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(373) 井上良一「なぜ日本人は世界の残酷さを理解できないか」



こんにちは。
またひと月が過ぎ、書評を送る日が来ました。

新年度を迎えてふた月、新職場、新人間関係、新環境での日々を如何お過ごしでしょう。あるがままに受け入れ、それでも自己を確立する、そんな生き方は素敵です。時には空を見上げて青空に流れる雲に自分を仮託して、空想の世界に遊ぶのも粋ですね。殺伐として面白からぬニュースにあふれる昨今。古今の先達、識者、生き方の達人たちの書は何かを伝えてくれそうで、魅力的です。

さて、今回の書評は日本語を入り口にした、一種の世界観の提示です。




井上良一「なぜ日本人は世界の残酷さを理解できないか」社会評論社 2024年

日本語の特性からの日本人論は多岐に渡り展開される。大谷翔平の「憧れるのはやめましょう」を至言であるとの評価に始まり、文学の特徴にも至る。忖度は真っ当な日本的言葉であるのに、財務省の愚行で悪い言葉になってしまった。更にカタカナ語の多用と言葉の乱れにも警鐘を鳴らし、新自由主義へも疑問の目を向け公共事業の民営化を批判する。日本語が日本人の思考と行動に深く関与していることが、広い視野から示され頷ける。




<今月の本棚>


内田樹/山崎雅弘「動乱期を生きる」祥伝社新書 2025年

どうも世の中がおかしい、変なことばかりだ。この先どうなっていくのか。正義や公平といった美徳、常識は通じないのか。などといった現在我々を取り巻く不条理に、時には高所から、さらには生活実感から切り込み問題の本質とその意味を考えていく。ガザやウクライナなどの世界情勢に国として発信できない日本を憂える発言に共感する。


勅使川原真衣 編著「『これくらいできないと困るのは君だよ』?」東洋館出版社 2024年

教育社会学の独立研究者は学校教育の能力主義、画一主義への疑問を4人の実践者や教育研究者と語る。それぞれの立場から、児童生徒が感じる息苦しさは、同時に教師自身のそれでもあると語られる。克服するための道すじを描くには何が必要か。実践から語られる現場の苦悩と光明とは。私たちは表題でもある「これくらいできなくては!」と、親や学校の教師から言われたのではないだろうか。できて当たり前、みんなと同じであることが当然視されてきた。そして自分が先輩になった時、人を使う立場になった時、そんな発想になってはいなかったか。反省とともに読み進めた。虚心坦懐に読んでみては如何。


松岡正剛/田中優子「日本問答」岩波新書 2017年

対談3部作の1作目。「江戸問答」(289)、「昭和問答」(371)の先駆けである。そこには後の2作において語られる芽が、たくさん秘められていた。
松岡は日本を語るための視点として「天皇と将軍、和風と漢風、雅と鄙び、などなど。・・・これらは行ったり来たりなんですね。・・・日本人がいきいきと愉快に着ていくためのデュアル(二重)で、リバース(表・裏)な関係です。」と語りかけると、田中は「まさに内と外、しかも表と裏ね。しかも内外も表裏も入れ替え可能。・・・そこには必ず『あいだ』がある。」と応ずる。そんな第1章から始まる博覧強記の二人の語りは白熱する。
読みどころはすべてなのだが、日本的とは何かを問いかける中で、私が特に興味を覚えた中で一つだけ挙げるとすれば、日本儒学と日本の身体の章である。ここでは徳川幕府が公認の学問として儒学、中でも朱子学を奨励した意味が明らかにされる。
丸山眞男は「問題はむしろ儒教が徳川幕藩体制下において、何故支配的イデオロギーになったかである。」と問いかけ「なぜなら『坂東武者の習』の伝統を持ち、戦国殺伐の雰囲気に育った武士をば、平和と安定の社会における文官に転化せしめるということ・・・」としている。(「丸山眞男講義録 第一冊」東大出版会)
本書ではなぜ神道と儒教が結びついたかという1節を設けて、自前のロジックを持たない神道が儒教と一体化しなければ生き残れないという危機感があったのではないか。神仏儒が併存した時代背景を読み解こうとしている。読めば読むほど味のある対談であった。


池田清彦/内田樹「国家は葛藤する」ビジネス社 2024年

生物学者と哲学者の対話が、こんなに嚙み合って面白いとは。共に気兼ねも衒いもない者同士、衰亡する祖国を思う気持ちが余って、言いたい放題。もう駄目だと損切の出来ない官僚、長期的展望の下で国家百年尾計を語れない政治家。そしてそれを見抜けぬ国民への叱咤が炸裂する。「貧乏」と「貧乏くささ」とはまったく違う、泰然としていられるかどうかが問われる。


加藤陽子「この国のかたちを見つめ直す」毎日文庫 2025年

著者は言わずと知れた学術会議会員を拒否された歴史学者。日本近現代史を専門とする誠実な研究者、それが拒否されたのはスガ政権の思惑であることは周知の通り。本書は新聞連載のコラムと書評から構成されている。時々の動きへ歴史的な意義付けをしつつ、その教訓ともたらすであろう将来を考察する。著者の学殖の深さは勿論のこと、コラム書評とも軽いユーモアも配され、起承転結がくっきりとしていて文章の持つ力を感じさせる。




