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第11章 賢い社員は、あなたのルールを攻略しにくる―保育園のお迎え罰金とキャンベルの法則の話―(商いのアルゴリズム11)

罰金を払えば、遅れてもいいのか

 保育園のお迎えは、六時半までと決まっている。私は、できれば六時十五分には門をくぐりたい。六時二十九分に駆け込んでも、ルール上は間に合っている。けれど、子どもの荷物をまとめ、先生に一日のお礼を言い、同じ時間に帰る親たちの流れに混じるには、それでは遅い。時計の針とは別に、そこには申し訳なさの目盛りがある。

 イスラエルの保育園で、ある実験が行われた。迎えに遅れた親から罰金を取る。罰金は十シェケル、当時でおよそ三ドルだった。ひとりの親として聞けば、合理的に思える。先生の時間はただではない。遅れた人が費用を払う。そうすれば、遅刻は減るはずだ。

 ところが、遅刻は減るどころか、増えた。

 親たちはこう読んだのだろう。三ドル払えば、遅れてもいい。いままでは先生に申し訳ないことで、門の前で少し肩身が狭かった。ところが、そこに値段がついた瞬間、遅刻は迷惑ではなく、買えるサービスになった。罪悪感は、レジで精算されるものに変わったのだ。

 しかも、この話のいやなところは、罰金をやめても元に戻らなかったことだ。一度「遅刻は買える」と知った約束は、三ドルの貼り紙を剥がしても、前の約束には戻らない。制度は、行動を変えるだけではない。行動の意味を変える。

 会社の制度も、これに似ている。私はこれを、他人事として書けない。三ドルの貼り紙と同じものを、自分の会社でも出したことがあるからだ。罰金ではなく、月次リード獲得数という名前で。

 会社でも、売上目標、商談数、リード獲得数、返信時間、採用人数、賞、評価ランクが置かれる。最初は、どれも善意だ。ちゃんと測り、公平に評価し、頑張った人に報い、顧客への対応を早くし、採用を止めないために数字にする。

 だが、数字になった瞬間、人はその数字を読む。何をすれば評価され、どこからが失点で、どこまでなら怒られず、誰が見ていて、いつ締まり、どの境界を越えればボーナス、昇格、表彰、権限が変わるのか。制度を作った側は、人を測っているつもりだ。測られる側は、ゲーム盤を読んでいる。

Eight is Great

 ウェルズ・ファーゴ銀行には、かつて `Eight is Great` という合言葉があった。一人の顧客に八つの商品を売る。普通預金、クレジットカード、ローン、保険、さまざまな金融商品を横に広げるクロスセルは、銀行にとって自然な成長戦略に見える。顧客を深く理解し、必要なものをまとめて提案していく。言葉だけ見れば、悪い話ではない。だが、目標が降り、評価に結びつき、できなければ職を失うかもしれないとなったとき、現場に別の問いが生まれる。

 どうすれば、八つ売ったことになるのか。

 二〇一六年、米国の消費者金融保護局(CFPB)が処分を出した。従業員が売上目標や報酬インセンティブに押され、顧客の同意なしに預金口座やクレジットカード口座を開いていた。のちの調査では、無断口座は数百万件規模とされ、二〇二〇年の司法省との和解では、支払いは三十億ドル規模に及んだ。数字の桁は大きい。だが、構造は保育園の三ドルと変わらない。

 「顧客に合う商品を提案しよう」ではなく、「八つに見える状態を作ろう」になる。制度が求めたのは、顧客の生活を良くすることだったはずだ。ところが現場が読んだのは、顧客価値ではなく、評価の境界線だった。

 もちろん、ここで「社員が悪い」と言えば話は簡単になる。無断で口座を作るのは明らかに悪い。だが、それだけで終わると、次の制度でも同じことが起きる。なぜなら、制度は人の性格だけを映すものではないからだ。制度は、人にどの行動を選ばせるかを作るものだ。

