見出し画像

【動画付短編小説】【JACK】─外典 途中の世界/第六夜 漆黒の騎士

宿屋の夜だった。

柔らかなランプの灯り。遠くから聞こえる虫の声。

飛鳥「明日、オーク帝国へ向かいましょう」

ブラニ「はい!」

少し間。

ブラニが困ったように頭を掻いた。

「そう言えば……気になってたんすけど」

飛鳥「何?」

ブラニ「僕には、ブラニって名前があるんです」

沈黙。

「ちゃんと呼んでください」

飛鳥「あっ」

神宮寺「そうだったな」

南雲「忘れていた」

五島はブラックを一口飲む。

「少年」

ブラニ「だから、それです!」

飛鳥が吹き出す。

「ご、ごめん!」

神宮寺「ブラニ」

「はい!」

南雲「ブラニ」

「はい!」

五島。

短い沈黙。

「……ブラニ」

ブラニ「言えるじゃないですか!」

五島「一度だけだ」

宿屋に、小さな笑いが広がった。

その笑いは、すぐに止まる。

神宮寺「長居する理由もない」

南雲「妙に静かだ」

五島はブラックを飲む。

「……来るな」

カラン。

宿屋の扉が、静かに開いた。

二メートルを超す長身。 漆黒の甲冑が、ランプの光をほとんど反射しない。 禍々しい棘と鋭角が全身を覆い、黒い外套が床に影を落とす。 腰には、一本の長剣だけ。

護衛の姿はない。必要がないのだと、誰の目にも分かった。

男は、ゆったりと店内へ入ってきた。

宿屋の客たちが、一斉に頭を垂れた。 グラスを持つ手が、わずかに震える。 誰かが、ほとんど聞こえない声で呟く。

「……黒騎士様……」 「……ヴァルグ様……」

ランプの炎が、実際は揺れていないのに、一瞬だけ揺れたように見えた。

飛鳥「えっ」

ブラニ「本人だ……!」

神宮寺、無言でグラスを置く。

ヴァルグ「旅人か」

五島「ああ」

ヴァルグ「この街を、どう思う」

長い沈黙。

五島「やけに静かだ」

ヴァルグ「平和だからな」

五島「違う」

静寂。

ヴァルグの視線が、わずかに鋭くなる。 巨大な体躯が、五島を見下ろしていた。

五島「歩きづらい」

ヴァルグ「なぜだ」

五島「完成している」

宿屋全体が、静まり返った。誰も、息をしなかった。

ヴァルグ「完成は、人の理想だ」

少し間。

「迷いは、戦乱を生む。未完成は、弱者を苦しめる」

「百年前の反乱も、三十年の疫病も、十年前の大飢饉も……すべて、未完成が生んだ悲劇だ」

「故に、国家は完成を目指さねばならぬ」

神宮寺は、グラスを持つ手を止めた。

神宮寺「弱者を苦しめないために、弱者を切り捨てるのか」

ヴァルグの視線が、初めて五島から神宮寺へ移る。

ヴァルグ「……何者だ」

神宮寺「ただの酒場のマスターだ」

「だが」

一拍。

「守るというのは、選別することじゃない」

ヴァルグは、少しだけ目を細めた。答えなかった。

南雲は、腕を組んだまま壁に寄りかかっていた。

南雲「俺は、そっちの理屈で切り捨てられる側にいた」

一拍。

「今は、切り捨てられた側を拾う仕事をしてる」

ヴァルグ「……仕事、か」

南雲「ああ」

「損得の話じゃない」

五島は、静かにブラックを飲む。

「知らん」

「私は、途中の人間だ」

完全な沈黙。

ヴァルグ「……途中か」

「私には、理解できぬ」

五島「完成した瞬間から、古くなる」

ヴァルグ「……何?」

五島「世界は止まらんからな。完成を保つにも、変わり続けるしかない」
「法律も、制度も、憲法も同じだ」

ヴァルグ「だから、歩くのか」

五島「本当のところは、私にも分からん」

飛鳥、頭を抱える。

「分からないんですか!?」

神宮寺「今さらだ」

南雲「本人にも説明できん」

