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「弟なんて生まれなければよかった」娘の一言を、そのまま受け取らなくてよかった



朝起きると、5歳の娘と弟がおもちゃの取り合いをしていた。

娘は、おもちゃそのもので遊びたいというより、弟に見せびらかすように遊んでいるように見えた。

弟が欲しがる。

娘は渡さない。

また見せる。

そんなやり取りが10分くらい続いていた。

なんとか二人の距離を離そうと、

「動画見る?」

と誘ってみたり、

別のおもちゃを持ってきて、

「これで一緒に遊ぼう」

と提案してみたりした。

あれこれ試してみたけれど、なかなか受け入れてくれない。

さすがに僕も少しイライラしてきて、

「それなら、弟から見えないところでやりなさい」

と言った。

おそらく、娘にはかなり怖く聞こえてしまったのだと思う。

明らかに機嫌が悪くなり、そのまま別の部屋へ行ってしまった。

少し時間を置いてから、二人で話をした。

そのとき、娘が難しい顔をしながら言った。

「弟なんて生まれなければよかった」

その言葉を聞いた瞬間、僕の感情が大きく動いた。

なんでそんなひどいことを言うんだろう。

それを弟本人が聞いたらどう思うか、分からないのか。

一瞬、

「なんて最低なことを言うんだ」

という言葉まで頭に浮かんだ。

僕は、人の存在そのものは、誰にも侵害できないものだと思っている。

他人が「存在していい」「存在しない方がいい」と決めるものではない。

だからこそ、娘の言葉に強く反応したのだと思う。

でも、そのまま言葉を返す前に、少し自分を落ち着かせた。

「なんで、弟がいなくなればいいと思ったの?」

娘はなかなか答えなかった。

しばらくして、僕から聞いてみた。

「もしかして、寂しい?」

娘は、

「うん」

と答えた。

弟が生まれて、自分一人で遊ぶ時間が増えた。

それが少し寂しいのだという。

その言葉を聞いた瞬間、僕の中で問題の見え方が変わった。

僕は、違う問題を解決しようとしていたのかもしれない

最初、僕に見えていた問題は、

「娘が弟の存在を否定するような、ひどいことを言った」

だった。

だから、そのまま反応していたら、

「そんなことを言ってはいけない」

と教えて終わっていたと思う。

子どもがひどいことを言ったり、誰かを傷つけるような行動をしたりすると、親は反射的に反応してしまう。

「そんなことしたらダメでしょ!」

「なんでそんなことするの?」

僕もそうだけれど、どうしても口調が強くなる。

そして気づかないうちに、子どもを「理解する」ことよりも、「やめさせる」ことが目的になってしまうことがある。

考えてみれば、親と子どもの力関係は圧倒的に対等ではない。

親は、

「言うことを聞かなければ、おやつはあげない」

「買ってあげない」

「今日はもう〇〇しない」

というように、子どもの生活に関する多くのことを決められる。

もちろん、時と場合によってはそういう手段を使わざるを得ないこともあると思う。

自分も今まで使ったことはある。

親も100%ではないし、毎回時間をかけて冷静に話し合えるわけでもない。

だから、それ自体をすべて否定したいわけではない。

ただ、一つ自覚しておきたいことは、

子どもは、大人が思っているほど自由ではない。

住む場所も、ご飯を食べる時間も、幼稚園や学校へ行くことも、お金を使うことも、自分一人ではほとんど決められない。

親はその気になれば、子どもの行動をかなりコントロールできる立場にいる。

僕自身も、その力を使って「言うことを聞かせる」ことで、その場を収めてしまうことがある。

だからこそ、

「言うことを聞かせられた」ことと、「子どもが納得した」ことは、まったく違う。

今回も、僕が強く叱れば、娘に「弟なんて生まれなければよかった」と言わせないことはできたかもしれない。

でも、それで娘の中にあったものまでなくなるわけではない。

表に出なくなるだけかもしれない。

だから僕は、「この言葉をやめさせること」だけで終わっていいのだろうかと思った。

言葉は、その人の内側にあるものと同じなのだろうか

今回、僕が向き合う必要があったのは、「ひどい言葉を使ったこと」だけではなく、その奥にあったものなのかもしれない。

そこで、もう一つ考えた。

僕たちは普段、相手の言葉を聞いて、その人の気持ちを理解しようとする。

でも、言葉は本当に、その人の内側にあるものをそのまま外に出しているのだろうか。

例えば、

「死にたい」

と誰かに言ったり、SNSに書いたりする人がいる。

その人が本当に死ぬことを望んでいるのかは、その一言だけでは僕には分からない。

本当に死にたいと思っているのかもしれない。

一方で、

「死にたいくらいつらい」

「この苦しさから逃れたい」

「誰かに気づいてほしい」

「寂しい」

「もう頑張れない」

そんな、うまく言葉にならない何かが「死にたい」という一言になっていることもあるのかもしれない。