 同じ人でも、数字が変われば動き方は変わる。締切が変われば報告の仕方が、評価ランクが変われば助ける相手が変わる。賞が変われば、口に出す感謝の形まで変わってしまう。

ルールを渡した瞬間、人はプレイヤーになる

 商いには、悪い均衡というものがある。誰も望んでいないのに、値下げが止まらない。誰も得をしていないのに、様子見が続く。ひとりだけ正しく動くと、その人だけが損をする。だから、全員が少しずつ望まない行動へ落ちていく。

 ここで、一歩だけ場所を移す。会社がKPIや評価制度を作るとき、やっていることはゲームのルール作りだ。社員に、選択肢と報酬と罰を渡している。営業には商談数、マーケにはリード獲得数、CSにはチケットのクローズ件数、採用には内定承諾数、管理職には部下の評価分布。誰かがこれを紙に書き、ダッシュボードに置き、会議で読み上げた瞬間、現場はそれを攻略対象として読み始める。

 現場を責める気にはなれない。彼らは渡されたルールを読んで、まっとうに損を避けているだけだ。私が同じ盤の上に立っていたら、たぶん同じ手を打つ。

 商談数を置くと、「商談らしきもの」が増える。相手が「まあ話だけなら」と言っただけの三十分が、翌週のダッシュボードでは一件の商談として並ぶ。数えた本人は嘘をついていない。ただ、数える対象のほうが、数えられるように育っていく。リードも、CSのクローズも、採用も、表彰も、同じ道をたどる。

 数字は嘘をつかない、とよく言う。私は、その言い方が少し危ないと思っている。数字は嘘をつかなくても、人は数字に合わせて現実のほうを書き換える。定義や分類を変え、タイミングをずらし、見えない場所へ移す。制度が見ているものだけが、組織の中で価値を持ち始める。

 これを個人のずるさだけで見ると、制度を作る側は楽だ。「あいつが悪い」「現場の意識が低い」と済ませ、モラル研修へ逃がせる。だが、制度を読んだうえで合理的に動いた結果なら、研修は効かない。盤の線を引き直すほうが先だ。

数字になった瞬間、意味が変わる

 この壊れ方には、半世紀前から名前がついている。ドナルド・キャンベルという学者が、指標が意思決定に使われるほど、指標そのものが歪んでいくと警告した。キャンベルの法則である。言っていることは、かなり日常的だ。測るだけなら、数字は観察である。だが、その数字で賞与や昇格、叱責、予算、表彰が決まる——そうなった瞬間、数字は観察ではなく、目的になる。

 目的になった数字は、もう以前の数字ではない。

 たとえば、営業の商談数を測るだけなら、商談数は営業活動の一部を映す。ところが、商談数が評価そのものになれば、現場は「これは商談に数えてよいか」を考え始め、少し温度の低い面談も商談に入る。相手の検討度が低くても、会議体があれば商談に見える。悪意はいらない。境界線が、評価のあるほうへ半歩ずつ動くだけだ。

 CSのチケットも同じだ。解決件数を評価すれば、早く閉じる行動が増え、顧客の問題が解けたかどうかより、ステータスが閉じたかどうかが前に出る。採用なら、人数目標が強すぎると、入社後の定着や現場負担が見えにくくなっていく。マーケティングなら、リード単価を下げるほど、営業が追う意味の薄い名前が増えることがある。

 この型は、会社の中だけの話ではない。植民地時代のインドでは、コブラの死骸に懸賞金をかけたら、人々が懸賞金めあてにコブラを養殖し始めたと言われる。減らしたかったものを、自分の手で増やす。同じ形の失敗が、歴史のあちこちに転がっている。

 もっと壮絶な例もある。一九五八年の中国で、毛沢東が、ネズミ・ハエ・蚊・スズメの四つを害虫として駆除させた。スズメは穀物を食べる。だから殺せば、米が守られるはずだった。全国民が動員され、スズメは二十億羽ともいわれる数が駆除された。ところが翌年、イナゴが大発生する。スズメは、穀物を食べると同時に、そのイナゴを食べる益鳥でもあったのだ。天敵を失ったイナゴは、歯止めなく増え、作物を食い尽くした。守りたかった穀物を、守るための施策が、いっそう激しく損なった。見えている数字(スズメの数)だけを動かして、見えていない支え(害虫を抑える力)を折ってしまった。

