『笑わない娘の卒業写真』
写真館の店主という仕事は、他人の幸福に勝手な額縁をつける仕事である。
入学式、七五三、結婚式。人は皆、写真の中でだけは、少し立派に見えたがる。私はその願いを引き受け、皺を薄くし、影を柔らかくし、ときには本人より先に「はい、笑って」と言ってきた。
娘の紗季には、それが通用しなかった。
卒業式まで、あと六日だった。
「一枚でいいんだ」
私はカメラのレンズを、妻の残した白いクロスで磨きながら言った。
「卒業の記念に。ちゃんと笑ったやつを」
紗季は店の奥、古い写真帳を整理していた手を止めた。
「笑わなきゃだめなの」
その言い方が、私には責めるように聞こえた。
「だめじゃない。ただ、せっかくの卒業式だろう」
「お父さんは、写真になると何でも“せっかく”にするね」
紗季はそう言って、壁に飾ってあった一枚の写真を裏返した。
若い妻が、幼い紗季を抱いて笑っている写真だった。
私は、娘が母親のことまで捨てたいのだと思った。母親に似ていると言われるのが嫌なのだと思った。だから、腹が立った。
けれど、腹が立つときの私は、だいたい何かを見落としている。
*
翌朝、店の前に、破れた証明写真が落ちていた。
紗季の写真だった。
制服姿の彼女の口元だけに、黒い油性ペンで大きな笑い口が描かれていた。まるで、顔に貼りつけられた不出来な仮面だった。
写真の裏には、見覚えのある字で書かれていた。
――笑わないと、お母さんみたいに消えるよ。
私はしばらく、それを拾えなかった。
店の中ではストーブが灯油の匂いをさせ、外からは雪解けの水が、細い音を立てて流れていた。写真館の静けさは、いつもなら上品だったが、その朝だけは、死んだ魚の腹のように白かった。
紗季が写真を嫌っていたのではない。
写真の中で、誰かに勝手な顔を与えられることを恐れていたのだ。
私は、彼女が裏返した写真を見直した。妻の腕の中の幼い紗季は笑っている。けれど写真の端には、私の指で直した小さな傷があった。
紗季はその傷を、隠していたのだ。
母の写真を捨てたかったのではない。自分が笑っていた頃を、これ以上汚されたくなかったのである。
*
卒業式の朝、私は学校へ電話をした。
毎年受けていた卒業アルバム用の撮影を、断った。
校長は困った声を出した。年度末のこの仕事は、うちの写真館にとって小さくない金だった。私はその金で、古い暗室の屋根を直すつもりだった。
だが、私はもう、子どもたちに「笑って」と命じる側に立ちたくなかった。
代わりに、写真仲間へ撮影を頼んだ。
そして卒業式が終わる頃、私は店の二階の窓を開け、光を入れた。
紗季は制服のまま、ゆっくり入ってきた。
「撮るの?」
「いや」
私はカメラを三脚に置いた。
「撮らなくてもいい。今日、ここに来たことだけ覚えておけばいい」
紗季は黙っていた。
私は妻の白いクロスを、カメラの横に置いた。以前はレンズの曇りを消すための布だった。その日は、紗季が自分の指先を拭くための布になった。
「自分で押す?」
彼女は少し迷ってから、リモコンを受け取った。
窓の外では、春になりきれない風が、古い看板を鳴らしていた。
紗季は笑わなかった。
けれど、まっすぐカメラを見た。
私はその顔を、美しいと思った。笑顔よりも、ずっと正確に、娘がそこにいた。
シャッターの音がした。
小さく、乾いた音だった。
それでも私は、その音を、何かが壊れた音ではなく、ようやく始まった音のように聞いた。