自分でも何を感じているのか分からないのかもしれない。

言葉にする方法が分からないのかもしれない。

あるいは、その瞬間は「死にたい」という言葉以外に表現する方法がないのかもしれない。

外から見ている僕には分からない。

だからこそ、その一言だけで相手の内側まで分かったつもりにはなれない。

そして、ここまで考えてふと思った。

そもそも大人ですら、自分の感情をうまく言葉にできない。

自分がなぜ怒っているのか。

なぜ悲しいのか。

なぜこんなにモヤモヤしているのか。

大人になった僕自身も、自分の感情が分からなくなることがある。

それなのに、子どもにだけ、

「ちゃんと自分の気持ちを言いなさい」

「なんでそんなことしたの?」

と聞いて、正確な答えを求めるのは難しいのかもしれない。

そもそも「なんで?」と聞かれた本人にも、その答えがまだ分からないことだってある。

大人が自分の感情をうまく表現できないのに、子どもがそれを簡単に表現できるのだろうか。

娘も同じだった。

最初に僕が聞いたのは、

「弟なんて生まれなければよかった」

だった。

でも話していくと、

「寂しい」

という別の言葉が出てきた。

少なくとも、最初の一言だけでは見えていなかったものがあった。

人と人は、言葉を挟むことで二回ズレるのかもしれない

今回の出来事を整理すると、こんなことが起きていたのかもしれない。

娘の内側に、何らかの感情がある。

今回の会話では、その一つとして「寂しい」が出てきた。

でも、その感情がそのまま「寂しい」という言葉になったわけではなかった。

「弟なんて生まれなければよかった」

という言葉になった。

ここで一度、ズレる可能性がある。

内側にあるもの

言葉にする

そして、その言葉を僕が聞く。

僕は、

「弟の存在そのものを否定している」

と受け取った。

ここでもう一度、ズレる可能性がある。

言葉

相手が意味を解釈する

つまり、人と人が言葉でやり取りするとき、

内側にあるもの → 言葉 → 相手の解釈

という流れの中で、少なくとも二回、ズレる可能性がある。

言葉にする段階でもズレる。

受け取る段階でもズレる。

それなのに僕たちは、たった一つの言葉から、その人の内側まで分かったような気になってしまう。

僕自身もそうしている。

「何を感じてもいい」と「何を言ってもいい」は違う

だから今回、娘には二つのことを伝えた。

「そう思うこと自体はいいよ」

でも、

「その言葉を相手に言うのはやめてほしい」

そして、

「寂しいなら、寂しいって言っていいんだよ」

と。

感情と、その表現は別なのだと思う。

寂しい。

悲しい。

腹が立つ。

弟が嫌になる。

そういう感情が生まれること自体を禁止しても仕方がない。

思ってしまったものは、思ってしまったものだからだ。

僕自身、感情を我慢することが多かった。

だから今でも、「自分はいま何を感じているんだろう」と分かるまでに時間がかかることがある。

娘には、自分の感情をできるだけ言葉にできる人になってほしい。

ただ、

「何を感じてもいい」と「何を言ってもいい」は違う。

感情は否定しない。

でも、その感情をどう表現するかは考える。

その二つは、同時にできるのだと思う。

最初の解釈を、最終回答にしない

今回、娘の本当の気持ちが分かったとは思っていない。

僕が「寂しい?」と聞いたから、「うん」と答えただけかもしれない。

「本当に弟にいなくなってほしい?」と聞いたときには、「いなくなってほしくない」と答えた。

それも本心かもしれないし、僕の顔色を見て答えた可能性だってある。

そこは分からない。

だから、

「娘の本当の気持ちは寂しさだった」

と断定するのも違う気がする。

ただ、一つ分かったことがある。

僕が最初にした、

「人の存在を否定するような、ひどいことを言った」

という解釈だけが、すべてではなかった。

コンテキストを理解するというのは、相手の本心を正確に当てることではないのかもしれない。

むしろ、

自分が最初にした解釈を、すぐに確定させないこと。

「自分には今、こう見えている」

その後に、

「でも、本当にそれだけだろうか」

という余白を残しておく。

強い言葉を聞けば、感情は動く。

それ自体を止めるのは難しい。

僕も今回、一瞬で感情が動いた。

でも、最初に浮かんだ感情や解釈を、そのまま最終回答にしなくてもいい。

「本当にそれだけだろうか」と、その先を少しだけ見てみる。

娘の「弟なんて生まれなければよかった」という一言から、そんなことを考えた朝だった。

この出来事を考えているうちに、僕自身が小学3年生だった頃のことを思い出した。

あのときの僕も、口にした言葉とは別のものを、本当は伝えたかった。

あなたは誰かの言葉を聞いたとき、その言葉の奥にあるものまで「分かった」と思ってしまったことはありませんか?


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