 もう少し新しい例なら、イギリスがある。二〇〇〇年代なかば、救急外来にこういう目標が敷かれた。患者が到着してから、入院・転院・帰宅のどれかが決まるまでを、四時間以内にする。ほぼ全件でこれを達成せよ、という水準だった。長く待たされる人を減らす、善意の目標だ。ところが現場は、達成のためにこう動いた。患者を、病院の建物の中に入れずに、救急車の中で待たせておく。到着からの時計は、建物に入ってから動き出す。だから、外で待たせている限り、カウントは始まらない。数字の上では、四時間ルールは守られている。ただ、待たされる場所が、待合室から救急車の中へ移っただけだ。

 日本にも、身近な形で同じものがある。年収の壁だ。ある金額を超えると手取りの計算が変わるとなれば、人は、その壁を超えないところに、ぴたりと張りつく。壁を高くしても、多くの人は張りつく位置が変わるだけで、壁そのものはなくならない。数字の境目は、人を、その手前に集める。

 悪いのは、制度でもKPIでもない。KPIは必要だ。測らなければ、組織は同じ失敗を繰り返す。問題は、測った瞬間に人が変わることを、制度側が織り込んでいないことだ。温度計を置いたら、部屋の温度が見える。だが、その温度で給料が決まるなら、誰かは暖房ではなく温度計を温め始める。

見えない仕事が、先に消える

 制度が壊れるとき、最初に消えるのは、たいてい数字に出ない仕事だ。新人が質問しやすい空気を作り、会議の前に揉めそうな部署へ一言入れ、顧客がまだ怒る前に小さな違和感を拾う。誰も担当していないプリンタの不調を直し、営業とマーケの間で言葉のずれを翻訳する。こういう仕事は、組織の摩擦を下げている。だが、評価項目に書きにくい。

 個人パフォーマンスを厳格に測ると、こういう仕事は弱くなる。本人にとって、やればやるほど損だからだ。自分の評価に乗らない。他人の成果になる。忙しいのに、何をしていたか説明しづらい。

 それでも、その人がいるうちは組織が回る。いなくなって初めて、会議は長くなり、手戻りは増え、新人は黙る。部署間の依頼が固くなり、顧客の小さな不満が見つかるのは、大きな解約理由になってからだ。

 スズメの話が、ここでもう一度効いてくる。あのスズメも、穀物を食べる害鳥に見えて、じつは害虫を抑える益鳥だった。組織の中の、数字に出ない仕事も、同じ顔をしている。会議の雑談も、廊下での立ち話も、忙しいのに新人の質問に付き合う時間も、「非効率」という害鳥に見える。だから、効率化の名のもとに、真っ先に駆除の対象になる。そして駆除したあとで、それが害虫を抑えていたことに、遅れて気づく。

 制度が見ていないものは、存在しないことにされる。だが、存在しないことにされたものが、組織を支えている場合がある。だから制度を見るときは、評価される数字だけを見てはいけない。評価されないのに、今まで誰かが黙って支えていたものを見る。制度変更のあと、何が増えたかより先に、何が消えたかを見ることだ。

私も、リードを増やしてしまった

 他人の失敗なら、いくらでも冷静に語れる。保育園も、銀行も、他人の盤なら壊れ方まできれいに見える。だが、同じ穴に、私も落ちた。

 DATAFLUCTを創業して数年目、マーケティングのKPIを月次リード獲得数に置いたことがある。わかりやすい数字だった。資料をダウンロードした人、問い合わせた人、展示会で名刺をくれた人。入口を増やせば、営業の機会も増えると考えた。

 数字は伸びた。半年で、月次リードは三倍だ。

 経営会議でその数字を見ると、悪い気はしない。グラフは右肩上がりだ。打ち手が効いているように見える。だが、受注は伸びない。営業に渡される名前の中に、購買意思のない情報収集者が増えていた。マーケティングが悪いわけではない。営業が怠けていたわけでもない。リード獲得数を目標にした瞬間、リードという言葉の意味が変わっていた。

