Photo by
kuzu_yu
百聞と一見のあいだで
「百聞は一見に如かず」という言葉がある。
この言葉がずっと引っかかっている。
百回聞くというのは、百回“誰かの言葉”を通すということだ。
他人の記憶、他人の比喩、他人の翻訳。
そこにある音は、もう“その場の音”ではない。
どこか遠くで別の人が整えた、加工済みの静かなノイズだ。
けれど、耳に入る音はちがう。
電車が近づくときの空気の押し返し。
風がビルの角をまわり込む低い唸り。
知らない誰かの靴音が、湿ったアスファルトに吸いこまれていく気配。
映像がどれだけ鮮明でも、この“場の厚み”は音でしかわからない。
視界は簡単に誤魔化せる。盲点を脳が埋め、
見たいものを見たいように形にしてしまう。
音は、嘘をつかない。
遠く、近く、柔らかい、固い。
空気の重さや湿度すら、そのまま耳に届く。
だから劣っているのは、
“耳”ではなく“言葉”なのかもしれない。
百回の言葉より、一度の空気。
百の説明より、一瞬の気配。
もし「百聞は一見に如かず」を言い換えるなら、
百の翻訳より、一つの現実。
私は音で世界をきこう、
脳が上書きする前の、まだ誰の手も触れていない世界を。
そこにある空気こそが、私のいちばん確かな感覚なのだと思うから。