そして、ブラニだけが、真剣な顔で頷く。

「哲人王様は、深い……!」

五島「違う」

長い沈黙。

やがて、ヴァルグは無言で背を向けた。 漆黒の甲冑が、ゆっくりと向きを変える。黒い外套が、床を擦るように揺れた。

去り際、わずかに振り返る。

ヴァルグ「……面白い」

「初めてだ」

「完成を否定する者に、会ったのは」

さらに、少し考えるように言葉を続けた。

「いや」

「完成を必要としない者に、会ったのは」

視線が、一瞬だけ神宮寺と南雲にも向く。

ヴァルグ「……お前たちも、同じか」

答える者は、いなかった。

静寂。

ヴァルグ「……また会おう」

誰に向けた言葉なのか、分からなかった。

黒い外套は、夜の闇へ溶けていく。 黒い背中が、遠く黒い城へ帰っていくのを、一同は黙って見送った。

その夜。 黒鉄城・玉座の間。

巨大な旗。漆黒の鎧。燃えることのない青い炎。

青白い炎は、影をほとんど作らない。

熱も感じない。

炎を囲む石床には、古い文字が刻まれていた。
この世界で、魔法を発動させる唯一の言語。

その起源について、古い記録にはこう残されている。

「異界より来たりし者ら、自らをヘブライ人と称し、失われた十支族なりと告ぐ」

その言葉が何を意味するのか。
今では、知る者はほとんどいない。

側近が静かに膝をつく。声に、わずかな緊張が混じる。

側近「陛下。異端者でしょうか」

ヴァルグは答えない。

側近「……討伐なさいますか」

長い沈黙。

ヴァルグは玉座に腰掛けたまま、窓の外を見つめていた。 玉座に座ってなお、その存在感は周囲を圧倒していた。

ヴァルグ「……分からぬ」

さらに沈黙。

「完成を否定する者は、過去にもいた。愚者も、反逆者も、敗者も、数多く見てきた」

「だが」

「完成を必要としない者は、初めてだ」

側近「あの者たちを、放っておかれるのですか」

声の端に、わずかな不安が滲む。

ヴァルグ「討つ理由がない」

一拍。

「あれは、敵ではない」

側近「では、何なのですか」

ヴァルグ「……分からぬから、また会う」

側近は、それ以上何も言わなかった。

二つの月が、黒鉄城を照らしていた。

誰もいない玉座の間で、ヴァルグは小さく呟く。

「……途中の人間」

「歩き続けることに、何の意味がある」

答える者は、いなかった。

ただ、黒鉄都市ヴァルハイトだけが、完成された静寂の中で眠っていた。

――【JACK】─外典 途中の世界/第六夜 漆黒の騎士 完

――次回。

翌朝。

黒鉄都市ヴァルハイトに、鐘が鳴る。

宿屋へ届けられた一枚の新聞。

そこには、大きくこう記されていた。

〝完成理念を否定する旅人、現る〟

そして、その下に。

〝歩行思想を唱える危険人物〟

飛鳥「歩行思想って何なんですか!」

五島「知らん」

その時。

宿屋の外で、重い足音が止まった。

黒い甲冑。

整列する衛兵たち。

「被告、五島雄二」

「国家完成理念への疑義」

「歩行思想の流布」

「以上の罪状について、異端審問を開始する」

――【JACK】─外典 途中の世界/第七夜
異端者たち

──完成された鎧と、着崩れたジャケット。
どちらが強いかは、まだ分からない。
──城は眠らない。
眠るのは、それを支える者たちだけだ。

挿入歌/ヘブライ語詞
HaDerekh Nimshekhet(הדרך נמשכת)― 道は続く
古い祈りを思わせるヘブライ語の響きで描く、黒鉄都市ヴァルハイトの夜。
完成を求める国家と、それでも歩き続ける旅人たち。
秩序の果てでなお続いていく「道」を歌う。

完成したものは、古くなり始める。
守るためには、変わらなければならない。

いいなと思ったら応援しよう!