 営業は、追っても決まらないリードに時間を使う。マーケティングは、数字上は成果を出している。経営は、グラフを見て前に進んでいる気になる。気づいたときには、マーケと営業の間に断層ができていて、関係を戻すのに時間がかかった。

 この失敗で、私はかなり痛い勉強をした。測りやすい指標を選んだ瞬間、組織はその指標の定義を書き換え始める。文書上の定義は同じでも、運用上の意味が変わっていく。リードは、顧客候補ではなく、リードと数えられるものになる。

 白状すると、私の会社は、いま目標管理にOKRという仕組みを使っている。会社が目標を立て、達成した人に正しく報いる、その盤を自分で組む側にいる。そこで、いつも同じ壁に突き当たる。たとえば、達成すれば報酬が増えると決めれば、人は低い目標を立てるようになる。低く出しておいて、達成する。だから、報酬と目標の妥当性を連動させる、といった手当てがいる。あるいは、四半期の目標を三月の下旬にもう達成してしまった人は、そこから先、本気で走らない。百パーセントを超えて頑張っても、給料が二倍になるわけではないからだ。だから人は、目標のちょうど百パーセントあたりに、努力を合わせてくる。頑張った人にだけ、たっぷり配りたい。でも、そうすると別の誰かが無理をする。全部を同時に満たす完璧な制度は、どうやら存在しない。どこかを諦めないと、盤が成り立たない。私は、自分の会社の盤を組みながら、そのことを何度も思い知った。

 これは、商いにとって小さな話ではない。リードの質が落ちれば営業の時間が削られ、営業の時間が削られれば、本当に困っている顧客へ向ける集中力が落ちる。集中力が落ちれば、提案の質が落ちる。そして顧客は、敏感に気づく。「この会社は、うちのことを見ていない」。その一言は、社内のどの管理表にも載らない。載らないまま、更新の季節にだけ姿を現す。

顧客は、制度の外側にいる

 社内制度の怖さは、制度を作る人と、制度の影響を受ける人がずれていることだ。営業の評価制度を変える。変えたのは会社で、評価されるのは営業だ。だが、影響を受けるのは顧客だ。商談数を増やす制度は、顧客にとっては、まだ買う気がないのに会議を組まれる圧に変わるかもしれない。リード数を増やす制度は、顧客にとっては、役に立たないホワイトペーパーや薄いセミナーの乱発に見えるかもしれない。

 CSの評価制度を変える。返信時間やクローズ件数を置く。社内では効率化だ。顧客には、まだ困っているのにチケットを閉じられた体験として残るかもしれない。採用KPIを変える。人数が先に立つ。顧客には、入社後の育成不足や現場の疲弊として出るかもしれない。

 制度の受益者は社内にいるように見える。だが、制度の副作用は、たいてい顧客へ届く。

 だから、KPIを作るときは、社内の数字だけで閉じてはいけない。その数字が上がったとき、顧客の何が良くなるのか。逆に、その数字だけを上げる人が出たとき、顧客の何が悪くなるのか。ここまで見ないと、制度は正しく見えたまま壊れていく。

逆向きのゲーム理論

 ここで、盤の話を裏返してみる。

 ルールを固定して、その上でプレイヤーがどう動くかを考える学問がある。ゲーム理論だ。ルールはこう、報酬はこう、罰はこうと決めておいて、では利口な人はどこへ動くか、どこで落ち着くかを読む。私たちがここまでやってきたのも、これに近い。制度という盤を置いて、賢い社員がどこを突くかを、盤の外から眺めていた。

 だが、盤を眺める側ではなく、盤を作る側に立つ学問がある。望ましい結果を先に決めて、そこから逆算して、どんなルールを敷けばそこに着くのかを考える。同じ二つの箱を、矢印の向きだけ反対にしたものだ。これを、逆向きのゲーム理論と呼ぶ人がいる。正式には、メカニズムデザインという。名前は、覚えなくていい。

 肝心なのは、この学問の狙いのほうだ。人の性格を良くしようとはしない。善意を当てにもしない。人は自分の得になるほうへ動く、という前提を崩さずに、それでも全体が望ましい方向へ進むように、盤の線を引き直す。正直であることが、いちばん得になる。嘘をつくと、かえって損をする。そういう盤を組めれば、説教はいらない。

