第1章 孤独な日々

第1章

孤独な日々



「3億円の現金を数えながら、俺はいつも“誰にも頼れない孤独”と向き合っていた──これは、その裏側の話だ。」

カチャッ──。
金庫のダイヤルを回す音は、もう何千回と聞いてきた。
けれど、その音に慣れたことは一度もない。

中にあるのは、今日も変わらず現金。
白い封筒に詰まった紙幣たちが、黙って俺を見ている。

この日の売上は、63万4千円。
一万円札の厚みに手応えはある。けれど、そこに感情は湧かない。

ただ、俺はこの現金を、必ず自分の手で数える。
親父から叩き込まれた教えでもあるし、なにより──
この金は、誰かの感情の上に成り立っているからだ。

女の子が今日、どんな気持ちで笑ったか。
客がどんな寂しさを抱えて金を出したか。

伝票も、レシートもないこの商売で、最後に残るのは“現金”だけ。
だからこそ、その重さを、自分の手でちゃんと数える。それが俺のこの仕事に対する向き合い方だ。

毎晩、売上の報告を受け、翌日には金庫を開けて一枚ずつ数える。
朝に行く日もあれば、午後や夜にふらっと立ち寄ることもある。
時間は決めていない。決められない。

現金の入ったバッグを持って歩くとき、誰が見ているかわからない。
実際、危ない目に遭ったこともある。

──それが、俺の日常だ。



この業界は、すべてが現金で回っている。
カードも使えるが、手数料やトラブルのリスクを考えれば、現金に頼るしかない。

売上から、女の子やスタッフへの報酬を差し引いた“店落ち”だけが、封筒に入って俺の手に渡る。
月の平均は2000万円。繁忙期にはもっと跳ね上がる。
年間で約3億円──そのすべてを、俺は一枚ずつ自分の手で数えてきた。



現場には基本的に出ない。
女の子のことも、日々の運営も、店長に任せている。

オーナーという立場は、あくまで“影”だ。
目立ちすぎれば、いざというときにすべてを失う。

かといって店長に全てを任せると。
まぁ碌なことにはならない。それを俺は経験として知っている。

だからこそ、店長との連絡、メンタルケアは欠かせない。
週に2回ほど、近況報告を受ける。

売上の推移。出勤状況。広告の掲載予定。
設備の不具合。スタッフの教育状況、など
話す内容は、細かくて多い。

「泣いてる子がいた」
「誰かが突然辞めた」
「病院に行った」
「新人が入った」

そんな報告を聞いては、一つ一つ、俺は丁寧に返す。



女の子に関する現場対応は店長に任せる。
それ以外の判断──広告費も、人事も、修繕も──すべての決済権限は俺が持っている。

俺が間違えれば、店はすぐに崩れる。

ほんの少し気を抜くだけで──
女の子が辞め、客足が落ち、クレームが入る。

この業界は、“信用”と“数字”。
そのどちらが欠けても、たちまち崩れていく。

そんな世界に、俺はずっと立ち続けている。



この店は、祖父の代から続いてきた。
俺は、家族の生活を守るために、借金ごとこの店を引き継いだ。

ただ潰さないように──
最初は、ただそれだけを考えて働いていた。

真っ黒とは言わない。でも、白だったと思えた日は、一度もない。
そういう世界で、俺は生きている。



ある日、店長から報告があった。

「◯◯ちゃん、今日泣いてました。
出勤前に彼氏と揉めたみたいで……でもちゃんと話聞いてあげたら接客中は、ちゃんと笑ってましたよ」

──こういう話は、別に珍しくない。

みんな、限界を抱えながら笑っている。

俺はそれを「めんどくせぇな」と思いながらも、
親身なふりをして、こう返す。

「店長がちゃんと見て、指導してるからだと思いますよ、さすがです。」
「数字的にも必要なキャストですし、引き続き相談に乗ってあげてください」

──ありきたりでも、店長のモチベーションが上がるような言葉をかける。

店長も人間だ。一番タフな女の子とのやり取りを任せるからには俺も誠実に向き合わないといけない。

売上の裏側には、誰かの痛みが、いつも貼り付いている。
俺はそれを、よく知っている。



打ち合わせを終えて、夕方。

俺は店を出てある場所へ向かう。

ある業者会だ。

表向きの俺は“ビルオーナー”。

物件情報を交わし、契約報告を聞き、
懇親会では笑顔で酒を飲む。

最初は億劫だったけれど、
いつの間にか俺にとって
“まともな人間に戻れる場所”
になっていた。

──いや、正確には
“まともな人間のふりができる場所”。



ある日、懇親会で友人に言われた。

「朔間さんって、余裕あるよね。やっぱりビルオーナーは強いなあ」

笑って返した。
でも、心の中ではこう思っていた。

──俺の毎日が、どれだけ綱渡りかなんて、誰も知らない。

努力なんて言わない。愚痴もこぼさない。
それが、この世界で生き延びるための最低条件だ。



そんなことを思っていた矢先、スマホに着信が入る。

席を外して俺は懇親会会場から外に出る。

一瞬で、俺は“表の顔”から“裏の世界”に引き戻される。

店長から、売上の報告と店の設備不良についての報告だった。

売り上げへの労いの言葉と設備について簡単に指示を出して電話を切る。

──誰にも言えない仕事に携わりながらりそれでもまともな人間を演じ続けた。

孤独だけが、毎日あった。

いいなと思ったら応援しよう!