて作り込みたい。
シナリオを文学のように読み込みたい。
ロールプレイに徹底的にこだわりたい。
どれも好きにすればいいと思う。
趣味なんだから。
人の数だけ好みがあって、人の数だけ遊び方がある。
私はそういうものだと思っている。
だから、少し分からない。
「私はキャラクターの絵を描くのが好きだ」
ここまでは分かる。
でも、どうしてそこから、「自分で絵を描かない人間にはキャラクターへの愛がない」になるんだろう。
「私はこの遊び方が好きだ」
それも分かる。
でも、どうして、「この遊び方をしないならTRPGをやる意味がない」になるんだろう。
私には、その間にあるものがよく分からない。
君が美しいと思うものを、君が大切にすることと、私もそれを美しいと思わなければならないことは、別の話じゃないだろうか。
君が自分の意思で嫌いなものを避けることと、私がそれをやっていいか悪いかも、別の話じゃないだろうか。
私的な美学は、あくまで私的な美学だ。
それは悪いことじゃない。
むしろ、自分なりのこだわりがあることは素敵なことだと思う。
ただ、それを普遍的な倫理へすり替えた瞬間、話が変わってくる。
「私はこうしたい」
と、「だから君もこうしなければならない」の間には、とても大きな隔たりがある。
私が聞きたいのは、その間に何があるのかということだ。
なぜ一個人の好みが、他人の行動を制限する権利に変わるんだろう。
何か理由があるなら教えてほしい。
私はその理由を聞きたい。
そして、地雷についても似たことを思う。
苦手なものがあることは何もおかしくない。
私にだって嫌いなものはある。
だから、「これは苦手です」と言ってくれればいい。
卓が始まる前でもいい。
途中でもいい。
「ごめんなさい。これ、思っていたよりきついです」と言われたら、休憩を入れる。
表現をマイルドにできるならそうする。
展開を変更できるなら相談する。
私だって、一緒に遊んでいる人を苦しめたいわけじゃない。
できることなら楽しく遊びたい。
ただ、言ってくれないと分からない。
私はそんなに器用じゃない。
君が笑っているときに、本当は何を考えているのか。
君が黙っているときに、何を嫌がっているのか。
私には分からない。
だから、後になって「あれが地雷だった」と言われること自体を責めたいわけでもない。
自分でも何が苦手なのか、経験して初めて分かることだってあるだろう。
それは仕方がない。
でも、そこでなぜ昨日の私まで悪人になるんだろう。
私は知らなかった。
君は言わなかった。
私には知る方法がなかった。
それでも君が傷ついたなら、私はそれを否定しない。
君が「嫌だった」なら、嫌だったんだろう。
なら次からやめよう。
必要なら謝ろう。
それでいいじゃないか。
どうしてそこから、「私は傷ついた、だからあなたは悪い。だからあなたを攻撃していい」まで飛んでしまうんだ。
私には、その途中が分からない。
なぜ個人の不快感が倫理になる?
なぜ君の美学が規則になる?
なぜ君の地雷を知らなかったが私の罪になる?
私は君の不快感を否定していない。
君の感情は君のものだ。
だからこそ、私の感情も私のものじゃないのか。
そして君は言う。
「配慮してほしい」
分かる。
私だって、できることなら配慮したい。
だから、教えてくれと言っている。
でも、その前に一つだけ聞かせてほしい。
君は私に何を配慮してくれた?
私にも分からないことがあることには?
私にも嫌いなものがあることには?
私にも選択する権利があることには?
私が君の心を読むことのできない、ただの人間であることには?
そこには配慮してくれただろうか。
配慮というものは、片方だけが差し出し続けるものなのか?
私にはそうは思えない。
人と人が遊んでいるんだ。
GMとPLじゃない。
絵を描ける人間と描けない人間じゃない。
シナリオを書ける人間と書けない人間じゃない。
古参と新参じゃない。
フォロワーが多い人間と少ない人間じゃない。
人と人だ。
だったら、対等でいようじゃないか。
君が好きなものを、私は奪わない。
だから私が好きなものも、君は奪わないでくれ。
君が一枚の立ち絵に十万円払ったっていい!
素晴らしいじゃないか!
君が一つの卓のために何十時間もココフォリアを作り込んだっていい!
好きならやればいい!
TRPGを文学として遊んだっていい!
演劇として遊んだっていい!
一生忘れられない物語を作ろうと本気になったっていい!