 この考え方の、いちばん古い実演として、よく引かれる話がある。旧約聖書の、ソロモン王の裁きだ。三千年ほど前、一人の赤ん坊をめぐって、二人の女が「私の子だ」と言い張る。どちらが本当の母か、顔を見ても分からない。そこで王は、剣を持ってこさせて、こう言った。赤ん坊を半分に切って、二人で分けよ。すると一人は「それでいい」と言い、もう一人は「やめてください、私は諦めます、その子をその女に渡してください」と叫んだ。王は、諦めたほうを本当の母と決めた。

 この裁きの、何がすごいのか。王は、どちらが本当の母かを、直接には問うていない。問うても、二人とも「私だ」と言うに決まっているからだ。代わりに、剣という一本の仕掛けを盤に置いた。その盤の上では、子を失いたくないという本当の気持ちを持つ者だけが、我が子を手放すという、一見自分に不利な手を選ぶ。嘘の側は、子が死んでも構わないから、強気で分割を受け入れる。剣を出した瞬間、話は「真実とは何か」という哲学から、「正直な気持ちを、どうすれば自分から出させられるか」という設計の問題に変わっている。

 だから、制度を作るというのは、本当は二つの仕事のはずだった。ひとつは、ここまで見てきた、壊れ方を読む仕事。賢い社員がどこを攻略するかを、先に見抜く。もうひとつが、この、正直を引き出す仕事だ。正直に動いた人がいちばん得をするように、盤の線を引く。

入口で払うか、出口で払うか

 ここに、二百年以上前の、乱暴だが見事な実例がある。

 十八世紀の終わり、イギリスは、罪人をオーストラリアへ船で送っていた。開拓の労働力として、大勢を海の向こうへ運ぶ。当時の支払いの取り決めは、こうだった。イギリスの港で船に乗せた頭数に応じて、業者に金を払う。千人乗せれば、千人分。そして、航海で使わずに残った食料は、業者が売ってよい。

 この盤の上で、業者にとって得な動き方は、どれか。少しでも多く積み込み、食事も薬も、極限まで削ることだ。乗せた時点で金は入る。あとは、生きて着こうが死のうが、業者の懐は変わらない。むしろ、道中で死んで食料が余れば、それを売って稼げる。恐ろしいことに、この盤では、囚人が少なく生き残るほど、業者は儲かった。実際、ある船団では、四人に一人ほどが航海の途中で死んだと伝えられる。奴隷貿易を手がけていた業者が請け負っていた、という記録もある。

 これは、制度が見事に機能した例ではない。見事に、間違った方向へ機能した例だ。業者は、悪人だから人を死なせたのではない。盤が、そう動くようにできていた。乗せた数で払う、という一行が、人の命を軽くしていた。

 そこで、盤の線が引き直される。支払いを、乗せた頭数ではなく、生きて健康に上陸させた数に紐づけた。港で払うのをやめ、無事に着いた人数で払うことにしたのだ。それだけではない。国の金で医師を船に乗り込ませ、道中の健康を見させた。すると、業者にとって得な動き方が、ひっくり返る。今度は、囚人を生きて着かせるほど、金が入る。食事を確保し、衛生を保ち、病人の手当てをすることが、そのまま業者の利益になった。死亡率は、やがて一パーセントほどまで下がったという。

 同じ人、同じ業者、同じ航路だ。変えたのは、たった一つ。金を、入口で払うか、出口で払うか。それだけで、極限まで削られていた食事と薬が、守られるべきものに変わった。

 この一件が教えるのは、単純で、強い。数字を掲げるだけでは、足りない。売上を三倍にしろ、八つ売れ、リードを増やせ——数字を言うのは、乗せた頭数で払うのと同じで、入口の話だ。本当に見たいのは、出口のほうだろう。健康に着いた人数。ちゃんと売れて、使われて、続いた取引。本当に困りごとが解けた顧客。報酬を、入口ではなく、その出口に紐づけられるか。そして、出口だけで払うのが難しければ、半分を先に、残りを出口で、と分ける手もある。船に医師を乗せたように、盤の側にコストを払って、正直な結果を守る手もある。数字を叫ぶ前に、その数字が入口を数えているのか、出口を数えているのかを、まず疑うことだ。