【皐月雑感】


▼ 奇しくも今月手にした本は対談本ばかりだった。対談の面白さは、片方の提起を受け止めかみ合った論議が展開するか、思わぬ脱線があるかなどの面白さである。うまくテーマがはまり広がりがあると、とても得した気になる。それにしても博学な発言者の話の豊かさには興味津々で、自分の無知を知らされ勉強になる。「アッ、あのことはこんな意味だったのか」と知った時のときめきは格別である。紹介された本を買ったり借りたりして読んでしまう。それが魅力かもしれない。


▼ 高麗川堤防沿いの散歩コース。圃場整備の済んだ田んぼに水が張られ、苗が水面から顔を出しています。カエルの声を久しぶりに聞きながら、あちこちを眺めながら徘徊します。まだ水の入っていない田もあるのが少し気になります。米不足の昨今、秋には黄金の稔りの豊饒さがみられるでしょうか。気を付けてみると、耕作放棄と思われる土地が少なからず広がっています。瑞穂の国の主食の美味なる米を楽しめるのか、気になります。


▼ ラジオから懐かしく、そしてもの悲しいメロディーが聞こえてきます。唱歌でありチンドン屋が奏でながら練り歩き、サーカスのジンタでもあります。そう「美しき天然」です。メロディーの美しさに加えて歌詞の何と甘美な事か。

空にさえずる鳥の声
峯より落つる滝の音
大波小波とうとうと
響き耐えやせぬ海の音
・・・
春は桜の綾衣
秋は紅葉の唐錦
夏は涼しき月の絹
冬はま白き雪の布

素敵な詞です。日本語の美しさと自然への憧憬に満ち、言葉が輝いています。近頃飛び交う意味不明、憎悪、潔くない言葉とは大違い。やや美辞麗句のきらいありと感じる向きもあろうが、心地良い言葉は胸中を吹き抜ける一陣の清風です。 


▼ コメ高騰はついに政変に至る。スーパーのコメ売り場を見て、ため息をつきながらカートに入れる庶民の胸中を知らず。それを逆なでする江藤農相。更迭は当然です。この人は世襲政治家、父親の地盤を継いで難なく永田町の住民になった。昨年来の庶民の怨嗟の声に鈍感で、新米が出れば安くなる、流通の目詰まりが原因などと宣っていた。ようやく備蓄米の放出に踏み切っても、競争入札では高価なままなのは自明の理。入札とは高値を付けたものが落札するからです。緊急事態なのだから臨機応変に法令解釈をしないのか。政府が指値をして随意契約という手もあるはず。こんなことは多少役所勤めをした人は知っているはず。農水族と農水官僚と全農などの思惑のような気がします。
後手後手の石破政権もついに動き、農相交代になりました。後任は例の小泉進次郎、口は軽やかだが実績も同様に軽い。この人も世襲政治家、しかも三代目とか。「売り家と唐様で書く三代目」の理あり。お手並み拝見といいたいが、事態は切迫しています。国民を飢えさせない腕前や如何に。


▼ トランプの狂気はついに大学に及んだ。アメリカ最古の大学にして名門中の名門ハーバード大学に強烈な弾圧をしている。
ハーバード大学はヨーロッパから移住したピューリタンが、ピューリタンの牧師を養成するために設立した歴史を持っています。現在では世界各地からの留学生を受け入れ、アメリカの知性と自由を代表しています。
一連の弾圧は、トランプのシオニズム、白人至上主義に同調しない大学や研究機関への攻撃であり、反知性主義の現れです。これについては、森本あんり「反知性主義」(133)が参考になります。私たちは今、衰退し漂流する帝国アメリカが自滅していく歴史に立ち会っているのかもしれません。 




☆徘徊老人日誌☆


4月某日 50?回目の結婚記念日。よくここまで来たものだと思う。家人お気に入りのレストランに予約を入れようと電話をする。何と、なんと⁉ 昨年廃業したとのこと。味よく品よく、しかも値段も納得だったのに。


5月3日 78回目の憲法記念日。昭和22年(1947年)施行。同じ年月を自分と過ごしてきた。それ故思いが深い。憲法大集会には可能な限り参加を心掛けている。今回も友人を誘っての参加であった。
会場は有明防災公園、行き方をその友人に教えてもらい国際展示場駅前で落ち合う。参加者の群れが延々と途切れず続く。参加者数は3万8千人とか。緊迫する危機への危惧が突き動かしている。平均年齢の高さが気になる。
駅前でのこと、社民党の大椿ゆうこ参議院議員が演説をしていた。そばで右翼が執拗に演説妨害をしている。それに対する大椿氏の切れ味鋭い演説の見事さに驚く。相手の発言を受け止め小気味よくやり込めていく。久しぶりに大衆向け演説の、聴かせる力と度胸を備えた人物と出会った。社民党健在なり。YouTubeで見ることができる。


5月某日 車検を受ける。検査は2泊3日、初車検なので幸い大きな故障も部品交換もなく、通常点検程度であった。深刻な交通事故が報じられているだけに、走る凶器になりかねない車の点検は大切なことだ。費用は比較的安く、以前の愛車だったドイツ車に比べて半額程度で済んだ。車を所有すると車検代、自動車税、保険代などの義務的経費負担は軽くない。それでも買い物、通院、旅行(この車はすでに2度北海道を走っている)など日常生活に必要であると同時に、なんとも車が醸し出す魅力(魔力)からは逃れられない。




四季がはっきりせず春から夏への移行がうまくいかない気候の故か、体調が今一つスッキリしない。何処から「年齢のせいだ」との声も聞こえてきそうです。真夏の暑さの翌日は火の気が欲しいほどの低温、健康維持に十分気を付けて暮らしましょう。


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