だから私にも好きに遊ばせてくれ!
友達の家に集まって、ルールブックを読みながら、
「これどういう意味?」
「知らん」
「たぶんこうじゃね?」
「じゃあそれでやろうぜ」
って遊んだっていいじゃないか!
立ち絵がなくたっていい!
棒人間だっていい!
ココフォリアが凝ってなくたっていい!
ロールプレイが上手くなくたっていい!
ダイスを振って、とんでもない出目が出て、全員で馬鹿みたいに笑って終わったっていい!
それの何が悪い!
私がそんな遊び方をしたことで、君の何が侵害されるのか!?
君の描いた絵が消えるのか!?
君の好きなシナリオがつまらなくなるのか!?
君が何十時間もかけて作った卓の思い出がなくなるのか!?
違うだろう!
だったら、もういいじゃないか!
人の数だけ遊び方があっていいじゃないか!
好きなものを好きと言えばいい!
嫌いなものを嫌いと言えばいい!
合わなければ一緒に遊ばなければいい!
それだけの話じゃないか!
私的な美学を普遍的な倫理にするな!
個人の嫌悪を正義にするな!
技術を権威にするな!
人気を発言権にするな!
努力を他人へ服従を要求する根拠にするな!
愛を、人を殴るための武器にするな!
君の「好き」は、君のものだから価値があるんだ!
私の「好き」は、私のものだから価値があるんだ!
誰かに認めてもらわなくてもいい!
誰かと同じじゃなくてもいい!
誰かより高尚じゃなくてもいい!
たかが趣味だ!
だからこそ、もっとくだらなくていいじゃないか!
もっとどうでもいいことで盛り上がろうぜ!
もっと好きなものの話をしようぜ!
――というかさ。
最近、ダンボール戦機のアニメを見返してるんだけど。
いや、やっぱりいいアニメなんだよな、あれ。
子供向けのホビーアニメの顔をしてるのに、時々妙に哲学的な問いを投げてくるんだよ。
しかも「これが正解です」って全部説明してくれるわけじゃない。
見てる側に考える余地をちゃんと残してくれる。
あの奥ゆかしさがいい。
……まあ、それはそれとして。
LBXがかっこいいんだよ。
これが大事。
アキレス!
あの赤、青、白のヒロイックなカラーリング!
どう見たって主人公機なんだよ!
そこからオーディーン!
紫と白と黒を基調にして、一気に落ち着いた大人っぽい配色になる!
なのに主人公機としての華を全然失ってない!
あのデザインすごくない!?
それからジ・エンペラー!
プロトゼノン!
ゼノン!
あの無骨さ!
ゴツい!重そう!
なのに戦闘になると速い!
特にゼノンなんて、単純に機体が高速だから速く見えるんじゃない。
ジンの入力速度が異常に速いから、結果としてゼノンまで異常に速く見えるんだよ!
あれがいいんだよ!
人間がLBXの性能を引き出してる感じがするじゃん!
しかもプロトゼノンには飛行機能がある。
なのに完成型のゼノンにはない。
なんで!?
普通、完成型なら機能増えそうじゃん!
でも減ってるんだよ!
ジンの戦闘スタイルを考えた結果、飛行機構なんて不要だと判断して、そのぶん機体の純粋なスペックに振ったのか!?
重量の問題なのか!?
耐久性なのか!?
それとも地上戦に特化した方がジンには合っていたのか!?
こういう話をしようぜ!!
「俺はアキレスが好き!」
いいじゃないか!
「いやオーディーンだろ!」
いいじゃないか!
「ジ・エンペラーが一番かっこいい!」
いいじゃないか!!
「なんで?」
「なんかゴツくて好き!」
最高じゃないか!!
考察したければ考察しよう!
設定資料を引っ張り出して朝まで語ったっていい!
「なんか見た目が好き」だけでもいい!
そこで「その機体好きなのセンスないよ」とか言うな!
知らん!!
お前はお前の好きなLBXの話をしろ!
私は私の好きなLBXの話をする!
それでいいだろ!
もっとみんな、こういうくだらない話をしようぜ。
誰の遊び方が正しいとか。
誰に愛があるとか。
誰が偉いとか。
誰が界隈を代表しているとか。
そんな話よりさ、プロトゼノン、飛べたのになんでゼノン飛べなくなったんだろうな。
……いや。
本当に何でなんだろうな。

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