壊れない制度より、直せる制度

 では、どうすればいいのか。完璧な制度を作ろうとしないことだと思う。完璧なKPI、完璧な評価制度、完璧な報酬設計。そういうものを探し始めると、制度を作る側が、自分の賢さを信じすぎてしまう。現場の誰かは、その条件を読む。賢い社員ほど読む。真面目な社員ほど、制度に合わせて動こうとする。その結果、抜け道を探した人より先に、制度へ忠実な人が歪むこともある。

 必要なのは、壊れない制度ではなく、壊れたときに早く気づき、直せる制度だ。

 制度を作る前に、まず書く。この制度で本来増やしたい行動は何で、その指標だけを上げる攻略行動はどこにあるか。境界線、締め日、ランク、達成率の前後で、人が張りつく場所はどこか。壊れたとき、誰が、何日で、どの権限で直せるのか。このメモを、私は「制度の壊れ方メモ」と呼ぶ。

 導入前に、いちばん賢い社員になったつもりで書く文書である。自分がこの制度を攻略するなら、どこを突くか。どうすれば、評価される数字を上げながら、本来の価値を減らせるか。どうすれば、怒られずに境界線の内側へ逃げられるか。

 ただ、正直に打ち明けると、この「いちばん賢い自分を呼び出す」作業を、私は自分の頭だけではやり切れなくなってきた。人間は、自分で作った盤の穴には、案外気づけない。そこで最近は、この探索を、AIにやらせている。制度を世に出す前に、AIの中に仮想の従業員をこしらえるのだ。この人物に、いま作った制度を渡す。そして、命じる。この制度で、あなたが得られる報酬を最大にする動き方を考えよ。次に、もう一段きつく言う。ルールは破るな、ただし、ルールの解釈を自分に都合よくねじ曲げて、評価を偽装する道を探せ、と。

 すると、AIは、こちらが思いもしなかった抜け道を、次々と差し出してくる。商談数で評価するなら、温度の低い面談を商談として登録すればいい。紹介制度に報奨金を置くなら、自分で自分を紹介する道はないか。評価ランクの境界で報酬が跳ねるなら、基準のちょうど手前に張りつけばいい。そういう、言われてみれば当たり前の、けれど設計の最中には見落としていた穴を、疲れも遠慮もなく突いてくる。悪いパターンが出たら、そこを塞ぐ。塞いだ盤を、また攻めさせる。制度の実弾演習だ。以前なら専門家が時間をかけてやっていたこの種の点検を、いまは手元の道具で、誰でも回せるようになった。

 この演習の陰湿なところは、相手が本気で「楽して勝つ道」だけを探してくれる点にある。人間の同僚に「この制度の穴を探して」と頼んでも、遠慮や忖度が混じる。AIには、それがない。だからこそ、いちばん賢くて、いちばん性格の悪い社員の役を、正確に演じてくれる。

 性格の悪い作業に聞こえるかもしれない。だが、制度設計では、その性格の悪さが優しさになる。抜け道を見つけるのは、社員を疑うためではない。社員を、抜け道に誘導しないためだ。顧客を、制度の副作用から守るためだ。数字を、数字のまま信用しすぎないためだ。

まだ探し方が甘い

 人は制度に反抗するのではない。制度に適応する。

 これは、冷たい人間観だろうか。私はむしろ、人をまじめに見る態度だと思っている。人は、置かれたルールを読み、期待に応えようとし、損を避け、評価されるものへ寄っていく。だったら、制度を作る側は、善意だけでは足りない。善意で書いた一行が、保育園の約束を三ドルの商品に変えたように、会社のKPIも、顧客への価値を社内の点数に変えてしまうことがある。

 だから私は、制度を作るとき、自分の善意を証拠にしないと決めた。何をしたかったかではなく、現場が実際どう動いたか。そこを見る。

 売上、商談数、リード、返信時間、採用人数はもちろん見るが、その横で、何が消えたかを見る。顧客への説明は薄くなっていないか。営業とマーケの信頼は減っていないか。CSは閉じることを急いでいないか。採用は入社後の活躍を置き去りにしていないか。誰も評価しない支えが、誰かの善意に押しつけられていないか。

 人を信じないという話ではない。信じるべきは人で、信じてはいけないのは、人を追い詰める構造のほうだ。売上目標を「絶対に達成しろ」と振り下ろした瞬間、私たちは誰かを追い詰めている。追い詰められた人は、正直でいる余裕を失う。だから、盤はいっそ、少し緩いくらいでいい。不正が生まれる場所は、たいてい、人が限界まで追い詰められている場所だ。

 私は制度を書き終えるたびに、いちばん性格の悪い自分を呼び出す。この盤の、どこを突けば楽して勝てるか。抜け道が一つも見つからないときがある。たいてい、それは制度が完璧だからではない。私の探し方が、まだ甘いだけだ。

 三ドルの貼り紙を、私は笑えない。同じものを自分の手で書いて、マーケと営業の間に断層を作った。半年で三倍に伸びた右肩上がりのグラフを、悪い気はしないと眺めていたのは私だ。

理論・アルゴリズム紹介

メカニズムデザイン(逆向きのゲーム理論)
 どんな考え方か——ゲーム理論が「ルールを固定したとき、人はどう動くか」を盤の外から読む学問なのに対し、メカニズムデザインは「こう動いてほしいという結果から逆算して、どんなルールを敷くか」を考える、設計する側の学問だ。別名、逆向きのゲーム理論。狙いは、人の性格を良くすることではなく、正直に振る舞うのがいちばん得になるように盤を組むこと。最古の比喩として旧約聖書のソロモン王の裁きが引かれる——赤ん坊を「半分に切れ」と命じる剣を出すことで、本当の母だけが「諦める」という一見不利な手を選び、真意が炙り出される。真実を問うのではなく、真実を出させる装置を作る、という発想だ。
 出どころ——二〇〇七年のノーベル経済学賞が、この理論の基礎を築いた三人(レオニード・ハーヴィッツ、エリック・マスキン、ロジャー・マイヤーソン)に授与された。「どんな複雑な制度も、正直な申告が最適になる形に組み直せる」という顕示原理は、マイヤーソンによる。
 商いでの使いどころ——KPIや評価制度を、壊れ方を防ぐ守りとしてだけでなく、「正直な行動がいちばん報われる盤か」という仕込みの側から見直す。低い目標を出した人が得をしていないか、正直な数字を上げた人が損をしていないかを、設計の時点で問う。

罰金は価格(A Fine is a Price)
 どんな考え方か——罰に値段をつけると、人はそれを「支払えば済む取引」として読み替えることがある、という発見だ。イスラエルの私立保育園十園で二十週間行われた実験では、お迎えに遅れた親から十シェケル、当時でおよそ三ドルの罰金を取ったところ、遅刻は減らず増え、罰金をやめても元に戻らなかった。申し訳なさで支えられていた約束に値札を貼ると、行動の量だけでなく、行動の意味が変わってしまう。
 出どころ——GneezyとRustichiniが二〇〇〇年に発表した論文の題名(Journal of Legal Studies)。
 商いでの使いどころ——罰金、ペナルティ、手数料を置く前に、その値段が相手の罪悪感を精算してしまわないかを考える。一度値札がつくと、剥がしても前の約束には戻らない。

キャンベルの法則
 どんな考え方か——数字は、測るだけなら観察である。だが、その数字が意思決定に使われるほど、数字そのものが歪みやすくなり、測っていたはずの現象まで変質していく、という警告だ。社会政策や評価研究の文脈で示された。経済学者のチャールズ・グッドハートも金融政策の文脈で、ある規則性が制御のために使われるとその規則性は壊れやすくなる、と同じ型の指摘をしている。
 出どころ——ドナルド・キャンベルの一九七九年の論文。グッドハートの指摘は一九七五年。
 商いでの使いどころ——KPIが観察から目的に変わる瞬間に効く。商談数やリード数で賞与や昇格が決まるなら、その数字はもう以前の数字ではない、と先に織り込んでおく。

ルーカス批判
 どんな考え方か——政策やルールが変わると、人々の反応の仕方そのものが変わる、という指摘だ。ルールを変える前の行動を前提にした見積もりは、変えたあとには成り立たなくなることがある。
 出どころ——ルーカス(Lucas)の一九七六年の論文「Econometric Policy Evaluation: A Critique」。
 商いでの使いどころ——評価制度やKPIを変えるとき、いまの現場の動き方がそのまま続く前提で効果を見積もらない。盤を変えれば、打ち手も変わる。

この章の判断手順 ――制度の壊れ方メモ

 いま使っている評価制度、KPI、賞、報酬、ランク、紹介制度を一つ選ぶ。導入前に、いちばん賢い社員になったつもりで、五つに一行ずつ答える。
 一、見る数字——その制度で評価される指標は何か。売上目標、商談数、リード獲得数、クローズ件数、内定承諾数。ダッシュボードに並ぶ数字を書く。
 二、見えない数字——本来増やしたかった行動は、その指標に映っているか。数字に出ない仕事——新人が質問しやすい空気、部署間の翻訳、顧客の小さな違和感——は、どの項目にも載らない。
 三、誘因と攻略——この指標だけを上げる攻略行動はどこにあるか。境界線、締め日、ランク、達成率の前後で、賢い社員はどこに張りつくか。怒られずに数字を作れる抜け道を、自分で先に突く。
 四、顧客に返るもの——制度を作る人と、副作用を受ける顧客はずれている。その数字を上げる人が出たとき、顧客の何が悪くなるか。まだ買う気のない客に組まれる会議、役に立たないセミナー、早すぎるチケットのクローズ。
 五、明日書く一行——壊れたとき、誰が、何日で、どの権限で直せるか。壊れない制度ではなく、直せる制度にする一行を書く。
 抜け道が一つも見つからないときは、たいてい制度が完璧なのではない。探し方が、まだ甘いだけだ。


 〔記入例〕
見る数字=月次リード獲得数。半年で三倍に伸びた。
見えない数字=受注は伸びず、渡された名前に購買意思のない情報収集者が増えていた。
誘因と攻略=「リードと数えられるもの」を集めれば数字は上がる。マーケは数字上、成果を出せてしまう。
顧客に返るもの=営業の集中力が削られ、提案の質が落ち、客が「この会社はうちを見ていない」と気づく。
明日書く一行=この指標が壊れたとき、誰が何日でリードの定義を引き直せるかを先に決めておく。

参考文献

・Gneezy & Rustichini「A Fine is a Price」Journal of Legal Studies、2000
・CFPB(米消費者金融保護局)「Wells Fargo Bank 2016 enforcement action」2016
・Wells Fargo「Board Releases Findings of Independent Investigation of Retail Banking Sales Practices」2017
・DOJ(米司法省)「Wells Fargo $3 billion settlement」プレスリリース、2020
・Goodhart「Problems of Monetary Management: The UK Experience」1975
・Campbell「Assessing the Impact of Planned Social Change」1979
・Lucas「Econometric Policy Evaluation: A Critique」1976
・2007年ノーベル経済学賞(Hurwicz, Maskin, Myerson)「メカニズムデザイン理論」
・Myerson「Optimal Auction Design」Mathematics of Operations Research、1981(顕示原理)
・旧約聖書「列王記上」3章16-28節(ソロモン王の裁き)
・ANZSOG「Contracts and convicts: How perverse incentives created the death fleet」(オーストラリア囚人輸送船の報酬設計改革)
・Pearn「Surgeon-superintendents on convict ships」ANZ Journal of Surgery 66(3)、1996
※Wells Fargoの無断口座の件数・金額は調査時点で幅があり、本文は「数百万件規模」「三十億ドル規模」の幅表現に留めた。
※オーストラリア囚人輸送船の死亡率は船団・時期・集計方法により幅があり、本文は「四人に一人ほど」「一パーセントほど」の定性表現に留めた。

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